第五章 呼んでいる海辺 3

【「事態は流動的」か】

 冷ややかな言葉で始められた〈通信〉に、自室として与えられた士官室に入ったホセは、苦い顔をした。

【〈盗聴(ワイヤータッピング)〉していたんですか】

【攻略部隊兵のきみの意識を〈盗聴〉なんてできないよ。ただ単に、シュヴァリエ中尉の意識を〈走査〉しただけだ。こちらにはその権限があるからね。それはそうと、彼の能力については、確定的だろう?】

 指摘されて、ホセは溜め息をついた。元々この〈通信〉相手に隠し事はできない。

【はい。彼にはテレパシー能力があります】

 ホセは淡々と告げた。

 〈記憶喪失〉はカヅラキ・ユウ――《潜る鯆》の独自技なので、詳しくは分からない。けれどもホセが感じた通り、《潜る鯆》はソク・イルシン経由でこの宙域にいる全ての人間に精神攻略を仕掛け、自分に関する記憶を消したということで間違いないようだ。勿論、テレパスであるホセとこの〈通信〉相手は精神攻略を跳ね除けたので、その影響はないが、イルシンもまた《潜る鯆》のことを覚えている――正確には思い出すという、予想外の事態が生じたのだった。

 最初、〈記憶喪失〉がイルシンに充分に効かなかったのは、《潜る鯆》の〈出力〉不足が原因だと推測した。だが、調査を進めるにつれ、《潜る鯆》は、この惑星にいる、UPOを始めとする生命体全てのテレパシー能力も借りて〈記憶喪失〉を使っており、その〈出力〉に、不足はないと分かった。ならば、何が原因か。二番目に疑ったのは、《潜る鯆》がやはり土壇場で記憶を消すことを躊躇ったのではないかということだった。しかし、それも、《潜る鯆》の〈出力〉規模――恐らくは〈最大出力〉を精査した結果、彼女の覚悟は本物だったと断ずるしかなかった。では、最後に考えられるのは――。ホセは、目を閉じてイルシンを感じる。まだ詳しい検査はされていないが、それでも、残るはその可能性しかない。イルシンは、ナチュラル・テレパスなのだ。ホセや《潜る鯆》のようにUPOに感染されて能力を得たアンナチュラル・テレパスや、この〈通信〉相手――暗号名|遍在する《ユビキタス・悪夢ナイトメア》のように遺伝的に恵まれたナチュラル・テレパスほどの力はないにしろ、テレパスなのだ。そして、《潜る鯆》の〈記憶喪失〉に対して抵抗し、自らの記憶を守ったのである。きっと、《潜る鯆》のテレパシー能力に刺激を受けて、一般的な検査では見つからないくらい僅かだった能力が開花したのだろう。皮肉な話だ。結果、ホセが行なったことは二つ。一方では、事実と調査結果をありのまま且つ迅速に、大将たる父に報告し、他方で、精神攻略技〈修正保存〉を用いて基地の全員にホセ・エステベスに関する記憶を上書きし、同時に精神攻略技〈深層占有(ディープ・オキュパイイング)〉で数人の兵士を動かしてデータ改竄を行なうことで、精神感応科診療部隊所属カヅラキ・ユウ上等兵曹という存在の痕跡を完全に消した。そもそも、精神感応科診療部隊所属カヅラキ・ユウ上等兵曹などという存在は、架空のものだったから、これでいいのだ――。

【ここから先の彼の処遇は、上層部が判断することになります。近い内に、上層部から指令が届くでしょう。ですが、少なくとも、彼の現在のテレパシー能力程度では、機密情報を――《潜る鯆》のことを知ることはできません】

【それで、あんな適当な説明をした訳か。カヅラキ・アサが二重人格テレパスとか、よくもあんなでたらめが出てくる。もしかして、最近流行りの《随意ヴォランタリー・多重マルティプル・人格パーソナリティ》から思いついたのかな?】

