第191話 失墜のグリンダ
またしても部屋の扉から聞こえるノックの音。それはリリーすらも予期せぬ来訪者であった。
「はい」
リリーがそれに答えると、帰ってきた答えに度肝を抜かれた。
「私だ」
「お父様!? ど……どうぞお入りくださいませ」
「「陛下!?」」
扉を開けたのは国王であるアドウェール。数人の従者を連れての来訪である。
皆それに驚きを隠せず飛び上がると、すぐに目の前で跪く。もちろん九条もだ。
(恐らくは俺に話があるのだろうが、問題はその中身だ……。国王の娘であるグリンダの婚約者を殺した。世間的には無罪となったが、それに納得していない可能性は大いにあり得る……)
リリーが国王に自分の椅子を差し出すと、それに腰掛け、アドウェールは皆にも座るよう促した。
大きな円卓ではあるが、国王が目の前に座っているというだけで、それも小さく見えてしまうほどの圧である。
もちろんシャーリーはガチガチに緊張していて、今にも吐きそうになっていたが、さすがのバイスも王の御前では笑えない。
ピリピリとした緊張感が漂う中、アドウェールは九条をしっかりと見据え、いきなり頭を下げたのだ。
「すまなかった。私がグリンダを御せなかったばかりに、こんなことに……」
そこにいた全ての人が驚きのあまり言葉を失った。王冠がずり落ちそうなほど頭を傾けたアドウェールはそのまま固まり、しばらく頭を上げなかった。
それに慌てたバイスとリリーが、早く頭を上げるように言えと必死に九条にジェスチャーを送る。
「陛下。頭を上げてください。陛下の所為ではありません」
その一言でようやく頭を上げた国王を見て、全員が胸を撫で下ろした。
アドウェールはノルディックが王座を狙っていることを知っていた。老いてはいても国の最高権力者である。王派閥も存在し、その力は強大だ。
それを知っても尚泳がせていたのは、国益を上げる為に必要な人材だったからだ。故に第2王女との繋がりを黙認しつつも、ノルディックに貴族位を与えなかった。その野心を利用していたのである。
国の運営には人が必要だ。優秀であればあるほどその価値は高い。ノルディック然り、九条然りだ。
九条もプラチナプレート冒険者だ。アドウェールは、ノルディック同様に国の為に働いてもらおうとは思っていた。だが、九条には利用するほどの野心がなかったのだ。
アドウェールがそれを知ったのは、リリーとの何気ない会話からであった。
「リリー。つかぬことを聞くが、九条は良く働いておるか?」
「いえ、お父様。九条には何も頼んでませんよ?」
「だが、プラチナの冒険者を引き入れたのだ。それだけの出費もあろう?」
「いいえ。九条には派閥の証しか渡しておりません。彼は何より自由を好みますので。必要な時だけお力をお借りできれば十分ですから」
アドウェールは、グリンダがノルディックにどれだけ金をつぎ込んでいるかを知っている。それは国民が暴動を起こしかねない額であり、おいそれと公表は出来ない。
(リリーが私に嘘をつくとは思えないが、そんな無欲な人間がいるものか)
アドウェールは九条を調べ上げたが、やはりリリーは嘘をついてはいなかった。
ならば
(リリーの人徳がそれを可能としているのか、それとも九条が特殊なのか……)
その答えは両方であった。リリーには人を引き寄せる力があり、九条には欲望がない。それらが上手く噛み合ったのだろうとアドウェールは結論付けた。
それは絶妙なバランスで保たれている天秤のようなもの。リリーと九条の繋がりがガラスのように繊細なのだということを理解したアドウェールは、出来るだけ触らないよう細心の注意を払っていた。その絆が育つのをじっくり待つつもりでいたのだ。
それを踏み
ミアと九条は2人で1つ。それが九条がプラチナであることの絶対的最低条件。故にアドウェールはそれをミアの褒美として認めたのだが、グリンダはそれを反故にしようとしたのである。
国王の娘とはいえ、さすがのアドウェールも肝を冷やした。だからこそ自らも九条に頭を下げたのである。
「陛下は何も悪くありません。悪いのは第2王女でしょう? 第2王女が頭を下げるべきでは?」
九条の言葉は当然の事。だが、相手は国王である。安堵していた皆は、再び血の気が引いた。
今回の件で、九条は変わった。流されているだけではダメなのだということを悟ったのだ。
「はっはっは……。そう言われると思っていたよ」
アドウェールはそれに嫌な顔ひとつせず、高らかに笑い声を上げた。そして連れてきた従者に目配せすると、一礼したのち従者は部屋の扉を開け放った。
そこに立っていたのは他でもない、第2王女グリンダ本人である。
悲しそうな表情を浮かべるグリンダ――ではなかった。その表情は100歩譲っても反省しているとは思えない、悔しさに怒りを滲ませる表情。
グリンダは、従者に促され部屋に入るもただ茫然と立ち尽くし、九条だけを睨みつけていたのだ。
その姿を見たアドウェールは、深くため息をついた。
「グリンダ。九条に謝罪を」
「ですが、お父様! 九条は私のノルディックを殺したのですよ!?」
それはただの感情論だ。決着は既についている。
(まさか、この期に及んでまだそんなことを口にするとは……)
誰もが心の中で、そう呟いた。もちろんアドウェールも例外ではない。
そもそもグリンダが九条に手を出さなければノルディックが死ぬことはなかった。グリンダは、その責任が九条にあると信じて疑わないのだ。
(私は王族なのよ! 言う事を聞き入れない九条が悪いに決まっている!)
