第四章 終わる旅路 1

「宇宙門って、いつ見ても不思議だよね」

 士官室の壁画面に映した、メインランド宇宙門に、ユン・セスは両眼を細める。宇宙の闇に半ば溶けるようにして浮かぶ、巨大な円形の鏡のような物体。

「まるで鏡みたいに全て映して、でも、触れようとすると、全て飲み込んで、あっち側へ吐き出す。ホセは知ってた? 宇宙門は元々、全てをただ素通りさせてしまう、本当に見えないものだったって。それが、ある時、接近した宇宙船に偶然テレパスが乗ってて、何かを感じてそっちを見たら、急に鏡みたいな形態に変化したって。知的生命体同士が出会ったら、まず相手の動きを真似て反応を見る。それが挨拶の始まりらしいけど、宇宙門もきっとそうだったんだよ」

「他の宇宙門でも同様の変化があり、同時に門としての機能が発生したと学びました。しかし宇宙門の解明はまだ進んでいません。利用はできても、人類は宇宙門の全容を掴んではいない。分かっているのはただ、知性を持った生命体が存在する惑星の近くにあるということだけです」

 ダークグリーンの軍服の上に宇宙服を着ながら、生真面目に答えた十五歳の少年――ホセ・エステベスに、セスは、労わる目を向けた。

「知性を持った生命体の存在が欠かせない……ね。これは、ぼくの仮説だけど、宇宙門は、もしかしたら、ぼくらのテレパシー能力に似たものなのかもしれないね。宇宙門は、三次元の物理法則を超えてるけど、ぼくらの能力だって、いや、もっと言えば、人間の精神は、三次元を超えてるところがあると思うし」

 テレパシー能力は、一度関係した二つの量子が、空間的にどれほど離れても、片方の状態がもう一方に瞬時に反映されるという現象で説明される。宇宙門の原理も、基本的には同じだろうと、セスには思えるのだ。そしてどちらも、三次元に時間を加えた四次元か、或いはそれより上の次元でのみ、成立するはずだ。

「興味深い仮説です。ただ、相当な〈出力〉がないと、宇宙門規模のものは創れないと思いますが」

 ホセは淡々と応じた。こういった理論に興味がない訳ではないだろうが、今は目前に迫った任務に集中したいのだろう。セスはもう一言だけ付け加えて、任務に話を戻すことにした。

「ぼく達人間だって、一グラム当たりで言えば、基準時間で毎秒、典型的なG型主系列星の約一万倍ものエネルギー変換をしてるんだけどね」

 人類の故郷たる太陽系の太陽も、人類宇宙の首都惑星メインランドがその周りを回っている恒星ティアドロップも、人類が見上げている恒星は全てG型主系列星だ。それらの恒星を、ある意味、遥かに上回るエネルギー変換をして、一人一人の人間は生きているのである。

「まあ、そうだったらいいなって話。でも、惑星サン・マルティンにも宇宙門があるということは、知性を持った生命体がいるということで、それがつまりはUPOってことかな――。きみにとってもぼくにとっても、あそこはあまり嬉しくないところだけど、今回は、きみが貧乏くじだったね」

「任務の内容としては、攻略部隊所属のじぶんが適任です」

「それはそうだけど、お父上の、きみへの期待が大きいってことだろうね。こんなところまで、第三秘書官のぼくに見送りさせるぐらいだし」

「じぶん一人のために、申し訳ありません」

「いいよ。ぼくもきみが心配だし、メインランド宇宙門は勝手知ったる前の職場だから」

 宇宙門で宙域から宙域への通信を中継する任務は、精神感応科諜報部隊が担っているものであり、セスもペドロ・エステベス大将の第三秘書官になる前は、メインランド宇宙門に配属されていたのだ。

「さて、仕度も整ったようだし、行こうか」

 セスは、先に立って、居室として与えられている士官室から出た。ホセは、身の回り品を詰めた鞄(バッグ)を持って、後からついて来る。通路を行き、エレベーターを使って、戦艦クレオパトラの擬似重力空間の居住区画から無重力空間の格納庫へ、二人は粛々と向かった。

 格納庫には、戦闘艇が並べて格納されている。その中の単座式の一隻が、ホセに割り当てられたものだ。ホセはここからメインランド宇宙門へ入り、サン・マルティン宇宙門から出て、惑星サン・マルティンの静止衛星軌道上にあるサン・マルティン宇宙港へ行き、後は宇宙連絡船に乗り換えてサン・マルティン地表へ降りるだけなので、単座式戦闘艇で充分なのである。

