第五章 呼んでいる海辺 1

 ひどい悪夢を見て、目が覚めた。飛び起きたイルシンは、自分が何故か医務室の寝台に寝ていることを見て取った。腕端末を見ると、基準時間二一五八ふたひとごーはち時を示している。この地表基地の感覚で言うなら、真っ昼間だが、寝台は帳布カーテンで囲われて薄暗さが保たれていた。全身に汗を掻いている。誰かを両腕で抱えて守ろうとして、できなかった。夢にはよくあることだが、何故か、体が動かなかったのだ。

(夢、だよな……?)

 妙に現実的な感覚があった。しかし、誰を守れなかったのか、詳細が全く思い出せない。

(ああ、駄目だ、忘れちまう)

 夢の風景は急速に遠ざかっていく。掴もうと伸ばした手を擦り抜けて行くかのように、或いは掴んだ手の中で形を失うかのように、掻き消えていく――。

 不意にカーテンを開く音がした。目を向けると、親友の顔があった。

「ああ、目が覚めた?」

「なあ、何でおれは医務室にいるんだ?」

 イルシンの問いに、カーテンの内側へ入ってきたヴァシリは、軽く眉をひそめて答えた。

「覚えてないの? きみ、先行偵察の任務中に倒れたんだよ。エステベス兵曹長が気を失ったきみを連れて帰ってくれたんだ」

 聞き慣れない名だと思った。

「エステベス兵曹長?」

「大丈夫?」

 ヴァシリは益々眉をひそめる。

「五日前にこの基地に配属されて、四日前からきみと一緒の特務班になって、一緒に先行偵察任務に就いてた、精神感応科攻略部隊のエステベス兵曹長だよ」

「精神感応科攻略部隊?」

 驚くべき人事だが、全く覚えがない。

「悪い。分からねえ」

「そう。やっぱり、記憶に抜け落ちがあるみたいだね。先行偵察に行ったプエブロ・ヌエボ開拓場跡で、何らかのテレパシー能力での攻撃を受けたんだろうな。でも、心配しないで。失ったとしても、ここ何日間か分の記憶だけだって、エステベス兵曹長が請け負ってくれてるから」

「そうか……」

 確かに、自分が誰かも、ここがどこかも、ヴァシリのことも、覚えている。ただ、そのエステベス兵曹長とやらのことは、全く思い出せない。

「そいつの言うことは、信用できるのか?」

 問うと、ヴァシリは苦笑いした。

「まあ、きみにとっては、精神感応科兵なんて、皆(みんな)『くそ野郎』だろうけど、信用できると思うよ」

「そうだな、あいつらは……」

 くそ野郎だ、と言おうして、イルシンは口を噤んだ。何故か、心が痛む。精神感応科兵に対して、以前のような嫌悪を感じないばかりか、切ないとでも言うような感情が湧いてくる。

(何だ、これ……)

 愕然として、イルシンは胸に手を当てた。湧いてきた感情で、胸が苦しくなる。訳が分からない――。

 ならば、問題の核心を知っていると思われる相手に訊いてみるしかない。

「――そいつ、今、どこにいる?」

 イルシンの問いに、ヴァシリは少しばかり困ったような顔をして答えた。

「さあ、きみと二人きりの特務班だから、先行偵察任務の報告の後は、特に任務はないんじゃないかと思うけど……。待ってたら、見舞いに来るんじゃないかな?」

「いや、こっちから捜しに行く」

 きっぱりと告げて、イルシンは起き上がった。何故か、居ても立ってもいられない焦燥感があった。

 エステベス兵曹長というらしい相手は現在、待機中か休息中のはずなので、とりあえず部屋へ捜しに行こうと、医務室と同じ居住区画内の、士官室が並んでいるほうへ走る。部屋の扉の前まで一息に走り、ノックしようとしたところで、手が止まった。部屋の扉にある氏名板(ネーム・プレート)は真っ白で、氏名がない。

