第310話 一騎打ち
目の前には大トカゲに乗った盗賊団。
「
バイスが腰の魔剣を抜くと、鞘から炎が溢れ出す。
弧を描くような軌跡。燃え盛る紅蓮の炎を纏った剣とそれを反射させ赤く輝くプレートの鎧。
誰が見ても惚れ惚れするようなカッコよさだが、冷静に見れば戦闘狂である。
魔剣の炎が影を作り薄気味悪く微笑むバイスには、畏怖を覚える者もいるだろう。
その隣に並び立つのは2匹の魔獣。ワダツミとコクセイだ。
「九条殿。あのトカゲは食ってしまっても構わんのだろう?」
「……好きにしろ……」
コクセイは相変わらずの食い意地だ。
炎の魔剣を持つ戦士に4匹の魔獣達。可憐な少女にプラチナプレートの冒険者。
ミアの存在だけが少々アンバランスではあるものの、それを前に恐れぬ者などいないだろう。
(俺だってこんなのと正面切って戦うのは御免被る……)
それは相手も同様だ。後退る盗賊達には、さすがの九条も同情を禁じ得ない。
「おいおい。なんだか懐かしい顔が出てきたじゃないか」
その声は盗賊達の中から聞こえた。そこから姿を見せたのは、大トカゲに乗った老戦士。
スキンヘッドが眩しく、立派な白髭はドワーフを連想させるが人間だ。プレートの鎧に金属製のタワーシールド。槍は持たず、腰には1本のロングソード。
装備の質からして、恐らくは盗賊達の親玉だろう。本当に老人なのかと疑うほどの筋肉量は、自信の表れと言っても過言ではない。
「久しいな。ガルフォード卿」
「……グラーゼン……さん……」
「えっ!?」
バイスは信じられない者でも見るように目を見開くと、戸惑いが如実に表れる。
九条達の前に立ちはだかる老戦士こそが、バイスの師であるグラーゼンその人なのだ。
久しぶりの再会は感動的とは言い難く、素直に喜べる状況ではなかった。
「色々と噂は聞いているよ。随分と活躍しているじゃないか。師としては喜ばしい限りだ」
「何故……あなたがここに……」
バイスの声は震えていた。
「それはこちらが聞きたいね。なんとなくはわかるが、貴族だものなぁ。運命とは皮肉なものだ」
「俺はあなたに会いに……」
だらりと下げた魔剣の炎は弱々しい。
「わかっているとも。正直に言って君達には勝てないだろう。良き仲間に恵まれたな……」
「なら……」
詰まる言葉はそれほどの衝撃。
「だが、私もここで諦める訳にはいかないのだ……」
グラーゼンは腰のロングソードを抜き、それをバイスへと向けた。
その剣は王家の紋章が入った特別製。魔剣のような特殊な物ではないが、国王から賜ったグラーゼン専用の唯一無二の剣である。
「我が名はゲイルハード・グラーゼン! 貴殿等に一騎打ちを申し込む! 我こそはと思う者は我が前にて己が力を示せ!!」
先程までの柔らかな物腰は消え、戦う者の信念を高らかに宣言する。
耳の奥が痺れるほどの覚悟を見せつけられ、外野はシンと静まり返った。
一騎打ち。それは1対1を原則として正々堂々と決着をつける勝負法。必ずしもそれを受ける必要はないが、グラーゼンはわかっていた。
相手は自分の弟子なのだ。これを受けないはずがないと……。
「九条。俺が行く……。手出しは無用だ……」
バイスから差し出されたのは、炎の魔剣イフリート。常識外れの武器を使えば勝利は揺るぎないものとなるだろう。
更に言えば、一騎打ちなぞ受けずに皆の助けを借りれば、盗賊団なぞ一網打尽に出来るはず。
(だが、それでは意味がない……)
バイスの目標。それは自分の師を超えること。相手と同じ条件でなければ、それを成した事にはならないのだ。
グラーゼンはその身を盗賊へと落とした。ならばこのような機会が訪れることは、この先二度とないだろう。
「そこの騎士! 剣を貸せ!」
いきなりの指名に動揺を隠せない騎士であったが、バイスの迫力に押され腰のブロードソードを差し出した。
鈍く輝く刀身は細かい刃こぼれが多く、ギルドの訓練用貸出武器の方がまだマシなレベル。
これも盗賊達との戦いの傷跡だと思えば仕方のないことではあるが、手入れ不足感は否めない。
バイスはそれを軽く振るった。簡単には取れそうにない癖に舌打ちが漏れる。
乗っていたトカゲから降りたグラーゼンは、バイスと対峙した。齢70とは思えぬ肉体。バイスよりも一回り大きな体格は、年齢差を埋めるハンディキャップにも見える。
2人に開始の合図は必要なかった。お互いが徐々に歩み寄り、少しずつその速度を上げていく。
1秒でも早く己が剣を交えたいが為に。
盾と盾とを打ちつけ、火花が舞い散ると同時にその火蓋が切られた。
「「おおおぉぉぉぉ!!」」
周囲から上がる大歓声。それは大気を揺らすほど。初撃から本気のぶつかり合いだ。
お互いが1歩も引かず、ガリガリと擦れる金属音は単純な力比べなどではなく、次の一手への高度な読み合いでもある。
どこで引くのか……。引いた相手を追撃するのか……。それとも自分が引くべきか……。それはフェイントかもしれない……。
力の抜き加減。それはどちらも同じタイミングであった。両者が後方へと飛び、剣を振り上げ打ちつける。
鳴り響く金属音。そして鍔迫り合い。お互いの力はほぼ互角であったかに見えた。
「何故だ……。何故盗賊なんかにッ!」
「おや? 私は戦闘中に敵とお喋りをしろとは教えなかったはずだが?」
何かの気配を感じ、相手の力を利用して後方へと飛ぶバイス。そこには片足を上げているグラーゼン。