「では、行って参ります」

 単座式戦闘艇の前で、改めて敬礼したホセに、セスも敬礼を返した。

「任務の成功と貴君の無事を祈る。古い友達(たち)に、宜しく頼むよ」

 セスが最後に付け加えた言葉に、ホセは長い睫毛を微かに震わせ、それから踵を返して戦闘艇の操縦席(コックピット)へ収まった。セスは格納庫の待機室に入り、窓越しに、ホセが搭乗した戦闘艇を見守る。出会う前は、憎悪していた相手。出会って付き合う内に、憎悪よりは、同情を覚え始めた相手。今でも、セスの、ホセに対する感情は複雑だ。

(きみは、いつまで、お父上の言いなりの人生を歩むんだろうね……?)

 管制官の指示に従い、滑らかに戦闘艇は発進していく。ホセ・デ・サン・マルティン・エステベス・タカギは、攻略部隊兵というだけでなく、戦闘艇の操縦や格闘技など、軍人として様々な分野に高い能力を有している。まさに今回のような任務に打ってつけの人材だ。

(あそこには、きみのような境遇の人を恨んで死んだ人がたくさんいる。そんな人達が、あそこを政争の舞台にして、きみを呼んでるのかもしれない。過去の亡霊に捕らわれないように、気を付けて)

「いってらっしゃい」

 出庫する単座式戦闘艇に敬礼を送りつつ口の中で呟くと、ユン・セスは格納庫を後にした。



よい航宙をヴォン・ボヤージ!〉

 戦艦クレオパトラの管制官に決まり文句で送り出されたホセは、次にメインランド宇宙門の管制官と通信回線を繋ぎ、その指示に従って戦闘艇を進める。

〈宇宙門進入角度、貴艇基準、上下角マイナス三・五度、水平角プラス一・九度修正されたし〉

「了解。本艇基準、上下角マイナス三・五度、水平角プラス一・九度修正」

 復唱しながら、ホセは艇首の向きを微妙に修正した。宇宙門への進入角度は、その鏡のような面に対して垂直と決まっている。

〈速度良好。そのまま進入されたし。幸運をグッド・ラック!〉

 こちらも決まり文句で送り出され、ホセは宇宙門の面に映った自ら操縦する戦闘艇にそのまま突っ込むように、静かにゆっくりと宇宙門を潜った。

 通過はほんの一瞬、波立ちもしない極薄い水の膜を通り抜けるようにして潜った先には、また宇宙が広がっている。但し、先ほどまでいたメインランド宙域ではなく、サン・マルティン宙域である。戦闘艇のすぐ背後には、今出てきたサン・マルティン宇宙門が静かに浮かび、眼前には、惑星サン・マルティンが、ところどころに青い湖があるだけで後は茶色い沙漠の北半球と、殆どが青い海の南半球という、特異な姿を晒している。

(あの時と、同じだ――)

 九年前に、静止衛星軌道上の宇宙港から見た姿。直後、輸送用の簡易減圧室に監禁され、罪悪感に打ちひしがれながら後にした、あの時と何一つ変わらない姿だ。あそこに眠る人々は、誰も自分を許さないだろう。それでいい。誰もホセ・デ・サン・マルティンを許さなくていい。否、許してはならない。けれど、ただ一人のこの空間で、一言言うくらいは、許されるだろうか。

「――ただいま」

 ホセは、万感を込めて、口の中で呟いた。


          ○


 医務室の自動扉を通った視線が、照明の落とされた薄暗がりの中、手元の腕端末で時間を確認した。基準時間〇二五四まるふたごーよん時。基準時間で毎日、〇九〇〇まるきゅうまるまる時から十二時間弱をかけて夜前線を追い越して、二一〇〇ふたひとまるまる時頃に最も明るい時間帯を迎え、その後、惑星の自転によってまた夜前線に追い越されるサン・マルティン地表基地においては、夕方とも言うべき時間帯だ。視線は、次いで、ユウが寝る寝台の隣に、長椅子を置いて寝ているイルシンを見下ろした。

(部屋にいないと思ったら、こんなことになってるなんてね。ここまでイルシンを手懐けて、満足?)

