第151話 ダンジョン掃除

「行きたい! 行きたい! 行きたい! 行きたい! 行きたい!」


 村の門の前で駄々をこねているのはワダツミだ。

 腹をさらけ出しバタバタと暴れ回るその様子は、散歩をねだる犬のよう。ウルフ達の長とは思えない立ち振る舞いに、皆ドン引きである。


「ワダツミ! めっ!」


 それをミアが咎めると、諦めざるを得ないワダツミは不貞腐れた。


「すまんなワダツミ。次は連れて行ってやるから……」


 顔をべたりと地面につけ、上目遣いで俺を見上げるワダツミに心を動かされてしまいそうだが、ぐっと耐える。


「いってらっしゃい! 気を付けてね、おにーちゃん」


「ああ、いってきます」


 村の西門でミアに見送られ、ダンジョンへと出発する。俺に同行してくれるのは、コクセイと白狐。

 カガリはミアのおもりで、ワダツミは村の警備でお留守番。ワダツミも同行させる予定ではあったが、急遽変更したのは時短の為。俺がコクセイに乗った方が速いのだ。

 白狐は西の森を知り尽くしており、狐火を使えばダンジョン内の灯りの確保も出来る。ワダツミには悪いが、今回はこの2匹が最適な組み合わせなのである。

 もちろん用心するに越したことはないので、自分でも最低限の装備は持ち合わせている。

 ギルドオススメの初心者冒険者用探索セットと呼ばれる物だ。

 松明用のボロ布に非常食。飲料水と麻紐。それと大きな麻袋が数枚。火打石と炭化した布、小さなナイフ等が入っているバックパック。

 冒険者がギルドで購入することの出来る安価な物で、松明で使う棒や薪は現地調達しなければならないが、その信頼性は高い。

 炭鉱ではなく正規の入口からの入場は初めてだが、白狐からしてみれば、勝手知ったる森の中だ。迷うことなく一目散に走り抜けるその姿は流麗で、後ろから見ていても美しいと思えるほどである。


「コクセイ。お前から見て討伐完了までどれくらいかかると思う?」


「ダンジョンの形状と九条殿次第と言わざるを得ない。相手はゴブリンだろう? 1匹見かけたら30匹はいると思えと言われているくらいだからな。迷路のような状態であれば、全て潰すのは骨が折れるぞ」


