第一章 帰ってきた子供 5
確かに、「負担」と表現するしかない内容だった。非現実だと思いたくなるほどの、惨状と絶望――。
――【一度に〈入力〉し過ぎましたから、暫くは安静にしてて下さい。また来ます】
そう伝えながら剥き終えた黄金林檎を、籠から取り出した小皿に乗せて小卓の上に置き、カヅラキ・ユウは病室から立ち去った。残されたイルシンは、黄金の皮を剥がれたその林檎を見つめながら、自らの脳に〈入力〉された内容を、じっと反芻していた。
UPOという仮称すらサン・マルティンの地表には伝わっておらず、ただ「サン・マルティン病」と呼ばれていた病に、大人も子供も全員が罹患したが、不思議と六、七歳以下の子供達は、回復した。だが、それより年上の子供達と全ての大人達は、回復することなく死んでいったのである。ユウとアサの両親も同じだった。葬る人もなく放置されている亡骸達から離れ、生き残った子供達は食料や衣服を持って集まった。亡骸だらけの住宅街を去り、まずは、デパートやオフィスビルが建ち並ぶオフィス街へ移った。彼らの
レトルトや缶詰、乾物、駄菓子などの食糧集め、木材や紙などの燃料集め、衣服や寝具などの衣類集め、「基地」と彼らが呼んでいた住む場所の管理や食事作りという、主な四つの仕事を、ニコライを補佐して最も主導的に行なっていたのが、アサだった。アサは持ち前の明るさと面倒見の良さで、すぐに子供達の中心人物となり、子供達を、食糧集め班、燃料集め班、衣類集め班、留守番班の四班に分けて、動かした。ただ、その四つの班のどれにも属さない子供達もいた。ニコライが、自分の手伝いをさせるために選んだ子供達だった。ニコライは、アサに、生活上必要なことの運用を任せておいて、「サン・マルティン病」――UPOの研究や人類宇宙軍との交信を試みていたのだった。ユウは、そのニコライ手伝い班の一人だった。
当時から、ユウは他人の心を読み取ることができた。それは、大人達が死に絶えた頃に芽生えた能力だったが、使えば使うほどに強くなり、最初は表層意識だけを読めていたのが、深層意識や潜在意識まで読めるようになり、触れている相手の心だけ読めていたのが、触れていない相手、更には遠くにいる相手の心まで読めるようになっていった。ただ、ユウはその能力を無闇やたらとは使わなかったし、ニコライ以外の誰にも、アサにすら、明かしはしなかった。気味悪がられることが、必至だったからだ。ニコライに明かしたのも、先に感付かれ、問い詰められたからだった。ニコライは集まってくる子供達一人一人をよく観察し、その特性を掴んでいたのである。
――「きみはいつも、アサの陰に隠れてる感じがするけれど、でも、周りの子のこと、よく分かってるよね。バージルの妹の二歳のドロテアが言いたいことも、きみだけが分かったし。もしかして、きみ、人の考えてることが分かるのかな?」
笑顔で問うてきたニコライに、ユウは暫く逡巡してから、頷いた。ニコライの心を読めば、その問いかけがほぼ確信であること、そして、決してユウの能力を嫌悪していないことが分かったからだ。
――「誰にも言わないで。アサにも」
――「きみの
優しさの中に真剣さを滲ませて、ニコライは握手を求めてきた。
ユウの能力は、生き残った二歳児や三歳児の言いたいことを探るだけでなく、遥かな上空にいる人類宇宙軍との交信にも使われるようになった。ユウの能力をニコライ相手に試してみると、相手の心を読み取るだけでなく、離れてなら「声」のみ、触れてなら映像その他まで、相手に伝えることができると分かったからだ。ニコライは、人類宇宙軍から「サン・マルティン病」の実体を探ると同時に、「サン・マルティン病」から生き残った自分達のことを人類宇宙軍に知らせて、自分達が獲得したであろう抗体を餌に、自分達を救出させようと考えたのだ。だが、当時まだ、テレパシー能力に対して理解の浅かった人類宇宙軍は、幻のように、誰かの頭の中に聞こえてくる「声」に、真面目に対応しようとはしなかった。
