第7話
足早にその場を去った蓮は、内心焦りながら頭を切り替えていた。
蘇芳がこの情報を流せたのは、セイが楓を通じてその件の調査を、律の方に頼んだからだ。
どうやら、少し前に海外で行った仕事の途中で、何か思うところが出来たらしい。
それが何かは分からないが、そろそろあの一族をどうにかして憂いを失くし、血の繋がらない祖母のメルから遠ざかろうかと、悩んでいた蓮にはありがたい偶然だった。
さっき、セイに言った事も本音だ。
今日会えなくても、何かの機会に顔を合わせて、あの若者に告げるつもりだった。
どんな反応をされるかと、不安と期待があったが、意外な反応が見れた。
薬の影響なのか全く別な理由なのか、セイは僅かに驚いていた。
蓮が偶然にも、同じ時期に動いている事実が、そんなに予想に反する事だったのかと、別れてずいぶん経ってから不思議に思った。
先程は、ついつい、全く別な感情に流されそうになった。
セイが本当に、何気なく発したであろう言葉を、蓮は柄にもなく深読みしてしまったのだ。
「あいつに限っては、あり得ねえのになあ」
自嘲して立ち止まった若者の前に、目的の建物が見えて来た。
どういう手を使ったのか、日本は立派な部類に入る、大きな屋敷だ。
この連中を、自分の手で葬ると決めたのは、突然いなくなった葵の居場所を、意外な人物に告げられてその場に迎えに行った時だった。
セイの言伝を持って来た人物にも、驚いた。
葵の母の実弟だと言う鬼は、困惑しながらも蓮を呼び出し、言った。
「江戸に着く前に、お前に引き渡したいと、伝えるように言われた」
人手がなくて、よりにもよって葵に使いを頼んだと聞いた時、あの大男が暇を出される覚悟は出来ていたのだが、予想に反して使いを終えた後に、行方が分からなくなった。
「……まあ、行先に着くのも、随分遅かったとは聞いてたんだが」
珊瑚と名乗った鬼の話で、大体の事情を把握した蓮は、江戸まで半日ほどの道筋で、葵と再会した。
「まさか、自分の実家に、行ってたとはな」
呆れた若者の前で、葵は傘を目深にかぶった若者の背に、身を縮めていた。
「お前も、何でこっち側に出て来てんだ? 南の方へ帰ったんじゃ、なかったのかよ?」
「ちょっと、頼まれごとをしたんだよ。その頼みには答えられたんだけど、後味がものすごく悪い事態になったんだ」
無感情に答えるセイは、僅かに表情を暗くした。
「後味が悪いってのは……そいつにとってか?」
そんなの、迷い出る方が悪いだろうと、蓮は思った。
どういう頼みなのかは知らないが、わざわざ鬼の住処に向かったと言う事は、殲滅を目的にしている可能性が高い。
迷い出た先で、葵が目にした光景は、セイが血縁者を殺戮している場、だったのだろう。
「……蓮」
呆れた声の若者に、葵が恐る恐る顔を見せた。
「? どうした?」
訊いてから、気づいた。
セイの背から、葵は出てこない。
大体、若者の行動を見て怯えたのなら、ここまでついて戻ってこないだろう。
むしろ、何故か、自分の顔色を窺っているように思い、蓮は戸惑った。
そんな若者に、葵は恐る恐る、尋ねた。
「何で、お袋を、殺したんだよ?」
頭の中が、まっ白になった。
何で、それを……と、思わずセイを睨むと、大男の壁になっていた若者は、大きく溜息を吐いた。
「……葵さん、もう少し控えめに、尋ねられないのか?」
いきなり、真っすぐ訊き過ぎだと言うセイに、葵は泣きそうに顔を歪めながら反論した。
「どう訊けば、いいんだよっ? こういう事は、初めてなんだぜっ?」
「そんなの、初めてで充分だよ。こんなこと、何度もある生涯なんて、ろくなものじゃないだろ」
答えてから、セイはようやく蓮に声をかけた。
「あんたも忙しいだろうけど、そろそろ、その辺の話は治めた方がいい。蟠ったままじゃあ、あんたらもやりにくいだろ?」
「だから、オレを、お前のとこにいさせてくれって、言ってんじゃねえかっ」