「あ?」

 思わず声が出た。そう言えば、そのエステベス兵曹長の部屋がどこか聞いていなかったのだ。では自分は、何故ここまで、迷わず走ってきたのだろう。左右の扉の氏名板を見ても、エステベス兵曹長などという氏名は記されていない。

「おかしいな……」

 もう一度、ノックをしようとした扉を見る。この扉の前に、以前にも立ったことがあるような、ここまで何度も歩いたような気がする。

「何なんだ……?」

 この部屋の前を離れがたいような気さえする――。急に吐き気がして、イルシンは口を押さえた。何も食べていないので、胃液が出て来るだけだが、胸が気持ち悪い。頭に霞がかかっているような感覚とともに眩暈がして、イルシンはその場に屈み込んだ。胸も頭もぐるぐるしている。

「エステベス兵曹長の部屋はあっちだけど……って大丈夫? やっぱりまだ寝てないと!」

 妙に遠く、霞の向こうからヴァシリの声がした。イルシンを追いかけてきたのだろう。

「悪い、医務室に……」

 連れて戻ってくれ、と最後まで言えたかどうか分からないまま、イルシンは意識を手放した。



 すぐ目の前にいる小柄な誰かを、抱きかかえよう、つれて逃げようとして、できない。体が重くてできない。何度もその名を呼び、叫んで、目が覚めた。また、カーテンで仕切られた医務室の一角の、寝台の上だった。

(おまえ、一体誰なんだ……)

 散々夢の中で呼んだ名が、思い出せない。イルシンはじっと天井を睨んだ。先行偵察先のプエブロ・ヌエボ開拓場跡で、自分に何が起こったのだろう――。

「起きてる?」

 カーテンの外から、ヴァシリの声がかかった。

「ああ」

 イルシンが答えると、細くカーテンが開いてヴァシリが顔を覗かせ、言った。

「エステベス兵曹長がお見舞いに来られたんだけど、気分は大丈夫? 話はできるかな?」

「大丈夫だ」

 むしろ、願ってもないことだった。イルシンは上体を起こし、ヴァシリと入れ替わりにカーテンの内側へ入ってきた少年を見た。頬にかかる癖のない艶やかな黒髪、浅黒い肌、端正な顔立ちに、容易に感情を窺わせない漆黒の双眸、そして、精神感応科攻略部隊所属であることを示すダークグリーンの軍服。見覚えは――ない。

「見舞いに来るのが遅くなって済まなかった。報告書を作るのに少し手間取っていた」

 十代に見える少年は、寝台脇の椅子に腰掛けながら詫びた。その、上官としての口調にはっとして、イルシンは右手を額に翳して敬礼した。エステベス兵曹長は、自分の上官なのだ。

「いえ、情けなくも昏倒、昏睡しておりましたので、お気遣いは無用です」

「情けなくはない」

 少年は階級に相応しい深みのある声で言う。

「精神攻略技――テレパシー能力による精神攻略をまともに受ければ、誰でもそうなる」

「じぶんは、テレパシー能力で何かされたのですか!」

 自分に何が起きたのか、核心に迫る話に、イルシンは身を乗り出した。

「ああ」

 エステベス兵曹長は、真っ直ぐにイルシンの双眸を見つめる。

「おれはそう感じた。ただ、正確なところは分からない。これからの検査で徐々に明らかになるだろう。だから、暫くの間は、安静にしていろ」

 真摯に告げられた言葉は、イルシンの欲しい答えではなかった。イルシンは低い声で問うた。

「夢に、誰かが出てくるんです。おれの目の前にいて、倒れそうで、守らなきゃいけなくて、でもおれは――じぶんは、動けなくて、助けられない。あれは一体、誰なんですか……?」

