第490話 ディメンションウィング

 空から恐怖が舞い降りると、なんとか耐えていた石柱の殆どが崩れてしまうほどの地鳴りが轟いた。

 まるで大砲が至近距離に着弾したかのような轟音が響き、逃げ惑う獣達。

 そこまでして、ザナックはようやく事の重大さに気が付いた様子。


「く……黒き厄災ッ……!?」


 ザナックが振り返ると、そこには漆黒の鱗に覆われたドラゴン。それは躊躇いもせずザナックを鷲掴みにした。


「ぐあッ!? くそッ! 離せッ!」


 見上げなければ全体像が捉えきれないほどの巨体だ。

 服の上からもわかるくらいに食い込む鋭爪。純白のコートが徐々に真紅へと染まっていく。

 その中で必死に藻掻くザナック。襲い来る痛みと絶望感に恐慌しているのか、従魔達に指示を出す事も忘れ助けを求めたのは他でもない俺である。


「九条! 助け……」


 ザナックが言葉を詰まらせてしまったのは、頼みの綱が頼りにならないことを悟ってしまったからだろう。


「デ……黒き厄災様。お目にかかれて光栄に御座います。その者は、御身の贄を奪おうと企てし者。その処遇は、御心のままに……」


 抵抗の意志すら見せない絶対服従。その場で膝を折り、首を垂れる俺。


「なっ!? 違う! 俺様は雇われただけで……!」


 それに耳を傾けるわけがない。ザナックが喋っているにも拘らず大きく羽ばたき飛び上がった黒き厄災は、そのまま俺達の頭上を飛び越えザナックを空中へと放り投げた。


「ヤメロォォォォ……!」


 投げたと言うより、ただ解放しただけ。山々に響く汚い山彦と共に、崖下へと落下していくザナックはすぐにその姿を消した。

 そこそこの標高を誇るであろう山の上からの紐無しバンジー。そんなものを見せられようものなら、誰もが押し黙ってしまうのも当然だ。

 まるで些事であるかのように何事もなくUターンし戻って来た黒き厄災に、俺は改めて首を垂れる。


「我々は御身の威光に平伏し、忠誠を誓う贄の使者に御座います」


「マス……く……。あー……ご……豪胆なる者よ。そなたらを使者と認めよう。さぁ、我が背に乗るがいい」


「しゃべった!?」


 俺の後ろに隠れていたミアから漏れた素直な驚き。黒き厄災に睨まれると、ハッとしてその口を両手で覆い隠す。

 流石はミアと言うべきか、黒き厄災を前にしても怯える様子を見せないのは、経験の賜物だろう。

 普段から魔獣と一緒の生活。加えて金の鬣きんのたてがみ白い悪魔しろいあくまといった古代種と呼ばれる魔物達を、その目に焼き付けているのだ。

 一方のキャロは、絶望のどん底といった表情。

 想像の更に上を行く恐怖。生贄の義務を安易に考えていた訳ではないのだろうが、いざそれを目前にすれば後悔を覚えてもなんら不思議な事はない。当たり前の反応である。


「大丈夫。言われた通りに……」


 安心させる為、笑顔を作りながらもそっと抱き上げ頭を撫でる。

 もう少ししたら種明かしをするので、それまでは耐えてもらわなければ……。


 丸められた尻尾から黒き厄災の背中にお邪魔すると、広げた翼で一気に空へと飛翔する。

 先程までいた供物の祭壇が豆粒になってしまうほどの高度まで一瞬の内に上昇し、向かう先は天空への階段だ。

 ドラゴンの背に乗り空を飛ぶ――そんな貴重な体験に気分が高揚するも、その速度故に思っていた優雅な空の旅とは雲泥の差。

 ゴツゴツしていて乗り心地は悪く、凍えるような寒さにかじかんでいく手足。落ちたら助からないという恐怖が先行して、景色を楽しむ暇なぞない。

 ジェットコースターは、安全が担保されているからこそ楽しめる乗り物なのだ。


 天空への階段は、108番から聞いた通り中心部は空洞であった。そこへ緩やかにホバリングしながら降下していく黒き厄災。