そうして、長く厳しい夜季が来た。
イルシン達は、サン・マルティンの悲劇について、夜季の間に、殆どの人々が亡くなったと聞いていたが、違ったのだ。夜季が来る前に、殆どの人々が――大人は全て、亡くなっていたのである。夜季が来た時に生き残っていたのは、七歳以下の子供達だけだった。そして、彼らにも、死が迫っていた。夜季の到来とともに、まずは寒さより何より絶望が襲ってきたのだ。
当初、食糧は充分にあると、ニコライも、ユウやアサも考えていた。デパートの食品売り場にあったレトルトや缶詰や乾物や駄菓子だけでも、二十一名いた彼らのグループには、夜季を過ごすのに充分な量があったのだ。だが、生き残っていた子供達は、他にもいて、それぞれグループを作っていた。お互いに、協力ができればよかったのだろう。しかし、いつ助けが来るか分からない、もしかしたら、永遠に放っておかれるかもしれない、先の見えない絶望的生活が、彼らを話し合いのできない獣にした。どれだけ確保していても、心許ない食糧である。グループ間の食糧の取り合いから、争いが起こり、とうとう殺し合いが起きてしまった。ある二つのグループの争いの中で、片方のグループの子供がデパートの階段で突き落とされて亡くなり、その報復として、即座にもう一方のグループの子供が吹き抜けの上から重い家電製品を頭上に落とされて亡くなったのである。
一度、殺し合いが起きてしまうと、最早収拾がつかなかった。殺された友の仇を取るためであったり、防衛本能であったり、ただのパニックであったり……、とにかく、違うグループと遭遇するたびに殺し合いが起き、子供達の人数は減っていった。
ユウは、ニコライに頼まれたこともあり、グループの仲間達には内緒で必死に他のグループの子供達へ、争いをやめることを
他グループとの協力を諦めたニコライは、ユウに、今までと全く逆のことを頼んだ。即ち、他グループの子供達の動きを全て、彼らには悟られないように密かに、ユウに精神感応で探らせたのである。ニコライは、そうして分かった他の全てのグループの隙を突いて、まだ贈答品売り場などに残っていた食品やペット用品売り場に残っていたペット・フードなどを奪い、開拓用品売り場に残っていた携帯用海水濾過機やホースや野菜の種や土壌改良
ニコライは最初に争いが起きた頃から、荒野へ出ることも想定していたらしく、既に図書館で調べて、住むのに丁度いい洞窟が見つけてあった。ユウ達は、その洞窟に、持って来た衣類、燃料、諸々の道具類、そして食糧を全て持ち込んで、第二の「基地」としたのだった。
ニコライは更に、食糧生産をグループの子供達に指導し始めた。最も近い海岸からホースを繋いで引いた海水を携帯用海水濾過機で濾過して生活用水を確保した上で、洞窟の周りの土を耕して、土壌改良細菌を撒き、食糧にもなるとして取ってきた野菜の種の一部をそこに植え、育てさせた。殆どが芽を出さなかったり、芽を出しても育たず枯れたりしたが、幾つかの品種は、無事に育ち始め、漸く希望が見えた気がした。夜季が明けて、朝季が来、日の光が当たれば、葉や根や実が食べられるようになる。グループの子供達が生き生きとそれらの野菜の世話をしている傍らで、しかし、リーダーのニコライは徐々に体調を崩していった。元々、そう丈夫なほうではなかった上、疲労も溜まっていた。夜季の底知れない冷え込みも堪えていた。食糧生産の目処が立たないため、切り詰めざるを得なかった食糧事情も祟っていた。そして、東の地平線がうっすらと青みを帯び、朝季の――惑星の夜明けがもう訪れるという頃、ニコライは呼吸を止めた。何があっても、絶対にグループ内で争わず、協力して生活し、例え最後の一人になっても、
