白波の鱸
私は、砂浜に居た。
風は凪ぎ、波は穏やかである。細かな砂粒と紺の海が打ち寄せる静かな波を境界に二分されていた。水平線の上には貨物船が、漁船が、旅客船が浮かんでいる。
波は静かに寄せてくる。海水が湿った砂上を伝い、それが引くと表面が泡立つ。
海と水には、ありとあらゆる意味が存在する。
海はかつて生物を生み出した。この世に存在する全ての生物は、その系図を辿れば海へと行き着く。
例えばその手で水を掬い出したなら、幾つの命が手中に収まるだろうか。その中では顕微鏡でしか見えない小さな生物がひしめき合っている。微小な生物たちにとって、その手の中は一つの宇宙なのであろう。
また、壮大な海はあるものの終着点を指すこともある。
三途の川とは、私の生きる此岸と死者たちの居る彼岸とを分ける巨大な川である。そこには渡し船があり、船頭が居て、死した者たちを彼岸へと運んでいる。
海とは人の目に映る一種の宇宙だった。そこには誕生と死が同居しており、あらゆる物が蠢いている。
私はその穏やかな海から一つの切れ目を見つけ出した。波打ち際に程近い、透き通った色を持つその場所。紺の海と波の白との間で、魚の背鰭があらわになっていた。
海に近付き、その魚をよく見た。それはどうやら、鱸のようであった。
皮膚病を患っているらしいその鱸は、本来は銀色の美しい肌色であるべき場所に、赤い血肉が滲んでいた。
鱸は回遊魚だ。彼らは海と河とを行き来する。海水と真水の両方に適した身体を持ち、個体によってはそのまま上流まで遡ることも出来る。
しかし鱸は本来、夜になると活発になる性質を持った魚だ。昼に、波打ち際近くまで寄せてきたこの皮膚病の鱸は、その病によって遊泳力を失い、潮の流れに負けて、私の居る此岸まで寄ってきたのだろうと思われた。
私は彼を見た。私は彼の生々しい皮膚を見ることは出来ても、その表情や、ましてや心を理解することは出来ない。ただ彼はその背鰭を水面に浮かべ、弱りながら泳いでいるのだ。
死の近付く鱸は不思議にも、私のような生者の居る此岸へ寄ってきているのだ。三途の川とは真逆だ。
彼は自分が白波の中に居ることが出来ないのを理解したらしい。
彼は、ゆらゆらとその透明な海から、紺碧の海へと泳ぎ出した。
その赤い血肉も、その背鰭も紺に没し、目に映らなくなった。
まるで彼は、三途の川の渡し船であった。
水平線の上には、船が浮かんでいた。
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