第13話 再会 4

「ロルフ、準備しておけ」


 アダマスを構え、戦士カルロスとその後ろを見る。勇者エイキムに利するモノならば、勇者一行が伸び切っているこの瞬間に逃げ出さねばならない。

 布が完全に上がった。最初に目に入ったのは、絹のような木蘭色(もくらんじき)。木蘭色の髪が日差しを浴びて煌めき、特徴的な紅い目が僧侶を一瞬で捉えた。上部中央に羽のような物がついている蒼い弓が引き絞られる。


「ごきげんよう」


 矢が放たれる。


「お邪魔でしてよ?」


 言葉が僧侶イルザの鼓膜を揺らす前に矢は頭を貫いた。朱と灰色が弾けるように流れ出て、朱く染まった矢が勇者をも狙う。


「シル!」


 勇者によって矢が弾かれる音は、セスの歓喜の声によってかき消された。


「はい。貴方様のシルヴェンヌにございます」


 シルヴェンヌが恍惚とした笑みを浮かべた。場違いな声に呆然とするロルフに気づかず、セスはシルヴェンヌに近づこうと足を動かす。


「お前!」

「セス様セス様、わたくし、いい人間の殺し方を知りましたの」


 勇者の言葉を全く聞いていないかのように、シルヴェンヌが明るい声で言う。そのまま御者の頭を右手でわしづかみにした。弓を置いて、左手で小刀を取り出す。人質と思ったのか、勇者の足が止まる。されどシルヴェンヌは止まらず、ナイフを御者に突き立てたのか男のうめき声が上がる。


「何度も何度も甦りますでしょう。ですから、もう二度と死にたくないって思わせればいいんですの。こうやって、ゆっくりと肉を千切り骨を外して血管を抜いて行けば、多くの軍人は二度と里に顔を見せませんでしたわ!」

「や、やめてくれ」


 目から鼻から汁という汁を流しながら懇願する御者に、これまでのにっこりとしていたシルヴェンヌの顔から表情が抜け落ちた。汚物を見下す目が、御者に注がれる。


「今、セス様と話しておりますの。邪魔しないでくださる?」


 ぐい、と一段、御者の首が伸びた。


「その手を放せ!」


 斬りつけようとした勇者の前に沼が展開されて、顔の崩れた農民が二人現れる。

 勇者が足を止めた。


「焼き払え!」


 代わりに魔法使ヘクセいが農民の死体を焼き、戦士もシルヴェンヌに向かう。


「ロルフ! 後ろは任せた」

「なるはやでお願いしますよ」


 ロルフの返事を聞いてセスも駆けだした。

 御者の首のいたるところから朱い肉が見え始める。


「私とセス様の邪魔をしないでくださる?」


 御者の眼球があらぬ方にぐるりと回り、口元から朱い泡を出し始めた頃にシルヴェンヌは御者を僧侶の死体のそばに投げ捨てた。弓を手に取り、戦士に向け、放つ。弓の体をなしていなくても、矢は高速で戦士に向かい、完全に足を止めさせた。

 軌道も威力も、魔力によって操作できる。所有者がやるべきはただ矢を番えて放つ動作をすることだけ。

 それが、シルヴェンヌの弓だ。


「ああ、そうだ。これ、お返ししますわ」


 シルヴェンヌの矢が荷台の車輪を貫き、傾く。翼を顕現させて飛んだシルヴェンヌは、そのまま荷台をひっくり返した。毟り取られたとでも表現するべき、傷口がぐちゃぐちゃで細い管が幾つか伸びている首が転がる。先程見た傭兵や商人の顔だと、判別するのに少し時間がかかるぐらいには全ての顔が歪み、崩れて泣き叫んでいた。


