第3話

 話は、かなり遡る。

「遡るって、どの位?」

 メルの問いに、瑪瑙は少し躊躇って答えた。

多恵たえが……鬼籍に入って、四十九日を過ぎた頃、です」

 明るく見送ろう、そんな名分で酒を飲みだした面々を見守り、殆どが潰れてしまった後、その連中がやって来た。

 旅装束の男女三人組の、奇妙な組み合わせだった。

 初めに気付いて足止めしたのは、多恵から後を継いだ僧侶だ。

 だが、多勢に無勢では、勝ち目はない。

 三人の内、二人までが力のある術師であれば、尚更分が悪い。

 守護を主力とし始めた古谷は、まずは相手の出方を見る為に会話を試みた。

「ここが、例の山の化け物どもを倒した、家柄か? 代替わりして、力が衰えたか」

 鼻で笑う男は、一緒に来た女と同じくらいの背丈で、年かさの男を見下して笑ったが、古谷ふるやの後を継いだ御坊は、やんわりと答えた。

「お話が、大きく伝わっておりますようです。わが初代は、倒してなどおりません」

 ただ、封じ続けただけだと答える僧に、男が更に小馬鹿にする目を向けたが、隣の女が口を挟んだ。

「半生をかけて、厄介な奴らを封じ続けた僧侶、私はそう感じたけど、お前は違うのか。どっちが衰えたんだか」

「何だとっ?」

「これ以上、話をこんがらがらせる気なら、お前、帰れ」

 女が冷たく言い放つと、背後に控えていた男が動いた。

 大木の様に、大きな男だ。

 首根っこを攫まれた男が、そのまま足を宙に浮かせるほど、大きく力もあるようだった。

 僧侶の後ろで控えていた瑪瑙が、思わず身構えたが、女は苦し気な男の声に見向きもせず、笑顔で切り出した。

「ここに、異色の化け物がいると聞いて、やって来たんだ。会わせてくれないか?」

「化け物、でございますか。私には、そちらの方が、そう見えるのですが」

「ああ、害はない。この者は、私が世話になっている者で、名を珊瑚さんごと言う。そちらの男と、同じだ」

「……何が同じだ」

 つい、瑪瑙が呟いた。

 珊瑚と呼ばれた男が、見返す目を見つめ、続けた。

「その鬼は、混じり気がない。オレと同じと言われては、気分を害するんじゃないのか?」

「そんな事は、ない」

 小さく笑った顔は、意外にも穏やかな空気を帯びた。

「むしろ、オレとしては嬉しく思う。お前が大きく育ち、歪んだ心持で生きていないと言うのが、分かるからな。古谷の御坊には、感謝をせねばならないだろう」

「……」

 言いながら、自分よりはるかに小さい男を、玄関の外に放り投げた。

「このっ、式の分際で……」

「……本当に、黙れよ。縁談破談にするぞ」

 喚く男を振り返り、女が一喝すると、男は悔しそうに口を噤んだ。

「うるさくして、すまないな。私は、つつみ屋のみお、と言っても分からないな。余り大店ではないし」

 その跡取り娘で、その入り婿になる予定なのが外に放り投げられた男で、名を清吉せいきちと言うと、澪が紹介した。

「当時は知らなかったんですが、事実その家は、有名どころの商家ではありませんでした。有名だったのは……」

「術の方、か?」

「ええ、しかも、質が悪い術師です」

 呪いを得手とし、それを糧に店も大きくしているようなものだった。

「江戸のはずれの商家で、あまり儲けてはいなかったのに羽振りは良いと、お上にも何度か目をつけられていたようです」

 目をつけられても、証を見つけられず、もしくは大量の賄賂で、事なきを得て続くお店だったと言う。

「どうしても、疑いを解かない奴は、呪いでどうとでもできると、そう言っていました」

 そんな家柄の女が、古谷の寺を訪れた。

 澪と名乗った女は、玄関の上がり框で正座する僧侶を見下ろし、唸った。

「失敗したっ。僧侶になった男でも、種さえもらえば良かったんだよ。辛うじて力のある男を婿に取ろうとしなくても、それで後継ぎ問題は治まったのに。今からでも、遅くはないかな」