「今の段階では、何とも言えないな」

 年若い兵曹長は、顎に手を当て、考える顔をする。

「過去の記憶の再生かもしれないし、精神攻略技によって、記憶の再編が行なわれた可能性もある。とにかく、今後の検査、調査を待て」

「……了解」

 イルシンは項垂れた。結局、まだ何も分からないのだ。

「体は大丈夫なら、少し基地内を散歩でもしてみたらどうだ?」

 ふと優しい口調でエステベス兵曹長が言った。顔を上げると、それまで硬い表情をしていた少年が、仄かに笑んでいる。

「こんなところにいたら、おれでも気が塞ぐ。当分任務はない。検査の時以外は自由だ」

「ありがとうございます」

 心から礼を述べたイルシンに、エステベス兵曹長は椅子から立ち上がりながら言った。

「また何か気になることや思い出すことがあったら、腕端末で通信してくれたらいい。おれも、暫くは任務がない」

「了解」

 敬礼したイルシンに軽く敬礼を返し、少年はカーテンの外へ出て行った。

「散歩か……」

 一人になった空間で、イルシンは呟いた。それもいいかもしれない。腕端末を見ると、〇三〇三まるさんまるさん時だった。この基地では、丁度夜前線に追い越される、夕方の時間帯だ。

 医務室から出て、通路の突き当たりにある展望室へ向かった。途中、やはり、無意識に走っていった、あの氏名板に氏名のない部屋が気になったが、首を振って通り過ぎた。

 展望室には、茜色の光が満ちていた。地平線と水平線の向こうに消えようとしている恒星が、最後の光を放っているのだ。幻想的だった。美しかった。その茜色の光が、どんどんと弱まり、紫色へ、藍色へと変化していく。やがて、全ては夜季の闇に呑まれていくのだ。不意に物悲しさが胸の中に膨れ上がって、イルシンは大きな窓に歩み寄り、強化硝子に手を当てて、食い入るように、まだ僅かに残った茜色の残照を見つめた。

「消えるな、消えるなよ……!」

 自分でも意味不明の言葉が口から迸った。自分の中に僅かに残った何かが、残照とともに、夜季の闇の中へ消えてしまいそうに感じる。必死に抗い、思い出そうとしたその先に、ふと、懐かしい声とともに断片的な言葉が蘇った。

――「……共通語で夕(ダスク)という意味で……」

 かっとイルシンは両眼を瞠った。そうだ、共通語で夕(ダスク)という意味の名だった、あの小柄な誰かは。

(共通語でダスク、共通語でダスク……)

 もう少しで、手が届く。

(共通語でダスク……)

 念じるように繰り返し、記憶を呼び覚ます。呼び易い、短い名だった。柔らかい音で、小柄な姿にぴったりの――。

「――ユウ! カヅラキ・ユウ!」

 ついに、その名に辿り着き、叫ぶと同時に全てを思い出して、イルシンは喘いだ。

「おまえ、今どこにいるんだ――」

 もしかしたら、あのまま――。悪い予想を振り払うように駆け出し、イルシンは先刻は通り過ぎた部屋――ユウの部屋へ行って、扉を叩いた。

「おい、ユウ! いるんだろ、ユウ!」

 返事はない。やはり、氏名もない。

(医務室の、おれからは見えねえところにいたのか?)

 走って戻った医務室にも、隅から隅まで捜したが、カヅラキ・ユウはいなかった。医療科外科部隊や内科部隊所属の兵士達に訊いても、それどころか、並べられた寝台に寝ている他の兵士達に訊いても、誰も、カヅラキ・ユウを知らないという。

「何で知らねえんだ! 昨日、先行偵察に行くまで、ここにいたじゃねえか!」

 恐ろしい不安を覚えながら、顔見知りの内科部隊兵の胸倉を掴んだところへ、騒ぎを聞きつけたらしく、ダークグリーンの軍服を着た少年が現れた。

「やめないか、ソク上等兵」

 低い声で窘められて、イルシンは内科部隊兵から手を離した。

「悪かった。けど、誰もカヅラキ・ユウを、あいつを知らねえなんて、そんなはずはねえんだ……」

 まるで、カヅラキ・ユウの存在そのものが消えてしまったかのような――。そう、イルシン自身も、彼女のことを忘れていたのだ。自分にだけでなく、この基地で、何かが起こっている。

