第425話 アフターフォロー

 九条を含む全ての招待客は帰郷し、ニールセン公のお屋敷はいつもの平穏を取り戻しつつあった。

 とは言え大規模な結婚式。その余韻を楽しむ暇もないほどに忙しなく動いているのは、何十人といる屋敷の使用人達。

 後片付けだけではない。式に招待されなかった者達からの来訪は後を絶たず、ニールセン公とアレックスのスケジュールはギチギチだ。

 しかし、そんな1日もニールセン公には些事に過ぎない。むしろ本番はそれが終わった後のこと。


「それで? 今回の戦ではどれくらい徴兵できそうだ?」


「はっ! 恐らくは3000程かと存じます」


「使者からの返事は?」


「いえ……伝令からの連絡はまだ……。帰還後すぐにご報告致します!」


「そうか……。わかった。下がってよいぞ」


「はっ!」


 金属の鎧をがちゃがちゃと擦り合わせ立ち上がる騎士の男は、ニールセン公に一礼すると静かに書斎を出て行った。


「ふぅ……」


 気持ち的には前かがみに聞いていたニールセン公にも疲れが見え、小さな溜息をつくと座っていた椅子に身体を預ける。


「一難去ってまた一難か……」


 ヴィルヘルムの陰謀を未然に防ぎ、結婚式は盛大に幕を閉じた。それ自体は喜ばしい事であるが、ヴィルヘルムの返還交渉が始まるまでは予断を許さない状態だ。

 国王陛下の裁可があるまでは、何としても領土を守り切らなければならない。防衛拠点であったフェルス砦がなくなってしまった影響は計り知れず、戦場で両軍が交戦することになれば、その被害はいつもの倍かそれ以上が予想される。

 もちろんニールセン公は九条に文句を言うつもりはない。フェルス砦と息子の嫁の命。天秤にかけられるわけがないのだ。

 砦の再建にはすぐに着手する。とは言え、一朝一夕で元に戻せるわけがなく、ニールセン公が頭を抱えるには十二分な要素であった。


「砦の再建は急務。カネに糸目は付けぬが、人手には限りがある……。やはり恥を忍んで九条にはもうひと働きしてもらうべきだったか……。しかし、これ以上甘えるわけにも……」


 ニールセン公が頭を悩ませると、真っ先に浮かんでくるのは九条の事。

 九条なら……という考えが、頭から離れない。ニールセン公の中では九条は既にスーパーヒーローだ。

 自分に娘がいれば是非婿にと言いたいくらいだが、それに振り向く男ではないと知っている。

 王女のナイトという破格の待遇を提示されても断る男だ。公爵とは言えニールセン公にそれ以上の褒美を与えることなぞ出来やしない。

 九条の扱いにくさはピカイチで、ある意味堅物と言っても差し支えはないだろう。


「はぁ……。九条が私の部下であったらなぁ……」


 椅子にもたれ、天を仰ぎながらも叶わぬ願いを口にする。それは最早恋する乙女。九条が聞けば、顔を激しく歪めそうな台詞であった。


「そのお気持ちはわかりますが、まるでお父様とは思えない発言ですね……」


「――ッ!?」


 気が付くとニールセン公の前には、呆れた表情を浮かべるアレックス。


「アレックス、いつからそこにッ!?」


「たった今です。ちゃんとノックもしましたよ? 気付かなかったんですか?」


 それだけ苦悩しているのだ。昔のニールセン公であれば自分の不注意を棚に上げ、開き直ってアレックスを怒鳴りつけていただろう。

 しかし、今は違う。ニールセン公は、己の弱さを見せてしまったことに不甲斐なさを覚えながらも、大きく咳払いをして背筋を伸ばす。


「オッホン! それで? 何の用だアレックス」


 アレックスは、まるで何事もなかったかのように振舞うニールセン公に愛嬌を感じながらも、笑わぬ様にと必要以上に真剣な面持ちで本題を切り出した。


「フェルス砦が竣工するまでの軍事作戦に関する事なのですが……」


「ああ。そのことか。私もそのことで悩んでいたのだが……。もしや戦場に出たいと言うつもりではあるまいな? 嫁を取り一人前の証として武功を急ぐ気持ちもわかるが、まだその時ではない」