 目を丸くする御坊の傍に、素早く座ったまま身を滑らせた瑪瑙が答える前に、清吉が文句を返した。

「澪っ、商人としては危ういくせに、うちとの縁談を、有耶無耶にする気かっ?」

 振り返った女は、うっすらと笑った。

「だから、婚礼を上げた後にでも、お前には病で、早死にしてもらえばいい」

 本気で、やりそうな女だった。

「……術師って、そう言う奴多いのかな」

「さあ、でも、塚本つかもとさんの先々代のいさみさんが、似たようなことを古谷さんにおっしゃったと、聞いた記憶が……」

 雅と朱里の会話に、瑪瑙は大きく頷いた。

「似たような考えで、言ったようです。大きく違うのは、塚本家の娘は、いわおに惚れた挙句、そう思い詰め、変哲的な形で収まったが、あの時のあの女は……本当に、子種だけ欲しかったらしい」

 その証拠に、騒ぎを聞きつけて遅まきながら出て来たセイに、目を輝かせたのだ。

「この際、色が変わってもいい、何て事を口走ってました」

 呆れた顔になった雅の傍で、メルが目を剝いて喚いた。

「そんな奴が来たのかっ? オレ、あの場で飲みに飲んで……」

「もういいですかね、言っちまっても」

 瑪瑙が、二人に笑いかけながら、言った。

「その女、酔いつぶれてるあんたたちを質にとって、馬鹿な要求をしたんです」

 雅が真顔になり、口を開いたまま固まったメルを見た。

「……どんな要求?」

 静かな女の問いに、男は身を引きながらも、答えた。

「自分の家の式となって、ある化け物たちを退治しろ、と」

「へえ……随分、命知らずな術師だね」

 優しい笑顔を浮かべ、雅が感想を述べた。

 笑い返してしまいそうな雰囲気だが、騙されてはいけない。

「で、セイは、要求を呑んだのか?」

「いいえ」

 玄関先で、澪が脅しながらも広間の者たちに術をかける前に、セイは小さく笑って答えた。

「うちの奴らを縛るより、あんたが死ぬ方が、先になりそうだな」

 傍目では、どんな攻防があったのか分からなかったが、古谷が息を呑みセイに呼び掛けた。

「セイ様、お手柔らかに」

「止めただけだ。これで打撃を受ける様じゃあ、あんたもそっちの男の事を、馬鹿に出来ない」

「……」

 無感情に言い放った若者を睨み、澪は知らず止まっていた息を吐きだした。

「何を、した?」

「だから、止めただけだよ」

 女の舌を固めただけだと、セイは言い切った。

「噛ませて死なせなかっただけ、有難いと思ってくれよ。こんな夜分に、先代古谷さんが迷い出そうな動きは、したくないんだ」

 普通の亡霊は気にしないが、あの多恵のそれは、想像するだけで恐ろしいと、セイは真顔で言った。

「用がこれだけなら、早くここを離れろ。術が使えないんじゃあ、力の弱いあんたらが、うちの奴らに勝てる見込みは、薄い」

「待て、待ってくれ。今の無礼なら、いくらでも詫びる」

 悔しそうに睨む女から背を向けた若者に、珊瑚が声をかけた。