「冗談じゃない。迷い癖ありの鬼なんて、話に聞いてるだけで、充分だよ」
そんな会話を聞いている内に、蓮も自分を取り戻した。
静かに、念を押す。
「セイ、お前が話したわけじゃあ、ねえんだな?」
「今更か?」
答えはすぐで、嫌そうな顔もついて来た。
「ってことは、あいつらが、話したって事か、今わの際に?」
「……それなら、良かったんだけどね」
曖昧に返してから、セイは気を取り直して言った。
「あいつらの方の、言い分だけしか聞いてないから、葵さんも混乱している。戻りたくないなんて、とんでもない事も言ってるんだ。こんな迷惑な鬼、あんたくらいしか面倒見切れない。だから、出来るだけ早く、あんたとの話も、つけて欲しいんだ」
無感情なのだが、何やら焦っているように聞こえる。
「……分かった」
そう言って手近な宿に入り、三人で話したのだが、葵の一番訊きたいはずの疑問には、曖昧にしか答えられなかった。
「どこに隠したのか、覚えてねえのか?」
それは、凪沙の無くなった頭部の行方、だった。
「いや、覚えてねえって訳じゃ、ないんだが、言いにくい、つうか」
どちらかというと、それを聞いて欲しくなかったからこそ、凪沙の死の真相を、隠していたと言ってもいい。
だが、それを言う訳にもいかず、蓮は咳払いをして、傍で話を聞いて、目を見開いているセイを見た。
「そいつらが、本当に滅びたのか確かめねえことには、危なくて教えられねえよ」
「え……あ、そ、そうだな」
何故か、葵が目を泳がせて頷いた。
「……それは、これから、私が確かめて来るから、心配しなくてもいいよ」
救いを求めるように見た男を見返し、セイが無感情に返したことで、蓮は二人が隠していたことを察した。
「おい、まさかとは思うが葵、お前、邪魔しちまったのか?」
泣きそうな顔の大男が答える前に、セイがきっぱりと答えた。
「されてないよ」
「おい……」
「ついつい、葵さんの方が気になって、私が見逃してしまっただけだ。邪魔されたわけじゃない」
それを、この世では邪魔、と呼んでもいい筈なのに、セイははっきりと言い切った。
そう言いかける蓮に、若者は先回りして言った。
「そこに重きを置くのなら、これ以上この人の事で、思い煩わせないでくれるかな? 出来れば、すぐにでも、あの場に戻りたいんだけど」
痛い所をつきながらセイが言い切ると、葵が勢いよく言った。
「お前にばかり、あの人たちの事を任せられねえよっ。オレも行くっ」
「あのな、この間の事は、こちらも予想外だったから大目に見る。でも、一緒に行くと言うのなら、はっきりと言い切れるよ。あんた、邪魔なんだよ」
葵が覚悟を決めていたとしても、邪魔なものは邪魔だと、セイは言い切った。
「あんたが、奴らに何を言われても、この間のような事態にならないと思って動くとしても、私はそうは思えない。……もしまた、同じような事態になったら、あんたを止める方を選んでしまう」
庇われた後の、本気の言い分に衝撃を受けた葵は、セイの本音に目を見張った。
「あんたはもう、あの一族には係わらないでくれ。知らぬまま、消えていくと考えていてくれ。頼むから」
言葉を失った大男の横で、蓮は小さく溜息を吐いた。
セイは、柄にもなく動揺してしまったのだ。
凪沙の死を知って、我を失った葵の姿に。
それは、葵への好意が、他の誰よりも深いと、白状しているようなものだった。
それに気づいて、複雑な胸の内の蟠りを抑えている蓮の前で、葵は別な感動を覚えたのか、滝のように涙を流した。
「す、すまねえっ。オレは、役立たずの、大馬鹿野郎だ」
大泣きする大男に、セイはそこまでは言っていないと顔を顰めてから、何故か黙り込んだ蓮を見た。
「そういう事だから、葵さんの方は頼む。心配しなくても、きっちりと落とし前は付けて来るから。この人はちゃんと、あんたの目の届くところで、見守っててくれ」
「……どの位、逃しちまったんだ?」
