第3話
話は、かなり遡る。
「遡るって、どの位?」
メルの問いに、瑪瑙は少し躊躇って答えた。
「
明るく見送ろう、そんな名分で酒を飲みだした面々を見守り、殆どが潰れてしまった後、その連中がやって来た。
旅装束の男女三人組の、奇妙な組み合わせだった。
初めに気付いて足止めしたのは、多恵から後を継いだ僧侶だ。
だが、多勢に無勢では、勝ち目はない。
三人の内、二人までが力のある術師であれば、尚更分が悪い。
守護を主力とし始めた古谷は、まずは相手の出方を見る為に会話を試みた。
「ここが、例の山の化け物どもを倒した、家柄か? 代替わりして、力が衰えたか」
鼻で笑う男は、一緒に来た女と同じくらいの背丈で、年かさの男を見下して笑ったが、
「お話が、大きく伝わっておりますようです。わが初代は、倒してなどおりません」
ただ、封じ続けただけだと答える僧に、男が更に小馬鹿にする目を向けたが、隣の女が口を挟んだ。
「半生をかけて、厄介な奴らを封じ続けた僧侶、私はそう感じたけど、お前は違うのか。どっちが衰えたんだか」
「何だとっ?」
「これ以上、話をこんがらがらせる気なら、お前、帰れ」
女が冷たく言い放つと、背後に控えていた男が動いた。
大木の様に、大きな男だ。
首根っこを攫まれた男が、そのまま足を宙に浮かせるほど、大きく力もあるようだった。
僧侶の後ろで控えていた瑪瑙が、思わず身構えたが、女は苦し気な男の声に見向きもせず、笑顔で切り出した。
「ここに、異色の化け物がいると聞いて、やって来たんだ。会わせてくれないか?」
「化け物、でございますか。私には、そちらの方が、そう見えるのですが」
「ああ、害はない。この者は、私が世話になっている者で、名を
「……何が同じだ」
つい、瑪瑙が呟いた。
珊瑚と呼ばれた男が、見返す目を見つめ、続けた。
「その鬼は、混じり気がない。オレと同じと言われては、気分を害するんじゃないのか?」
「そんな事は、ない」
小さく笑った顔は、意外にも穏やかな空気を帯びた。
「むしろ、オレとしては嬉しく思う。お前が大きく育ち、歪んだ心持で生きていないと言うのが、分かるからな。古谷の御坊には、感謝をせねばならないだろう」
「……」
言いながら、自分よりはるかに小さい男を、玄関の外に放り投げた。
「このっ、式の分際で……」
「……本当に、黙れよ。縁談破談にするぞ」
喚く男を振り返り、女が一喝すると、男は悔しそうに口を噤んだ。
「うるさくして、すまないな。私は、
その跡取り娘で、その入り婿になる予定なのが外に放り投げられた男で、名を
「当時は知らなかったんですが、事実その家は、有名どころの商家ではありませんでした。有名だったのは……」
「術の方、か?」
「ええ、しかも、質が悪い術師です」
呪いを得手とし、それを糧に店も大きくしているようなものだった。
「江戸のはずれの商家で、あまり儲けてはいなかったのに羽振りは良いと、お上にも何度か目をつけられていたようです」
目をつけられても、証を見つけられず、もしくは大量の賄賂で、事なきを得て続くお店だったと言う。
「どうしても、疑いを解かない奴は、呪いでどうとでもできると、そう言っていました」
そんな家柄の女が、古谷の寺を訪れた。
澪と名乗った女は、玄関の上がり框で正座する僧侶を見下ろし、唸った。
「失敗したっ。僧侶になった男でも、種さえもらえば良かったんだよ。辛うじて力のある男を婿に取ろうとしなくても、それで後継ぎ問題は治まったのに。今からでも、遅くはないかな」
目を丸くする御坊の傍に、素早く座ったまま身を滑らせた瑪瑙が答える前に、清吉が文句を返した。
「澪っ、商人としては危ういくせに、うちとの縁談を、有耶無耶にする気かっ?」
振り返った女は、うっすらと笑った。
「だから、婚礼を上げた後にでも、お前には病で、早死にしてもらえばいい」
本気で、やりそうな女だった。
「……術師って、そう言う奴多いのかな」
「さあ、でも、
雅と朱里の会話に、瑪瑙は大きく頷いた。
