第二章 襲いくる闇夜 5
サン・マルティン地表基地の兵士達は、一丸となってキャタピラの復旧作業を行なっていたが、基準時間で丸一日が経過しても、基地を動かすには至らなかった。その間、惑星のゆっくりとした自転により、徐々に、夜季の深みへと、基地は引きずり込まれていく。
「ちょっと外へ行って見てきたが、今までの、夕季に近い夜季とは全く違うな。底冷えのする寒さだ。照明の届かねえところは全く見えねえし、まるで、後ろから何か得体の知れねえものに抱き竦められるような、そんな闇だ。あれが、本当のこの惑星の夜季なんだな」
医務室に戻ってきたイルシンは、暖房の効いている室内でも寒そうに長身を竦めて、ユウの寝台脇の椅子に座った。
ユウは目を開いて、イルシンを見上げる振りをした。精神感受で分かる、青年が見ている自分の顔は、双子の姉の顔に見える。冷ややかにこちらを見つめて、糾弾してくる「姉」。
――【結局、あんたは逃げたんだ。自分が助かりたかったんだ。ここにニコライを残して、あたしのことも見捨てて……!】
――【あんたも人類宇宙軍人というなら、こいつらと一緒に、罪に準じて死ね……!】
己の罪悪感が、「姉」の声と言葉を借りて何度も脳裏に響く。寝ても覚めても、何度も何度も――。
【……それで、姉については、何か新しく分かりましたか?】
精神感受で、ユウは問うた。
(ああ、そのことなんだが……)
イルシンは、ユウの精神感受に応じて思考に切り替え、答える。
(サン・マルティンの悲劇の生存者リストを参照して、それぞれを追跡調査してみた。だが、おまえの姉さんらしいのは一人もいなかった。おまえの姉さんについての生存者達の証言も幾つか見たが、封鎖解除の直前まで生きてたことは確かでも、その後については、何もなかった。軍に生きて収容されたのは、おまえ一人ということになってる。いろんなデータや映像も見てみたが、右利きのはなかったから、それっぽいのは多分全部おまえだろな)
連盟と軍が、アサについての情報は全て隠蔽したのだろう。見つけたあのアサの映像は、ユウのほうだと勘違いされて、たまたま残っていたのだ。
【収容先の施設については、何か分かりましたか?】
(ああ。やっぱり軍総本部の軍病院の可能性が一番高いな。少なくとも他の生存者は全員、一旦、軍病院に収容されてる。この惑星上の施設も検索してみたが、開拓場の海側の外れに一つと、沙漠側の外れに一つ、研究所があった。それから、住宅街に病院が一つ。その中で、開拓場の海側の外れの研究所だけは、封鎖解除後に、少し資料の回収等がされたみたいだが、それ以上のことは分からなかった)
【――直接訊いてみるしかないですね、「姉」に】
ユウはゆっくりと寝台から起き上がると、点滴を慣れた手付きで外した。
「おい、いいのか? 体は大丈夫なのか?」
イルシンが驚き、声に出して言った。
「もう大丈夫です。ちょっと頭がくらくらするくらいで」
「それ、大丈夫じゃねえだろ?」
「これ以上じっとしてると、心が腐りそうですから」
鬱屈した思いの欠片を吐露して、ユウは寝台から降りた。
「けど、こっちは基本、待ちの一手なんだろ?」
「だから、おびき寄せます。『姉』は、われわれが、ずっとこの夜季にいることを望んでますから、さっさとキャタピラを修理して、ここから脱出しかければ、また来るでしょう」
「成るほどな。で、陸戦部隊の整備班でも、建設部隊でもないおれ達が、一体何をするんだ?」
「じぶんの
「独自技?」
「精神感応科には、軍の公式技があることはもう知ってますよね? それに対して、精神感応科兵が個人的に、独自に編み出した技を、独自技と呼ぶんです。中には、汎用性を買われて公式技とされるものもありますが、大抵の技は、その精神感応科兵の個人的な能力特性に拠るので、他の精神感応科兵が真似するのは難しいんです」
