第251話 三十六計逃げるに如かず

 フィリップとシャーリーが街を出てから、恐らく2キロほど。どちらも息は絶え絶えだ。

 そんな状況の中、フィリップは街道のど真ん中で突然足を止めた。

 シャーリーはそれに飛びつくようなことはせず、一定の距離を空けて自分もゆっくりと立ち止まる。


「もういいでしょ? このことは報告しないであげるから弓を返して」


「……俺だってここまでしたくはなかった。シャーリーが仕事を引き受けてくれれば、こうはならなかったんだ」


 会話をしながらも周囲の状況に気を配るシャーリー。既に自分が何者かに包囲されていることは知っていた。それでもフィリップの良心に賭けたのだ。

 最後の最後まで諦めたくなかった。かつての仲間が悪事に手を染めるところなんて見たくはなかった。まさか、ここまで堕ちてしまうとは思いたくなかったのだ。

 雑木林の暗がりから姿を現すゴロツキ風の男達。数は12。多勢に無勢だ。


(盗賊じゃない。恰好は似せているけど、構え方が素直すぎる……)


 そこから読み取れるのは違和感。恐らくは何処かの騎士。手練れではないが、それなりに訓練を積んでいる者達だ。

 シャーリーの手に握られているのは、新しく買った慣れない短剣。長く走った所為で体力は消耗していて、満足に戦える状況ではない。


(こりゃ勝てないなぁ……)


 ゴロツキ達は北と南で二手に別れ、シャーリーを挟み込む。自分の行動が読まれているのは、フィリップの入れ知恵だろう。逃げ道は塞がれたも同然だった。


(私のやり方は筒抜けか……。やりづらいなぁ……)


 シャーリーは苛立ちを隠せず、辺りには盛大な舌打ちが響く。


「シャーリー。大人しく捕まってくれ。抵抗しなければ悪いようにはしない。学院の試験が終われば、この弓と共に解放すると約束する。だから……」


「だからなに!? かつての仲間を裏切るほどダンジョンの地図が欲しかったの? そんなに貴族様とお金が大事!? あなたがどれだけの報酬を貰えるのか知らないけど、悪事に手を染めるような人じゃないと思ってた。でも、それも今日で終わり」


 フィリップを強く睨み返す。それがシャーリーの答えだからだ。


(フィリップは私を裏切った。でも、私は九条を裏切らない!)


 フィリップがここまでの事をしたのであれば、もう後戻りはしないだろうと、シャーリーは気持ちを切り替えた。


「交渉決裂か……。じゃぁ、無理やりにでもついて来てもらおう。……お前達、やれ!」


 フィリップは最後にそれだけを言い残すと、暗がりへと姿を消した。シャーリーがそれを追いかけるには、ゴロツキ共をどうにかしなければならない。


(捕まっても、殺されることはないだろうけど……)


 フィリップが欲しいのは、ダンジョンの詳細な地図。学院の試験の為にここまでするのかとも考えたが、相手は貴族。崇高なお考えがあるのだろうと、シャーリーは鼻で笑った。


(相手の練度にもよるけど、刺し違えてでも殺れるのは精々3人。……ここで九条がカッコよく助けに来てくれて、ズバッと敵をやっつけてくれれば……)


 そんな他力本願な妄想がシャーリーの頭に浮かぶも、すぐにそれを否定する。


(そんな、白馬の王子様じゃあるまいし……)


 そんなことを考えている余裕なんてないのに、もしかしたらと期待してしまう自分に思わずクスリと失笑したシャーリーであったが、すぐにスイッチを切り替えた。

 新品同様の短剣を両手で持ち、姿勢を低く構えると、息をゆっくりと吐き出す。

 得意の弓は奪われてしまったが、短剣だって最低限は扱える。とは言え、勝てない相手に向かっていくほど馬鹿じゃない。自分に有利な状況を作るのは戦闘の基本。


(出来れば使いたくはなかった手だけど、仕方ない。後で九条には謝ろう)


 ジリジリとにじり寄るゴロツキ達には目もくれず、シャーリーは左脚にありったけの力を込め、大地を強く踏みしめた。

 その溜まった力で地面を一気に蹴り出すと、逃げるように東の山へと駆けたのである。

 森の中は光の届かぬ暗黒の世界。追手を巻く為には明かりを点けるわけにはいかない。

 シャーリーは、逃げ出した自分を諦めてくれればと、淡い期待を胸に走り続けるも、確実に追手は迫って来ていた。


 走る事数分。シャーリーの目の前に現れたのは、洞窟の入口らしき横穴。


(ここに来るのは何度目かな……。3回……いや、4回目かな……?)


 そこは九条の管理するダンジョンの正門側。夜に訪れるとより一層不気味な場所だ。

 迷っている暇はない。シャーリーは更に深い闇の中へと潜って行く。

 とは言っても、何度も訪れた場所である。炭鉱で迷った時と比べれば、こんなものは朝飯前。

 それにシャーリーには見えていた。トラッキングに映る魔物の反応。ノルディックの成れの果て。デュラハンである。そこを目指すだけで良かったのだ。

 それを知らずに洞窟へと足を踏み入れたゴロツキ達。


(彼らはいくらで雇われたのだろう。その金額が自分の命の値段だと知っているのだろうか……)


 そんなことを考えながら洞窟を進み、シャーリーはデュラハンの前へと立った。

 相変わらず、この世のものとは思えないほどの威圧感。それは恐怖そのものだ。

 後ろには封印された大きな門。それが薄っすらと輝いていて、デュラハンのシルエットが地面に映し出されていた。


「お願い! 助けて! 悪い奴等に追われてるの! フィリップからこのダンジョンが魔法学院の試験で使われる事を聞いた。それが本当かはわからないけど、九条に会って伝えなきゃいけないことがあるの!」


 シャーリーは、追って来ているゴロツキ達には聞こえない程度の声量で懇願した。

 ダンジョンの管理者と呼ばれている108番なる者が存在していることは、九条から聞いて知っていた。


(九条は、遠くにいても管理者との意思疎通が出来るはず……。あの時、ミアちゃんがダンジョンへと運び込まれたことを知ってたのは、多分そういう事なんだと思う……)


 デュラハンは恐らく味方。無理に門を開けようとしなければ、襲ってはこない。

 108番がシャーリーの声を届けてくれるのかは一種の賭けであったが、これがシャーリーが助かる唯一の方法であった。


(たとえ門を開けてもらえなくとも、状況だけでも九条に伝われば……)


 時間にして30秒ほど。洞窟内にもかかわらず、シャーリーの首筋に一凪ぎの風が通り過ぎた。そして封印の門は、音もなくゆっくりと開いたのだ。


「ありがとう!」


 満面の笑みを浮かべるシャーリー。そのままデュラハンの横を走り抜けると、振り返らずに一気に階段を駆け降りた。

 後ろから聞こえてくる数多の悲鳴。それには耳を傾けず、今度はひたすらにダンジョンの抜け道である炭鉱を目指した。

 もう追手はいない。慎重に炭鉱を進んでいくと、シャーリーは蒼く揺らめく光の存在に気が付いた。

 それは月明りなどではない優しくも力強い輝き。幾度となく見て来たそれを、シャーリーは知っていたのだ。


「大丈夫かシャーリー!? 何があった!」


 炭鉱の出口で待ち構えていたのは九条。ワダツミと白狐もいる。やはり自分の考えは間違っていなかったのだと、シャーリーは頬を緩めた。


「……ごめん……九条……」


 それを最後に、張り詰めていた緊張の糸が一気に解れたシャーリーは、そのまま意識を無くし、九条に倒れ込むようもたれ掛かった。

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