第二章 襲いくる闇夜 4

 さすがに軍の施設の資料室兼図書室だった。イルシンが資料端末で〈一時的意識不明〉を検索すると、すぐに求める答えに行き着いた。

[〈一時的意識不明〉――人類宇宙軍公式オフィシャル精神干渉技。〈対象〉の全ての感覚細胞に大量の刺激を与えて飽和状態にさせ、〈対象〉が受けている精神攻略を一旦解除する技。精神干渉で、より高度な精神攻略を一時的にせよ無効化するため、相当な〈出力パワー〉が必要とされ、通常は〈対象〉一名につき精神感応科兵一名が使用する]

(それを、あいつ、整備班の四十人全員に一度に使ったのか。倒れる訳だ、無茶しやがって……)

 イルシンは顔をしかめつつ納得し、〈感染〉についても検索してみる。やはり、すぐに答えが出てきた。

[〈感染〉――人類宇宙軍診療部隊において主に使用される専門用語。〈対象〉が精神攻略を受けている状態を表す]

 しかし、疑問は尽きない。

(軍公式の技なんてあんのも初めて知ったが、精神干渉? 精神攻略? 何なんだ、そりゃ)

 検索すると、またすぐに答えに行き着いた。

[精神干渉――〈対象〉の神経系に強制的に介入すること。但し介入する先の神経系は感覚細胞。即ち、視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚の五感を撹乱する]

[精神攻略――〈対象〉の神経系に強制的に介入すること。但し介入する先の神経系は中枢神経系即ち脊髄や脳細胞。人類宇宙軍精神感応科で教える精神感受、精神干渉、精神攻略の技の内、最も危険な技のため、診療部隊兵や諜報部隊兵には、精神攻略技は教えられず、攻略部隊兵のみに教えるカリキュラムになっている。また、攻略部隊兵以外が、偶然にでも精神攻略技を身に付けていたとしても、その使用は一切の例外なく禁じられている]

(精神感受ってのもあんのか……)

 その用語もまたすぐ検索に引っかかる。

[精神感受――〈対象〉の表層サーフェス・意識コンシャスネス或いは潜在サブリミナル・意識コンシャスネスから何らかの情報を得たり、〈対象〉の表層意識或いは潜在意識に何らかの情報を与えたりすること。最も初歩的且つ一般的なテレパシー能力使用]

(こんなんじゃ埒が明かねえ。もっと精神感応科についての、体系的な資料はねえのか……?)

 資料端末に[人類宇宙軍精神感応科]と入力して検索をかけると、すぐにイルシンが望む資料が出てきた。

(これだ)

 イルシンはその資料を転写コピーして自分の腕端末に保存し、医務室に戻った。ユウの傍らに、既にヴァシリの姿はない。空いていた椅子に再び座って、ユウがまだ寝ていることを見て取ってから、イルシンは資料を呼び出して開き、目を通し始めた。

[人類宇宙軍では、テレパス優遇制度を設けており、テレパスと認定されれば、人類宇宙軍の士官学校である人類宇宙軍学園高等学校に、特別枠で入学を許可され、一律に下士官の最下階級である二等兵曹の階級を与えられる。単位を落とさず順調に進級していけば、上等兵曹となり、三年で卒業可能。その後は必ず精神感応科に配属され、短期間で、兵曹長になることも、士官階級になることも可能。

 精神感応科は、テレパスのみで構成されており、診療部隊、諜報部隊、攻略部隊がある。

 診療部隊は、最も初歩的なテレパシー能力使用、精神感受によって人間の表層意識及び下意識を探り、その人間の健康状態を知ることを主な任務とし、より積極的なテレパシー能力使用、精神干渉によりその人間の治癒力を高めるなどすることもある。諜報部隊は、精神感受によって、必要な情報を特定或いは不特定多数の人間の表層意識或いは潜在意識から得ることを主な任務とし、精神干渉によりそれらの人間の表層意識或いは潜在意識に偽情報を入れて、情報操作をすることもある。攻略部隊は、更に積極的なテレパシー能力使用、精神攻略によって人間の表層意識或いは潜在意識に働きかけ、その人間を強引に操作することを任務とする。テレパシーを専ら情報収集とその活用に使う診療部隊、諜報部隊と異なり、攻略部隊はテレパシーを攻撃に用いる。そのため、能力・適性ともに攻略部隊に適当と判断される人材は少なく、攻略部隊の人間は、優遇されている精神感応科の中でも特に優遇されている。