「わかっています」


「ではなんだ? 何か妙案でもあるのか?」


「妙案と言いますか、九条さんの事で少しお話が……」


 どう切り出していいものか決めあぐねているような、そんな口ぶりのアレックス。

 どっちつかずなその態度を奇妙に感じながらも、ニールセン公はアレックスの言葉を待った。


「九条さんが帰る少し前。レナが九条さんに死霊術で今後の運勢を占ってもらったみたいで……」


「ふむ。女性であれば占いに興味があるのも不思議ではあるまい?」


「はい。僕も隣で見ていたのですが、問題はその結果のほうで……」


「ほう。どんな感じであった? 占いに興味はないが、九条の死霊術であれば一見の価値はあっただろう?」


「そ……そうですね……。薄暗い部屋で聞いたことのない呪文を口にしながら頭蓋骨の上に大きな蝋燭を立て、空中でろくろを回すかのような手付きでぐるぐると……」


 その様子を想像し、顔を歪ませるニールセン公。話だけを聞くなら呪いの儀式と言っても通じるだろう気味の悪さだ。


「で? その結果は?」


「ここより東の地で、天より恐怖が舞い降りる。金城湯池きんじょうとうちを築きし者には守護の祝福を。それを犯す者には天罰が下るであろう。その恩恵を享受したくば、紅き誓いを供物に捧げよ――と……」


「どういうことだ?」


 眉間にしわを寄せるニールセン公に、アレックスは首を横に振った。


「九条さんはそれ以上教えてくれませんでした。よくはわかりませんが、占いの結果には介入しないのがルールなのだと……」


「なるほど。それで私に報告に来たと言う訳か……」


「はい。天からの恐怖が何を指しているのかわかりませんが、金城湯池きんじょうとうちはフェルス砦のことを暗示しているのではないでしょうか?」


「うむ。ここより東と言うなら、それ以外には考えられんだろう。だが、紅き誓いとはなんだ?」


「……血……でしょうか? 遥か昔には血を使った契約があったと学院で聞いたことが……」


「可能性としてはあり得るが、それでは本末転倒ではないか? 血を流さぬための防衛策であろう?」


「確かに……」


「これだから占いなどという不安定なものは好かんのだ。抽象的すぎる!」


 時の流れが止まってしまったかのような静寂に包まれた書斎は、耳鳴りがしそうなほど。

 難しい顔をしながら腕を組み、顎に手を当て天井を見上げる2人の姿は瓜二つ。お互いが頭を悩ませるその様子は、見紛う事なき親子である。



「お二人とも何をそんなに悩んでおられるのです?」


「「――ッ!?」」


 そのやわらかい声の主はレナ。いつの間にかアレックスの隣で不思議そうな顔を向けていたのだ。


「レナ! いつからそこに!?」


「たった今ですけど……。ノックもしましたよ?」


 先程のニールセン公と同じ反応をしてしまったアレックスは、自分でそのことに気が付くと、血は争えないと閑適な気分に浸る。


「おお。丁度よかった。今アレックスと九条の占いの話をしていたのだ」


 渡りに船である。占い好きの女性ならば、抽象的な表現の見識があるのではないかとニールセン公の表情は少しの明るさを取り戻し、僅かに笑顔を見せた。

 最悪わからずとも3人寄れば文殊の知恵だ。何か妙案が産まれるかもしれないと期待を胸に膨らませたのである。


「はい。私もそのことでお伺いしました。……その前に1つお聞きしたいのですが、お二人は九条様の占いを信じるのですか?」


 それを聞いて目を丸くしたアレックスとニールセン公。2人は既に信じる前提で議論していたのだ。

 相手はプラチナプレート冒険者。その実力は折り紙付き。九条を信じないで誰を信じると言うのか。

 レナに当たり前のことを突きつけられ、2人はどれだけ九条が自分達にとって大きな存在であるのかを再認識したのである。


「もちろん信じるつもりだ。だが、それは占いではなく九条だからだ」


「僕もです。結果がどうあれプラチナ以上の実力者はいない。恐らくは最も的中率の高い占いなのは間違いない」


 レナが不安だったのは、九条の言う『紅き誓い』に対する自分の答えが合っていると確信していたから。

 貴族という立場でそれを口にするには、相当の覚悟が必要だった。公の場では絶対に口には出せぬ事なのだから。

 ニールセン公の心持次第では、死よりも重い罰を下されるかもしれない。だからこそ2人が九条をどれだけ信じるかを聞いておきたかったのだ。


「九条様が占いの結果として『紅き誓い』と口にしたほんの一瞬、その視線が私の左手に移ったのです。大きな違和感ではなく、当時はそれほど気にはしていなかったのですが、先程ようやくその意味を理解したのです」


 そう言って左手の甲を上げて見せるレナ。


「誓い……というのは、指輪の事なのではないかと……」


「ふむ、一理ある。確かにその可能性はあるが、それのどこに紅の要素が?」


「……恐らく……恐らくですが、それは公爵様の左手に……」


 ニールセン公はハッとして自分の左手に視線を移した。そこには2つの指輪が嵌められていたのだ。

 1つは自身の結婚指輪。そしてもう1つは紅く輝くルビーの指輪。それは第2王女派閥の証であった。

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