第121話 せめてものお礼
モーガンが用意した書類に九条とシャーリーがそれぞれサインすると、キャラバンはベルモントへと帰って行った。
時間は丁度正午を回った頃。コット村の冒険者達は各自依頼に出発し、ギルドでは残された職員達が、雑務に追われる時間帯。
モーガンとの話し合いで朝食を食べ損ねていた九条とシャーリーは、食堂で少し遅い朝食を取っていた。
一時はどうなることかと憂慮していた九条であったが、これで獣達の安全も確保出来て一段落。
シャーリーも余計な責任を負うことなく、これ以上ない幕引きではあったのだが、何故かシャーリーは浮かない顔をしていた。
「九条。なんで私を助けてくれたの?」
「なんでって……。顔見知りに死なれると寝覚めが悪いじゃないか」
「……いや、そっちじゃなくて……」
「ん? 何か言ったか?」
九条は純粋に食事に夢中といった感じ。
さっきまでの凛々しかった九条は何処かに忘れてきたのか、今はその辺にいるおっさんだ。
「金貨1000枚だよ? 私にそんな価値あるわけない!」
語気を強めるシャーリーに驚き、食事の手を止めた九条。そして大きく溜息を吐いた。
「はぁ……。じゃぁ逆に聞くが、冒険者を辞めてまで奴隷になりたかったのか?」
「そんなわけないでしょ!」
「じゃぁ、いいじゃないか……。何が不満なんだ……」
困惑の表情を浮かべる九条。その言い方は面倒なクレーマーを相手にしているかのよう。
「金貨1000枚を捨ててまで私を救ってくれた理由が知りたいの!」
「捨ててないぞ? 俺が貰えるはずだった金貨1000枚はシャーリーに譲ったんだ」
「形式的にはそうだけど、そうじゃなくて!」
シャーリーは怒っているわけではなかった。ただ九条の気持ちが気になって仕方がなかったのだ。
金貨1000枚を人に譲るくらいだ。これはどう考えても、特別な感情を抱いていると思って間違いない。
なんでも言いなりになる女であれば、そのカネで奴隷を買えばいいのだ。金貨1000枚もあれば、最上級の奴隷を5人は買える。
だが、残念ながら九条はシャーリーだからと特別扱いした訳ではなかった。
九条がカネに執着がなく、情で動く性格だということを理解している者は少ない。
それは、幼き頃から仏の教えに触れてきたからこそ身に付いてしまった考え方。
「何度も言っているが、自分が苦労して助けた人が奴隷になると言われたらどんな気持ちだ? 助けた意味がないじゃないか。それを俺が救えるのなら救う。それだけだ」
同じような問答を幾度となく繰り返している所為で、テーブルに置かれた定食はほとんど減っていない。
「だから、それに金貨1000枚を賭ける価値があるのかってこと!」
さすがの九条にも苛立ちが募る。助けなければよかったとは思わないが、それを責められる謂れもない。
この世界で九条との付き合いのある人間は、そう多くはない。その中でもパーティを組んだことのある者は、僅か数名。
それはたった1日だけの短い時間ではあったが、それでもその数少ない経験を共にした者を救いたいと思うのは、おかしなことではないとそう思っているのだ。
九条はテーブルに手を付き立ち上がると、対面に座っていたシャーリーの胸ぐらを掴み引き寄せた。
「いい加減にしろ! あるに決まってるだろ! お前の命が金貨1000枚で買えるとは思ってないが、それで買えるなら安いもんだ!」
自分の価値を金額で決めようとするその考え方に腹が立っていた。
そもそも九条は人の命がカネで買えるとは思っていない。だが、ここでは違うのだ。人の命がカネで買える世界。それは奴隷と呼ばれている。
一般人には馴染みはないが、商人や貴族などそれなりにカネを持っているならその相場を知っている者は多い。
シャーリーの顔が見る見るうちに紅く染まっていく。
それもそのはず、九条が引き寄せた右手にほんの少し力を入れれば、唇を重ねることさえ出来てしまうほどの距離だからだ。
ハッとして慌てて手を離した九条は、自分よりも遥かに年下の女性に対して声を荒げてしまったことを恥じ、引っ張ってしまったシャーリーの襟元を綺麗に整え、謝罪した。
「強く言い過ぎた。すまない……」
「いや、うん。ごめん……。ありがと……」
シャーリーは俯きながらも大人しく席に着いた。
冷めてしまった食事を無言で口に運ぶも、その味がわからないほどシャーリーの頭の中は九条でいっぱいだった。
気分が高揚し、顔は耳たぶまで真っ赤。九条の顔を真面に見ることができず、恥ずかしくて死んでしまいそうなほどだ。
金貨1000枚以上の価値があると言われたのだ。これ以上の賛辞があるだろうか?
