第585話 涙の力

 異変を察知し外へと出たフードルが見たものは、戦慄するほどの畏怖と目を背けたくなるほどの絶望だった。

 薄暗い闇夜に、突如として出現したスケルトンロード。自らの身体が薄っすらと発光しているのは、その膨大な魔力故だろう。

 上半身しか出ていない巨大な身体。ゆっくりと持ち上げた錫杖からは、毒々しい色の濃霧が降り注いでいたのだ。


「イカン! 村人を避難させろッ! 瘴気に巻き込まれるぞッ!」


 フードルの声を聞き、散開していく従魔達。

 それに長時間晒されようものなら自我は崩壊、瘴気は血に成り代わり、アンデッドと化し傀儡として現世を彷徨う事となる。


 今の九条を見れば、過去の勇者がどれだけ異常であったのかが理解出来る。それは、明確な悪がいないこの世界には過ぎた力だ。


(それを知らずに……いや、知っても尚敵に回そうというのだ……。やはり人は愚かであると言わざるを得んな……)


 勝敗の結果などわかり切っている。フードルは、九条の心配など微塵もしていなかった。

 問題なのは、それだけの力を振るう状況となってしまった事の経緯だ。

 犠牲者を出してしまったであろう可能性も考えられるが、手加減の難しい強敵が紛れていた可能性も考えられる。


(巻き込まれるのは御免じゃが、遊撃の為前線へと赴くべきか、待機を継続するべきか……)


 勇ましい男達の怒号が毛色を変え、徐々に悲痛な叫び声が混じり始めた頃、頭を悩ませるフードルの耳に微かに届いた娘の声。


「お父さんッ!」


 駆け寄るその背に担がれていたのは、半身氷漬けのシャーリーだ。


「――ッ!?」


 それを見たフードルは、一瞬で状況を把握した。

 不自然なほどに赤い氷。血液そのものを魔法の力で凍結させる止血法を教えたのは、紛れもない自分である。

 急ぎポケットから取り出したのは、くすんだ金属製のスキットル。

 その中身を一気に飲み干すと、シャーリーの胸元に手を伸ばす。


「【停滞領域ステイシスフィールド】!」


 それは、任意の対象を時の流れから隔離する魔法。一時的ではあるがシャーリーの時間を止めたのだ。

 時間を操作するほどの魔法ともなれば、当然大量の魔力を消費する。

 それは魔族のフードルであったとしても、予備のエーテルを使い切ってしまうほど。


「持って数分! ミアッ! 神聖術の使い手を集めろッ!!」


「皆! おねがいっ!」


 こっそりと様子を見に出てきていたミアがカガリから飛び降りると、魔獣達はギルドの職員達を集めに走り、ミアはそのままシャーリーの傍で膝を突いた。


「ひどい……」


 その顔が歪んでしまうのも当然だ。ギルドの基準に照らし合わせれば、それは既に手遅れと呼べるもの。

 複数のケガ人が出ていれば、諦めて助かる見込みのある者の治癒に回れ――と、言われてしまうレベルである。


 所謂、袈裟斬り。鎖骨を砕き動脈を傷付けることで、失血死を狙う殺傷力の高い剣技。

 即死には至らずとも、血液の循環が滞ることは間違いなく、奇跡的に回復したとしても障害が残ってしまう場合が殆どだ。


「ギルドに、完全回復術コンプリートヒールを使える奴は?」


 フードルの質問に、首を横に振るミア。

 肉体の損傷を復元する魔法は3つ。弱い物から、回復術ヒール強化回復術グランドヒール、そして完全回復術コンプリートヒール

 ギルド職員で、且つ神聖術に適性があれば、殆どの者が強化回復術グランドヒールまでを習得している。

 だが、それ以上は一握り。ギルドの本部、ヴィルザール教団、又は国家のお抱えが当たり前だ。


 従魔達は、僅か数分で戻って来た。

 ソフィア、ニーナ、シャロン、グレイスの4人は、横たわるシャーリーを見て表情を一変させる。

 自分達が連れてこられた理由を把握するには、それだけで必要十分だ。


「シャーリーさんッ!」


 皆がシャーリーを取り囲み、両手をかざす。


停滞ステイシスが解けるぞ! ありったけの魔力を込めろッ!」


「「【強化回復術グランドヒール】!」」


 シャーリーを覆っていた魔力の層が消えると、一斉に放たれた回復魔法。

 5人同時ともなれば、その効果は確かに目に見えて現れていた。

 パックリと割れた肉体を縫い合わせるよう、裂傷はゆっくりと塞がっていく。


 ――しかし、それでだけでは足りなかった。


「ダメッ! 間に合わないッ!」


「ニーナ! 諦めないでッ!」


 時間を掛ければ、肉体の損傷は確実に修復できる。だが、回復術では失った血は戻らないのだ。

 出血が致死量を超える前に、傷口を塞ぎきらなければならない。

 皆、頭の中ではわかっていた。奇跡でも起きない限り、シャーリーが帰って来ることはないだろうと……。


「お父さん! どうにかならないの!?」


 しがみつくアーニャに、フードルは顔を歪め、唇を噛み締める事しか出来なかった。

 シャーリーは、アーニャが真の名を語れるようになってから、初めて気を許す事が出来たであろう友人だ。

 更には年齢もそう遠くはなく、アーニャの過去を知りつつも、それを受け入れている貴重な存在。


「助けてやりたいのはワシも同じ……。じゃが……」


 魔族に神聖術の才はない。仲間が傷つけば、魔力を分け与えればいいだけだ。

 フードルに出来る事と言ったら、先程同様の延命処置が精一杯。それも残された魔力では、数十秒が限界だ。

 それでも何もしないよりはマシなのかもしれないが、儚く消えゆく命の灯火を雀の涙ほど延ばしたところで、結果が変わらない事は誰の目に見ても明らかだった。



 止血しているにも拘らず、それが意味をなさないほどに溢れ出る鮮血。

 それでも諦めまいと皆が必死で魔力を振り絞る中、突如その手を止めた者が1人。


「ミア! あんたが諦めてどうするの!?」


 魔力切れというには、まだ早いタイミング。信じたくはなかったが、諦めたとしか考えられない。


 ――しかし、そうではなかった。その瞳は、まだ希望を失ってはいなかったのである。


 ミアは深刻そうな表情を天に向けると、自分の胸元に片手を突っ込み、首に掛けていたペンダントを強く引き千切った。


「ミア!? それは……」


 ミアが手のひらに乗せていたのは、流れ落ちた涙を切り取ったかのような、青く澄んだ小さな宝石。

 ミアは、それを両手で握り締めると、祈るかのように目を閉じた。


「……お願い……イリヤスちゃん……。シャーリーさんを助けて……」


 その瞬間、合わされた手の隙間から漏れ出た閃光が、辺りを一瞬にして包み込んだのである。

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