第10話 再会 1

 三日間、街から離れたり、逆に近づいたりしたものの、効果はなし。セスやロルフはあまり感じなかったが、ナギサは見られている感覚が抜けないと言っている。


「まだ気になるか?」


 フードも深く被り、出立の準備を整えたセスがナギサに聞いた。


「はい。すみません、もっと遠くに行っておくべきだったかもしれません」


 ナギサが苦虫を潰したような顔で返事をした。


「構わぬ。どのみち、監視された状態では他の者に会う訳にも行くまい」

「何も見つからなかったんでしょ。気にしすぎってこともあるんじゃないの? 逃亡生活が長いと、ほら、そうなるって現象があったはずだよ」


 洞穴から顔を出して街道を見ていたロルフが言った。ナギサの鼻筋に、皺が寄る。


「この監視の視線がどこか懐かしい感じがするから嫌なんだ。ただ気持ち悪いだけや敵意があるだけならまだわかる。でも、親しみや温かさがあるから気持ち悪い。妄想なら、そんなもの感じないだろ」


 ロルフが戻ってきて、肩をすくめた。


「へいへい。その通りで。で、なら街道を諦めて森の中を進む? 幸いなことに、獣道ならあるよ」


 ロルフが街道と逆側の、少し高くなっている場所を指した。


「街道の方が奇襲に気づきやすい」


 ナギサは言うと、フードを被って先程までロルフが見張っていた街道の方へ、ひょい、と身を乗り出した。

 ロルフが見張っていたので、問題はないと軽い確認のみで乗り出すあたり、一応信頼関係は築けつつあるらしいと、セスは心の中で安心しつつナギサの合図に続いた。ロルフが最後尾に立つ。

 街と街を繋ぐ街道は、大きいところでは小高い丘が横にできており、一定間隔で隙間が空いている。距離を掴むためのものでもあるが、同時に休む者が邪魔にならないように、そして、雨風を凌げるようにと先程までセスたちがいたような洞穴もある。


「どうだ?」


 セスの言葉に、ナギサが厳しい顔で口を開く。


「申し訳ありません、まだ続いております」

「気にしすぎじゃないの?」


 ロルフののんきな声に、ナギサが怖い顔をした。


「日に日に強くなっているんだ。そんなわけない」


 前方に馬車を認めて、ナギサは顔を元に戻した。

 唇をあまり動かさずに続ける。


「根気強く観察し続けてきているんだ。必ず何かある」


 半信半疑の顔を浮かべるロルフに、セスは言葉を向けた。


「ナギサの感知能力は、旧魔王軍の中でも上位に入る。血の力も強いしの。あやつの父親は、勇者一行の監視も兼ねていた。我らが思うよりも、多くのことを監視できておる」

「そういや、クノヘのおっさ……クノヘさんは、色々やっていたねえ」


 ロルフはちらりとナギサを見て言いなおした。

 ナギサは振り返らず、道の横に行って、顔を下げた。セスも続く。ロルフもそれに倣い、傭兵と荷台を引っ張る馬車が通り過ぎるのを待った。


「おう、ありがとう」


 手を挙げる御者に、軽く頭を下げなおす。

 がたん、がたん、がたん、と馬車が過ぎる中、ピクリとナギサの肩が動いた。セスが小さく身構える。それでもなお、馬車は進んだ。ゆっくり、じっとり。セスの首に太陽が照り付ける。汗がこめかみを伝い、横目で確認したナギサは前を行く一行の足元を睨んでいた。ロルフはすっかり顔を上げて、笑いながら左手を振っている。のほほんとしているように見えて右手は獲物の近くに置かれていた。すぐにでも臨戦態勢に入れる状態だ。

 

 がたり、ごとり。がたり、ごとり。

 

 馬車の荷台の影が三人の前を通り過ぎた。

 最後尾を歩く傭兵の足音が近づき、遠のいていく。


(気づかなかった……。というわけではないか)


 ナギサよりも先に頭を上げ、傭兵の背中を見送る。


「殿下!」


 ナギサがフードを脱ぎ捨てて刀を抜いた。傭兵の足が乱れる。だが、そっちではなくセスの後ろにいるナギサの視線の先に落ちていた紙から魔法陣が展開された。


「転移陣かの」


 セスは努めてゆったりとした声を出した。


「挟み撃ちとは殿下も人気ですねえ」


 けらけらとした声ながら、犬歯をむき出しにしてロルフが笑った。手には既に大剣がある。その向こうにもまた、転移陣。

 最初に現れたのは白いローブ。次いで紅のマフラーのような物をつけ、腰には革のベルトに立派な剣をつけた勇者エイキム。ナギサ側には立派な濃紺の鎧をつけた戦士カルロスに、殺生石の欠片のような物を持った魔法使いヘクセ。


