第134話 立つ鳥跡を濁さず

 落雷で雨が蒸発し、辺りは霞がかっていた。

 それが徐々に晴れると、そこには盾に寄りかかり膝を突くバイスと、地面に横たわるコクセイの姿。

 直撃の瞬間、コクセイは空へと高く飛び上がり避雷針となった。おかげでバイスは一命を取り留めたが、コクセイは瀕死の重症を負っていたのだ。


「バイス! コクセイ!」


 コクセイはピクリとも動かない。口を開け、力なく垂れる長い舌。一刻の猶予もないのは明らか。ミアはカガリと共にコクセイの下へと走る。


「【樹根束縛ルートバインド】!」


「【氷結束縛アイスバインド】!」


 パーティを立て直す為、金の鬣きんのたてがみの動きを止める。

 ケシュアとネストは束縛の魔法を唱えると、地面から生えた複数の根が金の鬣きんのたてがみに絡み付き、更にその足元が氷結する。


「白狐! コクセイの所へ!」


 白狐はネストを、それに続きワダツミもケシュアを乗せ、コクセイの下へと駆ける。


「【強化回復術グランドヒール】!」


「【新緑オーラオブ息吹フォレスト】!」


 ミアはコクセイを、ケシュアはバイスに。

 新緑オーラオブ息吹フォレストは神聖術の回復術ヒールほどの回復効果は見込めない。何もしないよりはマシだが、辺りの森が焼かれている状態ではその効果も著しく落ちていた。

 霧が完全に晴れると、見えてきたのはその場に縛られ身動きの取れない金の鬣きんのたてがみ。藻掻き脱出を試みるも、呪いの所為で本来の力を出せてはおらず、足止めは出来ているかに思われた。

 大粒の雨が降り続ける中、金の鬣きんのたてがみの口角が少し上がったように見えた。

 そして鬣が輝き始めると、バチバチと帯電を始める。


「嘘でしょ!? 早すぎる!」


 あれだけの大技だ。誰もが連射は出来ないと思っていた。しかし、それはただの推測であり、希望的観測に過ぎない。

 立て直す時間さえ与えてはくれず、動けるのはネストだけ。


「ガァァァァァ!」


「【魔力障壁マナシールド】!」


 金の鬣きんのたてがみが天に吼え、稲光で目の前が真っ白になると雷鳴が轟く。

 ギリギリだった。今の1撃でネストの魔力は完全に底を付き、作り出した魔法障壁は一瞬にして砕け散る。

 そこから飛び出し、果敢にも金の鬣きんのたてがみへと向かっていくワダツミと白狐。

 次を撃たせれば全滅は必至。攻撃は最大の防御だ。時間を稼ぎ、その間に立て直せれば、まだ望みはある。

 動けない金の鬣きんのたてがみに怒涛の攻撃を浴びせ続ける2匹の魔獣。しかし、それでも決定打にはほど遠い。


「"狐火"」


「ガァァァァァァ!」


「――ッ!?」


 再度、白狐の狐火が金の鬣きんのたてがみの全体を覆うも、咆哮により発生した衝撃波で、その炎は一瞬にして霧散した。

 そして、3度始まるたてがみへの帯電。

 藁にもすがる思いでバイス達に視線を移す白狐であったが、そんな短時間で立て直せているはずがなかった。


(こうなればミア殿だけでも……)


 ワダツミと白狐はミアの下へと駆けた。その様子からコクセイの治療はまだ完了していない。


 カガリは苦悩した。ミアを優先するべきだが、ここでミアを無理やり連れて行けばコクセイはもう2度と目を開けることはない。

 2人を同時に救う方法を模索するも、コクセイを背負って逃げる時間はどこにもない。


 ――――そしてカガリは覚悟を決めた。


 懸命にコクセイの回復をし続けているミア。カガリはその横に並び立つと、撫でるよう優しく頬を寄せた。


「カガリ?」


 カガリからの返事はなく、その視線の先は遥か彼方。そしてカガリはミアの元を離れると、勢いよく城壁へと駆け上がり暗雲立ち込める天を見据えた。


(コクセイに続くのだ。遥か上空でこの身に落雷を受ければ、他の者達へのダメージは最小限に抑えられるはず……。元はと言えば、私は主とミアのおかげで助かったのだ。その者達の為に死ねるのならば本望。……悔いはない――)


 ミアの目がこれでもかと見開いた。カガリのやろうとしていることを悟ったのだ。先程の頬ずりは、言葉の通じぬカガリなりの別れの挨拶なのだと気付いてしまった。


「やだ――。ダメ……ダメだよカガリ! やめて!!」


 カガリを止める為、ミアは必死に叫んだ。今すぐカガリを連れ戻したいが、この手を止めるわけにはいかない。

 もちろんカガリにもその悲痛な訴えは聞こえていたが、すでに覚悟は終えていたのだ。


(ミアよ、泣くな。その涙は私の為には勿体ない――)


