第15話 夜の森の中で 1
フェガロフォトの説明によると、戦士六人、旅慣れた者二人、シルヴェンヌの侍女三人、そしてシルヴェンヌの計十二人で里を逃れて旅を続けて来たとのことだった。翼人族の里からは大分距離がある逃避行だったが、シルヴェンヌが「セス様は生きている」と言ってきかなかったため、魔王城のあった地域に向かっていたらしい。道中、魔族展が開かれること、そこを殿下らしき能力が襲撃したが失敗に終わったことが漏れ伝わって、街道を広く張っていたところ今日に遭遇した。
おおざっぱにまとめるとこのような感じで、セスが細部を思い出しても説明に不審な点はなかった。
「殿下、よろしいでしょうか?」
夜の帳の中から、ナギサが現れた。
傷はまだ癒えきっておらず、体も重く感じるほどに疲労が溜まっているはずだが、そんなことは微塵も見せずに真っすぐに背を伸ばしている。
「まずは座るがよい」
セスは火を挟んで前に置かれた丸太を手のひらで指し示した。
「は。失礼いたします」
きっちりとした動作で腰から小さく頭を下げて、ナギサが丸太に座った。
セスは自身の太ももに頭を乗せて眠っているシルヴェンヌの耳を塞ぐように、軽く手を置く。
「休まなくて良いのか?」
「ロルフを先に休ませております。……殿下は翼人族を無条件で信頼されるかもしれませんが、私は婚姻同盟にあるにもかかわらず魔王城に援軍を寄越さなかった件による警戒をしておりますので、認めていただければ幸いです」
「……ナギサの方がロルフよりダメージは大きかろう?」
「はい。そのため、ロルフの方が先に復帰して長く殿下の護衛を務めることができます。私は、その間にゆっくりと休ませてもらおうかと」
「うむ。相分かった。……全快までには、如何ほどかかる?」
「完全開放を使えるようになることを全快とするならば、明日明後日の話ではなくなります。申し訳ありません」
「よい。命があればこそだ」
話ながらも、ナギサの注意はシルヴェンヌに向けられていた。もちろん、セスにも意識のベクトルは向けられていたが、同時にシルヴェンヌも観察していた、ということだろう。
ナギサが重そうに口を開いた。
「姫は未だにお休みで?」
セスは手をシルヴェンヌの頬に当てた。大分体温は戻ってきており、寝息も安らかなものへと変わっている。
「フェガロフォトの話では、道中でもシル自身が戦うことが多かったらしいからの」
「姫は、長期戦に向いておりませんでしたね」
話が途切れる。
中々の不自然さだ、とセスは思ったが、ナギサが本題を口にできるまでは黙っていることにした。
ナギサの目が、今度は傍から見ている人が居てもわかるくらいにシルヴェンヌに注がれる。
「……姫ですが…………大丈夫でしょうか?」
ぱちり、と木が爆ぜる音にかき消されそうになりながら、空気の波がきちんとセスの鼓膜も揺らした。
「いつから、意識が戻っていた?」
「ぼんやりとしたもので良いのであれば、失ってはおりません。はっきりしたものになりますと、姫が奥義の完全開放をする前あたりからになります」
「そうか」
セスは、優しくシルヴェンヌの頬を撫でた。なめらかで、旅の道中でも気を配っていたのだろうと思わせる肌である。
「駄目だろうな」
内容とは合わないほどやさし気な声色だった。
セスはシルヴェンヌに視線を落としたまま続ける。
「元から独占欲が強く、嫉妬深かったが、最早そういう段階ではないの」
「……いえ……、私は体のことを……」
「取り繕わなくてもよい」
従者の嘘を咎める言葉だが、声に咎める色は一切なく。
「同時に、そなたの提案も却下する。婚姻同盟が何の役にも立たないのは十分に理解できたであろう。ならば、我の好きにさせてもらう」
セスは顔を上げて、自嘲気味に口角を上げた。
「失望したか?」
ナギサが丸太から降り、目を閉じて膝をついた。
「いえ、それでこそ殿下でございます」
「…………その体勢は辛かろう。座るがよい」
セスはナギサが座るのを待ってから、言葉を発した。
「シルの体だが、魔力の方は大分戻ってきているようだ。肉体的な疲労はもちろんだが、一番は精神的な疲労だろうとフェガロフォトは言っておったからな。いつ目が覚めるかはわからん」
「然らば、しばらくはこの辺りで休養を取りながら、ということになるのでしょうか?」