「お前ええ!」


 勇者が叫んだ。聖剣に多量の魔力が集められるが、がら空きの背中にセスが魔力球をぶつけて吹き飛ばす。


「エイキム!」

「何を怒ってらっしゃるのかしら? 人間だって無抵抗の父を殺し、幼子の前で両親をなぶり尊厳を踏みにじり、好き勝手をやりながら殺していたではありませんか。わたくしは、一応殺すことしかしておりませんのに」


 白い右手を陶磁器のような頬に当て、シルヴェンヌが小首を傾げた。


「それとも、尊厳をなくしてから殺すのが礼儀だったのかしら。それは、申し訳ありませんわ。散々見させていただいたのに。わたくしの大事な同胞を見本に、ですが」


 セスの糸が戦士を絡めとるべく接着する。戦士が剣を振るって糸を外した。

 シルヴェンヌが弓を構える。


「それと、先程から邪魔でしてよ。セス様を隠さないで」


 矢が鎧を打ち、糸が鎧に触れる。


「そこを退け」


 セスが糸に魔力を流して、戦士を吹っ飛ばす。土を削り、宙に舞わせながら戦士が転がった。

 道が空く。セスが駆け寄ると、シルヴェンヌは短いスカートの裾をつまみ、頭を下げた。


「お久しぶりにございます。ずっと、ずっとお会いしとうございました」

「ああ……ああ!」


 セスが挨拶の型を無視するようにシルヴェンヌを抱きしめた。


「あ、あの……。私、いま死臭とかついていますので、とてもセス様に近づけるような」

「構わぬ。その程度でシルの魅力が損なわれることはない」


 セスは右手を絹のような触り心地のシルヴェンヌの後頭部に回して、髪の間に手を入れる。


「エイキム、せめてお前が包んでやれ」


 戦士カルロスの声と、布のような物を投げた音が聞こえてセスはシルヴェンヌを放した。

 名残惜しそうにシルヴェンヌが顔を赤らめて、セスの服の裾に指を残し、やがて離れた。


「これで、数の上だけなら三対三ってか?」


 戦士が剣を持ち直し、セスとシルヴェンヌに向ける。

 シルヴェンヌがロルフと、その横で倒れたままのナギサに顔を向けた。


「死にましたの?」

「生きておる」

「確かに、呼吸はしているようですね」


 セスは横目で勇者エイキムを確認した。

 恐らく、防腐の布で僧侶イルザを包もうとしているのだろう。唇を真一文字に結んで、先にゆっくりと僧侶の頬に触れた。


「動け、我が愛しきものに打ちぬかれた傀儡よ」


 セスがぼそりと呟いた。僧侶の腕が一瞬で勇者の首を絞める。

 戦士が目を見開いて、セスとシルヴェンヌから目を離した。シルヴェンヌが矢を放ち、戦士をまた後退させる。

 魔法使ヘクセいも確認すると、流石に仲間の死体に打つのはためらっているのか、杖を掲げたままロルフとにらみ合いをしていた。

 その間にも、近くに転がる御者の死体からナイフを抜き取り、僧侶が勇者の首に突き立てる。血が噴き出し、転がる首を朱く染めて、僧侶の腕を掴んでいた手がだらんと垂れた。僧侶は濁った眼で見ながら、左手で首を掴み続けている。指の形に凹み、折れた骨が皮膚を破った。


「ははっ。これは不味いな」


 魔法陣が戦士の傍で広がり、魔法使いが転移で移動した。


「お役に立てましたか?」


 左手の小指を柔らかそうな、事実やわらかい唇に当てながら、シルヴェンヌが言った。小指からは赤い糸が重力に従って垂れている。


「最高」


 破顔一笑。戦場だと完全に忘れるような笑みをシルヴェンヌが見せた。


「ああ良かった。少し遅れてしまっても、カモフラージュのための首を積んできて正解でしたわ!」


 シルヴェンヌが両手を合わせて、嬉々とした声を出した。

 セスの目がナギサに、そしてロルフに動く。

(もし、その遅くが二人が怪我する前だったなら……。いや、そうなると今の有利な状況は作れなかったの)