「こんなことならバイスさんに内部の詳細を聞いておくんだったな……」


「まぁ、時間はかかるかもしれぬが、九条殿なら負けることはあるまい」


「……あまりフラグを立てるのは止めてくれ……」


「フラグ?」


「いや、なんでもない。こっちの話だ」


「ガハハ、俺達だっているのだ。何の心配もないさ」


「ああ。コクセイも白狐も、頼りにしてるよ」


 出発前の下調べとして、ギルドで貸し出されている魔物図鑑にも目は通していた。

 書かれていることが確かなら、負けることはまずないと思っている。これは油断ではなく、冷静に判断してのことだ。

 だが、俺が気にしていることは、そんな単純なことではないのである……。


 ――――――――――


「ここか……」


 王都スタッグとベルモントの街の間に位置する大穴。山の中腹にあるそれは、ダンジョンの入口というより洞穴や洞窟と言った方がしっくりくる。

 入口の大きさは炭鉱と同じくらいだが、足元は泥濘ぬかるみ。明らかに何者かが出入りしているだろう足跡が複数確認できた。

 人の足跡にも見えるが、そのサイズはどう考えても大人ではない。しかも裸足だ。


「よし、白狐は明かりを頼む。コクセイは後ろに警戒しつつ、ついて来てくれ」


 腰のメイスを手に、ダンジョンへと足を踏み入れる。

 まず気になったのは臭いだ。なんと表現していいかわからないが、兎に角酷い悪臭である。


「鼻が曲がりそうだ……お前達は大丈夫か?」


「まぁ、大丈夫だな。嗅ぎなれている臭いだ」


 かなり声のトーンを落としてしゃべったのだが、コクセイ達にはしっかりと聞こえていた。

 臭いに関しては、コクセイも白狐もそれほど嫌がっていない様子。恐らく人間と獣との異臭の感じ方が違うのだろう。

 暫く進んで行くと、白狐が足を止めた。


「来るぞ」


 見えたのは一瞬だった。


「ゲゲッ」


 狐火に照らされたそいつは、鳴き声のような音を発したかと思うと、すぐにダンジョンの奥へと走って行った。

 子供のような背丈で深緑色の肌。腰布1枚しかつけておらず、目つきはあまり良くなかったように見える。

 その表情から、俺達に気付き驚いたといった感じだ。


「九条殿、どうする? 仲間を呼ぶぞ?」


「作戦通りに行こう。追わなくていい」


 ここで1匹叩いても無駄だ。どうせなら、集まったところをまとめて叩いた方が効率的だと考えた。

 更に奥へと進むと、そこで待ち構えていたのは、10匹ほどのゴブリンの群れだ。

 皆、何かしらの武器を手にしていた。

 棍棒に、酷くくたびれたショートソード。刃こぼれの激しいダガー。何年使えばそこまで酷い状態になるのかと思うほど粗悪な物。


「ふむ……。まだ少ないな。奥にまだ大勢いる気配がするぞ」


「襲って来るようなら倒すしかないでしょう。いいですね? 九条殿」


「もちろんだ」


 俺もそれを願っていた。無益な殺生は好まない。弱い者いじめをしにきたわけではないのだ。

 これからすることは命のやり取り。俺の考えが甘いのはわかっている。この世界ではゴブリンは人間の敵なのだろう。

 だからこそゴブリンは悪なのだという確信が欲しかった。金の鬣きんのたてがみの時のように、有無を言わさず襲ってきてほしかったのだ。

 そうすれば、罪悪感を感じることなく命を奪うことも出来る。


 だが、そうじゃなかった。ゴブリン達は震えていたのだ。

 俺達に向けている武器はカタカタと音を立て焦点が定まっていない。白狐が一歩前へと踏み出すと、ゴブリン達は一歩後退する。

 当然だ。俺のことはさておき、白狐やコクセイはどう見てもゴブリン達よりも強い。その差は歴然。天と地ほどの差があるだろう。

 それがわかっているのだ。ゴブリンの知能がどれほどのものかは不明だが、死への恐怖を理解している。

 では、何故向かって来るのか……。

 ここはダンジョンだ。戦わずして隠れる場所ならいくらでもある。コクセイや白狐がそれを見破る可能性を考慮しても、正面からやり合うよりは生存率は高いはず。


 ゴブリン達との睨み合いから数分が経過した。

 あちらから襲ってくる気はなさそうだが、無視して通ることもできない。

 まだ奥に沢山いるというのなら、全員まとめて相手にすれば俺達に立ち向かうことも出来るのではないかと考えた。

 所謂集団心理というやつだ。それでもこちらの勝利は揺るぎないだろう。

 腰のホルダーから魔法書を取り出し、ゴブリン達に向けて手のひらを向ける。


「【深淵の恐怖デプスフィアー】」