「似たような考えで、言ったようです。大きく違うのは、塚本家の娘は、
その証拠に、騒ぎを聞きつけて遅まきながら出て来たセイに、目を輝かせたのだ。
「この際、色が変わってもいい、何て事を口走ってました」
呆れた顔になった雅の傍で、メルが目を剝いて喚いた。
「そんな奴が来たのかっ? オレ、あの場で飲みに飲んで……」
「もういいですかね、言っちまっても」
瑪瑙が、二人に笑いかけながら、言った。
「その女、酔いつぶれてるあんたたちを質にとって、馬鹿な要求をしたんです」
雅が真顔になり、口を開いたまま固まったメルを見た。
「……どんな要求?」
静かな女の問いに、男は身を引きながらも、答えた。
「自分の家の式となって、ある化け物たちを退治しろ、と」
「へえ……随分、命知らずな術師だね」
優しい笑顔を浮かべ、雅が感想を述べた。
笑い返してしまいそうな雰囲気だが、騙されてはいけない。
「で、セイは、要求を呑んだのか?」
「いいえ」
玄関先で、澪が脅しながらも広間の者たちに術をかける前に、セイは小さく笑って答えた。
「うちの奴らを縛るより、あんたが死ぬ方が、先になりそうだな」
傍目では、どんな攻防があったのか分からなかったが、古谷が息を呑みセイに呼び掛けた。
「セイ様、お手柔らかに」
「止めただけだ。これで打撃を受ける様じゃあ、あんたもそっちの男の事を、馬鹿に出来ない」
「……」
無感情に言い放った若者を睨み、澪は知らず止まっていた息を吐きだした。
「何を、した?」
「だから、止めただけだよ」
女の舌を固めただけだと、セイは言い切った。
「噛ませて死なせなかっただけ、有難いと思ってくれよ。こんな夜分に、先代古谷さんが迷い出そうな動きは、したくないんだ」
普通の亡霊は気にしないが、あの多恵のそれは、想像するだけで恐ろしいと、セイは真顔で言った。
「用がこれだけなら、早くここを離れろ。術が使えないんじゃあ、力の弱いあんたらが、うちの奴らに勝てる見込みは、薄い」
「待て、待ってくれ。今の無礼なら、いくらでも詫びる」
悔しそうに睨む女から背を向けた若者に、珊瑚が声をかけた。
「頼みがあって来た。式神云々は、こいつらの事情で、オレの事情ではない。お前は、そこの山に巣食った奴らを、一人で片付けたと聞いた、本当だったんだな?」
息を呑んだ古谷の代わりに、瑪瑙が目を細めて言った。
「その話、出回るはずがないんだが。どこからの噂話だ?」
慎重な男を一瞥して、珊瑚は再びセイへと声を投げる。
「オレは、
……そこまで聞いた朱里が、小さく声を上げた。
「お義母様の、弟さん?」
「え、そうなの?」
驚く雅に瑪瑙が頷き、言いにくそうに続けた。
「しかもどうやら、オレの父親、らしいんです」
つまり、凪沙の息子経由で、セイの事が珊瑚にも漏れていたのだ。
小さな畳部屋に通された三人は、大人しく接客を受けた。
主に会話をしたのは珊瑚とセイで、術師の二人は苦虫を噛み潰したような顔で、正座していた。
座敷に通して落ち着いた後、初めに切り出したのはセイの方だった。
「凪沙、という鬼の話なら、聞いたことがあるけど、どうして葵さんがあんたのいる土地に、迷い込んだんだ?」
「そりゃあ、迷い込んだと分かるなら、道に迷っての事だと、分かるだろう?」
そこで感動の対面を果たし、姉の最期を聞いた。
「それで、どうして、ここの山の話が出たんだ?」
更に首を傾げる若者に、珊瑚は答えた。
「オレが葵と会ったのは、ある村があった場所だ」
江戸より北の、寂れた村があったはずの土地だ。
「そこに、一時的に逃がした女がいたんだが……村ごと消えていた」
先を越されたと、鬼は苦い顔で言った。
「気づかれない様、隠したつもりだったんだが、産まれた子供も女も、村の百姓もろとも、食い殺されたらしい」
役人が、獣に襲われた村として事を治め、放置した。
だが、珊瑚が見たその跡は、獣ではなかった。
村の跡を探し回り、辺りの村に聞き込みをした後、そう判じた。
「あの辺りは、熊も出るがそこまで大きくはない。一晩で、小さいとはいえ村の百姓を皆殺しにできる熊など、いないだろう」
