第16話 夜の闇の中で 2
シルヴェンヌが顎を少し上げる。
「誰か」
シルヴェンヌの声が良く通り、やがて風切り音が二つ聞こえてきた。遠くで着地音が聞こえる。静かだが、それ以上に周りが静かなために足音が聞こえ、侍女と戦士の一人が現れた。
「お呼びでしょうか?」
侍女が恭しく言う。
「わたくし達の宝まで、セス様を案内して」
「かしこまりました」
「火守はいいわ。人手はあった方がいいもの」
「は」
シルヴェンヌの言葉に翼人族の戦士が頭をさげて、横に移動した。
侍女が手元のランタンに火を灯し、腰をかがめて「こちらです」と歩き出す。
「シル、移動中は翼をしまえ。その方が回復が早かろう」
「この姿は嫌いでしょうか……?」
まさか、とセスは否定する。
「どのような姿でもシルはシルだ。ただ、今は少しでも万全でいてほしい時。ならば回復の早い姿で過ごしてはくれぬか?」
「セス様が望むのなら」
シルヴェンヌが翼を消す。セスが侍女の後を追うのを待ってシルヴェンヌが並ぶように、そしてナギサがセスの右斜め後ろを守るように続いて、ロルフがナギサの背後にまわった。翼人族に挟まれる形になり、夜の森を歩く。
「イシオンの近くの根拠地と言いますと、お城は駄目ですの?」
シルヴェンヌが尋ねてくる。
「我が詰めていた城は、反乱に会うてな。外には人間の軍勢も居た。戦意の高いとは言えない者が主力を務めざるを得ない編成では、維持できぬと思うて父上の死後はすぐに放棄したのだ。不甲斐ない我を許してくれ」
「許すも何も、その場にいない者がどうしてセス様を責められましょうか」
セスはシルヴェンヌに手を伸ばして、引き寄せるようにして頭を撫でた。
「ふふ。急にどうしたのですか?」
「シルが許嫁で良かったと思っただけだ」
暗い中でも、セスからは赤い耳が良く見えた。
すぐ後ろの足音は微塵も乱れず、されどロルフ以降の足音は一度乱れたように聞こえた。
「当然です。私はセス様の味方ですから」
シルヴェンヌがセスに体を預けるが、数歩歩いたところで体を離した。
セスの手が宙に浮き、所在なさげに降りて行く。
「そうではなくてですね、セス様が元々住んでいた城のことです。誰も話題にいたしませんし、こちらに来てからも何の情報も集めることができませんでした。セス様の話自体収集に苦労いたしましたので、ちゃんとしたことは何もわかりませんが、違和感があるほどに何もわからなかったのです。……大変言いにくいのですが、既に、打ち壊されてしまったのですか?」
足を止めずに、セスはちらりと意識をナギサにやる。
ナギサも、探したはずの場所で失せ物を見つけたような雰囲気を纏っていた。
「打ち壊されたかどうかはわからぬ。いや、意識したことすらなかったというべきか」
シルヴェンヌが首を傾げる。
「ナギサ、あの時、落城した知らせを受けた時、我らはそちの屋敷には行ったが、そこで状況を確認したのに満足してその場を離れた。そうだったな」
「はい。しばらくは人間共が多く来るだろうからと、その地を離れ、山奥で潜伏しておりました」
「持ち物は揃えぬままだ。確かに、最善の選択と言えば最善の選択だが、近くにあった城に最低限の物を取りに行くという話もでなかったの」
「はい」
セスの目が暗闇を滑る。
「ロルフ」
近づく足音がセスの耳にはいる。
「今一度、陥落してからの行動を簡単に教えてはくれぬか?」
「城が落ちるときは裏切り者のガーゴイルを斬って、ゴーレムを壊して回って、人間が乱入してきて降伏したはずのガーゴイルとゴーレムを打ち壊し始めた辺りで混乱に乗じて脱出しました。で、その足で群れに戻って隠し場所を探しつつ里を見て回ったかな。被害が確認できた辺りで街に降りて、殿下がどこにいるか聞いて回って、妖狐のおっさんのおかげで見つけたって感じ」
「降りた町は?」