 人類宇宙軍は、精神攻略の危険性の高さを鑑みて、診療部隊兵や諜報部隊兵には、精神攻略の技を一切教えておらず、如何なる場合にも全面的にその使用を禁じている。精神干渉と精神攻略は、どちらも精神感受とは異なり、相手の神経系に強制的に介入する技である。精神干渉は〈対象〉の感覚細胞のみに強制介入し幻覚を与える。精神攻略は〈対象〉の中枢神経系即ち脊髄や脳に強制介入し、幻覚を与えたり、記憶・言動の操作を行なったりする]

【……随分、勉強してるんですね……】

 唐突に、頭の中に囁く「声」がした。

「起きたか……」

 資料を閉じて、イルシンはユウへと身を乗り出す。

「気分はどうだ?」

【ちょっと吐き気はしますけれど……、まあ、大したことないです。御心配をおかけしてすみません。ただ、暫く、精神感受で会話させて下さい。じぶんは、こっちのほうが楽なので……】

 目覚めたことを示すためらしく、うっすらと目を開けたユウは、「ちょっと吐き気」というよりは、かなりつらそうな顔で告げた。

(「精神感受」は、最も初歩的で一般的なテレパシー能力使用だな)

【はい】

 ふわりと微笑んだユウは、疲れたように目を閉じて説明する。

【テレパシー能力の分類法はいろいろあって、精神感受、精神干渉、精神攻略という分類は、その中の能力使用分類というものです。他にも、接触法、視認法、感知法という方法分類、自我確立型、自我不確立型という型分類があります。因みにじぶんは、自我確立型です。テレパスは、その能力の傾向によって、自我確立型と自我不確立型に大別されるんですが、自我確立型のテレパスは、自己の思考・感情と他者のそれとを明確に区別して感じます。対して、自我不確立型のテレパスは、自己の思考・感情と、他者のそれとを充分に区別できず、混同してしまいがちなんです。つまり、自我不確立型のほうが、能力の制御コントロールが難しいんです。接触法は相手に触れることでテレパシー能力を使うという方法、視認法は相手を見ることでテレパシー能力を使うという方法、感知法は、触ることも見ることもできない相手を感じることでテレパシー能力を使うという方法です。じぶんを含めた一般的なテレパスは、接触法で一番多くの情報を〈通信〉することができます。その次に多くの情報を遣り取りできるのは視認法、そして一番情報の伝達が難しいのが感知法で、大概、「声」だけの遣り取りになります】

(けど、おまえは……)

【はい、じぶんに視認法は難しいですが、あなたの視覚を使わせて貰う、などの方法を使えば、できないこともないです】

(そうなのか……)

【でも、どうして急に、精神感応科のことやテレパスのことを勉強し始めたんですか?】

(おまえが言ったんだぞ。「精神感応科の用語についても、勉強して貰わないといけない」ってな)

【――そうでしたね……。じゃあ、《ハンチ》という能力名は、資料の中に出てきましたか?】

(いや……)

 ひどく曖昧な能力名に、イルシンは片眉を吊り上げた。そもそも、能力名については、まだ、ユウが口にしたものしか調べていない。

【そうですか。まだ新しい情報なので、一般資料化されてないかもしれませんね。《勘》は、昨年のバー・レーン事変の際、確認された能力です。巻き込まれた民間人の中にテレパスがいたので、軍にとっては、偶然確認することになった能力ですが、未来を予測するんですよ】

 テレパシー能力に、そんな力があるとは聞いたことがなかった。

(そりゃ、テレパシー能力じゃなくて、予知能力なんじゃねえのか?)

