第462話 異世界から来た浮浪者

 身構える暇もないほどの不意打ち。ケシュアから出た思いも寄らぬ言葉に、動揺を隠せるわけがない。


「アハッ、やっぱりね! 心の臓が跳ねたわよ? 九条」


 瞬時に俺から離れるケシュア。心の底から喜びを噛み締めているかのような笑顔は、恐ろしくも見える。


 俺の頭の中を駆け巡ったのは、それをどう否定するか――ではなく、自分の身に何が起こるのか――という事だった。

 俺がこの世界に投げ出された時、転生者であることは隠すべきだと教わった。面倒なことになるからと……。

 その『面倒』が、何を意味するのか……。具体的に聞いておけばよかったと、今になって悔やむも、後の祭りである。


「ふふっ……。違うって否定すればいいのに……。言えないわよね? だってカガリがいるもの」


 図星である。どう切り返しても、カガリには知られてしまう。問い掛けられた時点で、俺は詰んでいるのだ。

 侮れないとは思っていたが、ケシュア……いや、ネクロガルドは何処からその結論へと至ったのか……。

 確証はなかったのだろう。半信半疑だからこそ、俺に鎌を掛けた。それもミアとカガリのいる前で。

 じわりと滲む額の汗。全てを見透かしているかのようなケシュアの視線に苛まれながらも、それを逸らす事すら出来ないのは俺が完全に孤立していたからだ。


「言い訳してもいいわよ? 九条は何処出身なの? この世界の住人なら答えられるでしょ?」


「……それをお前に教える義理はない」


「じゃぁ、転生者って事、認めるのね?」


「……モルツ王国、スーパードライ領の南西に位置するキンムギ村だ。酒造が盛んで、特産品は大麦。それから――」


「適当言うのやめさないよ。騙される訳ないでしょ……」


 ささやかな抵抗という奴である。万が一があるかもしれないじゃないか。


「そんなに怯えなくてもいいわよ? それを知られても、九条が考えているような事は起きないから」


 怯えてなぞいない。既に状況を受け入れ、隠すことは諦めた。

 ただ全てが終わった後、ネクロガルドにはどう落とし前を付けさせようかと悩んでいただけ。

 半分は、ただの強がりだ。


「何を根拠に、そう言い切れる?」


「この程度で罰を受けてちゃ、2000年前の勇者はぺナルティだらけでしょ?」


 悔しいが、一理ある。当時の人々は、勇者がこの世界の住人ではないことを知っていた。

 ならば『面倒』とは、ただの忠告に過ぎなかったのだろうか?

