第36話 東と西 上と下

 ハルマの希望した通りの本が見つかった。

 120年前の王都の徴税官が付けていた日記だ。フェントによれば、彼は任地を訪れるたびに、その土地の地理や文化を日記に書き、引退後にそれを編集して出版したそうだ。


「よくそんなもんがあると分かったな」

「役人が地方に赴任して、その土地の様子を日記に残すってのは文学でよくあるパターンっすよ。土佐日記とか聞いたことあるでしょ?」


 そういえば古文の時間にそんなことをやった気もする。今思い出さなければ、今後一生(すでに一回死んでるけど……)思い出さなかったろうタイトルだ。


「やった!!」


 ハルマは最初のページを開いたとたん歓喜の声を上げた。


「おわっ、なんだよいきなり?」

「見て下さいよコレ!! 最高のおまけ付きだ!!」

「おまけ?」


 ハルマからその本を受け取る。最初のページには山や林の絵や、道や川を示すだろう曲線が載っている。これは……


「地図……?」

「そうですよ! この役人さん、自分が赴任した地方の地図を描き残していたみたいです!」


 道の所々には、城壁や家のような図形も描かれている。そしてそれらの横には地名と思われる文字の並びも……


「オレたちが知っている地形と重なる地図が見つかれば……」

「はい、そこに書き加えられた地名から文字を推測できます」


 きた! 重大な手がかりが見つかったぞ!


「あ、あのー……ちょっといいですか?」


 アツシが申し訳無さそうに、小さく手を挙げる。


「なんだよアツシ……?」

「すごく言いにくいんですけど……僕たちって、言うほどあの村の近くの地名知ってます? そもそもあの村って何て名前なんですか……?」

「………………」


 頭の中が白紙になる。そしてそこに何も書き足せない……。


 言われてみれば、あの村は「村」としか呼んでなかったし、あの川も「川」だ。


「名前って、同じものが複数ある時に初めて意味を持つんですよね……村は一つだし、川も道も一本ずつ。村人はわざわざ固有名詞で呼んでなかったですよ?」

「確かに……それもそうだ」


 ハルマはよろけるように椅子に座り、そのままうなだれてしまった。


「いや、ダメというわけでもないぞ」

「え?」


 ハルマは顔を上げる。リョウがページを行ったり来たり、何度もめくりなおし。


「少なくともホラ、ガズト山はわかる。しかも結構でっかく描かれている。この感じだと本分にも詳しい記述がありそうだ」


 たしかに、3ページ目の地図にガズト山の頂上によく似た形の絵が大きく書かれている。考えてみたら村人たちも、村からひときわ近く、ひときわ大きいガズト山だけだは別のグラトとは区別してガズト山グラトガズトと呼んでいた。

 ガズト山らしき絵のすぐ下を真横に2本の線が描かれている。たぶんこれは川だ。そしてその川沿いに少し右側へ視線を移すと、家の絵が密集している。うん、あの村の周辺の地形と合致する。


「この地図、北向きじゃないんだな」

「まぁ北側が上ってのは、俺達の世界でももともと西洋のローカルルールですからね。江戸の街の地図は西が上だったそうですし、オーストラリアの世界地図なんかも南極が上側にきます」

「何でも知ってるなお前……」


 オレは思わず、ハルマの雑学に感心する。


「たぶんですけど、日が昇る方向を地図の上側にするというのがこの世界のルールなんだと思います」

「東が上……あ、そういうことか」


 ひらめく。これは皆ほぼ同時に気がついたようで、全員同じような顔をしていた。


 同音異義語の存在。例の面白いウケルウケルのように、オレたちは同じ発音で異なる意味を持つ言葉をいくつか見つけていた。

 柿と牡蠣、あるいはrightright正しいのようなもの、それ自体は珍しくない。

 けど、『アノア』と『テムア』は異質だった、『アノア』には「上」と「東」という意味があり『テムア』には「下」と「西」という意味がある。対義語同士の同音異義語。絶対に何らかの理由があると思っていたけど、地図を見れば一目瞭然だ。この世界には太陽が現れる方向を上、沈む方向を下と考える概念が存在する。


「てことは、上端にあるこの言葉が『アノア』で下端のこれが『テムア』……なのか?」

「そう考えていいと思います」

「なら、上下を示す文にも同じ字が使われてる事になるな。東西よりも上下の方が使う頻度は高いはず。これは大きな手がかりになるぞ!」


 少しずつ、本当に少しずつだけど、オレたちの異世界文字の解剖は進み始めた。


 


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