 徐々に光が届かなくなると、内部に灯る見慣れた光源と内装に口元を緩める。

 長い縦穴を抜けると、眼下に広がる巨大な空間は俺のダンジョンにもある玉座の間にそっくりだ。

 幾つもの柱に埃っぽいレッドカーペット。その先にあるのは玉座というより巨大な台座。デメちゃん専用の特等席と言ったところか……。

 その周りには煌びやかな財宝の数々。もちろんそれらも埃を被っている。


「我が家へようこそ。マスター殿」


 黒き厄災の背から降りると、巨大な顔が目前に。俺だって、その姿を見るのは今日が初めてだ。

 創作や想像でしか知り得なかったドラゴンと呼ばれる生き物が目の前にいる。感動と同時に、多少の恐怖も覚えて当然。

 とは言え、皆の手前情けない姿は見せられない。俺がビビっていては、キャロだって安心できないはずだ。


「ああ。よろしくな」


 出来るだけ胸を張り、伸ばした手で下顎に触れる。握手の代わりだ。


「早速なんだがマスター殿。言われた通り動いたつもりだが、あれでよかったのか?」


「ああ、助かったよ。あくまでザナックを殺したのは俺じゃない。ヤツは黒き厄災様の怒りに触れたんだ。俺が手を下すより、真実味があるだろう?」


 プラチナを殺す事がどれだけ面倒な事になるかは、身をもって知っているのだ。

 勿論大義はこちらにある。罪に問われる事はまずないだろうが、証明には時間が掛かる事だろう。

 何より相手には黒幕がいる。一筋縄ではいかない可能性の方が高い。

 ならば、念には念を入れただけ。俺がザナックを殺すには理由が必要だが、黒き厄災に襲われたとなれば誰も文句は言えぬはず。

 冒険者が魔物に殺されるのは、良くあることなのだから。


「おにー……ちゃん……? 何を言ってるの……?」


 少し離れたところでカガリに隠れるミアとキャロ。狐につままれたような顔とは、よく言ったものである。


「あぁ、すまん。紹介しよう。彼の名はディメンションウィング。黒き厄災とも呼ばれているが、何と言うか……その……俺の友達……かな?」


「ともだちぃ!?」


 予想通りの驚きように、笑いそうになるのをグッと耐える。


「よろしく頼むぞ。小さき者達よ」


 上から見下ろす黒き厄災を見上げるミアとキャロ。その口は開けっぱなしだ。


「な……なんで言ってくれなかったの!?」


 予想通りと言うべきか、ミアの方が我に返るのは早かった。

 魔族であるフードルを受け入れているだけはある。慣れとは恐ろしいものだ。


「色々と……な……。ちゃんと説明するよ」


 リアリティの追及には必要不可欠だったのだ。黒き厄災と俺との仲を知ってしまえば、覚える恐怖の度合いは天と地ほどの差が出来る。

 黒き厄災がザナックを殺す。その場面を誰かが目撃する必要があった。そこで白羽の矢を立てたのがローゼスである。

 ローゼスを乗せた犬ぞりが向かった先は、供物の祭壇が一望できる隣の山の頂だ。そのローゼスを騙す為にも、あくまで自然を装わなければならなかった。

 ミアとキャロには、本気で怖がってもらう必要があったのである。


「そっかぁ……」


「その……すまなかったとは思っている」


「ううん。大丈夫、怒ってないよ? 黒き……でぃめんしょんうぃんぐさんとおにーちゃんが仲良しだって皆が知ったら、騒ぎになっちゃうもんね」


 もう隠す必要もないだろうと話した真実。と言っても、フェルス砦を守護してもらっただけで、それ以上の事はしてもらっていない。

 今更だが、獣人達が先手を打とうと勝手に狼狽えているだけなのだ。

 出来ればそっとしておいてほしかったが、国としては見過ごせなかったのだろう。

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