 問うたイルシンに、ユウはさらさらと答えた。

【その民間人本人の協力を得て、連盟が詳しく調べた結果、その能力は、テレパシー能力の範疇に入ると判明したそうです。何でも、一つの事柄に関わる大勢の人間達の意識全てを探って、それらの人間達が知ってる情報や、何かを行なおうとしてる意志を繋ぎ合わせて、その結果としてこれから起きるであろう事柄を知ることができるとか。その民間人は、そんな複雑で〈出力〉の要る能力使用を、ほぼ無意識にしてたそうです】

(すげえな……)

【テレパシー能力については、まだまだ未知なことが多いんです。精神というものは、三次元を超えてるという仮説もありますしね。それなら、未来のことを知るのも可能ということです。――じぶんに、そんな能力があったら、サン・マルティンの悲劇が起きる前に、周りの大人達に知らせることができたのにと、〈勘〉のことを聞いた時には思いましたが】

 沈んだ様子で告げてから、ユウは表情を変えて問うてきた。

【なら、「カー」という用語については、何か出てきましたか?】

(いや、出てきてねえ)

【やっぱり、軍の資料端末では、出てきませんか】

 ユウは口元に複雑な笑みを浮かべる。

【「カー」というのは、元々は野良犬を意味する言葉ですが、軍の隠語で、軍に所属してないテレパスのことです。ナオミ・アマノって、知ってますか?】

 詳しくは知らないが、聞いたことはある。

(歌手だろ? 惑星メインランドを本拠地にして活動してる――、ああ、確かテレパスって話だったな……)

【はい。テレパスの歌姫と宣伝されてます。軍に言わせれば、彼女も「カー」です。どんなに真っ当な市民生活を送ってようと、軍に所属してなければ、遠慮なく「カー」と呼ぶ。軍は、テレパスの力を全て掌握したがってる】

 語りながら、両眼を閉じたままのユウの表情が曇っていく。

尹世秀ユン・セスという人については、知ってますか?】

(いや……)

【じぶんの一年先輩の諜報部隊兵で、じぶんと同じ、サン・マルティンの悲劇の生き残りです。グループは違ったので、あなたに〈入力〉したじぶんの記憶の中にはいませんが……。じぶん達、UPOの被害によって保護者を失った子供――いわゆるUPO孤児は、健康面に支障があれば人類宇宙連盟傘下の病院に無料で入院できましたし、健康面に支障がなければ、人類宇宙軍学園に無料で入学することができました。まあ、そういうのは全部、人類宇宙連盟が、サン・マルティン封鎖の批判をかわすために行なった演出な訳ですが。その後、大半の子供は軍学園の中等学校を卒業した時点で就職するか、或いは別の学校へ入学してます。あなたも知っての通り、軍学園の高等学校は完全な軍人養成学校で、入学すれば、長期間の専門的な実習がある上、卒業後四年間の就業義務期間が過ぎるまで、軍組織を抜けられなくなりますからね。でも先輩は、軍学園の高等学校に入学した上、一番メディアに露出して、連盟や軍の宣伝搭になってる。出世も早く、今は十六歳で少尉です。――そんな人もいます】

(何が言いたい……?)

【ただ、知っておいてほしいんです。じぶんは……、じぶんも、軍学園の高等学校に進学しました。上等兵曹になって卒業しました。そういう人間だと、知っておいてほしいんです】

(分かったよ……。とりあえず、もう少し寝てろ)

 イルシンは、そっと手を伸ばして、ユウの頭を撫ぜ、閉じた両眼から溢れてきた涙を拭った。いつもの、少しとぼけたような、淡々としたカヅラキ・ユウではない。カヅラキ・アサの「幽霊」から何を言われたのか分からないが、何にせよ、まだ本調子ではないのだろう。

(――おまえの姉さんを、あの場で見た。おまえの記憶の中で見たのと、同じ姿をしてた)

【アサは……、アサの意識は、ずっと、ここにいるんです。八年間、ずっと――】

(姉さんは、やっぱりちゃんと、生きてたんだな……?)