鬼は嘆き悔やんだが、どうしようもなくそのまま立ち去った。
数十年経った先日、再びその村を訪れたのは、迷いが生じたせいだ。
ぼんやりと立ち尽くしていた時、葵が迷い出て来たのだと言う。
「使いに出て迷ったと、言っていた」
「どこの使いだ? まさか、江戸の城で仰せつかった使い、か?」
ひたすら呆れるセイに、鬼は苦笑しながら頷いた。
「何故か人手がなくて、用事が回って来たと言っていた」
葵は、珊瑚が誰なのか、すぐに分かった。
そして、この村の事情も聞き、少し考えこんだ。
そうして話し出したのが、その土地よりはるか南の国の、ある山の話だったのだった。
「言っておくが、葵が話したのはその山に巣食っていた奴らが、自分たちの親族だったのではと、疑っていたからだ。あり得ない話ではない、オレはあの一族の長の直系なんだが、長とその周囲の血縁のみが遇される、いびつな家系だ。嫌になった他の奴らが住処を離れ、同胞たちと新たな住処を見つけたんだろう」
そして、山より連れ出された中に、数人の子供がいたと言うのも、気になったのだ。
「確かめるすべはないが、もしかしたら、子供だけでも無事に育っているのかもしれないと、そう思った」
「大きく育った後だったら、その望みはないよ」
「ああ、分かっている。だが、それも仕方ないだろう。だから、どこかで生きている、そう思い込むことにしている」
頷いてから男は、真顔になった。
「だが、女の事は別だ。オレはオレなりに、その女を好きになり、子を授かった。好いた女が、少しでも幸せになってくれればと願ってもいた」
人間の寿命は、短い。
その中で、自分を思ってくれた女が、苦労なく生きてくれたのなら、それでいいと思っていたのだ。
「幸せだったのかどうかと言われれば、否だろう。オレの母親もそうだった。鬼と契って一人里に返されたが、産まれたオレ共々、村からは爪はじきされた」
「そう思ったからこそ、あいつらを撒いたら、すぐに迎えに行くつもりだった」
実際、そうしたつもりだったが、遅かった。
「撒くのに数日かけたすきに、村ごと襲われていた」
そこまで聞いた雅が、首を傾げた。
「その珊瑚と言う鬼が、君の父親なのなら、時間的な矛盾がないかい? 君は、爪はじきにされていると感じるくらいに、大きくなっていたんだろ?」
「ああ、お前、そう言うの、知らないんだっけ」
答えたのは、先のショックから、ようやく立ち直ったメルだった。
「生来の鬼は、受胎期間が長いんだ。長くて十年とか、ざらだったらしい。だから、男と別れてすぐに、幼児くらいの子供を産んだって事だろ」
「え、じゃあ、女の人、産むの大変じゃあ?」
「腹を裂かないと、出て来れない方が多いらしいぞ。嫌だよな」
痛そうに言う女に続き、朱里も頷く。
「私も、妊娠した時、心配だったんです。
「そうか。まさに命がけじゃないか。君のお母さんは、大丈夫だったのか?」
「だと思いますけど……腹から出た時に、初めに見た人を、母親と思っていましたから」
言われてみればと、瑪瑙は思う。
自分が、母親の腹を裂いて産まれて来たのなら、人間の母はそのまま息絶えてしまった事だろう。
村で爪はじきにされていたのは、自分だけだったのかもしれない。
そんな事を考えながら、男は促されるままに続きを話し出す。
澪が頼んだ化け物退治とは、その鬼の一家の一掃、だった。
「オレの兄弟姉妹たちは、一族の隠れ家から逃げ出して来た。だが、やはり、それだけでは駄目だったんだ。姉貴が一人死んだ。その上、兄弟の子供たちにまで、牙が向くのをこれ以上、黙って見ている事は、出来ない」
「だから、そんな連中とつるんだのか?」
無感情な問いに、珊瑚は咳払いした。
「堤屋の先代に、世話になっていたんだ。事情を話して暇乞いを告げたら、名を上げるのにいいと、ついて来た」
「鬼退治なら、物凄く箔がつくからね」
澪が付け加えた。
セイは、その頼みを受けた。
「え、受けたのか? それを、黙って見てたのか、君は?」