「あいつが無事なのかどうかだけでいい、教えてくれ……! あんたなら知ってるだろ……!」

「大分混乱しているようだな。まずは割り当てられた寝台へ戻れ」

 じっと見上げられ、淡々と指示されて、イルシンは大人しく、カーテンで囲まれた寝台へ戻った。この少年は、きっと誰よりも多くを知っているのだ。

 寝台に腰掛けたイルシンは、椅子に座って沈痛な眼差しを向けてきた少年に懇願した。

「頼むから、教えて下さい。カヅラキ・ユウは、どこにいるんですか? あなたと同じ精神感応科の、診療部隊所属カヅラキ・ユウ上等兵曹は、どこに行ったんですか?」

 ホセ・エステベスは、静かな口調で丁寧に説明した。

「生憎、精神感応科診療部隊所属カヅラキ・ユウ上等兵曹という人間はいない。おれは、精神感応科兵を全員知っているから、それは確かだ。だが、民間人のカヅラキ・アサなら、知っている。彼女は、サン・マルティンの悲劇の生き残りであり、惑星メインランドの軍病院に収容されていて、救出された時から八年間、ずっと昏睡状態にあった。そのため、長らく、双子の妹のカヅラキ・ユウだとされていたが、つい昨日、覚醒して、姉のアサのほうだと判明した。昏睡状態だった間も、彼女の脳活動は活発な状態にあって、その脳活動を調べた研究者達は、彼女を自我分裂型――つまり、二重人格のテレパスと診断している。そして、恐らく、この基地に現れていた『幽霊』も、おまえがいると思い込まされていた『上等兵曹』も、彼女のテレパシー能力が生んだものだ。この基地に配属されたおれの任務は、『幽霊』と『上等兵曹』の正体を見極めることだったが、結論は、それでほぼ決まりだ」

 憐れむように告げられた内容に、イルシンは居た堪れなくなり、立ち上がった。

「あいつが……、あいつは、いなかったって言うのか」

「精神感応科診療部隊所属カヅラキ・ユウ上等兵曹という人間はいない」

 ホセ・エステベスはきっぱりと繰り返した。イルシンは、その横を擦り抜け、カーテンを引き開けて医務室から走り出ると、通路を走った。足は自然、ユウの部屋の前で止まる。冷たい扉を、がん、と叩いて、イルシンは呟いた。

「おまえ、まさか、本当に、ここにはいなかったのか……?」

――「じぶんの父と母も、この凪の大気を感じながら、じぶんとアサの名を考えたのかなと思います。ユウというのは、共通語で夕(ダスク)という意味で、アサというのは、共通語で朝(ドーン)という意味ですから」

 訥々と語ったユウの声が、耳の奥に残っている。これも、二重人格のテレパスだという、アサのテレパシー能力が生んだものなのだろうか。

「くそっ!」

 それから数時間、イルシンはありとあらゆる基地内の人間に、カヅラキ・ユウについて問い、基地内の記録にも片っ端から当たったが、誰もカヅラキ・ユウを知らず、カヅラキ・ユウが基地にいたことを示すものは、何もなかった。部屋も、無人の空き部屋として、施錠されていることがはっきりした。カヅラキ・ユウの存在自体が消えているのだ。そして、その代わりのように、精神感応科攻略部隊所属ホセ・エステベス兵曹長がいる。サン・マルティン地表基地に配属されて来た精神感応科兵は、彼一人ということになっている。配属前、精神感応科兵が来ると基地中で噂になっていたのも、全てホセ・エステベスということになっている。チャン・レイのほうは、通常任務のシフトを普通にこなし、現在は待機中だと、誰もが口を揃えて言う。アサも、全く姿を見せない。

(本当に、おまえはいなかったのか……?)