 掛けた相手の恐怖心を煽る魔法だ。殺傷能力はまったくない。

 所詮はゴブリン。俺の魔法に抵抗することもなく、あっさりかかると武器を捨てて一目散に逃げて行く。

 我先にと逃げ出すゴブリン達は押し合いになり、出遅れた1匹が足を縺れさせ逃亡争いから脱落した。

 激しく転倒したゴブリンが振り返り見たものは、悪魔のような男と涎を垂らし自分を喰らおうとしている2匹の魔獣。


「ヒィ……、タ……タスケテ……」


 言っておくが、魔法の効果でそう見えているだけで、俺達はただ何もせず立っているだけだ。

 だが、それは俺を絶望へと駆り立てるだけの出来事であった。気にしていたことが現実となってしまったからだ。


 ――魔物の言葉さえも理解出来てしまったのだ……。


 薄々だが、その可能性もあるとは思っていた。魔獣や獣と会話ができるのだ。それは魔物であれ何も変わらないのではないかと。

 しかし、金の鬣きんのたてがみの言っていることはわからなかった。恐らく敵対する者の声はわからないのではないかとも考えたが、この様子ではそうではないらしい。


 俺がこの世界に来て、唯一避けている場所がある。それは精肉店だ。

 寺の息子だからというわけではない。坊主や僧侶でも肉を食っている者はいる。俺もそのうちの1人だ。

 そこから聞こえる動物たちの慟哭、悲鳴、命乞い。

 それは言葉が通じないからこそ出来る事であり、その意味を理解してしまえば迷いが生まれ苦悩するはず。正直言って耐えられるものではない。

 当時とは違い、今は意識を向けなければその声を遮断することも出来るのだが、それはあくまで俺が耳を塞いでいるだけ。

 それを否定するつもりはない。人間は食べなければ生きてはいけない。だからこそ命に感謝し、それをいただく。

 故にそれは無駄な殺生ではないのだ。


 俺は迷っていた。命を刈り取らなければならない相手が、目の前で必死に懇願しているのだ。

 倒れながらも必死に後退るゴブリンは、動かない俺を見て急いで立ち上がると、奥へと逃げて行った。


「九条殿、どうするつもりだ?」


「……コクセイ、俺はどうすればいい?」


「どうも何も……追いかけて滅するしかあるまい?」


「違う、そうじゃない。……あのゴブリンは助けてくれと言ったんだ! 俺はどうすればいい! 教えてくれ!!」


 どうしていいのかわからなかった。俺がしようとしていることは本当に正しい事なのか……。


「まさか、九条殿はゴブリンの言語がわかるのか?」


 困惑したような表情で頷くと、驚く様子を見せたコクセイと白狐。

 こんなことならダンジョンには入らず、アンデッドの数匹でも呼び出して突入させればよかったと後悔した。

 そうすれば自分の手を汚すことなく討伐は完了しただろう。しかし、そうしなかったのは俺が欲を出したからだ。

 実際に見てみたかったのだ。魔物と呼ばれる者達の姿を。あの有名なゴブリンを。

 メイスを持つ右手が小刻みに震える。俺は決して弱くはない。

 禁呪と呼ばれる死霊術と、それをいとも簡単に使いこなすほどの膨大な魔力。胸に輝くプラチナプレートがその強さを物語るには十分だ。

 しかし、今求められているものはそんな表面上の強さではなく、精神的な強さである。

 不殺生戒ふせっしょうかい。それは仏教の戒律の1つだ。

 どんな命であれ、それを奪うことを禁ずるということ。

 言いたいことはわかる。だが、生きる為には殺生もやむを得ない場合だってある。それは食べることでもあり、己の身を守ることでもある。

 しかし、あのゴブリン達が何をしたのだ。人に迷惑をかけているのは理解している。

 しかし、ワダツミは人を襲うことなどないと言ったのだ。闇に紛れ、家畜や作物を奪う程度だと。

 確かに見た目は醜い小鬼だが、言葉がわからないというだけで、それが命を奪うほどの……殺してしまうほどの罪なのだろうか……。


「俺が……話してみる……」


「正気か九条殿! 相手は魔物だぞ!? 人間とは価値観が違う!」


「じゃぁどうしろと!? 俺にあんなひ弱な魔物を殺せと!」


「そうだ! その為に来たのだろう? あんな魔物に情を入れるな!」


「九条殿がれぬのならば私達がやりましょう。私達はその為にいるのですから」


「……それは交渉が決裂した時だ」


「九条殿!!」


 コクセイと白狐が止めるのも聞かずに、俺はダンジョンの奥へと足を進めた。

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