それもプラチナプレート冒険者が出した評価ならば、シャーリーだって嬉しくないわけがない。
愛の告白……とまではいかないが、それに近い表現ではあった。
もちろん九条にはその感覚は理解出来ない。人の価値をお金に換算する世界とは無縁の世界で生きて来たのだから。
冷めた料理を食べ終えると、若干の違和感を残しながらも落ち着いた様子の2人。
「シャーリーは、これからどうするんだ?」
「どうしよっかなぁ。もうちょっとここに居ようかなぁ?」
ハッキリしない言動のシャーリーは身体を前後に揺らしながら、チラチラと九条に視線を向ける。
その真意が九条に伝わるわけがない。
「はよ帰れ」
「はぁ? ちょっと酷くない!?」
「俺は忙しいんだ」
九条は暇である。嘘を付いたのは、ダンジョンにいる獣達に早く出て来ても大丈夫だと伝えたかったからだ。
(飯は自分達で狩ると言っていたのでその辺は心配ないだろうが、やはりダンジョンなんかで生活するより、外で伸び伸びと生活させてやりたいからな……)
しかし、それをシャーリーに見られる訳にはいかないのだ。
九条がキャラバンからウルフ達を匿っていることを知られるのは悪手。それは冒険者が冒険者の邪魔をしているのと同義である。
「それにキャラバンの脱退申請もしなきゃいけないんだろ?」
「まあ、そーなんだけどさぁ」
それは請け負ったギルドで申請しなければならない。よって、シャーリーは1度はベルモントに帰る必要があった。
「武器や防具も買い直さないとなぁ」
「ん? ダンジョンで拾った銀の弓はどうするんだ?」
「あぁ、あれね。あれはアレンの弓なんだけど、形見としてアレンの家族に渡してあげようかと思って」
「そうか……。1人で大丈夫か?」
シャーリーは机から身を乗り出し、嬉しそうに九条の顔を覗き込む。
「え? 何? 心配してくれるの?」
「まあ、そりゃなぁ……」
九条は死者を扱う仕事をしていたから知っているのだ。
残された者の悲しみ。それは本人にしか計り知れないということ。
最愛の人との別れをどうしても受け入れられず、荒れ狂う者や自暴自棄になる者も少なくはない。
その気持ちは痛いほどわかるのだが、それが時としてこちらに牙を向くことがあるのだ。
慟哭し浴びせられる罵詈雑言。中には手を出してくる者さえいる。
理不尽だと思うだろうが、その刃を受け止めなければならない。憎しみの連鎖を断ち切ることも、釈迦の教えの1つ。
慣れている者ならかまわないが、まだ若いシャーリーにはキツイ試練だ。
死の責任を押し付けられる可能性すらある。シャーリーがそれに圧し潰されないかが九条には心配でならなかった。
「ふふっ、ありがと。でも大丈夫」
「そうか? ならいいんだが……」
立ち上がったシャーリーが、食器を片そうとトレーを持ち上げ歩き出す。
しかし、すぐにその足を止め振り返った。
「ねぇ九条。今度また遊びに来てもいい?」
「好きにしろ」
明るい笑顔が途端に曇る。
「……あのさぁ、もっとやさしく言えないの?」
「はぁ、わかったよ……。また何時でも来るといい。歓迎するよ」
「うん。そーする」
九条が仕方なしに言った言葉に、笑顔を取り戻すシャーリー。
「暇じゃなきゃ相手はしてやれないけどな」
「その一言が余計なんだよなぁ……」
「何か言ったか?」
「ううん、なんでもない」
白い歯を覗かせて悪戯っぽく笑うシャーリーは、幼気で可憐。
その笑顔には、紛れもなく金貨1000枚以上の価値があったのだ。
――――――――――
「なんでまだいるんだよ……」
九条が村の見回りを終えギルドに戻ると、シャーリーはまだ村にいた。
シャーリーが帰ればその足でダンジョンまで行くつもりだったのだが、なかなか帰る気配を見せない。
「いやぁ、ソフィアさんと話してたらもうこんな時間に……。今から帰っても真っ暗だし今日もお世話になろうかと……。えへ」
「えへ……じゃねぇよ……」
ちょろっと舌を出すシャーリー。その仕草は可愛らしくも見えるが、どことなくわざとらしい。
