第17話 決行前夜 男二人
「何というか、殿下さえよければっていう人かと思ってたんですけど、涙流しながら死体を並べる人だったんですね」
セスが眼下で翼人族が同胞の死体を綺麗に並べているのをぼんやりと見ていると、ロルフが後ろでそう発した。
セスは体の側面を木に預けながら、言葉をまとめ、聞きたいことを絞る。
「シルとは、上手くやれそうか?」
「まあ」
間延びしたような声がして、波が消えた辺りで次の言葉がやってくる。
「クノヘとは違って、俺は敵視もされていないようですし。軽視されているのは、あの戦闘からしか見られてないなら仕方ないかなーって思ってますし」
セスは目を閉じて、ロルフの表情を想像する。
(いつも通りの笑みかの)
軽い、明け透けで気のいい。
「ナギサがシルに敵視されるのはどうしようもないの。付き合いが長いと、そういう関係にはならぬのだが、そう言ってしまえばシルに今後自分もそう言う目で見られなくなると思わせてしまいかねぬ。そのような心配は無用だと、言っても納得はしてくれまい」
「何というか……凄いっすね」
僅かに衣擦れの音がして、ロルフがそう言った。
セスの口角が小さく上がる。
「あんな女性を愛することができて、か?」
「そんなことは流石に」
「隠さずともよい。誰かが聞いているわけではないしの。それに、よく言われていたことでもある」
セスの父親が存命の頃から。
シルヴェンヌを正室にはするが、そのまま遠方に置いておき、側室を取ってはどうかと進言してくるものも多くいた。事実、婚礼を挙げてもおかしくはない年齢になったにも関わらずシルヴェンヌが里に居続けたのは、シルヴェンヌの国母としての資質を疑われていたからでもある。
「シルは、我のことを常に考えてくれるからの。そこに、自分が背負っているモノや己を満たす欲望は少ない。我には、必要な女性だ」
「クノヘもそうじゃないですか?」
「ナギサはどうしても公人としての我を考えての発言が多くなるからの。それはそれで助かるが、少しくらいは楽をしたいときもある」
「甘やかされたいんですか?」
ロルフの軽い笑い声の後に、木に体を預けたような音がした。
「殿下の種族は一夫一妻制でしたっけ?」
「明確な決まりはない。だが、乱婚型相手にも多夫多妻型や一夫多妻、多夫一妻のどのライフスタイルを持つ種族にも忌避感が一番低いのが一夫一妻制だという話もあるからの。それに、囲う異性の数で優劣を決めるような種族も、シルの性格を見れば一夫一妻に納得してくれるというものだ」
「ああー……」
凄く腑に落ちたような声が、ロルフから聞こえた。
「そなたの所は、どうだったかの」
「それでいうなら、一夫多妻型かなあ。群れを作って、男は原則リーダーだけが子孫を残せて、残りの男は群れを守ったり子育てを手伝ったり。一応、女性陣が一斉に妊娠しないようにだけ気をつけてはいるけど」
「そなたの群れは?」
地雷源かもしれないことを覚悟で、セスは足を踏み入れた。
ロルフの雰囲気に変わった様子はない。もちろん、彼の場合は変化が隠されている可能性もあるのだが。
「二人、身籠っちゃっててね。流石に旅には出せないから隠れてもらってるよ」
ひとまず息をつく。
特に何かがあるわけではないが、セスは左手に目を落とした。
「里は、もう帰れない状態だったと言っておったな。取り戻したあかつきには城下に、群れごと移らぬか?」
「それは、殿下の直属の戦力としてってこと?」
「そうなるの」
「気分を悪くしたら悪いんだけどさ」
そう言って、ロルフはセスの隣に来て足を開いてしゃがんだ。
「要するに、殿下の種族が中心に殿下の軍を設立することは難しいから、他種族混合の直属軍が欲しいと。で、その意思決定が翼人族に依存されては困るから、早いうちに神狼族も加わってくれってことですか?」
「ほとんど合っておるが、少し違うの。魔王と呼ばれる者が迎え入れた嫁のほとんどは交配可能な他種族。元の種族から迎え入れたことは数えるほどしかない。ならば、我の種族と我は同じと言えるのかの?」
「種族無し、として君臨しようとしているのですか?」
「ま、我の種族が生きているかはわからんがの。残っていれば、代表を別に立ててその者に種族の益は考えてもらう。そして、ただの一翼として参画させる」
得心がいったように、ロルフが何度も頷いた。
「最初からバランスを取らせるために、クノヘと同じ種族への説得は後回しにしていたと。特に妖狐は、新たな支配体制を殿下が作れるような味方を集めていて、参画した時に飛び越えられそうな上がいるなんていうのは自分の欲も満たせる状態で旗下に加わることはほぼ間違いない。だからというわけかあ」
「シルの優秀さもわかるだろう?」
自慢げな口ぶりで、セスはロルフを見た。
ロルフが目を動かして、わずかに考えるそぶりを見せたが、すぐに口に弧を描く。
「戦士階級が六人なら、少数しか味方に加わってないとも言えるし、既にどこかが味方として加わっていても死体も含めて五百人も殿下の味方になったということで発言力を持つこともできる、と。これは、いや、そんなつもりはないのでしょうけどとんだ食わせ物ですね」
少ししか知らなかったら、シルヴェンヌはセスに固執する火薬庫なだけだろう。
「やらんぞ」
「そもそも殿下以外に姫のハートを射止めることができる人なんていませんって」
笑いながらも、解放されているロルフの狼のような耳が後ろに向いた。休息に入ったナギサの代わりの護衛として、しっかりと働いているらしい。
「里に戻ろうという気はあるか?」
