第466話 奥の手

 それから数分後。ペタペタと聞こえてきた足音に振り返ると、着替え終わったケシュアが背後で俺を見下ろしていた。


「――ッ!?」


 驚きのあまり、声が出なかった。そのベクトルは恐怖などではなく、ケシュアの奇行に対する当たり前の反応。


「えへへ……。おまたせ……」


 はにかんだ笑顔で首を傾げるケシュア。それが照れ隠しであろうことは、誰の目から見ても明らかだ。

 俺の前に立つケシュアは、ほぼ裸。スケスケの肌着は大事なところを隠しておらず、その存在意義に疑問を抱いてしまうほど。

 豊満とは言い難い胸部の盛り上がりは綺麗に整っていて、女性特有のなまめかしい腰つきは性欲をそそると言っても過言ではない。

 物理系冒険者とは違う適度な付き具合の筋肉は、正に食べごろと言うに相応しい。


「あんまりじっくり見ないでよ……」


 じゃぁ、そんな格好で出てくるんじゃねぇよ! と叫びたいのを我慢する。


「き……急に奴隷としての義務に目覚めたのか?」


 我ながらにナイスな返しだったと思う。動揺を悟られず平常心を保ち続けられたのは、相手がケシュアだから。

 所謂ハニートラップである。見境がなくなったと言うべきか、随分と古典的な手法を持ち出して来たなぁと呆れる反面、篭絡されてしまう男の気持ちがわかってしまうくらいには衝撃的であり、刺激的な視界であった。


「違うわよッ! 私は九条との子供が欲しいのッ!」


「へぇ……子供……。こどもぉ!?」


 流石の俺も、それには耳を疑った。面と向かってあなたとの子供が欲しい――なんて言われてみろ。

 頭の中は真っ白。思考回路はショート寸前である。


「ひ……ひとまず落ち着け、ケシュア。自暴自棄にはまだ早いぞ」


 ケシュアの肩を掴みガクガクと身体を揺するも、その手はすぐに払いのけられる。


「はぁ? 何勘違いしてんのよ。コレは取引の条件よ」


「え? 条件?」


「そう。九条との間に作った子供を、組織が育てる。つまり、九条は私と寝てくれればいいの。そうすればネクロガルドは九条を諦める。ね? 簡単でしょ?」


 ケシュアの言葉を頭の中で復唱するも、やはり意味が解らない。

 提示された条件が、思っていたものとかけ離れすぎている。なぜ、俺との子供が俺を諦める条件になるのか……。


「待ってくれ。お前達は何がしたいんだ? 異世界の知識が欲しいんじゃないのか?」


「異世界の知識なんていらないわよ。それがなんの役に立つの?」


「何って、それを生かすのはお前達だろう?」


「じゃぁ、九条は死なずに天国に行く方法って知ってる?」


 思考がろくに働いていない時に限ってトンチなぞ解けるわけがない。


「俺は真面目な話をしているんだが?」


「勿論私もよ。知らないなら話にもならないわ」


 会話のペースは完全にケシュアが握っていた。しかし、それも仕方のない事。全ては目の前で楽しそうに弾んでいる双丘が悪いのである。

 ケシュアが動く度にぷるんぷるんと魅惑的に振動するそれは、桜色の若い蕾。どうしてもそこに意識が奪われてしまうのだ。


「そ……そもそも、何故子供なんだ……」


「え? エルザ婆は九条には話してあるって言ってたけど? 九条の力が欲しいって言われなかった?」


「確かに言われたが、それと子供は何の関係が――」


「そこからか……。まぁいいわ。順を追って説明してあげる」


 先程まで座っていた椅子を手前に引き寄せ、俺と向かい合い座るケシュア。

 目のやり場に困るのだが、ケシュアはその格好に慣れたのか顔色1つ変えやしない。


「2000年前。魔王が地上から去り、人類は地上の楽園を勝ち取った。勇者の力のおかげでね。でも、それは束の間の平和。今度は人類同士で争いを始めたの。なんでだかわかる?」