 確かに、現在進行形で面倒な事になっているのは間違いないが……。


「おにーちゃんは……勇者様……なの?」


 僅かに震えるミアの声。俺は、その目を直視することが出来なかった。

 この世界に来てから今まで、誰にも話さず心の内に留めておいた事実。叱責も免れない。

 だが、ミアの様子は、思っていたものとは少し違っていた。

 向けられた視線は、何処か影を落としていて不安気。胸に当てられた拳は、それを聞くための覚悟の表れなのだろう。


「すまん、ミア……。確かにケシュアの言う通りだ。――だが、勇者ではない……」


 どう答えればミアを傷付けずに済むのかを思い悩み、結局は正直に話すことにした。

 ミアだって勇気を揺り絞り、自分の過去を俺に明かしてくれたのだ。それに応えずどうするのか。

 随分と時が経ってしまったが、これはチャンスなのだ。ここで明かさなければ一生引き摺ることになる秘密。

 ならば、全てを打ち明けようと、覚悟を決めたのである。


「どちらかというと自由人……いや、浮浪者の方が近いか……」


 自分で言っておいてなんだが、情けない事この上ない。

 成すべき使命もなく、辻褄合わせの為にこの世界に投げ出された独り者。ある意味、勇者とは真逆の存在だ。

 にも拘らず、ミアは大きな溜息をつくと安堵の表情を見せた。


「そっかぁ。よかったぁ」


「良かった……?」


「うん。だって勇者様だったら、一緒にいられなくなっちゃうかもしれないから……」


「ミア……」


 想いをかみしめるように微笑むミア。その顔が俺には歪んで見えた。

 嘘つきだと罵られる事さえ覚悟していたと言うのに、ミアは全く否定することなく俺を受け入れてくれたのだ。それが嬉しくないわけがない。

 ケシュアさえいなければ、ミアを抱き寄せ、すまなかったと猛省していただろう。最初から話しておくべきだったと……。

 そんな俺に身を寄せたのはカガリとワダツミ。


「私は、主が何者でも構いませんよ? そもそも出自なぞ気にして何になりましょう」


「うむ。九条殿は、我が見込んだ九条殿なのだ。出自が怪しかろうと受けた恩は変わらぬ。それを仇で返すようなこと出来るはずがないだろう」


「カガリ……ワダツミ……」


 空気を読んでいるのかいないのか……。ぐいぐいと迫る2匹の魔獣は暑苦しい事この上ないが、今はそれが心地良くもある。


「主。やはり、このメスは危険な存在。ここで消しておきましょう」


「うむ、同意する」


 踵を返し、ケシュアに向き直るカガリとワダツミ。歯茎が見えるほど牙を剥くその姿は、勇ましくも頼もしい。

 だが、ケシュアだってバカじゃない。この状況を想定した上での発言のはずだ。

 俺の秘密が聞けたところで、それを仲間に伝えなければ意味がない。

 ケシュアは、ここで死ぬことはないだろうと確信しているのだ。


「お前達の気持ちは嬉しいが、ケシュアを殺すのはもう少し待ってくれ」


 戦力は圧倒的にこちらが上。たとえケシュアが帰還水晶を割ったとしても、巨大とは言え馬車の中。カガリとワダツミからは逃れられないはず。同様にミアを人質に、とも考えてはいないだろう。

 そもそも、俺達の会話が終わるのを悠長に待ってくれているのだ。それは余裕の表れとも取れる。


「あら。意外と冷静なのね」


「俺が止めるのも計画の内なんだろう?」


「ええ、そうよ」


 俺を高く買ってくれるのは嬉しいが、ケシュアはこの状況を打破するほどの切り札を持っているのだ。

 ならば、お手並み拝見といこうではないか。


「何故、俺が他の世界から来た者だと見抜けたんだ? 話せないってことはないよな?」


「そこからね。いいわ。教えてあげる」


 少し離れたところに腰掛けるケシュア。平常心のようにも見えるが、内心従魔達にビビっていたのが丸わかりだ。

 小刻みに震える指先は、自分の意志で止められるようなもんじゃない。


「まずは九条の過去の足取りが掴めなかったこと。ネクロガルド総動員で調べたにも拘らず、コット村以前の痕跡がまるでなかった。宿帳にも、乗合馬車にも記録がない。かといって、定住して働いてもいない。実力を隠していた可能性もあるけど、名前すら聞かないのはおかしいでしょ? それともう1つは、九条があらゆる言語に精通しているってこと。――知ってる? 2000年前の勇者も獣達と会話することが出来たらしいわよ?」


 前者はまだ言い訳も可能だが、後者は致命的だ。過去の勇者も、俺と同じように言語スキルを与えられていたのだろう。

 だが、それだけで判断するのは少し早計なのではないだろうか?


「それだけか?」


「いいえ。決定的なのは、召喚障害が観測されたから」


「召喚……障害?」


「やっぱり知らないのね。私達は別の名前で呼んでるけど、ミアはギルド職員だし聞いたことあるんじゃない?」


「神様が勇者様を召喚する時に起きる現象のことだって……」


「ハイ正解。でもその現象が何なのかまでは伝わっていない――。ネクロガルド以外にはね。まぁ、知ってたとしても人間には知覚できない現象だけど」


 上から目線で講釈を垂れるケシュア。指先の震えは既に止まり、得意気に話すその姿は天狗そのもの。

 ご丁寧な説明は痛み入るが、正直言ってじれったい。


「もったいぶらずに、さっさと教えろ」


「はいはい、焦らないの。召喚障害ってのは、簡単に言うと世界樹の魔力が逆流する現象のこと。一節には神が勇者を転生させる為に使う魔力――なんて言われてるけど、詳細は不明。逆流した魔力は龍脈を通ってある一点に集中する。そこに勇者が降臨する――って言われてるの」