 命に替えてイルシンを守ると言い張るユウを、両手で抱えて逃げようとしてできなかった、あの悪夢は、現実ではなく、幻影に過ぎないのか。カヅラキ・ユウ上等兵曹という少女自体が現実には存在せず、全てはただの白昼夢だったのか。カヅラキ・ユウ上等兵曹の実在を求めるイルシンの言動は不審がられ、とうとう、絶対安静を言い渡されて、医務室から出ることを禁じられた。


          ○


 副司令官室の机の向こうに座った上官は、入室したホセを見つめて開口一番言った。

「ホセ・エステベス兵曹長、いえ、《完全なるパーフェクト・シールド》と呼ぶべきでしょうか」

 能力名を呼ばれて、ホセは微かに顔をしかめて答えた。

「それは暗号名でもあるので、通常はエステベス兵曹長とお呼び下さい、シュヴァリエ中尉殿。それから、着任以降、一度も御挨拶に伺わなかったこと、お許し下さい」

「それは仕方ありません。わたくしも含めた、当基地の全員の意識が混濁している中、動かなければいけなかったあなたは多忙過ぎたし、事後処理もまだ半ば。それに、わたくしとあなたは、表向き、そう親しくする訳にはいかないのですから」

 複雑な表情で述べた女性を、ホセもまた複雑な思いで見つめた。チャン・レイは、ずっとマルセル・シュヴァリエとペドロ・エステベスの政争がこの基地に持ち込まれることを恐れていたことだろう。だが、二人の大将は、実のところ、今回のことでは結託しているのだ。

「そのことで、まずは確認させてほしいのです。わたくしも、《潜る鯆》の技の影響で、今回のことに関して記憶が混乱していますから」

 ジャスミン・シュヴァリエの前置きに、ホセは素早く提案した。

「それは重要事項ですので、どうか声に出さず、頭で思うに留めて下さい。じぶんの能力使用さえ認めて頂ければ、精神感受技〈通信〉で、会話が可能です」

「認めましょう」

 ジャスミンは頷くと、頭の中で言葉を紡ぎ始めた。

(あなたが当基地へ着任したということは、わたくしのお父様と、あなたのお父様との間で、取り引きが成立したということですね? 互いの弱味を握り合った上で、表に出さない、と。わたくしのお父様の弱味としては、チャン・レイ達の罪を隠蔽したこと。あなたのお父様の弱味は、恐らく、権力を乱用してあなたを封鎖直前にこの惑星から脱出させたこと、でしょうか)

 さすがに、一部記憶が消えていても、ジャスミン・シュヴァリエはしっかりしている。従来の情報から、ペドロ・エステベスの弱味を、正確に察することができている。

【その通りです】

 ホセは〈通信〉で肯定した。マルセル・シュヴァリエがUPO誕生の真実を隠蔽したのと同じように、ペドロ・エステベスは自身が強行させた息子の不名誉な脱出の事実を隠蔽したのだ。今でも、鮮明に覚えている。自身が保有しているかもしれないUPOを他者へ感染させないよう、コンテナの形をした簡易減圧室に監禁されたまま輸送され、父の故郷たる惑星淡水の海マル・ドゥルセにある軍病院の隔離病棟へ入れられ、検査を受けた。陽性と判定されると、体内のUPOが――今思えば、細胞小器官化するまで――感染力を失うまで、隔離され続けた。けれど表向き、ホセは、運良くサン・マルティン封鎖の直前に、父の故郷たる惑星マル・ドゥルセへ引っ越したことになっているのだ。

【父は、サン・マルティン病が報告され、軍による封鎖の動きがあると知ってすぐ、ありとあらゆる軍内の伝を使って、おれを脱出させました。そして、その事実を隠蔽しました】

(随分と正直に教えてくれるのですね)

 苦笑したジャスミン・シュヴァリエに、ホセは真顔で伝えた。

【いずれシュヴァリエ大将から伝わることですし、隠すのは公平(フェア)ではないですから】

 ただ、父にとって予想外だったのは、UPOに感染したホセがテレパスになってしまったことだろう。お陰で、テレパス優遇策を推進し、精神感応科の拡充を狙うシュヴァリエ大将と敵対しにくくなってしまい、今回のような結託をする羽目にもなったのだ。

(わたくしの父は、今回のことで、UPO調査に関しても、精神感応科兵運用試験に関しても、興味深い、満足の行く結果が得られたと喜んでいるでしょう)

 ジャスミン・シュヴァリエは、硬い面持ちに戻り、話を進める。

(けれど、現場はそれだけでは片付きません。チャン・レイ少佐とソク・イルシン上等兵を、どうするつもりですか?)