「あんたが気にかける程、多くはないよ」
無感情に答える若者に、蓮は笑ってしまいながら首を振った。
「葵の母親の事を知る奴が、雑魚なはずが、ねえだろうが」
数は少なくてもその分、力のある奴だろう。
そう言い切る若者に、セイは微笑んで見せた。
「多少力があっても、その力が腕力じゃないのなら、私の敵じゃない」
逆に、葵の方は、腕力での攻撃で、止めるのに体力がいったのだと返され、葵は更に身を縮めた。
「……腕力のある奴らを片付けた後に、ようやく本命に行きあったものの、葵に邪魔されたってとこか?」
「……だから、邪魔じゃなく、不測の事態、だ」
「そうじゃねえだろ、これは、神がかりな言葉で言うと、啓示だ」
江戸の殿の傍にいる者の、とんでもない言葉にセイは首を傾げ、葵が慌てて周りを見回す。
だが、蓮は全く意に介さない。
当たり前だ、神がかりな啓示は、巫女が政をしていた時代ならば、あり得た話だ。
「お前が、奴らを殲滅できなかったのは、お前がするべきことじゃなかったからだろう。それをするべき奴が、他にいるからこそ、奴らは生き延びだ」
「そんなはずは、無いだろう」
呆れるセイに、蓮も胸の内では頷きながら、言いくるめる為に心にもない事を口にする。
「少なくとも、オレは、お前のその失態が、有難い。その理由は、昔話したよな?」
「いや、ちょっと待てよ。あんた、勝てないと考えたからこそ、葵さんの母上を……」
「あの時は、その程度の感情だった、ってだけだ。思いつめて、対峙する気はなかった。だが、今は違う」
自嘲気味に見えないように、蓮は笑った。
「凪沙が残した子供まで巻き込んだ上に、係わりのなかったお前にまで、害が及ぶんじゃあ、黙ってられねえだろうが。オレが残した憂いは、オレが綺麗に断ってやる。だからお前はもう、気にするな」
セイを仲間の元へ帰した後、蓮はそいつらを探し始めた。
その一環として、一族とまだ繋がっている女に、近づくことに成功した。
それが、瑠璃だったのだが……。
それこそ、睦事を交わす仲だったのはほんの数年で、すぐに飽きられたのか、連絡が取れなくなった。
再会するまで、百年余りの年月が経っていた。
しかも、再会の場は最悪だった。
別な糸口を探し始めていた蓮に、葵から瑠璃の話を聞いた。
会って話したいと言っていると聞き、今更何だろうと首を傾げてしまった。
再会の場所を、セイが寝起きに使っている住処に指定して来た時、嫌な予感がしたのを覚えている。
何が、きっかけだったのだろうか、セイとは顔を合わせた事がないはずの女がその命を狙い、実際にその望みを叶える直前に至る事態になっていたのは。
会わなかった数十年の間に、蓮の思惑が知れてしまったのだろうと、若者はあの後セイにも葵にも謝った。
泣きそうな顔で首を振り、何かを言いかける葵の袖を、セイは力なく攫んだ。
振り返る大男に強く首を振ってみせ、伏せていた顔を上げた若者は、小さく言った。
「今はどうであれ、あんたが気にした人なんだろう? 弔いぐらいは、してやってくれ」
言われるまでもなく、蓮は己で首を刎ねた女の遺体を、偶然居合わせた鏡月と、しかるべき場所に葬っていた。
「……お前、何がやりたかったんだ?」
のんびりと、しかし呆れを隠さずに問う若者に、蓮は正直に答えた。
「柄にもねえことして、それが女にも丸わかりだったんじゃねえのか? すぐ飽きられちまった。行き場の分からねえ奴らの隠れ場を、吐いて欲しかったんだがなあ」
心にもない睦事は、分かる奴にはすぐに分かる。
だが、騙そうとした理由に思い当たれば、いくら双方本気でなくとも、許せなかったのだろう。
「まさか、あいつの方に、矛先が向いちまうとはな……」
「その女がお前との再会の場を、なぜあの山に指定したのか。セイが女の攻撃を受けながらも、なぜ反撃を躊躇っていたのか。その辺りが、不思議なんだがな」
のんびりと、鏡月は言いながらも、その後その件に触れられることは、なかった。