「あるいは、新たな拠点を探しながらか……。いずれにせよ、勇者一行に狙いをつけられた以上、回復を第一に考えねばならぬ。こういうのは申し訳ないが、勇者一行と当たればフェガロフォトらは犠牲になるだけだしの」
手の下で、小さくシルヴェンヌが動いた。
(とりあえずは、一度殺したことでナギサの溜飲が下がっていてくれればいいがの)
柄にもなく挑発に乗り続けては、勝てるものも勝てなくなる。もちろん、現時点では勇者一行に勝つ見込みは限りなく低いのだが。
「勇者一行と言えばですが、残していった金貨にこれと言った魔力は籠められてはおりませんでした。先にマルシャン殿から頂いたものとほぼ一致しているとみてよろしいかと。それと、監視も解かれている様です」
「血の絆を使えなければ、辿ることはできないのか……? そうなると、父上の死体を引っ張り出して来るやもしれぬな」
「私は、その可能性は低いと思います。魔法使いが数々の遺骸を所持、使用できる以上、人間にとって不倶戴天の敵と言えた陛下の体を持たせるのは危機感の方が勝るかと。あの性格ですので、わが身に刃を振り上げられたくない者ならば、特に」
「不倶戴天、のう……。神の御使いと呼ばれる者どもの使用する魔術と、我が種族の魔術の相性が悪いからという理由で、悪の頭領に祭り上げられても困ると、最初にそれを言い出した奴に言ってやりたいわ」
くつくつくつ、と喉を鳴らして笑い、セスは木の棒に手を伸ばした。焚火の中の薪の位置を変え、枝を火の中に投げ捨てる。
「殿下が御自ら動かずとも、私がやりましたものを」
「よいではないか」
ぱき、と小枝を踏むような音が不自然なほどタイミングよく声の合間になった。
あらかた、わざと立てたのだろうとセスは推測し、音の主が現れるのを待つ。
夜の森から現れたのは、きちんと崩した身なりに整えたロルフであった。
すかさずナギサがガンを飛ばす。ロルフはいつも通りにおどけて首をすくめた後、片膝をついてセスに頭を下げた。
「殿下よりも先に休息を頂いてしまい、申し訳ありません」
「よい」
言いつつも、シルヴェンヌを膝に乗せている状態では締まらないと思いなおして、セスはやわらかい声で続ける。
「戦列に復帰しろと言われても、大丈夫か?」
「お望みならば、戦士カルロスの首でも取ってきましょうか?」
その選択にセスは思わず笑った。
なるほど。魔法使いはナギサが倒したい。僧侶はシルヴェンヌに討ち取られている。勇者は、セスを立てるために避けた。ゆえに、戦士か、と。
「ならばその時が来たらロルフにお願いするとしよう」
「はっ。ありがたき幸せ」
ロルフが一度頭を深く下げた後、許可なく上げた。
憤るナギサを他所に、彼女の隣に、もちろん間はしっかりと取って、座った。
「ロルフ、いい加減に言葉遣いを改めろ」
「殿下が認めてくださってるからいいじゃん。他の人が居る時は控えるからさー」
「今も姫がいるだろ」
「殿下の親しい人に含まれるからノーカンってことで一つ」
セスが認めたのは本当なので、ナギサもこれ以上ロルフに何かを言うのをやめたのか、セスの方に向き直った。遅れてロルフもセスに向く。
「で、今は何の話を?」
「勇者一行の話だ」
ロルフの質問を奪い取る形でナギサが答える。
不快な様子は一切見せず、ロルフは「ああ」と手をうった。さして難しくなさそうな顔でそのまましゃべりだした。
「姫様に撃ってもらえば勝てるんじゃないですか? 最初からイージスの盾を打ち破った一撃を放てば確実に数を減らせるでしょ」
(シルについて詳しく知らなければ、そういう発想にもなるか)
セスは彼女の髪を梳く手を止めた。
「シルは、超火力をもって短期で仕留める戦闘スタイルだからの。火力に比べて魔力総量は少ない。やっても良いが、以降の戦闘は当てにできぬぞ」
ロルフの瞳孔が大きく開かれた。
「今日あれだけ連射できたのは、殿下の援護があってこそだ。代償として、殿下は僧侶と勇者の傀儡化を諦め、戦闘中はロルフの、戦闘後は私の治癒を中断しなければならないほど消耗してしまった。確実に仕留められるなら良いが、外れた時に逆転する望みは薄くなるぞ」
「それは……めっちゃヤバいね」
ロルフが口元に手を当てる。彼の灰色の前髪が、風に揺れた。
