第484話 新たな決意は浴室で
扉がゆっくり開かれると、そこに立っていたのは恭しく頭を下げた使用人の女性。
「キャロ様。湯あみの準備が整いまして御座います」
タイミング的には丁度いい。会話は一段落し、夜も更けて来た。そろそろお帰り願おう。……そう思っていたローゼスであったが、ミアから出た言葉に目を丸くする。
「キャロちゃん、お風呂だって! 一緒に入ろ? 王宮のお風呂に入れるなんて夢みたい!」
「えっ!?」
遠慮どころか誘われてすらいないのに、ミアの行動力たるやあっけに取られるほどの早さ。
気付けば、ミアはカガリの上。伸ばした手でキャロの手を掴むと、成すがままにキャロはカガリの背に跨った。
「しゅっぱーつ!」
ミアの気の抜けた掛け声とは裏腹に、目にも留まらぬ速さで部屋を出て行くカガリ。
「――ッ!? お待ちくださいミア様ッ!」
ローゼスが声を上げるも、その姿は既にない。急ぎ廊下に出て行くと、長い廊下の先にある浴場へと消えて行くカガリの尻尾。
このままキャロを連れ去られてしまうのではと、不安に駆られたローゼスであったがひとまずはホッと一安心。
とは言え、先程の会話の続きをされては困ると浴場へと走るも、女性が入浴している所に足を踏み入れるわけにもいかず二の足を踏む。
女性の使用人を呼びつけようにも、事情を知らぬ者に説明している暇はない。
そんなローゼスに手を差し伸べたのは、他でもないストレである。
「私が行きましょう。事情は先程の会話から大体は理解しました。生贄に関する話題を遮ればいいのでしょう?」
「おぉ、ストレ様! よろしくお願いします!」
「ええ。私も獣人の端くれ。お任せください」
九条が雇った冒険者。獣人のストレであれば、思想は生贄肯定派に違いない。
黒い鎧をガチャガチャと唸らせ、浴場へと入っていくストレの背中がローゼスには、頼もしく見えていた。
――――――――――
「わぁ、おっきいお風呂!」
ミアの眼前に広がる大浴場。……と言っても、ネストの家と大差はなく、驚きはそれほど多くはない。
「待ってよ、ミアちゃん!」
少し遅れて裸のキャロが浴場に姿を見せるも、ミアの表情に不信感を覚えた。
「ど……どうしたの?」
素っ裸で棒立ちのミア。その手には丸めたタオルが握られていて、先程の嬉しそうな声からは想像もつかないほどの真顔。
そんなミアの視線はキャロにではなく、その後方に向けられていた。つられてキャロが振り返ると、そこにはストレが無言で立っていたのだ。
「――ッ!?」
そりゃ驚くに決まっている。身体にはタオルが巻かれているが、余程顔を見られたくないのか、フルフェイスの兜を被ったまま。
キャロが、その異様な光景に目を奪われていると、ストレは小刻みに震える両手でゆっくりと兜を脱ぎ始めた。
徐々に露になっていく真実。見たことがあるだろう唇は声を漏らさぬようにと強く結ばれ、その目元には大量の涙を溜めていた。
長い髪が肩を撫で両の耳が狭い空間から解放されると、キャロからは声にならぬ声が漏れたのだ。
「……あ……あぁ……ぁ……」
キャロがその顔を忘れるはずがない。冒険者ストレは仮の姿。その中身は、実の母であるルイーダなのだから。
「私の可愛いキャロ……。ずっと……ずっと会いたかったわ……」
「……マ――ッ!?」
その瞬間だった。
「セイッ!」
キャロの行動を読んでいたであろうミアは、キャロの口に持っていたタオルを押し込んだのである。
「むぐぐッ!?」
感動の再会を邪魔するつもりはなかったが、キャロの声が外に漏れれば計画は全て水の泡。ミアは心を鬼にしたのだ。
「シーッ! 気持ちはわかるけど、おっきい声は出さないで! ローゼスさんに聞こえちゃうから!」