それを聞いた途端。温厚とまで言われるアドウェールが感情をさらけ出し、円卓を強く叩きつけるとグリンダを怒鳴りつけた。
「いい加減にしろ! いつまで子供気分なのだ!」
「――ッ!?」
「お前は罪を犯したのだ! まだわからないのか! もうお前を守ってくれる貴族達もいない! 王族でありたいのならば頭を下げよ!」
さすがのグリンダも、それには従わざるを得なかった。観念したかのように地面に膝をつくと、深く頭を下げたのだ。
「ぐぅぅぅぅッ……」
その表情は悔しさで溢れていた。お世辞にも反省しているようには見えないが、王の御前だ。完全に溜飲を下げられるほどの謝罪ではなかったが、九条も許さないわけにはいかなかった。
(形だけとは言え、謝罪は謝罪。この辺りが落としどころか……)
グリンダの謝罪が済むと、アドウェールはゆっくりと立ち上がった。
「突然の来訪、すまなかったな。リリー」
「い……いえ……お構いなく……」
リリーは言葉を詰まらせた。それもそのはず、国王がこれほどまでに怒りを露にしたのをリリーは見たことがなかった。同様にグリンダの土下座もだ。
あまりの出来事に、動揺を隠せてはいなかったのである。
アドウェールがグリンダを引き摺るように部屋を出ると、シンと静まり返る室内に2人の足音だけが響き渡る。
やがてそれも聞こえなくなると、頭を抱え声を上げたのはバイスだ。
「九条! おめぇ陛下に意見するとかやめてくれよ! 心臓が止まるかと思ったぞ!?」
「俺は当然のことを言っただけです」
「はぁ。まぁ過ぎたことは仕方ないが、次は俺のいない所で頼むわ。正直言って、どんな強い魔物よりも九条の方が恐ろしいよ……」
言い得て妙である。皆その意見には深く頷いた。
想定外の来訪者により大幅に時は過ぎ、日が傾いてしまっていることに気が付いたリリーは、冷めてしまったお茶を一気に飲み干した。
「では、私もそろそろお暇しましょう。寮に戻らなければならないので」
「寮……ですか?」
「ええ。九条は、ネストが現在魔法学院で教鞭をとっているのはご存知ですよね?」
「はい」
「無理を言って私もそこの生徒にしてもらったんです。もちろんお父様の許可もいただいていますよ? 王宮から通うことも考えたのですが、寮からの方が近いですし、毎回馬車で送り迎えというのも目立ってしまいますしね。何より他のご学友の方々との共同生活も体験してみたかったので」
「そうなんですね。……その……勉強は楽しいですか?」
「ええ。毎日が新鮮の連続で面白いです」
リリーの笑顔が眩しく輝き、九条はそれを直視出来なかった。産まれてこのかた勉強が楽しいなんて思ったことがないからだ。
(子供の頃の楽しい授業といえば、体育と図工くらいだったが、魔法の授業は面白そうだな……)
九条は、グリンダにリリーの爪の垢でも飲ませてやればいいのにと思いながらも、皆でリリーを見送った。
「じゃぁ、俺達も引き上げるか!」
「そうですね」
「まぁ、また何かあれば言ってくれ。九条の頼みならいくらでも手伝ってやるからさ。俺達はもう仲間だ! なぁシャーリー?」
「ええ。そうね。九条なら大歓迎よ」
「……できればそうならないよう努力しますが、よろしくお願いします」
半ば諦めの境地の九条だが、2人の心強い後押しで、ほんの少し笑顔を取り戻せた気がした。
「もちろんタダってわけじゃないけどな!」
「わかってますよ。ちゃんと報酬は払います」
それを聞いたバイスは、首を横に振った。
「そうじゃない。報酬はいらんから、またアレを貸してくれ」
「あれ?」
バイスは不敵な笑みを浮かべ、剣を振る動作をして見せる。
「あぁ。アレですか」
「そう。アレだよアレ。俺はもうアレがないと生きていけない体なんだ」
アレが何かわからない者には、怪しい薬物か何かだと疑われそうな発言である。
麻薬中毒者ならぬ、魔剣中毒者だ。
「わ……私は、アレがなくても手伝ってあげるからね? 九条」
「シャーリーてめぇ。自分だけ九条のポイント稼ごうとすんなよ」
九条に笑顔を向けるシャーリーに、突っかかるバイス。
王宮からの帰り道。列になって歩く3人からは、笑い声が絶えることなく聞こえていた。
「で? 九条はこれからどうするの?」
「ダンジョンでミアと従魔達を回収したら、そのまま村へ帰るよ」
「じゃぁ、途中まで一緒だね」
「ああ。そうだな」
こうして、皆はいつも通りの生活へと帰っていったのである。
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