「そこがコット村だったと?」


「そこまでドンピシャにわかったら苦労しないって。当初のネクロガルドの見立てでは、ベルモント付近。それに、召喚障害が観測されてから実際に勇者が誕生するまで、約5年のタイムラグがあるって伝えられているの」


 誰とは知らぬが、誰かが転生して来るだろう事は知っていた……。

 俺を転生させるのに5年の歳月をかけたと言っていたガブリエルの言葉を思い出し、心の中で舌打ちをする。


「ベルモントにエルザ婆が魔法書店を構えたのも勇者の捜索が目的だし、コット村に移転したのは九条にターゲットを絞ったから。どう? 色々と心当たりがあるんじゃない?」


 むしろ心当たりしかない。ベルモントで見せた魔法書が原因で、ネクロガルドに目を付けられた。

 召喚障害から5年後。勇者の強さは知らないが、小さな村にそこそこの実力者が湧いて出れば、目を引かないわけがない。

 エルザがコット村に引っ越してきたのは、金の鬣きんのたてがみを屠った後。コット村には獣が溢れ、ケシュアの証言もある。そこで確信へと至ったのだろう。

 ネクロガルドを甘く見ていた訳じゃない。……しかし、この執念深さは驚嘆に値する。


「それでね。ついでに聞きたいんだけど、九条は勇者じゃないのになんでこの世界に来たの?」


 それは「用事もないのに何しに来たんだよ」と、言われているようなものである。

 俺だって来たくて来たわけじゃないのに、この仕打ち。穴があったら入りたい……。


「前の世界で殺されたんだよ。神の手違いでな。その詫びに、こっちの世界で自由に生きろと言われただけだ」


「へぇ。流石は神。なんでもアリね……」


「笑いたきゃ笑え。滑稽だろ?」


「何言ってんのよ。笑う訳ないでしょ。九条は災難だったかもしれないけど、私達からすれば天の恵みなんだから喜ばしい事だわ。ミアだってそうでしょ? 九条がいなかったらって考えた事くらいあるんじゃない?」


 俺を見ながらも、無言で頷くミア。

 ケシュアに慰められるとは意外であったが、ネクロガルドが俺を必要としているなら当たり前か……。

 その理由も、なんとなくわかった気がする。


「そこで九条に相談。この事をエルザ婆に報告したいんだけど……」


「その見返りは?」


「九条に対する勧誘活動の停止。でも、決めるのはエルザ婆だから、絶対とは言い切れない」


「ケシュアの見立てでは、どうだ?」


「そうね……。7割……いや、8割は受け入れてくれると思うけど……多分、条件が付くと思う」


 具体的な条件次第だが、妥協点としては悪くない。今後ネクロガルドを気にせず済むなら、精神的にも楽だ。


「いいだろう。結果は何時わかる?」


「メナブレアにもネクロガルドの仲間はいるわ。エルザ婆を説得するだけの時間があれば……」


「わかった。ひとまずはそれで手を打とう」


 どうせ転生者だと気付かれているのだ。今更それが確定したところで、どうという事はない。


「主、本当にいいのですか?」


「ああ。ケシュアが嘘を言っていないなら大丈夫だろう。何を求められるのかは、何となくわかるからな」


 心配そうに俺を見つめるカガリとワダツミ。その不安を解消させるという意味を込め、2匹の首筋を優しく撫でる。

 恐らく、ネクロガルドが求めているのは俺ではなく、俺の中にある異世界の知識。

 2000年も前の知識を受け継いでいる組織。その知識欲が並でない事は、周知の事実。

 魔法文明の知識と異世界の知識。その相乗効果は、世界に技術革新をもたらす新たな風となり得るもの。

 ネクロガルドが俺から手を引く条件。それが知識の提供なのだろう。

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