鏡月は、何だかんだと言いながらも、手伝ってくれる時には深く係わってくれる。
今回も、意外そうにはしていたが、メルへの使いを受けてくれた。
余り行きかう事は出来なくはなるが、あの若者とは頑なに会わぬと言う間柄には、ならないだろう。
ゆっくりと近づく屋敷の門から、すでに炎の熱気が伝わり、体の中から言いようのない震えが、這い出て来ていた。
いつもは抑えているのだが、今回はそんな我慢は無用だ。
セイが、その後の事をしてくれる手はずになったが、何故だろう。
屋敷の方を見たまま歩いていた蓮が、門前で止まった。
屋敷の内側で、その来訪者に気付いた家の者が、一様に騒ぎだす中、蓮は妙な感覚で屋敷を見上げていた。
おかしい。
なぜ、外側から見た感覚より、この屋敷は小さく見えるのか。
その答えが分からないまま、蓮は周囲で祀られている炎の熱に、飲み込まれ始めていた。
爆風の様な、しかし静かな空気が、下の方から吹き抜けて来た。
本能で身を守りながらそれをやり過ごし、再び屋敷を見下ろした水月は、目を疑った。
そこにあったはずの大きな屋敷が、半減していた。
「……何が、あった?」
呟いたウルも、何があったのか分かっていない様だったが、傍にいた葵は小さく喘いだ。
「蓮、そこまで、思いつめてたのか。だが、おかしくねえか? いつもなら……」
「壊してほしくない所が、あったんだよ。意図してやった事がなかったから、出来るか自信なかったけど、成功してよかった」
「ほう、行き当たりばったりであったのか。大したものだのう」
突然、聞き慣れぬ声が、セイの言葉に感心した。
緊迫して振り返る男三人に、風変わりな男が驚いたように、目を見張る。
「ん? どうなされたか? まさか、私に気づいてはいなかったのか?」
「な、何だ、お前?」
ウルが、警戒心丸出しで、声を発する。
気配すら感じなかった男に、水月も緊迫の空気を発しながら、小さく笑う。
「面白い風貌だな。どこのコスプレだ?」
「コス……すまぬが、今の若者言葉、と言うものには、まだ疎いのだ。最近この国に、舞い戻って来たばかりでな」
そんな会話を聞き流していた葵が、その男を上から下まで見回して、恐る恐る聞いた。
「あんた、まさか……」
「ん? 葵坊にまで、そういう恐ろしい者のような眼で見られるのは、悲しいのだが」
「やっぱり、
つい、指をさしてしまった男の名指しに、重と呼ばれた男は、嬉しそうに笑った。
「覚えていたか、お前さんが若い時分に、一度だけしか会っておらなんだのに、よう覚えていてくれたな」
「どうしたんだよっ、化けて出る程、思い残すような性格、してなかっただろうっ?」
「そうなのだ、私も不思議なのだが、どういう謂れで化け出たのだろうな?」
幽霊と、その知り合いの会話にしては、明るい。
水月はその名前に眉を寄せ、暫く考えてから思い直して首を振る。
「いや、まさかな、あの旦那が、約束を守れるような、力があるはずが……」
「……」
呟いてから、重がしげしげと見つめているのに気づき、水月は柄にもなくたじろぐ。
「な、何だ?」
「いや、本当に、あの旦那の父君は、お前をこの世に帰してしまったのだな。そのものではないか」
「ちょっと待て、あの旦那と言うのは、カスミの旦那の事かっ?」
ウルが、目を剝いてしまった少年の代わりに喚くと、風変わりな格好の男はきょとんとして答えた。
「あの旦那以外に、そんな父君を持つお方が、いるのか? あのような方が何人もいては、この世も恐ろしい事になるのではないのか?」
「……今でも、充分恐ろしい事態ですけど」
無感情で話に割り込んだ若者に、重は目を細めた。
「お主が言うか? まさか、カスミの旦那と同じように、実体を作ってくれるとは、思わなんだぞ。触られた時にも、驚いたが」
「あいつほどうまくは出来ませんよ。別な人間の姿で、形を作るなんて器用な事、私にはできません」