 浮かない顔のまま、セスは目を戦士と魔法使いに戻した。シルヴェンヌから注がれている視線には、触れない。


「セス様」

「どうし」


 目を向けたセスの頬をシルヴェンヌの手が掴み、彼女が少し背伸びをして、セスの言葉を封じ込めた。

 セスの耳に、水音と鎧が地面を踏む音が聞こえた。次いで砲撃音と何かがぶつかる音。


「わたくし、セス様を悲しませたいわけではありません」


 そう言って、シルヴェンヌがセスから離れて前に立ち、弓を構えた。

 セスは走るのに邪魔なためしまったアダマスを再び沼から取り出し、体を低くしてシルヴェンヌの前に左手を出してから右手でアダマスを大きく振った。今回は戦士も避けず。刃の付け根辺りに剣を当てて動きを止めた。シルヴェンヌの矢が迫る。籠手を顔の前に持って行って、戦士が防ぐ。セスはアダマスを短く持ち替えて戦士に振るった。激突。押し合い。今度はややセスが押しこむような形で拮抗。変態的な軌道を描いて、矢が戦士の肩を押した。セスが押しのける。翼の音。上がる影。セスの頭上を飛び越えるかたちで飛んでいく矢。魔法使いが作った土の壁を砂の城のごとく簡単に崩してシルヴェンヌの矢が戦士の鎧に傷をつけた。


「ロルフもナギサも、我の大切な臣下だ。自身が死地に追いやっているのにも関わらず心配もしよう。だが、臣下が傷ついている時に、シルのことしか考えられなかったときがあったのも事実だ」

「別に、怒ってはおりませんよ」


 シルヴェンヌが降り立ち、すぐさま矢を放った。ロルフに迫る魔力で形成されたゴーレムの腕を射抜き、砕き、霧散させる。


「ありがとうござ」

「貴方が死んだらセス様が悲しみますもの」


 目を丸くするロルフの言葉を一刀両断するように、そっけなくシルヴェンヌが言った。

 魔法使いがゴーレムの破片を取り出して、地面に放った。魔力が地面を吸い上げるように高まり、戦士の身長を超すゴーレムが七体現れる。


「お人形遊びはわたくしも好きでしてよ。セス様が参加してくださるのであれば、ですが」


 一射一殺。

 鈍い音を立てて、核となった元の破片を矢が砕いた。


「あんた、そういやいたね。めっちゃ射抜いていたっけ」


 魔法使いが龍の逆鱗を取り出した。


「母親は」

「母は弄ばれるくらいならと、崖の下に身を投げてザクロとなりましたわ。父は交渉の席で無防備な状態にも関わらず首を刎ねられました」


 戦士に合わせて、セスがアダマスを振るう。


「へー、じゃああんたは」

「そうです。わたくしは賤しくも一人逃げ出したわけです。セス様にお会いするために」


 魔法使いの言葉を悉く遮り、シルヴェンヌが魔法使いに攻撃を仕掛けた。戦士の駆けつけは、セスがアダマスと糸で阻止している。


「うっわ。やり辛いわ、この子」


 龍鱗のような半透明の盾が空中に展開され、シルヴェンヌの矢を弾く。


「四度目ですもの。口の悪さは重々承知しておりましてよ」


 アダマスの刃も完全に龍鱗を切り裂くことはできず、セスに隙ができる。


「殿下!」


 大筒が発射されるよりも早く矢が戦士の元につくが、龍鱗を突破することはできない。衝撃もものともせず、戦士がセスに迫る。


「スヴェル!」


 僧侶と勇者の傀儡を解除し、魔力を取り出したスヴェルに回した。いまやただの硬い盾だが、体勢がわるかったにも関わらずある程度のダメージを軽減してくれる。


(アダマスも本来の切れ味とは程遠いの)