ニコライを、近くの丘の上に葬った後、朝季が訪れると、野菜はどれも見る見る大きくなり、葉を広げ、根を太らせ、実をつけた。この惑星の開拓に勤しみ、多くの品種改良を成し遂げた大人達の遺産は、残った十三名の子供達の命を繋いだのである。けれど、毎日食べるのに充分な量ではなかった。缶詰などもまだ僅かに残っていたが、先のことを考えれば、蓄えておくに越したことはなかった。このまま助けが来なければ、また、昼季の後には夕季が来て、夜季が来るのだ。野菜も、全て食べてしまう訳にはいかなかった。再び植えるために種や根を残さなければならなかったし、幾らかは干して保存食にもした。朝季が来て、寒さは和らいでいったが、限られた食糧生産は、飢えを緩和するには足りなかった。ユウは、最年長者の一人として、できるだけ少ない食べ物で我慢した。アサも、同じように少しの食べ物しか食べなかったが、それは、我慢するというより、ニコライを失ったショックから立ち直れないという様子だった。アサにとって、ニコライの存在は大き過ぎたのだ。ユウは、もう生きていたくないと泣くアサを叱って、
子供達は、夕焼けに似た朝焼けを見つめ、一年前を思い出して、精神に異常を来たし始めていた。彼らを見ることはできなくても、感じることのできたユウは、視力を完全に失ってから幾らも経たないある日、ずっと諦めていたことを、もう一度、全身全霊を懸けて行なった。即ち、遥かな上空にいる人類宇宙軍に、自分達の存在を訴えたのである。それも、幻聴などと思われないように、できる限り大勢の人類宇宙軍兵士に、〈一斉送信〉したのだ。能力を使い過ぎたユウは、そのまま意識を失った。
人類宇宙軍が封鎖を解いたのは、それから間もなくしてのことだったらしい。ユウが意識を取り戻したのは、惑星メインランドの人類宇宙軍総本部敷地内にある軍病院に移送されてからだったので、封鎖が解かれた時のことは、全て人から聞いたり調べたりして知るしかなかった。生存を確認され救出されたのはユウを含めて子供ばかり十三人。ユウ達のグループの十二人と他のグループの一人であり、そして、生存者
――【あなたの頭の中に聞こえた、あれは、アサの声です。でも、アサは、生きてないはずなんです。けれど、ここでアサの声がする。その謎を、じぶんは解きに来たんです】
カヅラキ・ユウは最後にそう告げて、イルシンの手を離し、〈入力〉を終えた。
気が付くと、カヅラキ・ユウが立ち去って、三十分ほどが過ぎていた。後に残された、黄金の皮を剥かれた林檎が、段々と酸化して白から薄茶色へ変色していく。それは、希望に満ち満ちていた開拓場が、廃墟と化したさまに似ていた。
「畜生」
遣り切れなさに毒づいて、イルシンは小皿の上の変色した林檎を取って、齧った。ユウの味わった飢えの記憶を生々しく感じた後では、余計に心身に沁みる味がした。
○
「それで、全て話したのか」
司令官室の執務机の向こうから、低い声で為されたチャン・レイの問いに、ユウは首を小さく左右に振った。
「いえ。伝えたのは、じぶんの、サン・マルティン封鎖時の断片的な記憶と、『幽霊』がカヅラキ・アサかもしれないという推測だけです。任務の内容については、伝えていません。けれど、これで、予定外ではありましたが、彼に、UPOに対するある程度の〈
「成るほどな。予定以上に任務が遂行し易くなるという訳か」
チャン・レイは、呆れたようにも嫌悪したようにも聞こえる声音で呟いた。
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