第586話 先走りシャーリー
シャーリーがゆっくり目を開けると、その視界に入って来たのは、見知らぬ天井だった。
自分の部屋でも、ギルドの貸し部屋でも、九条のダンジョンでもない静かな場所。
真っ白な壁に、見たこともない文字がびっしりと敷き詰められている奇妙とも言える空間だ。
そんな現実離れした部屋のベッドに、シャーリーは裸で寝かされていた。
(……確か、九条の声が聞こえて……。背中に痛みが……)
ぼやけた頭で、直前の記憶を手繰り寄せ、自分が致命傷を負ったであろう事を思い出す。
シャーリーは、自分の右腕が上がることを確認しながらも、その手で患部にそっと触れた。
(……傷が……ない……)
押すと返って来る弾力のある肌。指先の感覚はしっかりとある。だが、そこに痛みはなく、包帯すらも巻かれていない。
あれだけの傷だ。たとえ魔法で治したとしても、痕は必ず残るもの。にも拘らず、違和感すら感じない。
それどころか、回復術を使う必要すらない小さな古傷。弓を握った際に出来るタコやマメ等、一生治らないだろうと思っていた職業病と言えるものまで、きれいさっぱり消えていたのだ。
(……そっか……)
見知らぬ部屋。ハッキリとしない意識。苦労を忘れたかのような純真無垢な身体。それを覆う純白の薄布は死に装束に見えなくもなく、そこから導き出せる答えは、1つしかない。
(……私、死んじゃったんだ……)
後悔というよりも、諦めに近い溜息をついたシャーリー。
自分の死に悲壮感を覚えなかったのは、冒険者としていずれは訪れるかもしれない現実を覚悟していたからだろう。
(騎士だと思って、油断しちゃったなぁ……)
意識が途切れる前に一瞬だけ見えた黒塗りの男は、クロードと呼ばれていた分隊長を任されていた者。
(まさか、あんなゲリラ戦法を使ってくるなんて、夢にも思わないでしょ……)
相手は冒険者や魔物ではない。一応は、名の通った騎士である。
騎士道を重んじるだろうというその先入観が、今回の事態を招いたと言っても過言ではなかった。
(適性隠しかぁ……。他の事に気を取られてたとは言え、あの時、気付けていれば……)
シャーリーが思い出していたのは、クロードにお尻を触られた時の事だ。
クロードの有する適性に、
家柄や家系を重要視する貴族や王族の場合、イメージの悪い適性であれば、公表せず隠すのが常だ。
とは言え、折角の才能。こっそり鍛え、その恩恵に与る者も少なくない。
クロードは、その典型であったと言えるだろう。
(今更悔いても、仕方ないか……。それよりも、九条が私の死に責任を感じてなければいいけど……)
後悔などらしくない。そう思いながらも、シャーリーが寝返りを打ったその時だった。
「ふぁッ!?」
心の臓が飛び跳ねるほどに驚いた。自分以外誰もいないと思っていたベッドの上には、九条が寝ていたのである。
「ぇ……なんッ……ぇ……」
頭が上手く働いていなかった所為もあり、全くと言っていいほど気付かなかったシャーリー。
手を伸ばさずとも届く距離に、見慣れた九条の顔がある。
ずっとそこにいたのか……。それとも今、突然に現れたのかすら不明。
その姿は、シャーリー同様真っ白な薄布1枚を巻いただけの姿だ。
(なんで、九条がここに!? もしかして、一緒に死んだ!?)