 シルヴェンヌが地面に矢を打ち、地中で軌道を変えて戦士の足元に殺到した。龍鱗も流石に防ぎきれないのか、戦士が直々に対処する。その間にセスは距離を取った。


「やはり、前衛が必要では?」


 シルヴェンヌがロルフに顔を向けながら続ける。


「私は後衛型。合わせていただいているセス様は本来は支援型。対して向こうは完全に後衛型と前衛型なのだけど」

「ロルフの治療は終わっておらぬ。傷は塞がっているが、力めば痛みが走るやもしれぬし、同じところに当たれば痛みは強くなる。大事な場面で力が発揮できない可能性がある以上、今の遊撃の方がよかろう」


 視界をカットするようにセスが大鎌アダマスを回した。


「おいおいおい。そんだけやり合えて支援型だと?」


 戦士が口元に弧を描きながら言った。


「基本的に、我が押され続けているだろう?」


 少なくともセスには、単体で優勢に進められた記憶はない。

 魔法使いが、古ぼけた防具をごとごとと自身の傍に落とす。


「龍を模した方が強かったのではなくて? それとも、それをできる技量がないのかしら?」

「私を貶めることは、私に殺されたあんたの仲間はゴミってことじゃん?」


 シルヴェンヌの挑発に、魔法使いが愉し気に笑った。いや、むしろ嘲笑か。


「得手、不得手があるだけ。人間共は戦いに向かないわたくしの同胞を笑って殺していたでしょう? 援軍として来た貴方なら、戦闘は得意でなくてはいけないのではなくて?」

「そう。戦闘は得意だから、使い方を考えてるの。龍をそのまま使うなんてナンセンスよ。実際、まだ防御は突破されてないわけだし」


 戦士が魔法使いの方に退いて、専守防衛を心がけるような態勢に入った。


「それに、攻撃手段はもっといいのがあるし」


 魔法使いが息を吐いて、杖を横に構えた。

 シルヴェンヌの矢が空気を裂く。龍鱗にあたり、戦士すら動かせなかった。


「死せる勇者よ、未来の子を憂う猛者よ。その魂、我のために今一度働かせたまえ! 目覚めよ、『ヘインエリヤル』」


 古ぼけた防具に魔力が宿り、がたり、がたり、と浮き上がった。半透明でも土気色だとわかる顔が、手足が生えて宙に浮く幽霊のような戦士が五人、魔法使いの周囲からゆっくりと戦士の周りへと移動する。


「セス様、おそらく転移の輪で撤退するつもりかと」


 シルヴェンヌが矢を弓に緩く当てながら言った。


「エイキムとイルザが居たら、魂がとか先人の遺志をとかうるさいんだけどさ、あんたらが殺してくれたおかげで遠慮なくヘインエリヤルを使えるわけ。そこだけは感謝しとくよ」


 そこで言葉を区切って、「ああ」と魔法使いが醜く口を歪めた。視線はシルヴェンヌ。


「感謝は行動で示そうか。これで、一応止めを刺してあげる。私ってば獣にもやさしー。全世界が感動するね」


 そう言って取り出したのは羽。白い羽。シルヴェンヌの種族の、翼人族の特徴である白く形の良い綺麗な羽。


「あんたの大好きな『セス様』と同じ、死体の有効活用じゃん。そんな顔しないでよ。ま、私としては、その顔が見れて満足した面もあるけど」

「そう、有効活用してくれて感謝申し上げます。ああ、いえ、感謝は言葉ではなく行動で示すべき、なのでしょうか?」


 シルヴェンヌがゆっくりと飛び上がった。スカートの下のホットパンツが意図せずとも見えるくらい、高く。ロルフが慌てて顔を逸らしながら、「うちの女性陣って血の気多いっすね」と目を泳がせながら言った。


「奥義、完全開放」


 シルヴェンヌの翼が三倍ほど大きくなり、片翼で優に人一人よりも大きくなった。弓を構え、弦を引く。目は大きく開かれ、翼も後ろに。弓は上を指している。


「お散りあそばせ」


 矢が放たれた。

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