【はい。間違いないと思います】

(なら、おまえの力が必要なのはこれからだ。しっかり休んで、さっさと元気になれ)

【はい……】

(おれは、おまえの姉さんについて、できるだけ調べておく)

【――よろしく……お願いします……】

 ユウは弱々しく目を開いて、イルシンのほうを見る振りをする。油断がならないと見えていたユウが、急にまた子供に見えてしまい、戸惑いながら、もう一度その頭を撫ぜて、イルシンは資料室兼図書室へ向かった。


          ○


 イルシンが医務室から出ていくのを感じてから、ユウは深い溜め息をついた。自分は、いつまで、あの真っ直ぐな青年を欺き続けなければいけないのだろう。――アサが生きていることは、この基地に来る前から知っていた。知らされていた。

 ユウに与えられた任務の最優先事項は、UPOの誕生の謎と動向の謎について調査すること。その具体的内容は、即ちカヅラキ・アサの姿をした「幽霊」が存在する謎を解くことである。また、最低限の任務として、その「幽霊」からサン・マルティン宙域の人類宇宙軍を守らなければならない。そして、それらの任務の大前提として、惑星メインランドの軍総本部にある軍病院で、アサの肉体が生命維持装置の中で生かされているところをのである。しかし、それは、他人の視覚を利用して見せられたもので、自分の肉眼で見た光景ではない。自分を利用するため、誰かの精神干渉で見せられたものかもしれないという疑念が払拭できなかった。だから、確信が欲しくて、基地の資料を調べたのだ。

(あの受け答えの感覚――。あれは、亡霊なんかじゃない。アサは、ちゃんと生きてる。でも、アサの意識は、やっぱりこの惑星にいる。しかも、あの頃のままで)

 イルシンが見たという「姉」の姿を、ユウも精神感受で。あれは正しく、痩せてはいても強い意志を持って駆け回っていた、あの悪夢の一年間をともに過ごした姉だった。

(何故「おまえ」がまだここにいるのか、その謎を、わたしは、解き明かしに来たんだ。例え、連盟の、軍の装置デバイスの一つになってでも――)

――【何故、一人であたしに会いに来ない? 何故、ずっとそいつらと一緒にいる? 何故、そいつらを守るの? 結局、あんたは逃げたんだ。自分が助かりたかったんだ。ここにニコライを残して、あたしのことも見捨てて……!】

――【あんたも人類宇宙軍人というなら、こいつらと一緒に、罪に準じて死ね……!】

 「姉」の憎しみに満ちた「声」が、脳裏に突き刺さって残っている。「姉」が、他の精神攻略した整備班の兵士もろとも、イルシンにも精神攻略を仕掛け、心臓を止めようとしたので、無理をして、大勢に対して一度に〈一時的意識不明〉を使わなければならなかった。尤も、既にUPOに対する〈精神攻撃抗体〉を持っているイルシンは、そう簡単には精神攻略されなかっただろう。何故なら、「姉」のテレパシー能力は、UPOに拠るものだからだ。そして、恐らくは、ユウ自身のテレパシー能力も――。

(連盟の――軍の闇は、この惑星の夜季の暗黒やみより、もっと深いんです、イルシン……)

 このテレパシー能力を使って、全てを余すことなく打ち明けてしまいたい衝動に駆られる。先ほどは本当に危なかった。

(こんなことなら、まだ、嫌われてるほうがましだったかもしれません……)

 石一信ソク・イルシンは、その名から、恐らくは惑星パールの高麗民主国出身だと分かる。惑星パールは、惑星サン・マルティンと交流が深かった。そのため、UPOが蔓延し、多くの死者を出した。幼いイルシンも、その惨状を目にしたに違いない。ユウは、その心の傷をも利用して、彼に〈精神攻撃抗体〉を植え付けたのだ。

 ユウは、イルシンにサン・マルティンの悲劇の記憶を、〈入力〉してしまったことを、今になって心底後悔していた。

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