「……土地問題か?」


「いいえ、違うわ。勇者を取り合ったの。魔王を打ち倒すほどの力を持っているのよ? その力を自分の国の為に使ってほしいと思うのは当然じゃない? 勇者は異世界から来た戦士で何処にも所属していない。そうでしょ?」


 一理ある。魔王亡き後、勇者はこの世界で最強の存在となるのだ。ならば、それを味方に付けた者が世界の実権を握ると言っても過言ではない。


「それで、その結果は?」


「何処も疲弊し切っていたこともあってか、勇者争奪戦は案外早く解決したわ。みんなで仲良く勇者を分けようって事になったのよ。……ここまで言えばわかるでしょ?」


 ニールセン公が言っていた事を思い出した。ニールセン家は騎士の名門であり、剣に関する適性を持って産まれてくる者が多いと。

 ネストもそうだ。バルザックから続くアンカース家は、魔術の名門である。

 それは血統によるものなのだろう。親の血が子供に継承され、先天的な適性を得ると考えれば腑に落ちる。


「勇者の子供をそれぞれの国で産ませる――と?」


「そういうこと。親の才能を子が引き継ぐのは珍しいことじゃないからね」


 確かにそれなら平等のようにも見える。だが、倫理的にどうなのだろうか。

 当然、生まれた子供に向けられる愛情は肉親からのものではないだろう。利用価値のある物として育てられる事になる。

 その期待値故、よほどのことがない限り高い生活水準ので育児が保証されてはいるが、必ずしも期待通りに成長するとは限らない。

 アレックスのようにどれだけ努力し望んだとしても、求める適性が発現しないこともあるはずだ。


「勇者の伝承は良く耳にするが、その子孫の話を全く聞かないのはどうしてだ?」


「勇者を欲しがった国々にとっては最悪の結果になったからよ。勇者はその提案を拒絶し、姿を眩ませた……。世間的には行方不明って事になってるけど、私達は元の世界に帰ったんだと推測してる」