「頼みがあって来た。式神云々は、こいつらの事情で、オレの事情ではない。お前は、そこの山に巣食った奴らを、一人で片付けたと聞いた、本当だったんだな?」

 息を呑んだ古谷の代わりに、瑪瑙が目を細めて言った。

「その話、出回るはずがないんだが。どこからの噂話だ?」

 慎重な男を一瞥して、珊瑚は再びセイへと声を投げる。

「オレは、凪沙なぎさの弟だ」

 ……そこまで聞いた朱里が、小さく声を上げた。

「お義母様の、弟さん?」

「え、そうなの?」

 驚く雅に瑪瑙が頷き、言いにくそうに続けた。

「しかもどうやら、オレの父親、らしいんです」

 つまり、凪沙の息子経由で、セイの事が珊瑚にも漏れていたのだ。

 小さな畳部屋に通された三人は、大人しく接客を受けた。

 主に会話をしたのは珊瑚とセイで、術師の二人は苦虫を噛み潰したような顔で、正座していた。

 座敷に通して落ち着いた後、初めに切り出したのはセイの方だった。

「凪沙、という鬼の話なら、聞いたことがあるけど、どうして葵さんがあんたのいる土地に、迷い込んだんだ?」

「そりゃあ、迷い込んだと分かるなら、道に迷っての事だと、分かるだろう?」

 そこで感動の対面を果たし、姉の最期を聞いた。

「それで、どうして、ここの山の話が出たんだ?」

 更に首を傾げる若者に、珊瑚は答えた。

「オレが葵と会ったのは、ある村があった場所だ」

 江戸より北の、寂れた村があったはずの土地だ。

「そこに、一時的に逃がした女がいたんだが……村ごと消えていた」

 先を越されたと、鬼は苦い顔で言った。

「気づかれない様、隠したつもりだったんだが、産まれた子供も女も、村の百姓もろとも、食い殺されたらしい」

 役人が、獣に襲われた村として事を治め、放置した。

 だが、珊瑚が見たその跡は、獣ではなかった。

 村の跡を探し回り、辺りの村に聞き込みをした後、そう判じた。

「あの辺りは、熊も出るがそこまで大きくはない。一晩で、小さいとはいえ村の百姓を皆殺しにできる熊など、いないだろう」

 鬼は嘆き悔やんだが、どうしようもなくそのまま立ち去った。

 数十年経った先日、再びその村を訪れたのは、迷いが生じたせいだ。

 ぼんやりと立ち尽くしていた時、葵が迷い出て来たのだと言う。

「使いに出て迷ったと、言っていた」

「どこの使いだ? まさか、江戸の城で仰せつかった使い、か?」

 ひたすら呆れるセイに、鬼は苦笑しながら頷いた。

「何故か人手がなくて、用事が回って来たと言っていた」

 葵は、珊瑚が誰なのか、すぐに分かった。

 そして、この村の事情も聞き、少し考えこんだ。

 そうして話し出したのが、その土地よりはるか南の国の、ある山の話だったのだった。

「言っておくが、葵が話したのはその山に巣食っていた奴らが、自分たちの親族だったのではと、疑っていたからだ。あり得ない話ではない、オレはあの一族の長の直系なんだが、長とその周囲の血縁のみが遇される、いびつな家系だ。嫌になった他の奴らが住処を離れ、同胞たちと新たな住処を見つけたんだろう」