「うん、それでよい。万能に出来ると、嫌みにしかならんからな。程々が良いのだ」
何度も頷いていた男が、少年に服を攫まれて目線を下ろした。
「……すまなかった」
「?」
急に謝られ、きょとんとする重に、水月は顔を伏せたまま続けた。
「オレ一人では、叔母上も鏡月も、守り切れなかった」
「……私もお前も、若いと言うより幼かったからな。致し方あるまい」
「お前に、足止めをさせておきながら、結局は……あの化け物に、後を託すしか、他になかった」
嫁ぎ先で夫を亡くし、すぐに生まれた子供の命すら危うい事態となり、水月の叔母は故郷に逃げ帰る事態となった。
乳のみ子と共に、幼い甥っ子に守られて、その刃をかいくぐって逃げる途中、力尽きた甥っ子と、その途中で足止めに残って戻らない、夫の弟を思い、化け物に見初められた女は、その身を捧げる代わりに、その三人の命を救う事を望んだ。
「……旦那にいつも、聞きそびれているのだが、
水月の頭を軽く叩きながら、重が静かに尋ねた。
「あの後、子宝を、二人儲けたのまでは、知っているのだ。二人共、それなりに長生きしたことも。だが、義姉上は? 幸せに逝ったのか?」
「どうだろうな。オレがあの化け物と再会した時、すでに亡くなっていたようだ」
久し振りに、カスミを化け物呼ばわりしながら、水月はつい笑った。
再会した旦那の、傍の者たちの反応を思い出して、化け物なのは自分も同じだったのだと、思い出したためだ。
そんな少年を見下ろして、重も笑い、屋敷の方へと目を向けた。
「私はあの後、お前も死んだ後に、世に帰った。お前たちと共にいた時より、蓮たちと過ごした時の方が、遥かに永い。だからこそ、この件は気になっていたのだが……真実は、隠し通す気なのだな?」
最後の言葉は、屋敷の方を見たままのセイに、向けられていた。
「その方が、憂いは全く残らないはずです」
「だが、蓮が、瑠璃叔母にしちまったことは……」
「あんたには、ちゃんと話す気でいたよ、あの人の子供の事」
葵に言いながらも、セイの目線の先は、動かなかった。
その先には、なぜか、蓮の攻撃で壊れていない部屋がある。
「ど、どういう事だ?」
一度、そちらに視線を投げて問う男に、重が静かに答えた。
「あそこを壊さぬように細工をしたのは、先程屋敷内に潜入した際に、選別できぬと判断したためもあるが、多すぎたせいもある」
「何か、だ?」
ウルが、慎重に問うと、男はあっさりと答えた。
「犠牲になった者が、だ」
「犠、牲?」
「馬鹿な言い伝えを信用し、その為に、定期的に、怪しまれぬように動いていたのだろう。瑠璃と言う女子も、二重に犠牲となったのであろうな」
何を言われているのか、葵が察する前にセイが続けた。
「本心と思い込みは、ぱっと見では似ているんだよ、暗示や術が似ているように。瑠璃も、そんな感じだったよ」
「妊娠が、思い込みだったってのか?」
「医学的にも、それはなかっただろ? 瑠璃が思い込んでいたのは、蓮と付き合っていた時期、だよ」
その辺りの説明は、セイにも難しい。
婚姻関係と言われるものが、どういう方法で結ばれるのか、いまいち理解できないでいるのだ。
だが、籍を入れると言う形が、婚姻と繋がっているのではないのは、知っていた。
男女が付き合い始めて、どの時期に愛の結晶なる者が出来るのかも、よく分からないが、瑠璃は蓮と、ずっと付き合い続けていると思い続けていた。
「瑠璃が実際に現れて、身ごもっている事実を話すまで、私は兎も角、葵さんまでその存在に、気付かなかった。蓮が言うように、本当に短い間の付き合いだったら分かるけど、瑠璃の言い分では、長く付き合っている口ぶりだった」
「……って、ことは、どういう事だ?」
「分からなかったから、蓮がここに来る前に確かめたかった。もし本当に、蓮の子供がいたのなら、見つけ出して弔うくらいはしてやりたかったから」