そのまま鍔迫り合いを続けていれば、その足で蹴り飛ばされていただろう。
「ほう。随分と腕を上げたものだ」
確かに力は互角だが、精神的に落ち着いていたのはグラーゼンだ。
バイスの表情には迷いが見え隠れしていた。未だに信じられないのだ。気高く誇り高い騎士の中の騎士。あこがれの対象であり到達点。自分の理想であったグラーゼンが、よもや盗賊などに落ちたとは……。
「戦闘中は喋らないんじゃなかったんですか?」
それに目を丸くしたグラーゼンは、ほんの少しだが口元を綻ばせた。
「私もまだまだだな……」
その瞬間、グラーゼンが一気に距離を詰めると、バイスに連打を浴びせたのだ。
盾からの打撃を弾くと、今度は思っても見ないような所からの斬撃がバイスを襲う。
盾は防御の為にあらず。それがグラーゼンの心得。盾は相手の視界を遮り、次の一手を読ませないための手段なのだ。
どんな達人であれ、見えない攻撃を防ぐことは難しい。
もちろんバイスは、それに対する対処法も教わっている。いかに僅かな情報でさえ見逃さず、そこから次の一手を読む
踏み込まれるつま先の角度。相手の引くタイミング。そして呼吸の乱れ。
バイスはグラーゼンから繰り出される変幻自在の攻撃を全て弾き返し、反撃の機会を窺っていた。
とは言え、打ち込まれる一撃はまるでハンマーで叩かれたかのように重い。
盾を持つ手が痺れ、それは徐々に痛みへと変わる。
「くっ……」
バイスの師とは言え、体力には限界がある。
(この猛攻を防ぎきれば、反撃の機会が必ずあるはずだ……)
相手はすでにピークを過ぎた老騎士。持久戦ではバイスに分があるかに思えたのだが、それは中々訪れない。
「どうした? 盾が下がってきているぞ?」
(そんなわけがない。これも相手の作戦……。動揺を誘っているだけだッ……)
グラーゼンの掬い上げるような斬撃を、下半身に力を込めて受け止めるバイス。
更に押し込まれた盾で体勢を崩され、バイスは振り下ろされる斬撃を剣で弾き返す。その衝撃は、骨が軋むほどの威力だ。
(くっ……。やはり一筋縄では行かないな……)
バイスが冒険者を続けている本当の理由。それは研鑽を積むことにあった。
いずれは師を超えることを剣に誓ったのだ。それがグラーゼンとの最後の約束。
しかし、それはまだ先であった。まだそこに届かないことは、薄々気が付いていたのだ……。
どれくらいの時が流れただろうか。未だ鳴りやまぬ金属音に、周囲は声を上げることすら忘れていた。
闇の中から音だけが響く。松明程度では全てを照らし出すことは出来ず、刀身の反射が辛うじて見えるだけである。
それがほんの僅かであるが街の側へと寄って来ているのだ。少しずつナメクジのようにゆっくりと。
そして、2人が松明の光に照らされると、その状況が明らかになった。
押されているのはバイスの方。苦痛に歪む表情には悔しさも滲み出ていたが、まだ余力もあったかのように見えた。
しかし、無情にも決着の時は訪れる。
凪いだグラーゼンのロングソード。その威力は少しも衰えてはおらず、バイスにだってそれを受け止める余力は残されていた。
耐えきれなかったのは、騎士から借りたブロードソード。歪んだ金属音が響き渡ると、それは根元から真っ二つに折れたのだ。
宙へと舞った刃先が石畳へと落ち、カラカラと音を立てながら九条の足元へと転がっていく。
「決着だ……」
隙を見せたバイスの盾を弾き飛ばすグラーゼン。そしてお互いの目が自然と合った。
バイスは笑っていた――
次の瞬間。その表情が苦痛に歪み、下腹部からは真紅に染まる刃が突き出ていた。
それを伝い滴る鮮血。バイスは腹の底から沸き上がる痛みに必死に耐えながらも、力なくグラーゼンへと倒れ込む。
「バイスさん!!」
「動くな!!」
1歩前へと踏み出す九条に、グラーゼンが吼える。剣が抜かれ、傷口を必死に押さえようとするバイスの目は虚ろ。
グラーゼンはそんなバイスを抱き抱え、大トカゲに乗せたのだ。
「引き上げだ!!」
グラーゼンの号令と共に踵を返す盗賊達。九条はそれを阻止しようと、魔法書を開いた。
自分の秘密がバレようとも止めるべきだと思ったのだ。たとえグラーゼンがバイスの師であろうが、九条には一瞬にしてその命を絶つ自信があった。
(騎士道? 一騎打ち? そんなもの俺の知ったことか。それは既に終わったのだ。ここからは好きなようにやらせてもらう!)
そして九条が無慈悲な右手を盗賊達へと向けたその時だ。
「九条! 来るな!!」
そう叫んだのはバイスであった。あれだけ深い傷を負いながらもそれだけの声量。それに一瞬怯みはしたものの、九条の考えは変わらなかった。
再び盗賊達へと手のひらを向ける。しかし、それを止めたのはカガリだ。
「待って下さい主! あれは嘘です!」
「――ッ!?」
九条の頭に登っていた血が、一気に冷めた。
(一体何の為に嘘を付いた? 助けてほしいのか? 何故それを正直に言わずに嘘を? バイスはカガリが真実を見抜くことを知っている。それを利用したのだとしたら……)
「カガリ! ワダツミ! 一緒に来い!」
九条はワダツミに飛び乗ると、ミアを乗せたカガリと共に盗賊達を追いかけた。
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