 そして、山より連れ出された中に、数人の子供がいたと言うのも、気になったのだ。

「確かめるすべはないが、もしかしたら、子供だけでも無事に育っているのかもしれないと、そう思った」

「大きく育った後だったら、その望みはないよ」

「ああ、分かっている。だが、それも仕方ないだろう。だから、どこかで生きている、そう思い込むことにしている」

 頷いてから男は、真顔になった。

「だが、女の事は別だ。オレはオレなりに、その女を好きになり、子を授かった。好いた女が、少しでも幸せになってくれればと願ってもいた」

 人間の寿命は、短い。

 その中で、自分を思ってくれた女が、苦労なく生きてくれたのなら、それでいいと思っていたのだ。

「幸せだったのかどうかと言われれば、否だろう。オレの母親もそうだった。鬼と契って一人里に返されたが、産まれたオレ共々、村からは爪はじきされた」

「そう思ったからこそ、あいつらを撒いたら、すぐに迎えに行くつもりだった」

 実際、そうしたつもりだったが、遅かった。

「撒くのに数日かけたすきに、村ごと襲われていた」

 そこまで聞いた雅が、首を傾げた。

「その珊瑚と言う鬼が、君の父親なのなら、時間的な矛盾がないかい? 君は、爪はじきにされていると感じるくらいに、大きくなっていたんだろ?」

「ああ、お前、そう言うの、知らないんだっけ」

 答えたのは、先のショックから、ようやく立ち直ったメルだった。

「生来の鬼は、受胎期間が長いんだ。長くて十年とか、ざらだったらしい。だから、男と別れてすぐに、幼児くらいの子供を産んだって事だろ」

「え、じゃあ、女の人、産むの大変じゃあ?」

「腹を裂かないと、出て来れない方が多いらしいぞ。嫌だよな」

 痛そうに言う女に続き、朱里も頷く。

「私も、妊娠した時、心配だったんです。瑠璃るりさんもかなり長く、お腹にお子さんを宿していたと、聞いていますし」

「そうか。まさに命がけじゃないか。君のお母さんは、大丈夫だったのか?」

「だと思いますけど……腹から出た時に、初めに見た人を、母親と思っていましたから」

 言われてみればと、瑪瑙は思う。

 自分が、母親の腹を裂いて産まれて来たのなら、人間の母はそのまま息絶えてしまった事だろう。

 村で爪はじきにされていたのは、自分だけだったのかもしれない。

 そんな事を考えながら、男は促されるままに続きを話し出す。

 澪が頼んだ化け物退治とは、その鬼の一家の一掃、だった。

「オレの兄弟姉妹たちは、一族の隠れ家から逃げ出して来た。だが、やはり、それだけでは駄目だったんだ。姉貴が一人死んだ。その上、兄弟の子供たちにまで、牙が向くのをこれ以上、黙って見ている事は、出来ない」