あの時、瑠璃が襲い掛かった時点で、その腹に子供がいなかったのなら、ここにいるのではと思っていたのだ。
だが、いなかった。
「へ?」
「でも、瑠璃の子供らしいものは、何個か見つかったよ」
「何個、か?」
数え方が、おかしい。
「あやつら、どうも手痛い襲撃が、身に応えたようでな、己の力を高めるべく、妙な言い伝えにすがっていたようだ」
先程も、出た話だ。
重は笑っているが、剣を帯びて物騒な笑顔だ。
「言い伝え、ってのは、何だ?」
ウルが、籠った声で問いかけると、水月が小さく笑った。
「偶に、あるな。能力のある者を食らうと、その力をその身に宿せる。そんな言い伝えを持つ一族が。確か、オキの一族が、その一つだろう?」
セイが頷き、ようやく葵の方へと顔を向けた。
「元々は、成長した一族の者の首、が主な力の源と言われていたらしいよ、あんたの母方の一族の言い伝えでは」
だからこそ、蓮は凪沙の首を隠した。
決して見つからぬ場所へ。
「どうして、あんなにねじ曲がった考えに、至ったのか。その一因が、私にもあると思うと、本当に悔やまれるよ」
呟く様に、セイが吐き捨てた。
一因どころか、それが原因だったのだろう。
あんな半端な襲撃のせいで、連中は力を求め始めたのだ。
「己の子供を、胎児のままその身に宿す。丸呑みにしてみたり、すりつぶしてみたり、随分と、研究を重ねているようであったの」
ウルが、顔を歪ませた。
「何だ、そいつらは。連中と、変わりのない奴らじゃないか」
「……言い伝えを歪ませる狂気と、己の一族が最強と奢ったすえの狂気。どちらが上と、判断できんのが、オレらがまだまともな証拠か?」
水月も笑いながら、目を険しくする。
そんな二人に構わず、セイは目を剝いている男に笑いかけた。
「葵さん、頼みがあるんだ。聞いてくれるか?」
「な、何だ?」
真っすぐ見返した男の目は、戸惑いがある。
「これから、蓮を止めて来る。そうしたら一度、あんたは蓮を連れて、この場を離れてくれ」
「あ、ああ」
「この距離くらいまででいいから、出来るだけ遠くへ走ってくれ。夜が明けたら、戻ってくれればいい」
微笑んだままのセイは、視線を屋敷の方へと戻した。
「その後で、適当な理由を告げて、警察の手を入れてくれ。あの、残った場所に。生存者は、もう保護してもらったけど、他の人たちは、あの中に残っているから。後の事は、あんたに任せるしか、ない」
そんな若者を見返しながら、葵は頷いて言った。
「分かった。お袋の首は、あの人たちに食われるのを防ぐために、蓮が隠したんだな。あいつが目覚めたら、訊いてみる」
「……」
重が、妙な顔つきで葵を見た。
それに気づいて、水月がひっそりと尋ねる。
「どうした? 何か、その鬼っ子のお袋の首の事で、心当たりがあるのか?」
「ああ。だが、蓮が話していないのなら、私が言う訳にはいくまい」
「お前は知ってるのか? 随分、信用されてたんだな」
気楽に笑う少年に、男は苦笑した。
「私を脅して吐かせようなどと、鬼は思わぬだろう。どうやら、妙な通り名を、真実と思ってくれていたようだからな」
鬼殺しの鬼子。
子供の頃から、ある武家に仕えるようになるまで、そんな通り名の方が先について回っていた。
重は、凪沙が世を去ってすぐに、蓮に聞いていた。
絶対に見つからぬ所に、その首を隠したことを。
いや、もうすでに、影も形も存在しないはずだ。
すでに消化されて、凪沙の息子の中で、その力となっているはずだからだ。
そんなこと、当の葵に話せる事ではない。
セイも察しているであろうが、同じ気持ちだろう。
若いと言うのに、気遣う事が多くて大変だのうと、重は若者に同情している。
これから始まる、もう一つの制裁の件は、セイにとってこれからの周囲の付き合いに、変化が起きそうな話だった。
そろそろ、一つの制裁が、終わる。
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