「へえ。面白そうだな。で、どんな技なんだ?」
イルシンの興味深そうな声音に、ユウは複雑な気持ちになった。少し前のイルシンなら、精神感応科兵の独自技などと聞いても、嫌悪しか表さなかっただろう。そして、この独自技は、軍の精神感応科運用方針にも影響を与えた技だ。
「〈
「意識を、繋ぐ……?」
さすがに、イルシンは一歩引いたようだ。寂しい気もするが、ここで引いて貰っておいたほうがいいのかもしれない。ユウは事務的な口調で告げた。
「人間集団の無駄な動きが一切なくなって、物事を迅速に進めるには打ってつけの精神干渉技です。一つの目的の下に
イルシンは、まだユウのほうを見ている。その顔を真っ直ぐに見上げる振りをして、ユウは言った。
「扉のほうを見て下さい。じぶんが進む先をあなたがしっかり見ててくれないと、どっちへ足を踏み出したらいいのかすら心許なくなるんです」
「――分かったよ」
イルシンは、くるりと、自動扉のほうへ視線を動かしてくれた。
○
基地司令官室へ入り、暫くして出てきたユウは、一つ大きく頷いてみせた。
「許可が下りました。これから制御室へ行きます。司令官殿の作戦発令を受けてから、技を使います」
抜き打ちでは使わないということだ。
「よかったな」
イルシンは自分の気持ちも含めて言った。
「はい」
ユウは特別嬉しそうでもなく答えると、先に立って、通路を進んで行った。その後ろをついて歩きながら、イルシンは小柄な上官の背中と、その進む先を見る。
――「扉のほうを見て下さい。じぶんが進む先をあなたがしっかり見ててくれないと、どっちへ足を踏み出したらいいのかすら心許なくなるんです」
先ほどユウが言った言葉が、脳裏をぐるぐると回っている。あの言葉には、深い意味があるように思えてならない。
(おまえ、不安なんだな)
囁くように、イルシンは思った。
制御室にいたのは、イルシンと同じシフトだった面々だった。イルシンの代わりにここのシフトに入った地表制圧科陸戦部隊所属のエドウィン・ローランド一等兵もいる。
振り向いて微笑んだヴァシリに軽く頷いて応じ、イルシンはユウに続いて副司令官席の前まで進んで、基地副司令官ジャスミン・シュヴァリエ中尉に敬礼した。シフトが異なるので、普段顔を合わせることの少ないジャスミン・シュヴァリエは、澄んだ水色の双眸で二人を見つめると、顎のところで切り揃えた榛色の髪を揺らして敬礼に応じ、丁寧な口調で言った。
「司令官殿から聞いています。もうすぐ司令官殿も来られるので、それまで待機していて下さい」
「了解」
ユウは答え、示された補助席に座った。イルシンもその右隣の補助席に腰掛け、改めて馴染みのある面々を見渡す。司令官補佐席のダグラス・マクレガー一等兵曹が頷き、通信科通信部隊の一等兵、タイラ・ハルがウィンクした。ここのシフトから離れてまだ二日しか経っていないのに、イルシンは懐かしいような気持ちに襲われる。非常事態が続いているせいかもしれない。非常事態宣言はレベルEのままだが、依然発令中なのだ。或いは、いろいろな知識を頭に詰め込み過ぎたせいかもしれない。昨日から今日にかけて、資料室兼図書室と医務室とを往復しながら、随分多くのことを知って、今まで考えなかったことを考えた。中でも一番気にかかっているのは、カヅラキ・アサのことと、UPOのことだ。サン・マルティンの悲劇について調べている内、UPOについて一つ気になることが出てきて、いろいろな言葉で検索し、いろいろな資料を当たったが、はっきりとした答えは得られなかった。
(一体、UPOはどうやって収束したんだ……?)