「里ですか? いや、そもそも里は旅を続けるのが厳しくなったご老体や新しい群れを探す奴らが情報を集めるために集まる場所で、他の群れも世話になったことがあったり、そういう奴が群れにいたりするから情報を寄せるだけで、うん、別に、里の場所にこだわりはないから。殿下の城下町にできても問題ないですよ」
「助かる」
「こちらこそ。この言葉遣いを許して頂いている御恩がすでにありますから?」
眼下では、もう三百を超える遺体が並べ終わっていた。疲労もあるだろうから今まで通りの速度で、とは言わないが、呼びに来る時間も考えればそう長くはないだろう。
「クノヘ抜きで、奪還作戦を展開する気ですか?」
「万全を期すなら、ナギサの索敵能力は必要だ。情報だけはいない間に集めてもらうがの。……そちは、今、城に居る者についてどう思う?」
「先程は、強力な使い手だと思いましたが、よく考えれば殿下は早くその場を離れて人間から逃げなくてはいけない。勇者一行はそもそも城に攻め入って退いたばかり、軍勢は一度別の隊が入ってしまえばあとは旨みが少ない上に罠がありそうな魔王城に積極的に行こうとは思わない。火事場泥棒どもは、そもそも命を捨てる覚悟でネコババしてるわけじゃない。楽に取れるから取りに来ている。となると、最初期に近づけさせないための催眠に必要な力量は、絵空事ほどだった最初の想定よりは大分優しくなります」
「今の想定は、いかほど」
「殿下の戦い方、魔力の提供が可能であれば魔力タンクとしての人さえ集めることができれば、あとは専門の技量だけでいけるかと。とは言っても、陛下がお隠れになった後でも勇者一行と事を構えることができるだけの実力があるとは思いますが」
「敵なら、厄介だのう」
「……心当たりが?」
平時の声を心がけたつもりが、どうやらロルフには違ったように聞こえたらしい。
(いや、どこかの仕草からそれを読み取ったのやもしれぬな)
眼下を眺める。
「ニチーダ。四天王が一人、ニチーダ・クリンゲルならば、不可能ではあるまい。無論、魔力タンクたる者がたくさん必要にはなってくるがの」
月が雲に隠れたのか、上からの光が暗くなり、下からの火の明かりが網膜を焼くように広がっていく。セスは目を細め、光量を制限した。
「四天王って、クノヘの親父さんと、ヘネラールのおっさんと、オフィシエさんとバタルさんじゃなかったっけ?」
「対外的な、言わば戦力で威圧する必要のあるところにはそう発表していたな。だが統治を進めねばならぬところ、城の中ではマサミツやオフィシエを除いてニチーダを入れることもあった。オフィシエが討たれてからは、発表するタイミングには恵まれなかったがニチーダの四天王としての仕事が増えたの」
「五人そろって四天王ってか」
がしがし、と頭を掻く音がセスの耳にも入ってくる。
「クリンゲルというと、たしか殿下の種族だったっけか……。何で占領してんだ? 玉座に座って掠め取る気? 魔王に必要な物的な存在は全て魔王城にあるし、殿下を誘い込んで乗っ取る気か?」
「さあの」
「いや、殿下に一番関わる問題ですよ」
「ニチーダがそのようなことをするとは思えぬが、何があるかわからぬからの」
ふ、とロルフの顔から笑みが消えた。
「攻め落とすことになったとして、勝率は?」
「ニチーダのみならば負けることはあるまい。これだけの結界を維持し続けているのであればな」
「……城の人員は?」
「清掃係が三十二名、料理係が十五名、給仕係が」
「殿下、申し訳ありませんが全部足した数でお願いします」
セスが、ふむ、と口に手を当てて数える。
「非戦闘員は百七十一名、戦士階級を合わせれば三百にも上るの」
「殿下の死兵は、生者には勝てない?」
「耐久力が違う。数が多ければ、我が一人で操りながら処理できる数も限られてくるからの。同数勝負など、とてもできぬ」
「粗方の力勝負、と。こっちは殿下に姫に、クノヘと俺と、フェガロフォトら六人の計十人。何か、策は?」
「奇襲、先制はもっての他だ。味方かも知れぬ。戦闘になれば、こちらは後手に回ることを前提にせねばならぬの」
並べられている死体は、全部を出し切ってはいないだろうが置く場所が無くなりつつあった。
もうそろそろ、糸に繋いで沼にしまう必要がでてくるだろう。
「何はともあれ、まずは余計な横やりを防がねばならぬ。ロルフよ、これまでの話を聞いても、なお、気は変わらぬか?」
ロルフが快活に笑った。
「例え殿下が傾国の美女に現を抜かしていたとしても、身命を賭して」
「一言余計だ」
鼻で笑って、セスは沼からスヴェルとアダマスを取り出した。
糸で結んで、綺麗にロルフの前に並べる。
「そなたに頼みたいことがある」
ロルフが服装を正してから片膝をつき、頭を垂れた。
「何なりと」
セスも木から体を起こし、ロルフを見下ろした。
「その二つを貸し出す故、ナギサがイシオンに向かったのと同じタイミングで別の街に我らの痕跡を作れ。そこに誘導するのだ。一撃離脱で構わない。人間が使ったことのあるこの武器ならば、特定も容易であろう。ナギサが帰ってくるよりも早く、根拠とする場所に戻って来い」
「は」
ロルフの体が言葉と同時に下がる。
セスは懐から通行手形を一枚取り出し、ロルフの目の前に落ちるように手を放した。
「警戒が強まっているやもしれぬ。役には立とう」
「ありがとうございます」
セスの視界の隅では、火の明かりが一つ固定された位置から分離し、動き出し始めた。
「さて、そろそろ呼びに来るようだの」
セスはロルフの前から移動する。ロルフも立ちあがり、セスに続いてくる足音がした。
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