 事実なので、ホセは否定しなかった。《随意多重人格》は、ここ数年で急に確認され始めた精神感応能力だ。〈別人格形成〉という精神攻略技を用い、目的に応じた別人格を設けるのである。本来の人格は、〈統括者〉として全ての記憶を持つが、任務中は殆ど表に出ない。

【何でもいいけど、あんな説明だけで検査や調査が続く間放っておかれて、彼が精神に異常を来たしたら、おれがカヅラキ・アサに恨まれる】

 相手は今、待機中のはずだが、自室にでもいるのか、〈通信〉を短く切り上げる気はないらしい。ホセは溜め息をつき、せっかくなので、この相手が担当していることについて問うた。

【カヅラキ・アサは、直接、ソク・イルシンに真実を伝えようとはしないんですか】

【彼女――《囁く鯨》には、自分が生きてることを思い出させた。そのせいもあるし、《潜る鯆》のこともあって、もうここにはいられないみたいだ。ずっと姿を見てないよ。ただ、ソク・イルシンのことは、彼女から頼まれてるし、おれとしても寝覚めが悪いから、もう少し気を遣ってやってほしい】

 確かにあのでたらめな説明は、イルシンの負担になっているだろう。だが、イルシンが騒ぎ回ったせいで動揺している周りの兵士達のために、あの説明は必要だったのだ。周りの兵士達に聞かせるために、ホセはわざわざ医務室で説明したのである。

【おれも、できることなら、何とかしたいとは思います。ですが、現状、これがおれにできる精一杯です】

【つまり】

 にやりと笑うような調子で、《遍在する悪夢》は応じる。

【ソク・イルシンが、機密情報を得られる程度のテレパシー能力を発現すればいい訳だ】

【どうやってですか】

【そういうことを可能にできそうな存在がいるだろう?】

【ディープ・ブルー……!】

 確かにあの存在なら、対象に実際に感染することで、そのテレパシー能力を飛躍的に上げることができるだろう。

【おまえなら頼めないか? ここに来てすぐ、〈交信〉したんだろう?】

【それは――、おれの一存では決められません――】

 ホセは顔をしかめた。自分は、あくまでエステベス大将の命令の下で動いているのだ。

【まあ、おまえならそう言うと思ったけどね。ディープ・ブルーが勝手にしたことにすればいいんじゃないか?】

 《遍在する悪夢》らしい気軽な調子の提案に、ホセは首を横に振った。

【無理です。上級者の命令に反する行為は、一切できません。〈催眠暗示〉には、逆らえない】

【《潜る鯆》のようにはいかないか。仕方ないね……】

 苦笑するような言葉を最後に、《遍在する悪夢》のほうから〈通信〉は切られた。

(当たり前だ)

 ホセは寝台に腰掛け、唇を噛んだ。カヅラキ・ユウが用いたのは、生涯でたった一度しかできない禁じ手なのだ。何しろ、それで、人生は終わってしまうのだから。

(それでもおまえは、ソク・イルシンのために、彼の人生を守るために、命を賭けたのに……)

 自分は、彼を充分に守れない――。

【人間というのは、実に奇妙な生き物ですね】

 唐突に涼しい「声」がして、ホセは目を瞠った。「声」と同時に、眼前に、やや長めの黒髪を首筋に垂らし、切れ長の目をした細身の少年が現れたのだ。

【ディープ・ブルー――】

 その姿は、あの丘の上に現れたもの、そしてその「声」は、あそこまでホセを導いたものだった。少年の姿を装った存在は、整った顔をしかめて見せる。

【言葉というものがあって、お互いの意思を伝え合うことができるのに、望みを、願いを、共有できない。確かに、おれのテレパシー能力に比べれば、言葉というものは不充分かもしれませんが、それにしても、もう少し分かり合えても良さそうなものなのに。そして、逆に分かり合えないなら、敵と見なせばいいのに、互いを思い合ってることも多々ある。実に奇妙です】

