第39話 フェントの笑顔

「ゲンさん わたしも いきます」

「え? ああ……」


 図書館の正面玄関を出ようとしたとき、後ろからフェントが走り寄ってきた。


「みなさん すこし あせっている そう みえます」

「しかたないさ もじを よめるまで いっしゅうかん かかった あのほんいっさつ どころか さいしょの しょうを よめるまで どのくらい かかるか……」


 図書館の外は、ぽかぽかとした春の陽気に包まれていた。時折、ふわっとそよ風が吹き、それがまた気持ちいい。外の世界はそろそろ夏が終わるといった時期だけど、このギョンボーレの都は結界のようなものに覆われて、一年中この快適な気候が保たれているようだ。


「けど すこしずつでも かくじつ すすんでいます 聖神ティガリスは その あゆみを みすてないでしょう」

「どうかなぁ…… ティガリスさまにだって がまんの げんどが……」


 そこまで言いかけて、ようやくフェントの言葉の日本語訳が頭に響いてないことに気づく。そしてオレも日本語を話していない。


「あれ? フェント、君……」

『ふふっ ごめんなさい。すこし悪戯してみました♪』


 そう言いながら、この幼い外見のギョンボーレは笑う。今度はその軽やかな口調のままの日本語が、頭の中に直接流れ込んできた。


『ゲンさん、今あなたは無意識にこの世界の言葉で聖神ティガリスの話をしました。それがあなた方が進み続けている、何よりの証拠ですよ』


 聖神ティガリスは、この世界に魔石をもたらしたという古代の神だ。オレ達がオベロン王の歴史書に挑み最初にぶつかったのがこの『ティガリス』という言葉だった。

 村の魔石堂には「神様」と呼ばれている小さな像が安置されていたけど、信仰の対象は魔石そのものだった。だから『ティガリス』という言葉を知らなかったのだ。

 オレたちが、それが神の名前だと気がついたのは、アキラ兄さんが、魔石パスタンテールと人間の関係の記述の中に、この名前が何度も出ていることに注目してからだった。


「けど、王に与えられた時間は半年しかない。その半年でどこまで進めるか……みんな自身を失っているんです」

『未来ばかり見てはいけません。大切なのは、今この瞬間をどう生きるかです。私は、あなた方の"今"に寄り添うよう、命じられました。それに……」


 フェントは一呼吸置くと、さらに続けた。


『私はあの洞窟で皆さんに助けられました。王の命で魔石の原石を探していたところ、護衛のシャリポともはぐれてしまい……サスルポに殺される寸前でした。ですから、その恩返しをさせて下さい!』

「フェントさん……」

『大丈夫。今をないがしろにしない限り、必ず結果は変わります』


 最後にフェントはにこりと微笑んだ。この春の陽気を具現化したような温かい表情だった。


『あっ! ゲンさん見て、あそこ!』


 その笑顔にぼーっと見とれていると、不意に彼女はオレの背後の奥を指差した。


「え?」


 オレはフェントの指の先を追うように振り返る。鮮やかな色の草花に覆われた小さな丘がある。その頂上近くに、石造りのあずま屋のような建物があり、そこに図書館を飛び出した連中がたむろしているのが見えた。


「あいつら……あんな所に」

『まって、ゲンさん!』


 オレが丘に向かおうとした所で、フェントに呼び止められる。


『ゲンさんが話にいくだけじゃ多分ダメだと思う。まずは皆の心を解きほぐさないと……話し合うとしたらそれから』

「え……? じゃあどうすればいいんだ?」

『私に、考えがあります。図書館に残っている皆さんも呼んできて下さい!』

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