第二章 襲いくる闇夜 1

 まだ自分の目で見えていた頃の、一番鮮明な記憶の光景。

 東の空が白々と明けつつある、青い世界。西の空にはまだ闇の残った、静かな世界。

 洞窟の外に置いた、みんなの手作りの肘掛け椅子に座って、たくさんの毛布を掛けられ、東の空を見つめる少年。

 夜明けが見たいからと、無理を言って洞窟から出てきたのだ。

 心配そうな仲間達に見守られながら、少年は、私物として、街からただ一つだけ持って出てきた、お気に入りのハーモニカを吹く。

 弱々しい途切れ途切れの音色は、精一杯優しい曲を紡ぐ。

――「みんなと一緒に、夜明けが見られて、よかった……」

 呟いた少年に、自分と同じ外見の少女が縋り付く。

――「あたしは、ずっとここにいる。おまえと、ずっとここにいる」

 少女の言葉に、少年は、寂しげに微笑み、首を横に振った。

――「駄目だよ。きみ達は、この未来さきを生きてくんだから」

 涙で、少年の顔が、少女の顔が、夜明けの世界が、滲んでぼやけた。


          ○


「あら、元気になったのね」

 司令官室から出たところで、声をかけられて、イルシンは片眉を上げた。通路の先に、先を揃えて短めに切った髪を頬の辺りで揺らし、相変わらずエメラルドグリーンの軍服を隙なく着こなした平春タイラ・ハルが立っていた。

「よう」

「司令官殿に、何の用だったの?」

 くっきりと睫毛に縁取られた両眼の、黒い瞳がイルシンを見据える。階級が一つ下でも、ハルは物怖じせず、友人口調で話し掛けてくる。

「あの上等兵曹殿関係のこと?」

 相変わらず勘が鋭く、好奇心も旺盛だ。

「まあな」

 イルシンは曖昧に答えた。この後の全体礼で正式に発表されるまでは、言わないほうがいいことだろう。ユウが、ハルも含めたこの基地の全兵士に対し、必要に応じて能力を使用していることも、教えられた上で口止めされた。

「随分と、あの上等兵曹殿に気に入られてるのね」

 歩み寄ってきたハルは、赤い唇に笑みを浮かべ、妙に皮肉っぽく言う。

「精神感応科兵は『くそ野郎』だって、あんなに言ってたのに」

「変な勘繰りはよせ」

「まあ、まだお子様だものね」

 手を振って擦れ違って行ったハルを、イルシンは顔をしかめて見送った。ハルとは、彼女がこの基地に赴任してきた後暫く、付き合っていた。ハルがこの基地に慣れた頃、自然解消してからは、気の置けない友人の一人だが、人を放っておけない性質らしく、今でもイルシンの私事について、いろいろと口を挟んでくる。イルシンが惑星パールの高麗コリョ民主国出身とうことも、惑星サン・マルティンと交流の深かった惑星パールではUPOによって大勢が亡くなり、その中にイルシンの叔父がいたことも、その叔父を隔離施設へ連れ去ったのが精神感応科兵だったということも、まだ覚えていて、気にしているのだろう。

(精神感応科兵でも、カヅラキ・ユウは、UPO被害者だからな……)

 溜め息をついて、イルシンは自室へ戻った。


          ○


 カヅラキ・ユウが着任してから二度目の、惑星サン・マルティン地表基地の全体礼は、緊迫感漂うものになった。

 まずは、基地司令官チャン・レイから、第八整備班の四名が、何者かからの「精神的攻撃」を受けて、七十七番、七十八番キャタピラを破壊したこと、カヅラキ・ユウの働きにより、一旦その「敵」は退いたが、再び襲ってくる可能性の高いことが告知された。

 講堂一杯の、ざわつく兵士達に、チャン・レイは壇上から、マイクロフォンの音量を上げて伝える。

〈この「敵」について、総本部は、テレパスの可能性が高いと考えている。ゆえに、精神感応科診療部隊所属カヅラキ・ユウ上等兵曹がこの基地に配属されたのだ。今後は、カヅラキ上等兵曹を中心に、特務班を編成し、この「敵」を捕獲、或いは殲滅する作戦を実施していく。この特務班の編成は迅速に行なっていくが、まずはソク・イルシン上等兵がこの特務班所属となったことを発表しておく。以後、この特務班に所属する者は全員特殊任務に就くため、通常任務の交代勤務シフト・ワークからは外れることになる。混乱のないよう、各自厳重に交代シフトの確認をしておくように。この基地の全員が一丸となって、今回の「敵」に対処することを期待する。わたしからは以上だ〉