 突き放すような口調ながら、どこかしら真剣に悩んでいる風情のこの生命体は、妙に人間臭くて、微笑ましい。ホセは微かに苦笑して問い返した。

【誰と誰のことを言っているんだ?】

【あなたとペドロ・エステベスもそうですが】

 さらりと痛い前置きをしてから、ディープ・ブルーは本題に入る。

【石一信(ソク・イルシン)は、何故、あんなに苦しんでるんですか? 記憶が戻ったんですから、ユウが彼を守るために、自分で死を選んだことは分かってるはずなのに……。彼の記憶が消えなかったのは、ユウにとっても誤算で、残念ですが、でも、周りの人間達からユウに関する記憶は消えたままで、彼が守られてることには変わりない。これは、ユウの望みが叶ったということであり、彼にとっても、喜ぶべきことじゃないんですか?】

 ホセは目を瞬いた。ユウがいなくなったことに傷付き混乱しているイルシンの気持ちは、ディープ・ブルーには理解できないらしい。どれほど人間のように見えようとも、やはり異なる生命体ということか。

【個々の存在としての意識ではなく、集合体としての意識を持っているおまえには、分かりにくいかもしれないが、おれ達人間は、親しい誰かがいなくなったら、寂しいし、悲しいんだ。そういう事実は、とても、受け入れ難いんだよ】

 ホセ自身、このサン・マルティンに住んでいた当時の友人知人を、全て失った。封鎖の直前に、父親の権力乱用で脱出したという罪悪感も大きく、今でも、じっくり向き合うには重過ぎる事実だ。だからこそ、自分は、軍務に全てを捧げ続けているのかもしれない。贖罪というにはおこがましい、多忙への逃避――。

【「個々の存在としての意識」……「いなくなった」……、成るほど】

 ディープ・ブルーは、装った姿で、顎に手を当てて考える顔をする。そういう人間臭い仕草は、一体どこから学んでくるのだろう。ホセが本気で疑問に思った時、ディープ・ブルーは顔を上げて確認した。

【つまり、イルシンは、ユウの望みを共有できず、ユウがいなくなったと感じて、苦しんでる訳ですね。おれには、理解し難いですが】

 何が理解し難いのだろう。顔をしかめたホセに、ディープ・ブルーは提案する。

【それなら、おれが、ユウと会わせれば、イルシンは落ち着きますね】

【だが、ユウは……あいつはもう……】

 ホセは顔を歪めて俯いた。自分は、ユウを助けられなかった。〈催眠暗示〉には、勝てなかったのだ。瀕死のユウを、自分が乗ってきた宇宙連絡船の救命函に入れ、生命維持だけは果たしたが、できたのはそこまでだった。ユウの心臓は、決して自ら動こうとはせず、意識も戻らない。ただ、救命函の機能によって生かされているだけの植物状態と化しているのだ。

【それに、今、あいつの体は、惑星メインランドの軍総本部にある軍病院に置かれているはずだ……】

 意識が戻らなかった場合には、UPO感染者であり、〈催眠暗示〉に逆らった初の精神感応科兵という、貴重な生体標本となる予定で、宇宙連絡船であのままサン・マルティン宇宙港へ運ばれ、そこから宇宙門を経由して、惑星メインランドへ移送されたのだ。

【何の問題もありません】

 ディープ・ブルーはさらりと告げる。

【精神(こころ)というものは、時間や空間の制約を受けるものじゃありませんから。幸い、今、イルシンは眠ってるようなので、あなた方の言う「夢」でユウと会わせることができるでしょう】

【何故、石一信(ソク・イルシン)を助けるんだ?】

 ホセは、去ろうとするディープ・ブルーに慌てて問うた。すると、少年の姿を装ったモノは、ホセの視覚から消えながら、ふっと微笑んで答えた。

【おれは、あなた方の「友」ですから】

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