風の影響で火が小さくなったが、月明かりが十分な光度をもたらしている。
「どうする? また奇襲で僧侶を先に落とします? 代えが利かないのはあれだけですよね。前衛と後衛のバランスは勇者がいる限り崩れませんし」
「そう何度も奇策は通ずまい。今日はシルの奇襲と不意打ちで僧侶と勇者を殺せたが、次は仲間の死体には近づかなくなろう」
「僧侶には復活の呪文もある、といううわさ話も種族を越えて聞いておりますので、どのみち僧侶を引きはがすか落とさない限り勝ち目はかなり薄いかと」
木蘭色の糸を手で掬って、セスは頬を少し上げた。
ナギサがシルヴェンヌに視線をやって、それからセスに目を向ける。
「何か、ありましたか?」
セスははらはらとシルヴェンヌの髪を手から放した。頬に当たり、顔の前面に数本落ち、シルヴェンヌの瞼がわずかに強く閉じられる。あくまで不快だとは言わないですけど、とでも言いたげに。
(この狸寝入りさんめ)
起きたのは、ロルフが来たあたりだろうか。
「人間は勇者が勇者がと褒めたたえ、魔法使いの撃つ派手な魔法や臆せず突っ込む戦士に憧れるものを、我らが警戒するべきは陰に隠れやすい僧侶とはの」
「殺しても甦る時点で神とやらを信じている人間は化け物かっての。いっそ、そこら辺を全部潰します?」
ロルフが大口を開けて笑った。
冗談めかしているが、目は犬歯と同じく鋭くとがっている。実際、甦りの呪文を持っている者を殺し尽くして、断絶させない限り真の意味での勝利も平和も訪れることはない。
「陛下と前四天王がご存命の頃はまだ一考の余地がある案だが、今は無理だ」
「知ってるよ」
ナギサの言葉に、笑ったままロルフが返した。ロルフには何も言わずにナギサが丸太から降りて、片膝をつく。
「ですが、知っておく必要はあると思います。殿下、イシオンに行き、調査する許可を」
ロルフが立ち上がり、何かを言おうとしたが、セスの方を見て彼の言葉を待つべきだと判断したのか、丸太に座り込んだ。
「イシオンは前線基地。詰めている兵も、溜まっている人間もこれまで渡り歩いてきた街とは比べ物にならぬ。そなたは、既に顔も割れておろう」
「ええ。ですから」
ナギサが刀を抜いて立ち上がり、左手で後ろ髪を掴んだ。
「おい!」
叫んだのはロルフ。しかし、彼の伸びた手が届くよりも早く薄黄緑色の髪束が切り離された。
ナギサがざっぱりと短くなった髪の毛を首を振ることによって整える。肩甲骨まで垂れていた髪が、肩の上から向こう側の黒い木々が見えるほどに短くなった。ただ、先の尖塔で刃がこぼれ、切り口は雑である。
「あの魔法使いは私のことを『小娘』と呼んでおりました。ならば髪を短くして、買ってきた男物の服を着こめばすぐにはわからないと、愚考いたします」
セスはロルフを見る。
口が閉じ切らず、肩頬は吊り上がっていた。
「そなたが中性的であることは認めるが、危険であることには変わりない。勇者一行がいるのであれば、猶更だ」
ナギサが左手に握られた髪束を火の中に投げた。蚊帳を落とされたようにあたりが一瞬昏くなったが、ぼう、とすぐに炎が高く上がる。セスから見れば、立っているナギサの目を一度隠すように炎が跳んだ。
「髪を残すのは縁起が悪うございます。ゆえに、ここで投げ捨てました」
刀を一度振って、ナギサが鞘にしまった。キン、という甲高い音がこだまする。
ロルフが何かを訴えるようにセスを見た。
「相分かった」
低く重い声に、ナギサが頭を下げた。ロルフが声を上げる。
「待ってください。なら、俺も行きます」
「馬鹿を言うな。君を連れて行けば露見しやすくなる。第一、殿下の護衛は誰がするつもりだ」
「セス様の近くには、わたくしがいれば十分でなくて?」
紅い瞳を開いて、セスの膝の上でシルヴェンヌが言った。
「……護衛の戦力的な意味では、姫で十分だと思いますが、戦闘は何回あるかわかりません。それに、姫も守られるべき身。なれば、ロルフを殿下に、翼人族の者は姫に着くべきでしょう」
起きていたのを薄々感づいていたのか、ナギサは表情を変えずにシルヴェンヌの言葉を訂正した。お互いに、目は合わせようとしない。
「ガイエルさんは、信用に値するのかしら?」