怪しげな薬や民間療法紛いの治療法の記事はあっても、人類宇宙連盟が公式に認めた薬やワクチンについての記事は一切見つからなかった。サン・マルティンの悲劇は、感染しても発症しなかった子供達が少数、奇跡的に生き残っていたが、その子供達の体内に、UPOは残っていなかった、ということで、収束とされていた。その他の惑星に広がったUPOも、決定的な治療法などがあった訳ではなく、感染した人間は隔離されたのち殆どが亡くなっている。生き延びたのは、惑星サン・マルティンの場合と同じく、七歳以下の子供達だけだ。但し、感染者は片っ端から隔離されたので、それ以上広がることはなく、感染者が確認されたほぼ全ての惑星で、その後、UPO撲滅宣言が出されている。
(そう言えば、おれ達、この惑星の地表勤務だってのに、予防接種とか、何にもしてねえ……)
現在サン・マルティン地表に住民はおらず、基地の人間としか接触はないので、UPO感染の危険など考えたこともなかったが――。そもそもUPOは、開拓途上惑星サン・マルティンで蔓延が確認された病原体と同一のものだと知れた時、サン・マルティンの風土病だという噂すらあった。
(一体、UPOって何なんだ)
調べても、未だ研究中らしいということしか分からなかった。
(病原体って言うからには、環境要因で何かの栄養素が足りなくなるとかじゃなくて、何かの生物から感染するんだろが……)
この乾燥した陸地には、何か生物がいるのだろうか。惑星の南半球をほぼ覆う海洋には、生物がいるという話だ。そして開拓場は、海に面して造られた――。
(何にしたって、あれだけ人類宇宙中を恐怖させた病原体の正体が、まだ分かってねえなんて、信じられねえ……)
そんなことをユウに言っても仕方ないので、カヅラキ・アサについて調べた結果しか伝えなかったが……、否、こうして思っているだけで、ユウには既に伝わっている可能性が高いが……、もしかしたら、UPOが何かということこそが――、と、イルシンの思考はそこで打ち切られた。自動扉が開いて、基地司令官チャン・レイ少佐が入ってきたのだ。
チャン・レイは、敬礼で迎えた制御室の面々に返礼するのもそこそこに司令官席に着くと、肘掛けに備え付けられた通信機の、全基地への一斉通信ボタンを押して、マイクロフォンを口元に持っていった。
「総員に告ぐ。これより、夜季脱出作戦を敢行する。カヅラキ・ユウ上等兵曹のテレパシー能力を使用し、当基地の全員の意識を繋ぎ、キャタピラ修復作業及び夜前線へ向けての基地操縦を行なっていく。少々意識に違和感は覚えるだろうが、作戦遂行のためと思って耐えて欲しい。これに伴い、ただ今を以って、非常事態宣言レベルCを発令する。作戦開始は、
通信を終えたチャン・レイは、補助席に座ったユウに頷きかける。ユウは立ち上がって敬礼で答えると、補助席に座り直し、静かに、集中した面持ちになった。
(おれは、何をしたらいい?)
イルシンが思ってみると、精神感受で返事があった。
【――手を握ってて下さい。じぶんの
(分かった)
イルシンは補助席に座ったまま左手を伸ばして、ユウの右手を握った。冷たく強張った小さな手から、ユウの緊張がそのまま伝わってくるようだった。
「作戦開始、十秒前」
タイラ・ハルの、全基地に向けたカウント・ダウンが始まる。
「九、八、七、六、五」
平行して、ユウが口の中で呟き始めた。
「〈対象〉、当基地の全兵士」
「四、三、二、一、〇」
「作戦開始!」
チャン・レイの宣言とともに、ユウの体が青白く光る。
【〈表層共有〉! 〈目的〉、夜季の早期脱出!】
ユウの宣告は、青白い光の拡散とともに、空気振動を介さない「声」で、惑星サン・マルティン地表基地にいる全兵士の頭の中に響いた。
「何これ……!」
タイラ・ハルが驚いた声を上げる。
「各待機所と連絡を取り合って作業の進捗状況を確認しながら、効率的に各整備班を食事と休憩に回す段取りまでする……」
「自分が何を求められてるのか、今から何をすべきなのか、手順から何から、鮮明に頭に浮かぶね。これなら、一秒の
ヴァシリも感心したように呟いた。
「全基地の兵士がこの状態なら、作業効率は計り知れないぞ……」