「シクッツァ。魔王城から離れている上に近くには要塞都市があって、鉱山もそっちの方向にあるから、ある意味安全な都市って呼ばれてるあの街です」
「城に行けば我がいるという発想は?」
「なかったですね。そもそも、近くに寄ろうというのは浮かばなかったし、群れの連中も誰もそっちから探した方が良いなんて言い出さなかったし」
「町の噂は、どうだ?」
「城については、まあ意識してなかったっていうのもあると思うけど、さっぱりだね。陛下の遺体がー、とか本当に死んだのかー的なのなら聞いたことはありますよ」
軽い調子のロルフに対してのナギサの注意が飛ばない。
「ヴァシム城下に側近の一族を住まわせることによって防備を固めていたのですよね。ならば、付近を当たる方が協力者を得られたはずではありませんか?」
底なし沼のような目がナギサに向けられた。
セスは、ナギサとシルヴェンヌの間に入るように少しだけ歩く方向を変える。
「少なくとも、戦力補強は上手くいっていた可能性はあるの。まだ勇者一行が風穴を開けた段階であれば、という条件付きではあるが」
「二人旅の期間はどれほどあったのかしら? もしかしたら、最初から無くなっていた可能性もあるのではなくて? ねえ、どう、思っておりますの?」
なだめるべくセスは口を開くが、それよりも早くロルフの言葉が鼓膜を揺らした。
「待ってください。ということは、認識阻害か何かにかけられて魔王城の存在を隠蔽されていたってこと? しかも広範囲に。翼人族に効かなかったのは相性か、遠かったからか……。いや、それはさておき、そこまで強大な魔法を使える存在は何者さ」
答えは、誰も持ち合わせてはいない。
攻めてきた人間だけでなく、防衛する側だったセスらにも無差別にかけている。範囲系のものである可能性が高い、としかセスには言うことはできないし、それはロルフも認識しているだろう。
「何者であれ、大事なのは敵か、味方か、どちらでもないか。いや、殿下の城に対する影響を与えている時点で、敵か味方かにしかなり得ない」
ナギサの言葉が終わるころには暗闇の中に人影が見え始めていた。ナギサはもっと早くに気が付いていたのか、声は最初から小さく低い。
くすり、とシルヴェンヌが笑った。
「ならば、今から献上させていただくものは非常に役立つかと思います。間違いなく、セス様の戦力の増強に繋がりますもの」
そう言って、シルヴェンヌが前に出る。
翼人族が全員、手を止め足を止め、小さく頭を下げた。
「灯りを」
「は」
ぼ、と火が灯る。一か所、二か所と灯ると広範囲にわたって開けている土地であることが良くわかった。松明は至る所に、それこそ到着してから日暮れまでの間の時間を全て使ってまでも設置したかのように。セスは灯りきるまでに荷台が二十五台あるのを確認し、かすかに漂っていた違和感の香りに完全に慣れるぐらいには全て点灯するのに時間がかかった。
シルヴェンヌが荷台に近づく。
「セス様、いえ、殿下」
呼び方の変化に、セスも心を引き締めた。
「こちらが、献上したいものです」
シルヴェンヌの言葉に合わせて、他の翼人族全員が片膝をついて、翼の先を地面に着けた。
シルヴェンヌの背中にも白い翼が広がり、荷台の布を取る。土気色の肌と所々赤やこげ茶にくすんだシミがついた翼が見えた。鼻に染み着き、臓腑を混ぜ返すような臭いがわずかに強くなる。いや、これだけたくさんある中で、わずかにこれだけの臭いで住んでいるのは奇跡だと言うべきか。魔法の力はかくも偉大だというべきか。
「死後も殿下の役に立つことができると判断した、五体満足な勇敢なる我が同胞四百七十二人の死体です。多少の亀裂、穴のある者もおりますが、十分に殿下の手足となり戦う能力はございます」
翼人族が立ち上がり、近くの荷台を開けた。全て、死体であり、夜の冷たい空気に死臭がしみ込んでいく。