「助かりました。後は任せて、早く逃げてください」


 勇者が凛々しい声で言って、抜剣した。馬車が先程よりも速い速度で離れていく。


「やっぱり一匹増えてたな」


 戦士は勇者と違い、ゆっくりと抜剣した。


「匹かー。せめて単位は人にしてくれないかなあ」


 ロルフが目は鋭く、声は軽く返す。

 魔法使いが、使い切って燃え上がっている転移の紙を踏んで火を消した。


「だって獣になるじゃない。なら匹であってんじゃん」


 魔法使いが杖を取り出した。ナギサが顎を引いて、腰を落とす。


「んー、なるほどー。じゃあ『人』という単位は、無駄に殺しまくる生物にしか使えないのか」


 高らかにロルフが笑った。

 勇者エイキムが一歩踏み出す。街道に黒い沼が展開され、九十四本の糸が中に入った。すぐに、人の死体が現れる。


「襲え」


 数は暴力。百名足らずでも街道を埋め尽くすには十分な数だ。


「イルザ!」


 勇者が叫ぶ。体は後ろ向き。馬車の警護にでも走ろうかという体勢。


「不当に凌辱された魂よ。神の意思に反した力を受けた生命よ。主の御許へ帰りたまえ。癒しを受け取りたまえ」


 白い光が大地を覆うように走った。

 瞬間、死体とセスのリンクが全て途切れ、肉塊が地に伏す。

 セスは瞼に力をいれて、表情の変化を防いだ。


「炎よ」


 ナギサが魔法使ヘクセいを睨んだまま呟き、肉塊を全て焼き払う。あたりに肉の焼ける香ばしい匂いと、汚物の燃える腐った臭いが充満した。

 慣れているのか、勇者一行の顔にも変化はない。いや、匂いによる変化はない。勇者エイキムが行いに怒るように顔を顰めているから、表情は変わっている。

 怒気に感づいたのか、ナギサが魔法使いの手元を睨んだまま口を開いた。


「魂を凌辱か。死んだのに生き返るのは人間だけ。それは、神の意志を無視しているとは言わないのか?」

「ついでに言うなら、こういう扱いをしていることもって?」


 魔法使いが笑ってさらに石の破片を取り出した。


「いやあ、いいねえ親子の絆。砕けた破片でもしっかりと娘を見守ろうとするなんて。獣のくせに、実にいい親子愛じゃん? 幸せそのものって感じ?」

「下郎」


 言いつつも、ナギサは一歩下がってセスに近づいた。


「ステキだねえ。幸せな家庭。温かな愛情。仲睦まじい親子。主君の元においておけば、少しは勝率が上がっただろうに、娘を戦火から逃がすなんて裏切りの一歩手前のような行為をするなんてさ」


 挑発しつつも、魔法使ヘクセいはナギサとの直線に常に戦士がいるように移動する。

 戦士カルロスも、腰を落として剣を構えたままナギサを睨み、警戒を解かない。


「殿下、申し訳ありません」


 セスはすっかりこちらに向き直った勇者エイキムと、その後ろに行った僧侶イルザを見てからナギサに返す。


「それは、何についてだ? これからのことなら、まだ謝ることは許さんぞ」


 ちゃき、と刀から音が鳴った。


「…………我が一族の不始末で、一度ならず二度までも殿下を危機に晒したことについてです」

「乗り越えられた場合は一切罪に問わん」

「お任せを」


 ナギサが駆けだした。


「それ、通してよ」


 魔法使ヘクセいが戦士カルロスに言った。戦士は眉をしかめたものの、脇にズレる。ナギサが戦士に釣られるように向きを変えた。


「さあ、力を貸して」


 魔法使いがナギサの母親の爪を取り出した。雷撃がナギサに当たり、戦士の剣で軽く飛ばされる。魔法使いが杖を片手にナギサに振り下ろした。ナギサが刀で受け止めるも、地面が盛り上がり足を埋める。


「獣のくせに幸せな家庭とか、生意気じゃない?」


 杖の先端がナギサの胸を小突き、爆発を起こす。


「さあ、追撃に行きなさい!」


 小石が持ち上がり、一直線にナギサに吸い込まれるように進む。セスが糸を伸ばして弾く。戦士がセスに突っ込んできて、ナギサが戦士にスライディングをするように膝裏を蹴る。戦士が跳んでかわす。ナギサがセスの前に戻った。戦闘に参加しなかった勇者が前に出る。


「魔王の息子さん、降伏してよ。降伏したら、その新しい仲間は死までに猶予を貰えるように、国王陛下に掛け合ってあげるから」

「略奪者がそう言った時、そなたは信じるのか?」


 セスが勇者エイキムを見据える。


「僕らは略奪者じゃない。全ての魔族を絶滅させるわけじゃなくて、協力的な個体は生かしたままにするし、僕たちが知らないことを教えてもらったりもする。魔族を残す道を模索してあげるから、抵抗を止めてくれないか?」

「随分と、命を奪うこと前提の話をしてくれるの」

「魔族が人間を殺すからだろ。どれだけの罪のない人を殺して来たんだ」


 勇者エイキムが迷いのない声で言った。

 反対側に居る魔法使ヘクセいと戦士カルロスは、今にも攻撃したそうにしているが、一応勇者の言葉が終わるのを待っているようだ。


「その言葉、そっくりそのまま返してもらうの。おぬしらが討伐をした後はぺんぺん草も生えないと、陳情の山ができていたのを、使命とやらに燃える勇者殿は知るまい」

「何を言っている! 村を燃やしたのは魔族だろ」

「おや? 勇者殿は同族が村を襲い飯を喰らい女を攫ったのを一度も見たことがないと申すのか? 救いを求める村を素通りして、弱い者いじめをするように魔族を殺すことに旅の全てをかけていたと申すのか?」