 そんな想いを胸に、カガリは渾身の力を込めて城壁から飛び立った。


「ガァァァァァァァァァァ!」


「いやぁぁぁぁぁ!!」


 空が輝き、鳴り響く悲鳴と雷鳴。金の鬣きんのたてがみが発生させた雷がカガリを直撃し、その体は力なく落下する。

 そしてカガリは空中でくるりと回転し、綺麗に地面へと着地した。


「……カガリ?」


 雷に打たれたと思われたカガリであったが、その身体には火傷1つ見られない。

 カガリが飛んだ瞬間、あさっての方向から飛来した何かがカガリの代わりに避雷針となったのだ。

 着地後も天を見上げているカガリ。その先から避雷針が落下すると、地面に深く突き刺さる。

 それは如何にも禍々しい意匠の黒き槍。通常の槍と比べると段違いに大きく長い。

 皆がそれに目を奪われる。もちろん金の鬣きんのたてがみも例外ではない。

 その隙を見せたほんの一瞬であった。悲鳴にも似た咆哮が、辺りに響き渡ったのだ。


「グギャァァァァァ!」


 バタバタと地面を暴れ回る何か。それは金の鬣きんのたてがみの尾だ。無残にも本体から切り落とされた蛇は、悶え苦しみ地面を這いずり回る。

 訳も分からず皆がそれを眺めていた次の瞬間、今度は龍の首がドスンと地面に落ちた。

 飛び跳ねる泥水に、響き渡る咆哮。その切り口から上がる血飛沫ちしぶきが、辺りを赤く染め上げる。

 苦痛に喘ぐ金の鬣きんのたてがみの上から、それは姿を現した。

 皆の目の前に降り立ったのは、大きな黒馬に跨る漆黒の騎士。片手に握られていた暗黒の剣は禍々しく異彩を放ち、付着していた金の鬣きんのたてがみのものであろう血液が、降り注ぐ雨と混ざり合い滴っていた。

 そして何より、その騎士は首がなかったのだ――。


「「デュラハン!?」」


「嘘……。なんで……」


 誰も見たことがないはずなのに、このアンデッドの名は世界に広く知れ渡っていた。

 それは、今も語り継がれている伝承の中に出て来る存在であったからだ。


 2000年前、魔王の時代。人間族、エルフ族、獣人族、その他種族達が連合を組み、一丸となって魔王を滅せんとしていた時、唯一力を貸さなかった人間の国があった。

 その国の王は武の力でのし上がり、周りからは武王と呼ばれるほどの猛者。それは僅か1代で築き上げた軍事強国であった。もちろん魔王でさえも自分達の力だけで倒せると自負していたのだ。……しかし結果は惨敗。魔王は武王の首を人質に取り、武王は呪われた首なしの騎士、デュラハンとなった。

 そして魔王に与する者として、世界中で酷く恐れられたのである。


 そんな呪われた騎士が目の前にいるのだ。金の鬣きんのたてがみにデュラハン。勝てるわけがないと生を諦め、脱力したケシュアはペタリと地面に座り込んだ。

 だが、それはケシュアだけ。驚きはしたものの、他の者はそれが誰の仕業なのかをすぐに理解したのだ。

 デュラハンが、アンデッドに分類される魔物であったからである。


「ガァァ!」


 金の鬣きんのたてがみが拘束を解こうと必死に藻掻き、足元を覆っていた氷に亀裂が走る。

 だが、それは無駄な努力に終わった。


「【呪縛カースバインド】」


 その声は金の鬣きんのたてがみの後ろから聞こえた。

 いくつもの小さな魔法陣が地面に描かれると、そこから暗黒の鎖が召喚され、金の鬣きんのたてがみを押さえ込む。

 デュラハンはゆっくりと黒馬を進め、地面に突き刺さっていた暗黒の槍を引き抜くと、それを金の鬣きんのたてがみへと投げつけた。

 降りしきる雨を弾き飛ばしながら一直線に飛翔する槍は、その右目に深く突き刺さる。


「グギャァァァァァァァァァ!」


 もう光を感じることさえ許されない金の鬣きんのたてがみは、その所為か暴れるのを止め、あり得ぬほどに大人しくなった。

 雨音がうっとおしく感じるほどの静寂。それは大人しくなったのではなく、観念したのだ。

 デュラハンは金の鬣きんのたてがみへと近づき、その太い暗黒の大剣を片手で軽々振り上げると、勢いよく振り下ろした。

 残像を残すほどの速度で振り抜かれたそれは、地面に一筋の亀裂を残す。

 一呼吸おいて落ちたのは金の鬣きんのたてがみの首。続いてその巨体も力なく倒れ込んだ。

 それを見届けたデュラハンは、何事もなかったかのように森へ向かって歩き出す。その先にいたのは――九条だ。

 次の獲物は九条なのだという考えがケシュアの頭を過った。仲間なのだ。守らなければならないのだが、体が動かなかった。

 デュラハンなんて伝説に近い魔物相手に、一体何が出来るのか……。

 そして、デュラハンは九条の目の前で足を止めた。


(ダメだ……やられる!)