つい責める口調になった雅に、メルは首を竦めた。
「オレ、合流するのが遅かったんだよ、知ってるだろ? だから、ついつい、連日飲み過ぎて……」
咳払いした女は、長身の女を睨んだ。
「お前だって、あの時いなかったじゃないかっ。四十九日までには戻るとか言ってたのに、結局、戻ってこなかったじゃないかっ」
雅は、詰まって天井を仰いだ。
「そ、そうだったね」
その時、雅の身にも少々厄介な事態が、降り注いでいた。
辛うじて正気を保ってはいたが、完全に元に戻るまで戻って来るなと、セイに言い渡されていたのだ。
「まあ、その時にエンと、よろしくやれてたのなら、いいけどさっ」
「……やる余裕は、無かったな」
後ろめたい気持ちの女二人に、瑪瑙は取り繕うように言った。
「他の人たちも、全く気付かない方法で、移動したんですから、そう落ち込まないでください」
しかも、協力者は二人いた。
一人は、その当時の古谷の御坊だ。
酒飲みたちの相手をしながら、セイが奥の間にいる体を、装い続けた。
そして、もう一人は、ジュリだった。
「え」
ジュリはもっぱら、厄介なロンたちを奥の間から遠ざけ、さりげなく補佐してくれたのだと僧侶も感謝していた。
「……あいつ、昔からセイには、甘いところあったよな」
女二人が仲よく頷き合う程、周囲には知られた話だった。
「で、生き残りがいたって事は、失敗したんだね?」
「ええ。しかも、よりによって、長の一族を、殆ど取り逃がす事態になりました」
セイにしては、意外な黒星だった。
近くで待機していた、同行者たちの元に戻って来たセイが、力なくそう告げた時、瑪瑙は仰天したが、直ぐ原因は分かった。
大きな体の男を、地面に引きずって、歩み寄って来たのだ。
「……あんた、この人を、江戸に送り届けてくれなかったのか?」
力なく問う若者に、珊瑚はすぐに答えた。
「送り届けたぞっ? 何事だ?」
「じゃあ、使いの帰りに、迷ったんだな……」
セイは、溜息を吐いた。
「……途中までは、迷って出た葵さんも、戦力になったらしいんですが……」
それを逆手に隙を作ったのは、葵の祖父だった。
娘の子を裏切りもの扱いするのは仕方ないが、年老いた鬼は葵が知らなかった事実を、そこで投げつけてしまったらしいのだ。
引きずられてきた大男は、泣いていた。
セイは、何も言わずに葵を立たせ、静かに失敗を告げた。
堤屋の男女は、鬼の首を数個確保して、満足げだったが、珊瑚は困惑していた。
「……城まで送るよ」
小さく言って男を促した若者に、葵は泣き声で尋ねた。
「お前、知ってたのかよ」
「……」
「オレは、この先、あいつとどんな顔して会えばいいんだよっ」
そんな男を見つめて、黙っているセイに、瑪瑙も戸惑ったが、何やら込み入った話のようで、江戸へと向かう二人を見送るしかなかった。
「……まあ、あの通り、葵さんは元に戻ってますけど、何を言われて取り乱したのかは、分からず仕舞いです」
「そうか、じゃあ、君はその伯母さんとやらから、逃げた一族の連中の居場所を見つけたと、知らされたんだね?」
瑪瑙は頷き、朱里を見た。
「その出張先に、そいつらが出没する主な地の一つが、存在するんです」
もう一つは、その土地よりはるかに離れた場所だ。
「もしかしたら葵さん、一人でけりをつける気じゃないかって、つい動揺してしまったんです」
「そうか。でも、一人では無理じゃないかな」
「どうしてですか?」
尋ねた男に、雅は呆れた顔で答えた。
「だって、絶対迷うよ。車で行くにも、交通機関で行くにも」
「あ、そう言えば、本当に一人で出かけると言っていましたわ。大変っ」
朱里が、慌てて立ち上がった。
「職務質問を受ける前に、探し当てないとっ。その場所は、この二つで間違いないのですね?」
「あ、ああ」
「では、失礼いたします」
軽く挨拶をして、朱里は慌ただしく帰って行った。
「もう、遅かったりしてな」
「うん。遅いよ、あれは」
女たちは頷き合い、瑪瑙に礼を言った。
「知らない話を聞けて、少し楽しかったよ」
「それなら、良かったです」