「ロルフはふざけた奴ですし、礼儀もなっていなくて、どちらかと言えば直情的に見える男ですが、こう見えて頭が切れて腕も立ちます」
「……そう? イージスの盾並みに、凄さが伝わらないのだけど」
「姫が、殿下の魔力の大半を奪い取って壊してしまいましたからね」
「最高の盾も、愛の力の前では無力なのです」
声が無ければ、多数の相手を無力化できる程の破壊兵器になりうる笑顔を浮かべて、シルヴェンヌが言った。
(そろそろ、ガス抜きもいいだろう)
シルヴェンヌの頬を人差し指の裏で撫でながら、セスは下を向いて口を開いた。
「シルが来るまでの間、ロルフは相手が本気にならないように、それでいて致命的な攻撃は一切放てないように調節し続けていた。シルが来てからも、ロルフは一歩も動けず、集中的に攻められれば危ういところを上手く守りながら力を蓄えていたからな。上手く対応してくれよう」
縁側で日向ぼっこをする猫のように目を細めていたシルヴェンヌが体を起こした。
寄り添うようにセスの横に座りなおし、焦点がロルフに合う。
「セス様がそこまでおっしゃるのであれば、よろしくお願いいたします」
「お、おう」
湯気が上がっていたのにぬるかったお湯を飲んだような顔をしながら、ロルフが返事をした。
認めたような物言いではなく、よく知らない相手から急に上から目線で言われれば釈然としないものもあるだろう。
「頼りにしておるぞ」
フォローとして、セスは真顔でロルフに言った。
その調子で、ナギサにも水を向ける。
「それと、そなたをイシオンに向かわせるにあたって条件が三つある」
「は。何でございましょうか」
「一つ目は、出発まで二日以上待つこと。せめて万全の状態にしてから向かえ。二つ目は刀を別の物に変えておけ。手入れしても、その状態ではきつかろう。三つ目は、髪はシルの侍女に整えてもらえ。シル、良いな?」
「セス様がそう望むのなら」
「許可は下りた。わかったな」
やや間があいて、「は」とナギサが返事をした。されどそこで終わらず、「お願いがあるのですが」とナギサが続ける。
「申してみよ」
「イシオンまでは距離があります。休む二日の間に、せめて少しでも近くに根拠地を移動してはもらえないでしょうか?」
セスは前線基地イシオンまでの地図を思い浮かべる。
何も考慮せずにどんどん歩けば丸二日で着く距離ではあるが、現実にはそうはいかない。ここに留まっていては下手をするとナギサが侵入するのは一週間後かもしれず、そうなれば彼女は焦るだろう。焦れば、へまをする確率も上がる。
「そなたの意見、受け入れよう」
セスはナギサの頭頂部を見つめながらそう答えた。
「ありがとうございます」
「問題は、これだけの数を上手く隠せる場所を探さなくてはならぬことだな」
シルヴェンヌ一行はその数に見合わない荷台の数々を持っていた。むしろ、よくここまで隠し通せたなとセスは思い、ナギサは時間がかかった理由がわかりましたねと呟き、ロルフは姫様っていうのは荷物が多いんだな、と小さく声に出していたくらい、多くの荷台である。
「わたくし共に関しましては、大きすぎる翼が邪魔にはなりますが木の上に隠れられないこともありません。自分の手足が届かない上空ならば、初めから攻撃する意思がない限りは積極攻勢を仕掛けては来ませんでしょう? 特に、セス様を狙っているような者たちは」
「荷台は、捨て置いて良いのか?」
立ちあがってセスに向かってやわらかく笑ったあと、シルヴェンヌが翼を出して膝をついた。
慌ててナギサも焚火の後ろで膝をついて頭を下げ、ロルフを一睨みして彼にもその体勢を強要する。
「シル、我とそなたの仲ぞ。無理する必要はない」
シルヴェンヌの後ろで、ロルフがゆるゆると片膝をついた。シルヴェンヌの白い翼の先が、地面に軽く触れる。
「ありがたきお言葉、恐悦至極にございます。なれど、わたくし共が大事に守ってきた荷台の中身はセス様への献上品なれば、こうして礼を取るのは当然のこと。受け取っていただければ、荷台は減らすことができます」
「して、中身は」
「直接見ていただきとうございます」
「左様か」
セスが立ち上がる。
「案内せよ」
「よろこんで」
シルヴェンヌも立ち上がった。
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