九条は計画を諦め、盛大にため息をついた。
「明日は絶対に帰れよ?」
「わかったってば」
それを信用するべきか悩む九条であったが、シャーリーを1人にするのも可哀想だ。この村に知り合いはいないはず。
そんなわけで一緒に夕食を取っているのだが、昨日のこともあり上手く打ち解けたシャーリーとミアは、楽しそうに会話を弾ませていた。
その後、事件は起きた。
夕食を済ませ、九条とミアが湯舟に浸かっていると、シャーリーが当たり前のように入って来たのである。
「ヤァ、クジョー。グウゼンダネ」
片言で話すシャーリーは身体にタオルを巻いていたが、偶然でもなんでもない。
飯の後どっちが先に風呂に入るかという話になり、シャーリーが自分は後でいいと言ったからこそ九条達はここにいるのだ。
「何がしたいんだよ……」
「おにーちゃんは見ちゃダメー!」
ミアが九条の前に立ちはだかりその両手で九条の顔を覆うと、一風変わった趣向の暗黒風呂の誕生だ。
耳からの情報を頼りに予想すると、恐らくシャーリーは身体を洗っている。
シャーリーが何を考えているのか不明だが、このチャンスを逃す手はないと、ミアの手を引き離そうとする九条であったが、ミアは負けじと力を込め、結果目が圧迫される悪循環。
「いででで……」
シャーリーは身体を流し終え、覚悟を決めると意を決して湯舟へ。
だが、そこで見たものに吹き出してしまい、その覚悟はまったくの無駄になった。
「ぶふっ……。あははははは……」
笑ってしまうのも無理はない。
九条は既にシャーリーの裸体を拝むのを諦め、ミアにされるがままだった。
湯舟に浸かる九条がミアを肩車していて、そのミアは後ろから九条の目を両手で塞いでいるといった状態だ。
シャーリーは1人で気を張っていた自分が馬鹿らしく思え、ゆっくりと湯舟に浸かると空を見上げた。
薄暗い露天風呂に屋根はなく、夜空では星達が煌めいている。
どちらも暫く無言であったが、黙っていると余計意識してしまう距離。
それに耐えきれず、先に口を開いたのは九条だ。
「そ……そういえば、フィリップさんはどうした? 元気にしてるか?」
「あー、フィリップは緊急討伐に行っちゃってるんだよね。それで暇だったからキャラバンに参加したの」
「ああ、確か魔獣が出たとかなんとか。ソフィアさんが言っていたが、大丈夫なのか?」
「大型種だから時間は掛かりそうだけど大丈夫じゃない? 討伐難易度B+だし」
九条は冒険者としては経験不足。討伐難易度などと言われてもまったく見当もつかない。
最初の討伐になるであろうウルフがDだったことを考えると、そこそこ強いのだろうという大雑把な予想しかできなかった。
「ダンジョンにいた魔物から逃げたって言ってたじゃないか。あれは討伐難易度で言うとどれくらいなんだ?」
「あまり思い出したくはないけど、あのリビングアーマーはAかA+じゃないかな……。普通の奴ならB-だけど、アレはまったくの別物だった……」
「なるほど……」
やはり基準となる通常のリビングアーマーの強さが九条にはわからなかったが、シャーリーがそれだけ言うのならやり過ぎだという事だけは理解した。
「色々ありがとね、九条」
「ん? ああ、気にするな。俺が好きでやったことだ」
九条の右手が掴まれ、二の腕に何かが触れた。
その刹那、耳元で漏れる僅かな吐息。そして九条は頬に何かやわらかいものがあたった感触を覚えた。
「え? 何?」
シャーリーは自分に出来る精一杯のお礼をすると、ザバッと勢いよく立ち上がり脱衣所へと駆けて行く。
ミアはいきなりのことでそれを阻止出来ず、驚きのあまり手には余計な力が入る。
「ぎゃー、目がぁぁぁぁ!!」
「シャーリーさんずるい! わたしもやるー」
ようやく目隠しを解いたミアは、小さな唇を一生懸命九条の顔に押し付けた。
それはキスというより唇をぶつけているだけ。ムードもへったくれも無い、なんとも武骨なものであった。
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