そこまで考えたところで、シャーリーは逆に冷静さを取り戻した。
「……まぁ、九条が死ぬわけないか……」
九条の強さは周知の事実。寝込みでも襲えば話は別だが、あの状況で負ける姿は想像が出来ない。
(じゃぁ、なんで……)
仏頂面で眠りこける九条の頬を突いたり、つまんでみたりはしたものの、一向に起きる気配がない。
(これが、九条の言ってた未練……ってやつなのかな……)
九条への気持ちを、素直に言葉に出来なかった心残りが、見せているであろう夢か幻。
神様が、最後にチャンスをくれたのかもしれない。
(出来れば、死んでまで迷惑は掛けたくないなぁ……)
未練を募らせれば成仏は出来ず、悪霊と化す。
それを九条に祓ってもらうなんて、死に恥を晒すようなもの。生き恥の方が、まだマシだ。
ならば善は急げとばかりに、シャーリーは九条の顔を両手で包んで引き寄せた。
(……寝てるとは言え、結構勇気がいるわね……)
緊張と興奮で高鳴る心臓。シャーリーはそっと息を殺し、少し乾いた唇を九条の唇に重ね合わせた。
甘美な響きを奏で、離れる唇。まるで刹那が永遠にも感じられたシャーリーではあったが、その表情は満足したというよりも、怪しさ満載の含んだ笑顔。
「……もう1回くらい……イケるかな?」
本末転倒である。未練を断ち切る為のお別れの口づけ――であったはずなのに、逆に物足りなくなってしまった。
それも当然。シャーリーにとって、九条へのキスは初めてではなく2回目だ。
炭鉱での遭難時、助けたお礼としてその唇を捧げている。
九条が気付いているのかは不明だが、その所為もあってか、思っていた以上に抵抗を感じなかった。
どうせ最後だからと、好き放題してやろうという欲に溺れてしまったのだ。
最早ムードもへったくれもあったもんじゃない。やけっぱち。
そんなタガが外れてしまったシャーリーが、九条に5回目の口づけをしようとした瞬間だった。
「……シャーリー……?」
「へ?」
起きないと思って好き放題やっていたら、いつの間にか開いていた九条の目。
その瞳がジワリと滲んだかと思ったら、シャーリーを抱きしめ泣き出す九条。
「シャーリー!? よかったッ!」
「ふぁぁぁぁ!?」
確かに良い事ではあるが、いきなりは刺激が強すぎた。
まさかのご褒美に焦り散らかすシャーリーではあったが、九条の言葉に我に返る。
「すまなかった。俺があの時、声をかけたばっかりに……」
それが何の事を言っているのか、すぐにわかった。
シャーリーも、同じように気に掛けていた事であったからだ。
「……別に、九条の所為じゃないよ。私が油断しただけ……。だから、私がいなくなっても気にしないでね?」
シャーリーは迷った。この機会に、自分の素直な気持ちを伝えた方がいいのではないかと。
しかし、そうはしなかった。九条に自分の死を引き摺ってほしくなかったのだ。
たとえ、目の前の九条が偽物であったとしても、自分の気持ちだけをスッキリさせて逝くなんて、無責任なことは出来なかった。
秘めたる想いは、そのまま胸の内に仕舞っておこうと、決意を改めたのである。
「やっぱりそうだよな……。怒っているのはわかってる……。どんなことをしてでも償うつもりだ。だから……」
「いや、怒ってないよ? あれは、クロードが一枚上手だっただけで誰の所為でもない……」
「じゃぁ、村を出て行く必要なんてないじゃないか! いなくなるなんて言わないでくれ!」
「……」
何かがおかしいと、疑念を抱き始めたシャーリー。
微妙に話が噛み合っていない気がしたのだ。
「ちょ……ちょっと待って。えーっと……あっ、お墓の話? それとも、私をバルザックさんみたいによみがえらせるから、村で暮らせってこと?」
「……なんで、そんなことをする必要が?」
「だって、私は死んでるでしょ?」
「死んでないが?」
「え?」
「え?」
「「……」」
暫く続いた無言の時間。それを先に破ったのは、九条だ。
シャーリーの肩に優しく手を置き、そのままベッドに押し倒す。
それに下心的な意味はなく、どちらかと言えば子供を寝かしつける所作である。
「あんなことがあったんだ。まだ混乱しているんだろう。もう村は大丈夫だから、今はゆっくり休んでくれ……」
シャーリーの頭をそっと撫で、笑顔で部屋を出て行った九条。
「……」
シャーリーの視界に映るのは、やはり見知らぬ天井である。
改めて、右手で傷痕を探すも見当たらない。そして目覚めてからの自分の行動を思い出し、シャーリーはありえないくらいに赤面した。
「~~ッ!! こうなったら、本当に死ぬしか……ッ」
喜んでしかるべき場面にも拘らず、恥ずかしさで足をバタつかせるシャーリー。
そんな中、またしても部屋の扉が開かれると、そこに立っていたのはアーニャである。
「はいはい。病み上がりなんだから、暴れないで静かにしてなさいな……」
そう言いながらも、アーニャがシャーリーの頭の上で杖を少し振って見せると、シャーリーは再び夢の中へと誘われた。
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