 ケシュアは顔を逸らし、両目を力強く瞑った。例え数日の付き合いでも仲間が殺される瞬間は見たくなかった。

 どれくらいの時間が経っただろうか……。降りしきる雨音と共に近づいて来る足音。


(次は私か……)


 覚悟を決めケシュアは恐る恐る目を開けると、そこに立っていたのは九条だった。こちらに手を伸ばし、心配そうな表情を浮かべていたのだ。


「ケシュアさん、大丈夫ですか? 立てますか?」


 辺りに視線を泳がせるもデュラハンの姿は何処にもなく、あるのは巨大な魔獣の骸だけ。


「え……ええ、ありがとう九条」


 ツンと鼻を突くアンモニア臭。デュラハンを前に、ケシュアがどれだけの恐怖を覚えたのかは想像に難くない。

 九条は色味の違う水たまりに目を瞑り、ケシュアは強がりながらもゆっくりと立ち上がる。

 雨は次第に勢いを弱め、そして止んだ。

 雲の隙間から降り注ぐ太陽の光が、勝利を祝ってくれているかのようであったが、九条にとってはそんなことどうでもよかった。


「おにーちゃん……コクセイが……コクセイが……」


 泣きながら訴えるミアに駆け寄る九条。コクセイの状態は芳しくない。

 ミアの回復でなんとか繋ぎ止めているといった状況であり、その命の灯火は消えかけていた。


「すまん九条。俺の所為だ……」


「いや、バイスさんの所為では……」


「【新緑オーラオブ息吹フォレスト】!」


 周りの樹木は焼かれ、樹術じゅじゅつの効果は限りなく薄かったが、ケシュアもコクセイの回復に着手した。

 それをただ見ていることしか出来ず、九条は自分の無力感に打ちひしがれる。


「何とかして助けてあげられないの? 魔獣使いビーストマスターなんでしょ!?」


「わかってる! 魔獣使いビーストマスターだからってなんでも出来る訳じゃ……。いや、待て……。ミア! ちょっとすまん!」


 九条は思い出したかのようにミアのポケットに手を入れる。


「え? ちょっと? おにーちゃん?」


 ミアはこんな時に何をふざけているのかと思ったであろう。しかし、九条の表情は至って真面目。

 そしてミアのポケットから取り出したのは1本の小さなナイフ。九条はそれで自分の手首を切ったのだ。


「ちょ……ちょっと九条!?」


 その行動に皆驚きを隠せなかったが、ミアだけがその意味を知っていた。

 ダラダラと流れ出る血をコクセイの口元へと運ぶ九条。


「コクセイ! 聞こえるか!? お前は以前俺に忠誠を誓ったと言ったな!? それに嘘偽りないなら俺の血を飲め! そして俺と契約しろ!」


 コクセイの喉がほんの少し動いたように見えた。その瞬間コクセイの身体が眩しく光りだしたのだ。

 目が開けていられないほどの光。その光が徐々に収まると、そこには見違えたコクセイがいた。

 ゆっくりと目を開け、起き上がるコクセイ。

 更に一回り大きくなった身体。首回りは鬣のように盛り上がり、毛の色も変化していた。体の下半分は白く、上半分が黒をベースに黄色を混ぜたような体毛だ。

 尻尾も以前より太く、もっさりとした印象を受ける。

 九条はカガリとした契約を思い出したのだ。契約に魔物を進化させる力があるなら或いはと考えたが、それは間違ってはいなかった。

 コクセイの変化にも驚きはしたものの、それよりも助かったのだという安堵の方が大きく、沈んでいたみんなの顔にも笑顔が戻る。


「これが九条殿の魔力か……。ありがとう九条殿……。これからは……主と呼んだ方がよいか?」


「いや、今まで通りでかまわない。例え契約したとしても、俺はお前を縛ったりはしない」


 九条がコクセイを撫でようとした時、ミアが泣きながらコクセイに抱き着いた。


「うわーん、コクセイごめんね……。私にもっと力があれば……」


 そんなミアを見るコクセイの瞳は、やさしさに溢れていた。


「九条殿、ミア殿に言ってくれるか? ありがとうと」


「ああ」


 ミアにコクセイの言葉を伝えると。泣きじゃくりながら何度も頷いていた。

 早く手首を治して欲しかった九条ではあったが、空気を読んで暫くは我慢しようと心に決め、その後ろでは白狐とワダツミがそれを必死に舐めとるも、残念ながら何の変化も起こらなかった。

 街の南門が大きな音を立てて開かれると、中から多数のギルド職員が駆け寄ってきた。

 怒号が飛び交い、向けられる手から放たれる癒しの光。もちろん従魔達にも等しく平等にだ。

 すでに皆はそれを恐れてはいなかった。当たり前である。彼らは街を救った英雄なのだから。

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