 続いて、カヅラキ・ユウが壇上に登った。こちらは相変わらず緊張感のない顔で、スタンドに取り付けられたマイクロフォンの前に立ち、口を開く。

〈じぶんから、一つ忠告をしておきます。頭の中に空気振動を介さない「声」が響いても、無視して下さい。それが「敵」です。そして、すぐに、じぶんに報告して下さい。宜しくお願いします〉

 後は、諸連絡があって、全体礼は終了した。通常任務のシフトから外れたイルシンは、そのままカヅラキ・ユウのところへ行く。二人とも、三交代制の休息と待機ののちの、勤務開始である。全体礼ののち、勤務に入る者、休息に入る者、待機に入る者、各員それぞれ散っていく中で、カヅラキ・ユウもじっとイルシンを待って立っていた。

「これから、どうするのでありますか?」

 とりあえず任務中の言葉遣いで問うたイルシンに、カヅラキ・ユウは、見上げる振りをして答えた。

「『敵』が来るのを待ちながら、この基地にあるサン・マルティンの悲劇に関する資料を当たります。何か、手掛かりが見つかるかもしれませんし。……それから、周りに人がいる時以外は、任務中でも、敬語じゃなくていいです。何か、そうやって話し掛けられると、じぶんも疲れるので」

「了解。……にしても、資料調べとは、地味だな」

「仕方ありません。こちらは基本、待ちの一手ですから」

 淡白に言って、ユウは歩き出す。その斜め後ろをついて歩きながら、イルシンは低い声で確認した。

「……で、『敵』で、いいのか?」

「はい。あれは、確かにアサの声ですが、アサと断定することはできませんし。この基地の皆さんに危害を加えてるのは事実ですから」

「おまえの姉さんじゃなかったら、一体誰だってんだ? 司令官はテレパスの可能性が高いとか言ってたが」

「空気振動を介さない『声』を使うという一点だけで、『敵』がテレパスであることはほぼ確定です。後は、姉かどうかですが、それは、未確認事項ですから。じぶんにも、あれが姉なのかどうか、はっきり分からないんです。姉は、生存すら公式には確認されてませんし」

「そうだったな……」

 イルシンはユウの心情を慮って言葉を切り、次いで、もう一つ気になっていたことを問うた。

「それはそうと……、おまえ、何で一々おれのほうを見るんだ? おれはもうおまえの目のこと知ってんだから、別に無理に見る振りなんてしなくていいんだぜ?」

 すると、ユウは足を止めて、また真っ直ぐに瞬きもせずイルシンを見上げた。

「相手の目を見て話すのは、意思疎通コミュニケーションの基本だと、学校で教わりました。それに、じぶんは今、あなたの視覚を借りて視覚情報を得てます。あなたの視線は気ぜわしい感じで落ち着きがなくて、時々酔いそうになりますけれど」

「悪かったな……」

「こうして、あなたを見るということは、じぶんにとって、鏡を見てるようなものなんです。あなたの目を通して、じぶんは、じぶんを見て、表情の確認などさせて貰ってます。要するに、コミュニケーションの練習をさせて貰ってるので、気にしないで下さい」

「おれは練習台か」

「すみません。じぶんが、これだけ自分のことを直接明かした相手は、あなたが初めてなので」

 そう言ってじっと見上げられると、何となくこそばゆい感じがして、頼みとされている視線を外したくなってくる。

「――分かった、練習でも何でも好きにしろ」

 イルシンは溜め息をついて降参した。

「ありがとうございます」

 律儀に礼を言って、ユウはまた歩き出す。行き着いた先は、基地の誰もが利用できる図書室兼資料室だった。もっと、機密の臭いの立ち込める場所へ案内されると予想していたイルシンは、拍子抜けして言った。

「こんなところで、何か新しい情報が得られるのか?」

「可能性はゼロじゃありません。ここで調べものをした人は誰も、じぶんと同じ視点で、資料に当たってはないでしょうから」

「おまえと同じ視点?」

「隠された生存者がいる――つまり、カヅラキ・アサが生きてるはず、という視点です」

 ユウは、さっさと椅子に座り、資料端末を立ち上げながら、言う。

「アサは、じぶんとほぼ同じ外見、同じDNAを持ってます」

 そこまで言われれば、イルシンにも、ユウが疑っていることが理解できた。

「要するに、おまえの姉さんは生きてるが、おまえとして資料には載ってる……、資料上は、二人が一人として扱われてるってことか」

「その可能性が一番高いと、じぶんは思ってます」

「けどそれは……、軍の情報管理を疑うってことだぞ……?」

「もし姉とじぶんを一人として扱ってたとしても、それは、姉が何かをしたせいであって、軍の故意じゃない、という結論に辿り着きたいですね、軍人としては」

 動き出した端末画面を見つめる振りをしたまま、冷ややかに、ユウは答えた。

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