 自業自得なのではないだろうか? 勇者にも選ぶ権利はある。それを考慮せず一方的に自分達の考えを押し付けたのだろう。

 神が遣わした勇者という兵器にも、人の心はあるということ。俺と同じ異世界人であるならば、その価値観は似ているのかもしれない。


「わかった? 九条がダメなら、私達はその子供で諦める。私が身籠ったら九条の前から姿を消すし、私が嫌なら組織の中から好みの女性を見繕ってもいいわ」


「いや、別に嫌というわけでは……」


 つい本音が出てしまった。これも集中力が散漫な為だ。致し方あるまい。


「あら意外。九条はもっと幼い方がいいと思ったんだけど、私くらいなら射程圏内なのね」


 ケシュアの年齢は不明だが、同年代の女性と比べれば背は低い方である。だが、それは俺の好みとは全く関係がない。

 容姿端麗。美男美女が多いであろうハイエルフ(俺調べ)のケシュアは、どちらかと言えば魅力的な部類に入る。

 普段からそう見えないのは、冒険者故の飾りっ気のない装備と、ざっくりとした大雑把な性格の為だろう。

 中身はひとまず置いておくとしても、素材としての外見は悪くなく、後腐れない関係であれば抱いていたかもしれないと言うくらいには美少女と言える。


「ロリコンじゃねぇよ。なんで俺の事は調べてるクセに、そこの認識だけ間違ってんだよ」


「冗談よ、冗談。それで、どうするの? 九条から私がどう見えているのかはわからないけど、興味がないわけじゃないんでしょ? ちょいちょい視線が下がってるもんね?」


 もろバレである。だが、恥ずかしくはない。それが男というものであるからだ。

 開き直っているようにも見えるが――まぁ、その通りだ……。


「残念だが、断らせてもらう」


「言い忘れてたけど、産まれた子供には不自由のない生活を約束するわ。それに九条を父親だとは教えないし、別の父親を宛がうつもりよ。それでもダメ?」


「そういう問題じゃないんだよ」


 確かに条件としては理に適っている。だが、俺だけが解放され、いずれ産まれるであろう我が子に全てを擦り付けるのは、俺の良心が許さない。


「そっか……。やっぱり九条も勇者と同じ異世界人ってことね。この世界の男性なら絶対断らないわよ? 娼館でハイエルフを抱くのがいくらか知ってる? それを今なら身籠るまで無料で抱けるのよ? 種族が違えば、その分着床率は低い。相当遊べると思うけど?」


「それも気に入らないんだよ。そもそも遊び感覚で女性を抱こうとは思ってない。俺が自制出来ないような人間に見えるのか? それと、その変なポーズはやめろ」


 まるでグラビアの撮影かと思うほどに妖艶な体勢を見せびらかすケシュア。

 グラビアアイドルと言うには少々未熟な肉付きではあるものの、俺には十分魅力的だ。


「失礼ね! 誘ってんのよッ!」


 そんなことは見ればわかる。だからこそ、今の俺には強烈過ぎて目の毒だ。

 早急にやめてもらおうと、効いていないフリをしただけである。


「なら、愛があればいいわけ? 私は別に九条の事嫌いじゃないわよ?」


「そりゃどうも。ないよりはあった方がいいが、そもそもそういう事じゃない」


 既に俺の中では答えが出ている。この条件を飲むくらいなら、自分がネクロガルドへと加入した方がマシである。

 人を犠牲にして得る幸せなぞ、こちらから願い下げだ。


「なら、組織も九条の事、諦めないわよ?」


「いいや。諦めてもらう。俺はお前達が探しているであろうある物を所持しているからな」


 その言葉にピクリと反応を示すケシュア。恐らく、ある程度の予測は出来ているはずだ。


「アモン――と言う名の魔族に、心当たりがあるんじゃないか?」


「――ッ!? ……そっか。やっぱり九条のダンジョンにアモンがいたのね……」


 違うのだが、今はそう言う事にしておこう。

 107番のダンジョンに残されていた遺物の指環は、アモンがネクロガルドにと残した物。それを探し求めているのなら、十分価値のある取引材料である。


「ならば、指環も持っているはずよね? それは何処にあるの?」


 それを聞き、俺がポケットに手を突っ込んだ瞬間だった。

 目の色を変え俺の右手に飛びついてくるケシュア。それに驚き立ち上がると、握った右手を天高く掲げる。

 残念だがケシュアより俺の方が、背が高い。

 そこ目掛けて、ぴょんぴょんと必死に跳ねるケシュアを見ていると、なんというかイジメているみたいであまりいい気分ではない。


「返してッ!」


「返してほしくば……わかるだろう?」


「わかんないわよッ!」


「そんなわけねぇだろ!」


 話し合えば俺の要求を飲む以外に道はないと知っているからこその実力行使なのだろう。

 俺に暴力を振るえば従魔達が黙ってはいない。それを見越してのギリギリのラインなのだろうが、それにしてもこのクソガキムーブはどうにかならないのか……。

 俺に抱き着くその姿はまるで蝉。そこから限界まで手を伸ばしても、届くのは俺の手首まで。

 そもそも届いたところで、ケシュアの力では俺の拳を開く事は出来ないだろうし、奪ったところで逃げられるとでも思っているのだろうか?

 しかし、このままでは俺の理性の方がどうにかなってしまいそうなので、名残惜しくもケシュアの柔肌とはお別れすることに。


「お前に決められないならもう1度エルザと連絡を取ってこい。わかったか? 返事は?」


 流石に観念したのか大人しくなったケシュアは俺から離れ、悔しそうにしながらも無言で深く頷いた。


「返事はッ!?」


「ハイッ! よろこんでぇッ!」

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