「だから、そんな連中とつるんだのか?」

 無感情な問いに、珊瑚は咳払いした。

「堤屋の先代に、世話になっていたんだ。事情を話して暇乞いを告げたら、名を上げるのにいいと、ついて来た」

「鬼退治なら、物凄く箔がつくからね」

 澪が付け加えた。

 セイは、その頼みを受けた。

「え、受けたのか? それを、黙って見てたのか、君は?」

 つい責める口調になった雅に、メルは首を竦めた。

「オレ、合流するのが遅かったんだよ、知ってるだろ? だから、ついつい、連日飲み過ぎて……」

 咳払いした女は、長身の女を睨んだ。

「お前だって、あの時いなかったじゃないかっ。四十九日までには戻るとか言ってたのに、結局、戻ってこなかったじゃないかっ」

 雅は、詰まって天井を仰いだ。

「そ、そうだったね」

 その時、雅の身にも少々厄介な事態が、降り注いでいた。

 辛うじて正気を保ってはいたが、完全に元に戻るまで戻って来るなと、セイに言い渡されていたのだ。

「まあ、その時にエンと、よろしくやれてたのなら、いいけどさっ」

「……やる余裕は、無かったな」

 後ろめたい気持ちの女二人に、瑪瑙は取り繕うように言った。

「他の人たちも、全く気付かない方法で、移動したんですから、そう落ち込まないでください」

 しかも、協力者は二人いた。

 一人は、その当時の古谷の御坊だ。

 酒飲みたちの相手をしながら、セイが奥の間にいる体を、装い続けた。

 そして、もう一人は、ジュリだった。

「え」

 ジュリはもっぱら、厄介なロンたちを奥の間から遠ざけ、さりげなく補佐してくれたのだと僧侶も感謝していた。

「……あいつ、昔からセイには、甘いところあったよな」

 女二人が仲よく頷き合う程、周囲には知られた話だった。

「で、生き残りがいたって事は、失敗したんだね?」

「ええ。しかも、よりによって、長の一族を、殆ど取り逃がす事態になりました」

 セイにしては、意外な黒星だった。

 近くで待機していた、同行者たちの元に戻って来たセイが、力なくそう告げた時、瑪瑙は仰天したが、直ぐ原因は分かった。

 大きな体の男を、地面に引きずって、歩み寄って来たのだ。

「……あんた、この人を、江戸に送り届けてくれなかったのか?」 

 力なく問う若者に、珊瑚はすぐに答えた。

「送り届けたぞっ? 何事だ?」

「じゃあ、使いの帰りに、迷ったんだな……」

 セイは、溜息を吐いた。

「……途中までは、迷って出た葵さんも、戦力になったらしいんですが……」

 それを逆手に隙を作ったのは、葵の祖父だった。

 娘の子を裏切りもの扱いするのは仕方ないが、年老いた鬼は葵が知らなかった事実を、そこで投げつけてしまったらしいのだ。

 引きずられてきた大男は、泣いていた。

 セイは、何も言わずに葵を立たせ、静かに失敗を告げた。

 堤屋の男女は、鬼の首を数個確保して、満足げだったが、珊瑚は困惑していた。

「……城まで送るよ」

 小さく言って男を促した若者に、葵は泣き声で尋ねた。

「お前、知ってたのかよ」

「……」

「オレは、この先、あいつとどんな顔して会えばいいんだよっ」

 そんな男を見つめて、黙っているセイに、瑪瑙も戸惑ったが、何やら込み入った話のようで、江戸へと向かう二人を見送るしかなかった。

「……まあ、あの通り、葵さんは元に戻ってますけど、何を言われて取り乱したのかは、分からず仕舞いです」

「そうか、じゃあ、君はその伯母さんとやらから、逃げた一族の連中の居場所を見つけたと、知らされたんだね?」

 瑪瑙は頷き、朱里を見た。

「その出張先に、そいつらが出没する主な地の一つが、存在するんです」

 もう一つは、その土地よりはるかに離れた場所だ。

「もしかしたら葵さん、一人でけりをつける気じゃないかって、つい動揺してしまったんです」

「そうか。でも、一人では無理じゃないかな」

「どうしてですか?」

 尋ねた男に、雅は呆れた顔で答えた。

「だって、絶対迷うよ。車で行くにも、交通機関で行くにも」

「あ、そう言えば、本当に一人で出かけると言っていましたわ。大変っ」

 朱里が、慌てて立ち上がった。

「職務質問を受ける前に、探し当てないとっ。その場所は、この二つで間違いないのですね?」

「あ、ああ」

「では、失礼いたします」

 軽く挨拶をして、朱里は慌ただしく帰って行った。