ダグラスまで感嘆して、畏怖の目でユウを見た。ユウは、補助席に座ったまま、やや俯き、見えていない両目は半眼にして、黙って集中し続けている。
(おれは……)
イルシンの頭に浮かんだのは、ただ、ユウの隣でその手を握り続けて待機し、不足の事態が起これば、ユウを連れてその場へ急行しなければということだけだった。
一頻り驚いた制御室の面々は、それぞれの職務遂行に邁進し始めている。基地全体から、同様に仕事に没頭した雰囲気が伝わってくる。
(本当に、凄いな……)
素直に感心して、イルシンはユウの横顔を見守った。
○
作戦開始から、六時間が経過した。非常事態宣言が出されてから、いつもの三交代制を崩して働いている兵士達に多少の疲れは感じられるものの、タイラ・ハルが効率的に食事と休憩に回しているので、過労になっている兵士はいない。そう、イルシンにもはっきりと感じることができる。ユウが繋いでいる意識を通じて――。
(しっかし、これだけのことを、よく一人でできる……)
ユウは、定期的にトイレへ行く以外、制御室の補助席に座っている。最低限の水分補給は、イルシンが食堂から持って来たパック飲料で行なっているが、食事は取らず、意識は何をしていても、常に〈表層共有〉という技に集中し続けている。
「腹、減らないか?」
イルシンが小声で問うと、ユウは無言で首を横に振った。ずっとこんな調子だ。口を利かず、精神感受でも殆ど話さない。集中が乱されるのだろう。
(ずっとこんなんで、もつのか……?)
そもそもユウは、まだ体調が万全ではなかったはずだ。
(こいつのどこから、こんな〈出力〉が湧いてくるんだ……?)
テレパシー能力とは、一体何なのだろう――。
寝ている間はただの子供に見えていたユウが、また、得体の知れない存在に思えてきて、イルシンは僅かに身を竦めた。
○
凝って掴めそうな闇を見ている兵士がいる。基地全体が、ずっしりと闇に覆われている。兵士達が、ひしひしと、その精神的な重みを感じている。
――「
ニコライの懐かしい声が聞こえた気がした。あれは、あの一年の夕季の終わり、西の空にある最後の赤い光が消えようとしている頃だった。東の空には、既に重苦しい闇の気配があった。ニコライは、あの段階で、誰よりこの夜季の恐ろしさを分かっていたのだろう……。
(作業達成率は約七十三パーセント。後三時間くらいで、キャタピラは直る。その後は、基地を全速力で進める)
いつも時速約五キロメートルで進む基地だが、勿論、それ以上の
(「アサ」に備えながら、早くこの夜季から脱出しないと――)
兵士達の
ユウは、自分の右手を握っているイルシンの左手の指を、そっと握り返した。体は、ここにある。それをこうして確かめ続けていないと、繋いでいる意識のどこかへ、自分が紛れてしまって、戻って来られなくなりそうな気がする。自分は能力の制御が比較的容易い自我確立型だからこそ、何とか可能な技なのだ。暗号名兼能力名を〈
(もしかして……)
ユウは、ふと気付く。アサが、自我不確立型のテレパスだとしたら。
(おまえは、まさか、こんなふうに大勢と意識を繋ぎ過ぎて、体に戻れなくなったのか……?)
そんなことが、あるのだろうか。けれど、確かにここには、アサの意識がいる。あれは、アサで間違いないはずだ。アサの声、アサの姿というだけでなく、アサが持っていたであろう、ニコライへの思いをそのまま持っていた。
(ここの大気には、確かに
九年前にも感じていたこと。この惑星サン・マルティンには、何かがある。イルシンも隣で考えている、それこそが、UPOの、テレパシー能力の、アサの意識がここにいることの、全ての謎を解く鍵になる。
(ニコライも言ってた……)
東の空が白々と明けつつある、青い世界。西の空にはまだ闇の残った、静かな世界。洞窟の外に置いた、
――「
あの時は、ただ、死の淵に佇んだ人間にしか聞こえない何かが聞こえるのだと思っていた。だが、ニコライはもっと重要な、何かを伝えようとしていたのかもしれない。
(わたしにも、
ユウはまた、イルシンの左手の指をそっと握った。〈対象〉としている人数が多いので、やはりきつい。必死で自我を保ち、集中し続けないと、技が解けてしまいそうだった。
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