「人間は君たちと違って弱いんだ。だから、中には自分の心に負けてしまう者もいた。でも、それは少数だ。人間は、ちゃんとそういう心に打ち勝てる」

「人間とも交流のあった翼人族を滅ぼしているからには、とても『少数』とは言えぬの」

「あれは、あいつらは悪だった。だから討つ必要があった」

「我が父も、悪であったと」

「そして君もだ」

「何をもって悪となすのかの」

「人を殺しておいて、何をぬけぬけと……!」


 セスは勇者エイキムを心配そうに見る僧侶イルザと、魔力を練りながら攻撃の準備をしている魔法使ヘクセい、間合いを測っている戦士カルロスを見て、勇者に視線を戻した。


「お主、本当にこのパーティーのリーダーか?」

「当然だ!」

「その割には、周りが見えていないようだの」


 呆れた口調でセスが言ったあと、戦士が踏み出したような重い足音がした。ちらりと目をやると、戦士の経路にナギサが割って入っていた。金属音が鳴り響く。


「エイキム、話してても無駄だぜ。それに、こいつらに援軍がないとも限らねえんだ。さっさと片付けようぜ」


 戦士カルロスの踏み込みを止められずに、ナギサがずるずると道を均すように押され始める。


「話の途中で攻撃に移るとは、蛮族じゃの」


 セスが戦士に向かって魔力球を放つ。


「主よ、守りたまえ!」


 僧侶イルザによる加護が、戦士の顔を守った。続けて幾重もの魔法のベールが勇者エイキム戦士カルロス魔法使ヘクセいを包む。僧侶による加護の重ね掛けだろうとは容易に想像がついた。


「あら、さっきの言葉は開戦宣言ではなくて?」


 魔法使いが杖を掲げた。炎の玉が九つ、彼女の頭上に浮かぶ。

 セスが左手の糸を魔法使いへの防御に回した。右からは勇者が距離を詰めてくる。ロルフが大剣で受け止める。


「吹き飛べ!」


 ロルフの大振り。勇者がバランスを崩して宙に浮いたが、僧侶の「空の精霊よ」の声と共に空中で姿勢がなおし、逆にロルフを攻め立てる。セスは糸に魔力を込めて魔法使いの炎を弾き、右手からの糸でロルフを掴んで退かせた。勇者が地面に足をつける。

ナギサは雷で戦士と何とか距離を取ったようだ。


「大地よ」


 僧侶イルザの声と共に土で出来た大きな手がセスたちに覆いかぶさるようにやってくる。


「何でもありだね、ほんと」


 ロルフが悪態を付きながら、大剣を筒に代えて砲を放つ。土が崩れたが、その下を通って勇者がやってきた。セスが勇者を糸で縛るように動かすが、かわされる。セスは勇者の方に体ごと向けると、左手の糸を僧侶に向けて放った。勇者の動きが変わり、左手の糸を弾くように移動した。糸が剣に当たり、なおも僧侶に向かって伸びる。


「聖なる風よ、邪なる魔力を絡めとりたまえ」


 勇者エイキムが詠唱し、風がセスの糸を巻き上げた。


「主よ、彼の者たちに裁きを!」


 セスたちの頭上に、光の輪が現れた。セスが魔力を上に展開する。光の柱とセスの魔力がぶつかり、激しく互いの魔力を散らす。


「おおすごいすごい。でも、下ががら空きじゃん?」


 魔法使ヘクセいがヘネラールの甲冑の欠片を取り出した。


「いか」

「させねえよ!」


 ナギサの言葉の途中で戦士カルロスが撃ち込んだ。


「じゃ、斬撃でも」


 魔法使いの軽い言葉に似合わないえげつない斬撃を象った魔力が地面を裂きながらセスに迫る。ナギサが刀を引いて戦士の剣を体で受けようとした。ロルフが叫ぶ。


「任せろ!」


 ロルフが大筒に変わった剣を持った右手を後ろに伸ばした。魔力が打ち出される。勇者が詰めてきた。ロルフが右足を蹴り上げて、勇者の剣の柄を足裏で止める。ロルフの斬撃と魔法使いの魔力がぶつかり、派手に土を散らす。セスが魔力をさらに放出させて、光の柱を完全に打ち負かした。魔力球を放って勇者を下がらせる。


「カルロス、あんたエイキムの方に合わせて」


 魔法使ヘクセいがヘネラールの欠片をしまいながら言った。


「あ?」

「あの新入り、動きが速いからあんた方揃った方が早そうじゃん。こっちはこっちで、あの毛皮共の娘ががんがん睨んできてるし」

「愚弄するな、女狐が」


 ナギサが低い声で唸った。


「狐は貴方でしょうに」


 魔法使ヘクセいが口元を吊り上げた。

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