「もう一つだけ、気になったんだけど、いい?」
優しい笑顔で切り出した雅に、瑪瑙も笑顔で返す。
「何でしょう?」
「さっき、朱里ちゃんが言ってただろ? 瑠璃って、誰の事?」
「え、知らないんですか?」
瑪瑙は驚いてつい言ってしまい、慌てて取り繕ったが、二人は顔を見合わせて頷いただけだ。
「そんな名の知り合いは、まだいないよね」
「うん、女名に聞こえたけど」
「……叔母の一人です。ただし、オレと同じく、父親が鬼の」
納得して頷く二人に、男は躊躇ってから続けた。
「少し前に、セイに殴り込みをかけた人です、だから、朱里も知ってたんですよ」
「殴り込み?」
「蓮の子供を身ごもったから、宣戦布告に来たって、言い切られたらしいです」
「へ?」
ぽかんとした女たちを見て、瑪瑙は後悔した。
自分はまた、余計な話を口走ってしまった。
その家自体は、込み入った家柄ではない。
今では能力を駆使して、金を余らせるほどに保持しているが、それだけだ。
それが減ることがない代わりに、それ以上増える事も殆んどない。
家族の数の多さにしては、裕福な方だとは思うが、それだけだ。
ただ、家族の数は、増え続けていた。
寿命がどこかへ行ってしまった彼らは、不慮の事故がない限りは、死ぬことがないのだ。
中には年すら変わらない者もいるが、大抵は年かさの風貌で家族の前には姿を現す。
「そいつらの悪さに気付いたのは、一番上の兄が、妻子ともども消えた時だ」
凌が、静かに話し出した。
体が弱く、室内に籠りがちの兄だったが、凌にも分け隔てなく接してくれる、優しい男だった。
「オレは、母親の不義の末の子供だったからな。風当たりは最悪だったが、二人の兄のお蔭で委縮することなく、成長させてもらった」
その時には、次男であるはずのすぐ上の兄が、次の当主と決まり、一番上の、本来の後継ぎの長兄の肩身も、狭かった。
全く身寄りが不明の女性を娶った事でも、親族の不興を買っていたが、長兄は全く意に介さず妻子を大切に、生活していた。
それが、前触れもなく、いなくなった。
「親族どもは、手あたり次第の金目のものを持って逃げたと、訳の分からん話をでっちあげて、事実上の勘当を宣言したんだが、オレも兄も、信用できなかった」
二人共、知っていたからだ。
母が突然、死を選んだ理由を。
「母は、ある土地より人質同然に連れて来られた。待遇は悪くなく、二人の子にも恵まれ、それなりに幸せな生活をしていたと聞いた」
変わったのは、夫が突然死した後だ。
寿命が曖昧な種族が、あっさりと倒れて、そのまま息を引き取ったのだ。
その死に、疑問を抱かない方が、おかしい。
話でしか聞かないが、母はとても美しい女性だったと言う。
父が死ぬ前後から、祖父やその親族たちの目が、妙に絡んでいるのを兄弟は不審に思い、父にも話して警戒していたのだと、聞いた。
「オレが生まれた後、母は前触れなく死を選んだ。遺書もなく、産後の気鬱だろうと判断されたようだったが、物心ついた頃に、兄たちが教えてくれた」
凌の義理の父親は、ある男を呼び寄せていた。
人質として連れて来るまで、女を守り続けていた男だ。
男はすぐにその呼びかけに答え、父の命を聞いた。
「拒否する母を、父親は必死で説得したそうだ。守り切れないのは、妻だけではない。このままでは子供にまで、害が及ぶかも知れないと。だから、一人、この一族の血が、一滴も入らぬ者を、作り出す必要がある」
お前の血と、それに近しいその者の血なら、父たちを止める刃になるかもしれない。
そう説得した結果、女はすぐに身籠った。
「……え。じゃあ、あなたは……」
ライラが、呆然と呟くのに頷き、凌は小さく笑った。
「笑えるだろう? オレは、子供としてではなく、只の武器として産み落とされた。ぐれなかったのは、兄二人が親代わりで手を焼いてくれたお蔭だ」
女が、何とも言えない表情で、顔を伏せた。
当然だ。
女は、そんな男を騙して閨を共にし、その後子供を宿したまま、他の男と逃げたのだ。
これは、本当に謝罪しなくてもいいのか?