「もう、遅かったりしてな」

「うん。遅いよ、あれは」

 女たちは頷き合い、瑪瑙に礼を言った。

「知らない話を聞けて、少し楽しかったよ」

「それなら、良かったです」

「もう一つだけ、気になったんだけど、いい?」

 優しい笑顔で切り出した雅に、瑪瑙も笑顔で返す。

「何でしょう?」

「さっき、朱里ちゃんが言ってただろ? 瑠璃って、誰の事?」

「え、知らないんですか?」

 瑪瑙は驚いてつい言ってしまい、慌てて取り繕ったが、二人は顔を見合わせて頷いただけだ。

「そんな名の知り合いは、まだいないよね」

「うん、女名に聞こえたけど」

「……叔母の一人です。ただし、オレと同じく、父親が鬼の」

 納得して頷く二人に、男は躊躇ってから続けた。

「少し前に、セイに殴り込みをかけた人です、だから、朱里も知ってたんですよ」

「殴り込み?」

「蓮の子供を身ごもったから、宣戦布告に来たって、言い切られたらしいです」

「へ?」

 ぽかんとした女たちを見て、瑪瑙は後悔した。

 自分はまた、余計な話を口走ってしまった。


 その家自体は、込み入った家柄ではない。

 今では能力を駆使して、金を余らせるほどに保持しているが、それだけだ。

 それが減ることがない代わりに、それ以上増える事も殆んどない。

 家族の数の多さにしては、裕福な方だとは思うが、それだけだ。

 ただ、家族の数は、増え続けていた。

 寿命がどこかへ行ってしまった彼らは、不慮の事故がない限りは、死ぬことがないのだ。

 中には年すら変わらない者もいるが、大抵は年かさの風貌で家族の前には姿を現す。

「そいつらの悪さに気付いたのは、一番上の兄が、妻子ともども消えた時だ」

 凌が、静かに話し出した。

 体が弱く、室内に籠りがちの兄だったが、凌にも分け隔てなく接してくれる、優しい男だった。

「オレは、母親の不義の末の子供だったからな。風当たりは最悪だったが、二人の兄のお蔭で委縮することなく、成長させてもらった」

 その時には、次男であるはずのすぐ上の兄が、次の当主と決まり、一番上の、本来の後継ぎの長兄の肩身も、狭かった。

 全く身寄りが不明の女性を娶った事でも、親族の不興を買っていたが、長兄は全く意に介さず妻子を大切に、生活していた。

 それが、前触れもなく、いなくなった。

「親族どもは、手あたり次第の金目のものを持って逃げたと、訳の分からん話をでっちあげて、事実上の勘当を宣言したんだが、オレも兄も、信用できなかった」

 二人共、知っていたからだ。

 母が突然、死を選んだ理由を。

「母は、ある土地より人質同然に連れて来られた。待遇は悪くなく、二人の子にも恵まれ、それなりに幸せな生活をしていたと聞いた」

 変わったのは、夫が突然死した後だ。

 寿命が曖昧な種族が、あっさりと倒れて、そのまま息を引き取ったのだ。

 その死に、疑問を抱かない方が、おかしい。

 話でしか聞かないが、母はとても美しい女性だったと言う。

 父が死ぬ前後から、祖父やその親族たちの目が、妙に絡んでいるのを兄弟は不審に思い、父にも話して警戒していたのだと、聞いた。

「オレが生まれた後、母は前触れなく死を選んだ。遺書もなく、産後の気鬱だろうと判断されたようだったが、物心ついた頃に、兄たちが教えてくれた」

 凌の義理の父親は、ある男を呼び寄せていた。

 人質として連れて来るまで、女を守り続けていた男だ。

 男はすぐにその呼びかけに答え、父の命を聞いた。

「拒否する母を、父親は必死で説得したそうだ。守り切れないのは、妻だけではない。このままでは子供にまで、害が及ぶかも知れないと。だから、一人、この一族の血が、一滴も入らぬ者を、作り出す必要がある」

 お前の血と、それに近しいその者の血なら、父たちを止める刃になるかもしれない。

 そう説得した結果、女はすぐに身籠った。

「……え。じゃあ、あなたは……」

 ライラが、呆然と呟くのに頷き、凌は小さく笑った。

「笑えるだろう? オレは、子供としてではなく、只の武器として産み落とされた。ぐれなかったのは、兄二人が親代わりで手を焼いてくれたお蔭だ」

 女が、何とも言えない表情で、顔を伏せた。

 当然だ。

 女は、そんな男を騙して閨を共にし、その後子供を宿したまま、他の男と逃げたのだ。

 これは、本当に謝罪しなくてもいいのか? 