 心の中で思っているだけだというのに、ヴァシリ・イワノヴィッチ・クズネツォフは、明らかに問うている。答えるべきか否か、ユウが目を閉じたまま迷っていると、更に音にならない問いは続いた。

(きみは、ずっと、おれを避けてたよね? イルシンには目を合わせる振りをするのに、おれにはちっともだった。気付いて、調べて、知ってたんだろう? ここで死んだニコライ・クズネツォフ――ニコライの父さんは、おれの父の弟で、惑星スヴェトラーナから開拓途上惑星サン・マルティンに入植したんだって。ニコライが、封鎖の間、きみ達生き残った子供の殆どをまとめて、生き延びさせたことは、おれも知ってる。きみは、ニコライの従兄っていうおれの素性を知って、怯んでたんだよね? ニコライを死なせて生き延びたきみ達を、おれが、良く思わないだろうって)

【それは、少し違う】

 ユウは、精神感受技〈通信〉で静かに返事をした。この青年には、答えが必要なのだ。

【あなたにどう思われようとも、それはあなたの自由だから、それでいい。わたしが恐れたのは、潜在意識ででも、あなたに、ニコライを重ねてしまうこと。物腰も、物言いも、イルシンの視覚を通して見る外見さえ、ニコライに似てる――あなたに、ニコライを重ねてしまったら、あなたにニコライを求めてしまったら、わたしは、ニコライをもう一度裏切ることになる。そんなことになったら、もう、わたし自身がわたしを許せない。だから、あなたを避けてた】

(そう……。それが本音なんだ)

 ヴァシリは、じっと、ユウの「寝顔」を見つめる。

(そして、イルシンは、きみにとって、利用し易い存在だった訳だ。それで、どうするつもり? ここまでイルシンを振り回しておいて、まさか、イルシンに、軍を裏切らせる気じゃないだろうね? そんなことしたら、おれが、きみを許さないよ?)

【イルシンのことは、きちんと守る。わたしの命に替えても】

(……その言葉、この先何があっても、絶対に違えてはいけないよ。とりあえず、今はきみを信じよう。きっと、ニコライが信じた、きみだから)

 ヴァシリは、静かに医務室を去っていった。その気配が遠退くのを感じながら、ユウは寝返りを打って、イルシンの寝息に耳を澄ませた。

 八年前、ニコライを失うと分かった時、アサは最後までそのことを受け入れなかったが、自分はすぐに、では、どうするべきかと、思考を切り替えてしまった。冷徹に、合理的に、ニコライがいなければどうするかを考えてしまったのだ。それは、ニコライに対する何よりの裏切りだった。ニコライは、あんなにも、ユウのことを気遣い、導いてくれたというのに。

(わたしは、合理的なわたしが嫌いです。アサのように一途になれないわたしが嫌いです。イルシン、わたしは、あなたを利用してるわたしが嫌いです。でも、わたしは、このようにしか、生きられない……)

 こんな自分のことを、イルシンは大切に思い始めている。自分が、イルシンに〈精神攻撃抗体〉を持たせるために、サン・マルティンの悲劇の記憶を〈入力〉し過ぎた上、ずっと共に行動しているせいだろう。

(わたしは、あなたの優しさを利用してる。わたしは、あなたに会うべきじゃなかった……)

 幾ら凝らしても、目の前のイルシンを見ることもできない両眼から、涙が溢れる。自己憐憫の醜い涙だ。体が極限の疲労状態にあるせいか、恐ろしく寂しく、切ない気持ちが無駄に溢れてくる。

(イルシン、すみません、付き合って貰うのも、後少しだけです……)

 規則的で穏やかなイルシンの寝息が、ユウの心を、少しずつ落ち着けてくれる。

(イルシン、それまでだけ、傍に……)

 ユウは、寝台のぎりぎり端まで、イルシンのほうへ寄って、再び眠りに落ちた。


          ○


 サン・マルティン地表基地左舷の展望室からは、海がよく見える。

 チャン・レイは、厳格な表情の下に嫌悪を滲ませて、惑星サン・マルティンの唯一の海――南海を睨む。

 基準時間〇三二六まるさんふたろく時。基地前方の遥か先、地平線と水平線が接した辺りへ没した日輪からの残照は、最早、西の空を僅かに茜色や群青色に染めているのみで、こちらまでは届かない。けれど、海は、淡く、青白く光っている。夜前線でだけ見られる、光る海。海面付近に棲息している生命体が、青白い光を放っている。この基地は、この現象を継続的に観察するために、基準時間で毎日、夜前線と抜きつ抜かれつする生活を送っている。

(奴らの、あの、光を利用する性質さえなければ、奴らに人工ウイルスが感染して生まれたUPOにも、殺機構(キル・スイッチ)が有効に作用したものを……!)