 水色の澄んだ双眸に見据えられて、ホセは説明した。

【チャン・レイ少佐については、自動機械兵士の記憶情報があるので、ソク・イルシン上等兵の銃殺刑を命じたことが明白であり、軍事裁判は免れません。その上で、UPOによる精神汚染の結果の心神耗弱を申し立てる予定です。《潜る鯆》の独自精神攻略技のために、彼自身に、既にその当時の記憶がないので、問題はありません。因みに、《潜る鯆》の独自精神攻略技による他の兵士達や宇宙港職員達の断片的記憶喪失も、同じくUPOによる精神汚染で説明する予定です】

(UPOは随分と悪者扱いですね。ディープ・ブルーという名だったかしら――「彼」は、それで怒らないのですか)

【「彼」に、名誉というような概念はないので、それは問題ないようです】

(そうですか。でも少し安心しました。心神耗弱が認められれば、軍事裁判でも執行猶予となって、軍病院へ入院ですね)

 真に安堵した様子でジャスミン・シュヴァリエは微笑んだ。

(本気で、チャン・レイ少佐を心配していたのか)

 結託した二人の大将にとって、チャン・レイは、カヅラキ・ユウを試すための――精神感応科兵運用試験の「材料」でしかなかったが、ジャスミン・シュヴァリエにとっては、違うようだ。多少の驚きを覚えたホセに、続けてジャスミン・シュヴァリエは問うた。

(では、ソク・イルシン上等兵については?)

【彼の処遇は、ディープ・ブルーとの関係性と彼自身の次第だと、先ほど、速達回線で、父の第三秘書官から連絡がありました。予想外の事態であり、的にも、まだ信用できないので、致し方ありません】

 速達回線とは、宇宙門に配属された精神感応科諜報部隊兵同士が〈通信〉で情報を伝達していく人類宇宙最速の通信手段である。ペドロ・エステベス大将の第三秘書官であるユン・セスは、諜報部隊所属でもあるので、速達回線を使えるのだ。

(つまり、今はまだ保留中という訳ですか)

【はい。事態は流動的です】

(そうですか……)

 ジャスミン・シュヴァリエは、今度は沈んだ顔をする。その表情を微動だにせず見つめながら、かなり感情豊かな人なのだと、ホセは自分と同じく人類宇宙軍の大将を父に持つ女性への認識を改めた。

(同情が過ぎると、呆れるでしょうけれど)

 自らの榛色の髪に指先で触れて、一瞬視線を泳がせたのち、ジャスミン・シュヴァリエはホセに真摯な眼差しを向ける。

(彼に、真実を告げてはいけないのでしょうか。彼女のことは、彼にとって、とてもつらいことですし、彼女の望みを裏切ることにもなるのかもしれませんが、このままでは、あまりに酷です)

【彼は、その権限を与えられていません。彼女――カヅラキ・ユウに関することは、現在、機密扱いとなっていますから】

(……分かりました。では、できるだけの善処を頼みます)

 ジャスミン・シュヴァリエは、微かに肩を落としつつも、軍人の顔に戻った。

「了解しました。失礼致します」

 ホセは声に出して言うと、軍靴の踵を鳴らして敬礼し、回れ右をしてシュヴァリエ中尉の居室を出た。ホセも、あのソク・イルシンの様子を見ていると、胸が締め付けられて、つい真実を教えたくなる。だが、それは、現在の状況では、許されないのだ。

(ユウ、おまえが、生きてさえ、いてくれたら……)

 ホセは俯いて、重い足取りで自室へ向かった。

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