 ゼツは思いながらも、話を聞き続ける。

「両親とも、兄たちとも似ていなかったから、物心ついた頃にはすでに不義の子と疑われていた。だからこそ、兄たちは話してくれたんだろうが、矢張り衝撃的だったな」

 凌を生んだ後の母親は、祖父に呼び出されるようになり、一月ほど後に自ら命を絶ったのだった。

「オレは話で聞いただけで、実感はなかったんだが、兄二人が言うのなら本当なのだろうと、納得していた。だから、上の兄の家族が消えた時、真っ先にそいつらを疑った」

 見つかったのは、祖父の個人の部屋だった。

 部屋の奥の隠し部屋に、兄たちはいた。

 だが、すでに、殆んど形が残っていなかったのだった。

 その部屋にいたのは、祖父とその兄弟たちで、年かさの男の隣に立つ男を見て、凌は激高した。

 兄の姿をした獣。

 そいつが、まだ小さい子供を抱え、さらに奥へと向かおうとしていたのだ。

 即座にその獣を斬り捨て、子供を救い上げたが、凌はもう、己を抑えきれなかった。

 その部屋で暴れまわり、我に返った時には祖父の首を絞めたまま、剣を振りかざしていた。

「あの時、何で我に返ってしまったのか。未だに分からん。あのまま、あいつまで斬ってからだったら、今のこのもやもやは、なかったんだろうな」

 そう話を締めくくった男に、初めに話しかけたのは、テーブル席の方で顔を伏せたまま黙っている、ロンの隣に座った男だった。

 何かあった時の要員として、ゼツが呼び出した、一見穏やかにも見える優男だ。

「もしかして、その、あなたが助けた子供と言うのが、この人ですか?」

「ああ。自失状態が中々治らなくてな、オレが追放される時に、一緒に連れて行った」

 それが、師弟関係になったきっかけだ。

 成程と頷いた男に次いで、カウンター席で話を聞いていた律が、目を細めて問いかけた。

「話にあった、あなたの兄の姿をした獣、というのは、まさか……」

「ああ、その件では、謝らんといかんな、お前とオキに」

 神妙に答えられ、女は深く溜息を吐いた。

「そう言う事情でしたか。母が頼んだだけにしては、徹底した殲滅でしたね、そう言えば。八つ当たりもあったんですね」

「ああ。本当に、すまなかった」

 自分に謝られてもと律は呟き、話を元に戻した。

「その人を筆頭に、逃亡してしまったと言う事ですね?」

「ああ。すぐ上の兄も、隠居した体を装って、リヨウの補佐をしてくれていたはずなんだが、一緒にいなくなった」

「心当たりは、無いんですか?」

 血の繋がりが濃いはずの優男が、一番冷静に話の先を読もうとしていた。

「あるならこうして、頭数を揃えて、知恵を貰おうとは思わない」

「まあ、そうでしょうが……」

 天井を仰いで考える男の前に座る男が、隣に座る姉に尋ねる。

「姉貴が捕まったのは、嫁に行って数年後だったよな。嫁一人守れず、勝手に死んだ義兄さんには悪いが、墓は野ざらしになったままだ」

「ええ、そうなの? というか、あなた、どこにあの人、葬ったの?」

「それは、どうでもいい。確か、あんたが姉貴を見つけたのは、この国の、お偉いさんの屋敷、だったよな?」

 律が頷き、当時の事を話す。

「人形を愛でるような感覚で、大切に扱われていたが、終始ぼんやりとしていて、自我があってそう扱われているようには、見えなかった」

「実際、はっきりと意識が戻ったのは、あなたの所にいた時だったよ。それまでは、ぼんやりと、少しずつ戻ってたんだけど、あの坊やの動きで、一気に覚めちゃった」

 あっけらかんと言われたが、律としてはそれをここで詳しく話すのは、避けたかった。

「そ、そうでしたね。その、捕まった時の事は、覚えていないんですね?」

「残念ながら。でも、あの手際は、人間の所業じゃないよ。だから、そいつらが関与してると、勝手に思ってたんだけど、違うかな?」

「違うと言い切れないから、よく思い出して欲しい。もしかしたら、お前が連れていかれた先に、奴らが潜んでいるかも知れん」

 シュウレイの弟が凌の言葉に唸り、話を整理しようと聞いた話をまとめる。

 セキレイ達の、曽祖父に当たる男は助かったが、その周囲にいた兄弟たちは凌の手にかかったのだ。

 自分達は、そいつらがそうされても当然と思えるのだが、言っても意に解すまい。

「その昔の件で一番恨まれて、狙われそうなのはあんただろうが、爺さんはそれを、回避する気らしい」

 呪い持ちのまま、生き返ったであろう男が、手ごまとして動いている。

 そう話すと、律は少し考えて頷く。

「……その考えで、あの旦那は、水月を使う気なのだと思います」

「それで叔父上の方は、奴らに近づかないだろうと、爺さんは見越したんだろうが……当の奴らは? あんたを一番憎んでいるのは、変わらないはずだろう? それとも、あんたを襲わないと、そう言い切れるような隠し玉を、爺さんは用意しているのか?」