 ある波長の光を当てれば、あの人工ウイルスは死ぬように設計(プログラム)されていた。だから、少々の手違いで保管庫や密閉容器から漏れ出してしまっても大丈夫だと、研究者達は胸を張っていたのだ。当時、研究施設の責任者だったチャン・レイは、その言葉を疑いもなく信じていた。

(全て、不測の事態だった。あの生命体さえいなければ……!)

 一年間に渡ったサン・マルティン封鎖の後、人類宇宙軍は、UPO調査の一環として、本格的に、この惑星の生命体の研究を開始した。同時に、封鎖下で生き残った子供達に備わったテレパシー能力を研究成果として認め、テレパシー能力の軍事利用を加速させたのである。チャン・レイは、その流れに乗って、再びサン・マルティン地表に降りた。正確には、シュヴァリエ大将によってそう配属された。彼の罪は、シュヴァリエ大将によるUPO調査の中で明らかとなっていたが、軍内部でも公にされることはなかった。

 チャン・レイは、ゆっくりと南海に背を向けた。多くの人々を殺したUPOは、嫌悪の対象だ。だが、過去の罪を暴かれる訳にはいかない。あれは、彼の罪だが、シュヴァリエ大将が、軍組織の一部を使ってその隠蔽を行なった以上、既に軍の罪なのだ。

 人類宇宙の秩序を維持してきた人類宇宙軍が罪を犯したとなれば、人類宇宙の秩序が大いに乱れかねない。どこかで連盟脱退運動や紛争や内戦が起こるかもしれない。今更、そんな事態を引き起こす訳にはいかない――。

 背後に広がる海とは別の、遥か彼方の惑星の波立つ海が、脳裏に蘇る。爆撃によって荒れ狂い、浮かんでいた都市を、住んでいた人々を、彼の家族を、全て飲み込んだ暗い海。

(人類宇宙軍こそが、この人類宇宙の人類の平和を、秩序を守っているのだ。軍に助けられたわたしが、軍の足を引っ張る訳にはいかない)

 チャン・レイが人類宇宙軍に命を救われたのは、あの海に浮かんでいた十五歳の時だった。

 惑星桃源タオユアンを経済的に支配するツォン財閥が、惑星スヴェトラーナ政府からの借金返済が滞ったことに対し、その海洋の一部を差し押さえると宣言して、タオユアン宙域とスヴェトラーナ宙域の間に起こった戦争。スヴェトラーナ紛争と呼ばれる戦争の渦中に、かつてレイはいた。

 基準暦五二四年から十年間に渡り断続的に続いた紛争は、民間人――特に、ツォン財閥の事業でタオユアンからスヴェトラーナの当該海洋に入植していた人々に多くの犠牲を出し、その中には、レイの家族も含まれていた。そして、いつまで経っても解決せず、徒に犠牲を増やすばかりだったあの紛争に、人類宇宙中の批判が集中し、それまで大きな力を持たされていなかった人類宇宙軍が組織的に増強されて、解決へと力を振るったのである。その作戦を最前線で指揮したのが、当時既に大尉だったマルセル・シュヴァリエだった。家族の中でただ一人生き残ったレイは、その後、迷うことなく人類宇宙軍に入った。

(今の地位を失ったとしても、おれは、軍を守る。そのためには、今回の運用試験によって、精神感応科兵の欠陥が明らかとなり、残念な結果に終わったという脚本(シナリオ)になっても、仕方がない。軍にとっても、シュヴァリエ大将にとっても、そのほうが浅い傷で済む――)

 副司令官のジャスミン・シュヴァリエ中尉に必要以上の協力を求めることはすまい。下手に巻き込まないほうが彼女のためだ。彼女は彼女の判断で動くだろう。それで彼女が自分を切り捨てる判断をしたとしても、恨みはしない。結果として、自分の半生を捧げてきた人類宇宙軍という組織を守り、シュヴァリエ派を守ることができるのならば。

 サン・マルティンの海は相変わらず青白い光を放ってたゆたっている。カヅラキ・ユウが〈高出力(ハイ・パワー)〉で能力を使用する時に体から発せられる光と、同じ色の光。忌まわしい光。

 チャン・レイは眼差しを険しくして顔を上げると、重々しい足取りで司令官室へ戻って行った。

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