第三章 暴かれた心根 2
作戦開始から基準時間で九時間二十八分後。キャタピラの修理作業が完了した、その瞬間を、サン・マルティン地表基地の全兵士――司令官と副司令官を除く――が共有した。制御室でも、基地のあちこちと同じように歓声が上がる。
「やったな!」
イルシンがほっとして声をかけると、隣に座ったユウは、疲れ切った顔で微笑み、補助席から立ち上がって、司令官へ向けて敬礼して言った。
「〈表層共有〉はここで終了します」
「許可する」
チャン・レイの言葉を受けて、ユウは口の中で何事か呟いた。瞬間、ユウの体がまた数瞬間青白く光り、イルシンは、ずっと傍に感じていた基地中の兵士達の意識がふっと遠のき、同時に何か、意識に蓋をされたような感じを覚えた。〈表層共有〉が解かれたのだろう。ただ、ユウと繋がった感じだけは残っている。
続けて、チャン・レイが命じた。
「零時の方向へ、微速前進」
「零時の方向へ、微速前進」
復唱して、操縦席のエドウィンが操縦桿を押す。機関音が低く轟き、重々しく、ゆっくりと、基地が動き始めた。実に、一日と約九時間振りだ。
「夜前線まで、百三十キロメートル」
副操縦席に座ったヴァシリの報告を受け、チャン・レイが指示する。
「方向固定、時速三十キロメートルで前進」
「方向固定、時速三十キロメートルで前進」
エドウィンが復唱しつつ操縦桿を更に押し込む。ぐん、と基地全体が振動とともに加速した。
【これで、後は、待ちの一手です。恐らく、すぐ来ます。『アサ』の能力は全てじぶんが防ぐので、あなたは、物理攻撃にのみ、集中して下さい】
隣の補助席に戻ってきたユウが精神感受でイルシンに伝えた途端、がくんと衝撃があって、基地が停まった。
「来ました」
ユウが緊迫を孕んだ声で告げて、操縦席のほうを見えない視線で示しながら、補助席から立つ。
「一々キャタピラを破壊するより、こっちのほうが簡単だって、やっと気付いたらしいです」
操縦席に座ったまま強張ったエドウィンの背後に、ワンピースを着た幼い少女の姿があった。彼女が、エドウィンを操って、基地を停めさせたのだ。
【何だかんだと邪魔ばかりして……! あんたがいつまでも、そいつらを守り続けるなら本当に殺すよ。殺して、その体を貰う】
両眼に怒気を宿らせた少女の言葉に、ユウは淡々と答えた。
「だから、わたしが疲れ切ってるこの時を狙ったの……? おまえが本物のアサなら、それでもいい。でも、わたしは人類宇宙軍の一員として、死ぬまでは、この基地の
【何言ってるの、ユウ? あんただって、あの一年間、人類宇宙軍を恨みながら過ごしたじゃない……!】
「今は、人類宇宙軍人だ。サン・マルティン封鎖だって、『サン・マルティン病』――UPOのせいで、仕方なかった」
【何も知らない訳? UPOのこと……!】
「UPOのことは、まだ何もはっきりとは解明されてない」
【本当に知らないの、UPOの正体? なら、あたしが教えてあげるわ! そっちの男にも、この基地中の奴らにも、ついでにね!】
幼い少女は狂気を滲ませて笑う。ユウの冷ややかな表情が微妙に変わった。
「知ってるのか」
【知らない訳ないでしょう? UPOはね、――】
幼い少女の「声」が、不意に途切れた。しかし、口は動き続けている。戸惑った様子もない。
「何故、そう言える?」
すぐにユウが問うた。ユウには、幼い少女――アサの「声」が届いているのだ。
【何故も何も、そうだからよ! ――】
答えるアサの「声」は、またも途中で聞こえなくなった。
(一体、何が起こってるんだ……?)
アサが、イルシンには聞こえないような能力の使い方をしているのだろうか。だがアサは、「そっちの男にも、この基地中の奴らにも、ついでに」教えると言ったのではなかったか。
アサは、今度は長々と話し続け、ユウの表情は、見る見る硬くなっていく。そこで、唐突にアサの「声」が聞こえた。
【――それから暫くして、サン・マルティン病が流行り始めた……】
「つまり、――」
ユウの声まで途切れた。口はまだ動いている。
(何なんだ……!)