目に涙を溜めながらも、必死に頷くキャロ。その涙はタオルが苦しいからではない。
「……いい? タオル抜くからね?」
「ふがふが」
最早何を言っているのか不明だが、キャロの口からタオルが引き抜かれると、2人はようやく感動の再会を再開したのである。
ルイーダが床に膝を突き大きく両手を広げると、キャロはそこへ飛び込んでいく。
ミアはそんな2人に安堵しつつも、聞き耳を立てているであろうローゼスに向けて、一人黙々と芝居を続けた。
カガリが出入口を見張ってくれてはいるのだが、念のためだ。
「アアー! いい湯ダナー! ウチのお風呂も大きかったらいいのにナー!」
ひとまずこれで、ミアの仕事は完了。後はルイーダとキャロ次第である。
キャロの説得に、これ以上の人材はいない。問題と言えば、2人を会わせる判断とタイミングであった。
結果、ミアはキャロが説得に応じるであろうと判断し、浴場での作戦決行を決めたのである。
わざわざ夜更けに面会を求めたのも、貴族や王族の習慣であれば入浴するであろう事を見越していたから。
生贄の事情を知る者でミアが面会を求めれば、出てくるのはローゼスかエドワード以外にいないと踏んでいた。
ならば、入浴中は完全なるプライベート空間の可能性が高い。そここそが、キャロとルイーダを秘密裏に会わせてやれる唯一の場所であったのだ。
「ママ……どうして……」
「もうすぐ
「やだ……せっかく会えたのに、いっちゃヤダよ……ママ……」
「勝手なママでごめんね……。でも追いかけてきたりしたらダメよ?」
「なんで……? ママは私が嫌いなの?」
「もちろん大好きよ。愛しているに決まってる。でも、キャロには生きていてほしいの。あなたはまだ人生の半分も生きてない。これから先、大きくなれば楽しいこともきっとあるわ。1度きりの人生だもの、悔いの無いように生きなさい。キャロがおばあちゃんになってこっちに来る事になったら、その時は歓迎してあげるから……ね? それまでは、ずっとお空から見守っていてあげる……」
「……う……うぅ……」
声を殺し、すすり泣く2人。満足のいくまでそうしていたいのは山々だろうが、時間は有限である。
「ルイーダさん。そろそろ……」
ミアの声に無言で頷いたルイーダ。しっかりと抱きついていたキャロを名残惜しそうに離すと、ついばむような優しい口づけを交わし顔を強張らせた。
「キャロ、よく聞きなさい。今日、私と会ったことは誰にも言っちゃダメ。いい?」
「……わかった。でも生贄はどうするの? 私が急にやりたくないって言ったら……」
「生贄になればママに会える――なんて言ったのは誰? そんな嘘っぱち、信じちゃダメよ?」
「セシリア様が……」
「セシリア様? ……クラリス様じゃなくて?」
無言で頷くキャロを、ルイーダは溜息をつきながらも愛おしそうに抱きしめる。
「そう。でももう大丈夫。あなたはそんなこと気にしなくていいの。ミアちゃんのお兄さんが、きっとあなたを助けてくれるわ。だから言う事をよく聞いて。決して諦めないで」
「……うん……がんばる……」
「いい子ね……。今日からあなたは自分の信じた道を生きて行くの。人の顔色を窺う必要はないわ。大丈夫、私のキャロは強い子だもの。きっと逞しく育ってくれる。そうでしょう?」
ルイーダがキャロの髪を優しく撫で、最後の言葉を投げかける。
それが子供にとってどれだけ大きなものかは言うに及ばず、キャロは無限に流れ続ける涙を両手で何度も拭っていた。
浴場を出れば赤の他人を演じなければならない。その涙を洗い流すという意味でも、お風呂は都合がよかったのだ。
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