「同盟をしておきながら一切の援軍を送らなかった不義がこの程度で許されるとは思ってはおりませんが、これからの忠誠の証として受け取っていただければ幸いです」
シルヴェンヌの言葉の最中にも、無言で次々と荷台の布がとられていく。侍女の中には目元を抑える者も口元を抑える者も出てきて、やがて衣擦れの音以外にも嗚咽が聞こえ始めた。
「援軍を送らずに人間との交易を続けることを決断したのは、愚かにもわたくしの父です。勝ち目無しと見限り、いつも通りの生活を送れば攻められぬと高をくくっておりました。ところがどうです? 人間に攻められたではありませんか」
全ての荷台の布が取り外された。全員、丁寧に瞼が落とされている。
「話せばわかるはずだと、覚悟を示せば無体な真似はすまいと言って丸腰で交渉に向かった父や父の側近は首を刎ねられました。馬鹿な人です。上がいなくなれば後は混乱するだけだというのに。指揮系統は乱れ、組織的な抵抗は本来の力を発揮せず、男は殺され女は犯され金品は奪われ子供は泣く。人間共にとって遠征はさぞ鬱憤が溜まっていたのでしょう。非常に醜い、統率の取れた野盗のようでした」
表情も声も変わらないものの、シルヴェンヌの左目からは液体が零れ始めている。
頬を伝い、道を作り、火に照らされて。それすらも美しいのが、罪深い。
「尊厳を傷つけられるのはごめんだと母を始めとする幾人かの女性は崖から身を投げ出し、ザクロとなり果てました。人間を殺してやると意気込んだ男が、自分の命を犠牲にしてまで上げた首は、数日もすれば多くがまたしゃべり、狼藉の限りを尽くし始める。ああ、どうせ死ぬのならと憎き同胞を殺し、見目麗しき同胞を犯す者も出始めましたね。所詮は同じ穴の狢ということでしょうか」
布を捲っていた戦士たちが後ろに並び、翼人族の礼を取った。
それを待って、シルヴェンヌがセスの方へと近づき、片膝をつく。
「最早人間に抱ける感情は恨みのみ。同じとこまで墜ちるなら、本懐を遂げたいと思っております。魔族の思いをまとめ上げることができるのは殿下を置いて他にはおりません。どうか、人間を攻め滅ぼす先兵に、末席にわたくし共を加えては頂けないでしょうか」
シルヴェンヌが頭を下げた。
「裏切りは起こさせません。殿下の忠実な僕として、身を粉にして働く所存です。許されるはずのないわたくし共の不義を、汚名を雪ぐ機会を何卒、何卒……」
シルヴェンヌに近づく。
足音は確かに空間に一番大きい波を作る要因となり、主となる。手の届く距離になれば、セスは立ち止まった。
「僕(しもべ)か。そなたらの要望の全ては叶えられぬ」
シルヴェンヌの肩が動いた。
セスはシルヴェンヌの頬に手を伸ばし、顔を上げさせる。表情は、何も変わっていない。
「今更そなた以外を娶る気はないからの。シルは我が妻。なれば意味は変わらずとも我が配下、我が軍の中核。そうであろう?」
シルヴェンヌの口が薄く開いて、また閉じる。きゅ、と真っすぐに結びなおしてから口が開いた。
「わたくしは……、わたくしは、セス様の愛さえ頂ければ、正室ではなくても構いません。むしろ、セス様を思えば、正室は婚姻同盟として成立させる価値のある種族にすべきかと、意見具申いたします」
「我のことを思うなら、我の気持ちを無視するでない」
セスは表情をやわらかくすると、手をシルヴェンヌの頭に持って行き、やや乱雑に頭を撫でて立ち上がった。
表情を引き締めなおす。
「忙しくて申し訳ないが、今夜のうちにこの者らを我が兵としたい。我は魔力の回復に努めるため、並べてはもらえぬか?」
「仰せのままに」
翼人族の頭が、また一段下がった。
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