イルシンが見つめる先で、ユウは口を閉じ、代わりにアサの「声」が脳内に響いた。
【そう! ――】
「声」は断片的にしか聞こえず、内容はさっぱり分からないが、アサは、笑ったり怒ったり、ひっきりなしに顔を歪めながら話し続けている。ユウのほうは、対照的に、冷静に話を聞いているようだ。
【――よ……! それにしても、あんた、大して驚かないわね。もしかして、かなりのところを、知ってたんじゃないの?】
「それが真実だと、何故言える?」
ユウは答えず、冷ややかに問いを重ねた。すると、アサは、今までで一番勝ち誇った顔で言った。
【あんたもいつか出会う、もしかしたらもう出会ってるかもしれない、UPOの――れたわ!】
【ディー――……】
【そう、――にして、――以来、初めて――「友」よ!】
【……それだけ聞ければ、充分だ】
【やっぱり、あんた、殆ど知ってたのね! だったら何で、軍になんかいるの?】
【知るためにいた。軍は全てを知ってるから、内部にいれば、いろいろ知ることができる。代償として、軍に絶対逆らえない装置の一つにされたけれど、それでも、知りたかった。知って、UPOの謎を解いて、二度と、同じことが起きないようにしたい】
【でも、あんたは、もう軍に逆らえないんでしょう?】
【だから、協力者が欲しいんだ。理解者が欲しいんだ。知識を持って貰いたいんだ。だから、わたしはこの基地の
ユウが強い口調で言い、イルシンは、出会った時に聞いたユウの言葉を思い出した。
――「だから、じぶんが派遣されました。精神感応科と、他の科との連携を深めるというのが、軍のこれからの方針です。それと、テレパシー能力自体についても、協力して、理解を深め、知識を増やさないといけません」
確か「謎」という言葉を最初に聞いたのも、あの時だったはずだ――。
【もういい! この基地の全員を殺す! 守れるものなら、守ってみなさい!】
アサが言い放ち――、イルシンは、急に意識にされた蓋が分厚くなるのを感じた。そう、意識に「蓋」がされている――。
はあ、はあ、とユウの息遣いが聞こえた。肩で息をしている。体力が限界なのだ。前屈みになった体が、淡く青白く光っている。と、アサが驚いたように問うた。
【あんた、この基地の全員に、何をしたの……?】
【〈精神的半透膜〉で、害となる
荒い息の下からユウが答えると、アサは幼い眉を吊り上げた。
【全員に? そんなことしてたら死ぬわよ? 心臓が止まっちゃう!】
【かもしれない。でも、かなり長時間もたせられる。全てじゃなく、選択したのだけ、防ぐから……】
【馬鹿じゃないの? 何でそこまでするのよ! あんたまで死んだら、父様も母様も、
地団駄を踏んで涙を浮かべ、全身で叫んだ幼い少女に、ユウは笑顔を向けた。
【よかった……! 本当に本物の、本当は泣き虫のアサだ……】
よろよろと幼い少女に歩み寄って、首を横に振りながら後退りする相手を逃すまいとするように、ユウは抱き締める。両眼を見開いたアサは、ユウの両腕が触れる瞬間、姿を消した。ユウはそのまま、両膝をつき、前のめりに倒れかける。イルシンは、慌てて駆け寄って、その華奢な体を支えた。
「……〈精神的半透膜〉解除」
ユウは囁くように言うと、それきり動かなくなった。
【早く!】
不意に間近で叫ばれて、イルシンは驚いて左右を見回し、背後にいるアサに気付いた。
「おまえ……!」
ユウの腕の中から消えただけで、去った訳ではなかったのだ。まだ何かしてくるのかと身構えたイルシンに、アサは更に叫んだ。
【早くユウをお医者さんとこに連れてって! 心臓が止まっちゃうから早く!】
「分かってる! ってか、まだ心臓動いてるんだな?」
変わり身の早い、と思いながらも、一刻を争うことは確かなので、イルシンはユウを抱きかかえて走りながら問うた。アサは浮遊してついて来ながら頷いた。
【まだ何とか。でも、動きがおかしいから、急いで……!】
アサの「声」を聞きつつ、イルシンは制御室を飛び出し、大股で走って二十歩のところにある医務室へユウを担ぎ込んだ。
〇
自動扉が開くのを待てず、半ばこじ開ける勢いでカヅラキ・ユウを抱えて出て行ったイルシンを見送り、チャン・レイは口を開いた。
「各員無事か。各班の無事も確認せよ」
「了解。各班の無事を確認します」
タイラ・ハルが復唱し、通信機を通して、基地中の作戦班に状況の報告を求めた。折り返し、続々と、各作戦班から報告が上がってくる。ものの二分ほどで、全ての作戦班から報告が来た。
「全ての作戦班、無事です」
振り返って伝えたタイラ・ハルに頷き、チャン・レイは命じた。
「時速三十キロメートルで前進そのまま」
「了解」
動けるようになったエドウィン・ローランドが操縦桿を動かすのを見届け、チャン・レイは更に命じた。
「現時点を以って、非常事態宣言をレベルEに引き下げる。特別の任務ある場合を除き、総員、通常任務に戻れ。以上のことを全基地に通達」
「了解」
タイラ・ハルは通信機に向き直って、マイクロフォンへ声を通す。
〈現時点を以って、非常事態宣言はレベルEへ引き下げる。特別の任務ある場合を除き、総員、通常任務に戻れ。繰り返す。現時点を以って、非常事態宣言はレベルEへ引き下げる。特別の任務ある場合を除き、総員、通常任務に戻れ。以上〉
全基地にタイラ・ハルの声が響き渡り、安堵の空気が広がった。
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