ゼツは思いながらも、話を聞き続ける。
「両親とも、兄たちとも似ていなかったから、物心ついた頃にはすでに不義の子と疑われていた。だからこそ、兄たちは話してくれたんだろうが、矢張り衝撃的だったな」
凌を生んだ後の母親は、祖父に呼び出されるようになり、一月ほど後に自ら命を絶ったのだった。
「オレは話で聞いただけで、実感はなかったんだが、兄二人が言うのなら本当なのだろうと、納得していた。だから、上の兄の家族が消えた時、真っ先にそいつらを疑った」
見つかったのは、祖父の個人の部屋だった。
部屋の奥の隠し部屋に、兄たちはいた。
だが、すでに、殆んど形が残っていなかったのだった。
その部屋にいたのは、祖父とその兄弟たちで、年かさの男の隣に立つ男を見て、凌は激高した。
兄の姿をした獣。
そいつが、まだ小さい子供を抱え、さらに奥へと向かおうとしていたのだ。
即座にその獣を斬り捨て、子供を救い上げたが、凌はもう、己を抑えきれなかった。
その部屋で暴れまわり、我に返った時には祖父の首を絞めたまま、剣を振りかざしていた。
「あの時、何で我に返ってしまったのか。未だに分からん。あのまま、あいつまで斬ってからだったら、今のこのもやもやは、なかったんだろうな」
そう話を締めくくった男に、初めに話しかけたのは、テーブル席の方で顔を伏せたまま黙っている、ロンの隣に座った男だった。
何かあった時の要員として、ゼツが呼び出した、一見穏やかにも見える優男だ。
「もしかして、その、あなたが助けた子供と言うのが、この人ですか?」
「ああ。自失状態が中々治らなくてな、オレが追放される時に、一緒に連れて行った」
それが、師弟関係になったきっかけだ。
成程と頷いた男に次いで、カウンター席で話を聞いていた律が、目を細めて問いかけた。
「話にあった、あなたの兄の姿をした獣、というのは、まさか……」
「ああ、その件では、謝らんといかんな、お前とオキに」
神妙に答えられ、女は深く溜息を吐いた。
「そう言う事情でしたか。母が頼んだだけにしては、徹底した殲滅でしたね、そう言えば。八つ当たりもあったんですね」
「ああ。本当に、すまなかった」
自分に謝られてもと律は呟き、話を元に戻した。
「その人を筆頭に、逃亡してしまったと言う事ですね?」
「ああ。すぐ上の兄も、隠居した体を装って、リヨウの補佐をしてくれていたはずなんだが、一緒にいなくなった」
「心当たりは、無いんですか?」
血の繋がりが濃いはずの優男が、一番冷静に話の先を読もうとしていた。
「あるならこうして、頭数を揃えて、知恵を貰おうとは思わない」
「まあ、そうでしょうが……」
天井を仰いで考える男の前に座る男が、隣に座る姉に尋ねる。
「姉貴が捕まったのは、嫁に行って数年後だったよな。嫁一人守れず、勝手に死んだ義兄さんには悪いが、墓は野ざらしになったままだ」
「ええ、そうなの? というか、あなた、どこにあの人、葬ったの?」
「それは、どうでもいい。確か、あんたが姉貴を見つけたのは、この国の、お偉いさんの屋敷、だったよな?」
律が頷き、当時の事を話す。
「人形を愛でるような感覚で、大切に扱われていたが、終始ぼんやりとしていて、自我があってそう扱われているようには、見えなかった」
「実際、はっきりと意識が戻ったのは、あなたの所にいた時だったよ。それまでは、ぼんやりと、少しずつ戻ってたんだけど、あの坊やの動きで、一気に覚めちゃった」
あっけらかんと言われたが、律としてはそれをここで詳しく話すのは、避けたかった。
「そ、そうでしたね。その、捕まった時の事は、覚えていないんですね?」
「残念ながら。でも、あの手際は、人間の所業じゃないよ。だから、そいつらが関与してると、勝手に思ってたんだけど、違うかな?」
「違うと言い切れないから、よく思い出して欲しい。もしかしたら、お前が連れていかれた先に、奴らが潜んでいるかも知れん」
シュウレイの弟が凌の言葉に唸り、話を整理しようと聞いた話をまとめる。
セキレイ達の、曽祖父に当たる男は助かったが、その周囲にいた兄弟たちは凌の手にかかったのだ。