「隠し玉……」

 首を傾げて一同が唸る中、ゼツが素朴な疑問を投げた。

「ここのマスターは、なぜ、その役に抜擢されたんでしょうか? 見た限りあなたの代わりになるほど強いとも思えませんし、聞く限りの事情にも、当てはまっていません」

「そうなんだ、それは、オレも不思議なんだ」

 しみじみと頷かれ、ゼツは少しだけ父を哀れに思った。

 そう思ったのは、自分だけではなく、女房となった女がつい、反論した。

「そんな、不思議がらなくてもいいでしょう? そりゃあ、あなたほど化け物じみた怪力でもないけど」

「誰が、怪力だ」

 顔を顰める凌と、ライラの会話を聞くともなく聞きながら、ロンの隣で考えていた男が、不意に体を強張らせた。

 顔を伏せていたロンが、驚いて顔を上げてしまう程、珍しい挙動だ。

「……どうしました、エン?」

 ゼツがそっと尋ねると、エンと呼ばれた男は我に返って笑った。

「いや、何でもない。一瞬、眠気が……」

 変な言い訳に男をよく知る二人が、眉を寄せる。

 怪しまれていると分かるが、エンは取り繕って笑顔を浮かべた。

「すみません、最近あまりに人と接しないもので、人疲れが早いんです」

「そうなの? そろそろ、いい人の所に戻ったら?」

 ゆらりと笑い、シュウレイが意見すると、それには首を傾げた。

「そう言う人がいるのなら、いいんですけどね」

 笑う男をよく知る二人が、白い目線を向ける。

 どこまで惚けているのか、判断に迷うところだった。

 シュウレイは、その答えにどう感じたのかは知らないが、不意に手を打って凌に切り出した。

「呼び出してもらったら?」

「ん?」

 唐突な、主語のない言葉に、乱暴に返してしまう男に構わず、女は明るく言った。

「お爺さんって、愛妻家なんでしょ? その人に呼んでもらったら、すぐに来るんじゃないかな?」

「いや、姉貴、こんな事態に、のこのこ呼び出されるほど、呑気な人じゃないと思うぞ」

「……いや、呼び出せるかもな」

 思わず、全員が男を振り返った。

「あの人、姉上の声は、どこにいても分かるらしい。だから、名前を呼んだらすぐに駆け付けることは、可能なはずだ」

「本当に? そんな、着ぐるみショーの、主人公みたいなお爺さんなの?」

 着ぐるみショーのお約束を知っているとは、中々の強者だ。

 ゼツがつい感心する中、凌が頷いた。

「姉上に連絡を取ろう。確か、今はこの地に来ているはずだ」

 携帯電話を手に、男は一度外に出た。

 それを見送ってから、エンが立ち上がった。

「では、オレはそろそろ……」

「え。お祖母さんに、会って行かないの?」

「会った事、あるので」

 笑顔でシュウレイに答え、ロンを見下ろす。

「では、また」

「……何を考えてるの?」

 目を細める男に、穏やかに笑い返し、静かに返す。

「嫌な想像を、してしまいました。口に出したくもない、胸糞悪くなる想像です」

 だが、その事情を踏まえて過去の事を思い返すと、つじつまが合う事が、多すぎた。

「別の方向から、隠し玉の件は探ってみます。ゼツ、この人が落ち着くまで、傍にいてやってくれ」

 切羽詰まった言葉に、大男が目を見張ったまま頷くと、それに頷き返して店を辞した。

 途中すれ違った凌にも短く挨拶し、そのまま足早に向かったのは、その地の警察署だった。

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