自分達は、そいつらがそうされても当然と思えるのだが、言っても意に解すまい。
「その昔の件で一番恨まれて、狙われそうなのはあんただろうが、爺さんはそれを、回避する気らしい」
呪い持ちのまま、生き返ったであろう男が、手ごまとして動いている。
そう話すと、律は少し考えて頷く。
「……その考えで、あの旦那は、水月を使う気なのだと思います」
「それで叔父上の方は、奴らに近づかないだろうと、爺さんは見越したんだろうが……当の奴らは? あんたを一番憎んでいるのは、変わらないはずだろう? それとも、あんたを襲わないと、そう言い切れるような隠し玉を、爺さんは用意しているのか?」
「隠し玉……」
首を傾げて一同が唸る中、ゼツが素朴な疑問を投げた。
「ここのマスターは、なぜ、その役に抜擢されたんでしょうか? 見た限りあなたの代わりになるほど強いとも思えませんし、聞く限りの事情にも、当てはまっていません」
「そうなんだ、それは、オレも不思議なんだ」
しみじみと頷かれ、ゼツは少しだけ父を哀れに思った。
そう思ったのは、自分だけではなく、女房となった女がつい、反論した。
「そんな、不思議がらなくてもいいでしょう? そりゃあ、あなたほど化け物じみた怪力でもないけど」
「誰が、怪力だ」
顔を顰める凌と、ライラの会話を聞くともなく聞きながら、ロンの隣で考えていた男が、不意に体を強張らせた。
顔を伏せていたロンが、驚いて顔を上げてしまう程、珍しい挙動だ。
「……どうしました、エン?」
ゼツがそっと尋ねると、エンと呼ばれた男は我に返って笑った。
「いや、何でもない。一瞬、眠気が……」
変な言い訳に男をよく知る二人が、眉を寄せる。
怪しまれていると分かるが、エンは取り繕って笑顔を浮かべた。
「すみません、最近あまりに人と接しないもので、人疲れが早いんです」
「そうなの? そろそろ、いい人の所に戻ったら?」
ゆらりと笑い、シュウレイが意見すると、それには首を傾げた。
「そう言う人がいるのなら、いいんですけどね」
笑う男をよく知る二人が、白い目線を向ける。
どこまで惚けているのか、判断に迷うところだった。
シュウレイは、その答えにどう感じたのかは知らないが、不意に手を打って凌に切り出した。
「呼び出してもらったら?」
「ん?」
唐突な、主語のない言葉に、乱暴に返してしまう男に構わず、女は明るく言った。
「お爺さんって、愛妻家なんでしょ? その人に呼んでもらったら、すぐに来るんじゃないかな?」
「いや、姉貴、こんな事態に、のこのこ呼び出されるほど、呑気な人じゃないと思うぞ」
「……いや、呼び出せるかもな」
思わず、全員が男を振り返った。
「あの人、姉上の声は、どこにいても分かるらしい。だから、名前を呼んだらすぐに駆け付けることは、可能なはずだ」
「本当に? そんな、着ぐるみショーの、主人公みたいなお爺さんなの?」
着ぐるみショーのお約束を知っているとは、中々の強者だ。
ゼツがつい感心する中、凌が頷いた。
「姉上に連絡を取ろう。確か、今はこの地に来ているはずだ」
携帯電話を手に、男は一度外に出た。
それを見送ってから、エンが立ち上がった。
「では、オレはそろそろ……」
「え。お祖母さんに、会って行かないの?」
「会った事、あるので」
笑顔でシュウレイに答え、ロンを見下ろす。
「では、また」
「……何を考えてるの?」
目を細める男に、穏やかに笑い返し、静かに返す。
「嫌な想像を、してしまいました。口に出したくもない、胸糞悪くなる想像です」
だが、その事情を踏まえて過去の事を思い返すと、つじつまが合う事が、多すぎた。
「別の方向から、隠し玉の件は探ってみます。ゼツ、この人が落ち着くまで、傍にいてやってくれ」
切羽詰まった言葉に、大男が目を見張ったまま頷くと、それに頷き返して店を辞した。
途中すれ違った凌にも短く挨拶し、そのまま足早に向かったのは、その地の警察署だった。
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