第一章 帰ってきた子供 4

「――報告は、以上です」

 直立不動で淡々と告げたユウに、司令官室の執務机の向こうのチャン・レイは、疲れた目を向けた。

「つまり、それは、UPOなんだな?」

「正確には、UPOに感染された患者、です」

「つまりは、UPOの力だろう。ソク上等兵は、この件がUPOに因るものだと気付いているか?」

「今はまだ気付いていません。〈通信〉で御報告した通り、じぶんが秘密裏に行なっている能力使用については、知ってしまったようですが」

「その件については、出頭させて、わたしから説明し、口止めした上で、協力を命じよう」

「申し訳ありません」

「UPOのせいだろう。仕方あるまい」

「……はい」

 答えた声が沈んだ。イルシンに嘘が知れた時、予想していた以上に心が痛んだ。精神感応科兵とその他の兵との間を繋ぐ。それが、一人きりで配属された自分の命題の一つだというのに、これでは溝が深まるばかりである。ソク・イルシンには、完全に嫌われただろう。目の前のチャン・レイ司令官は、能力を使った〈通信〉という連絡手段にも表面的には不快感を示さず応じてくれているが――。けれど、どう思われようと、しなければならないことがある。

(じぶんの任務の最優先事項は、UPOについて――その誕生の謎と動向の謎について、調査すること)

 自分は、そのためにこの故郷に帰ってきた。惑星サン・マルティン地表基地に出る「幽霊」として報告された、あの存在と対峙する覚悟で、帰ってきたのだ。

(そして、「おまえ」は、やっぱり、まだここにいた。ずっとここにいると言った、あの夜明けから、ずっと――)

 ユウを物思いから引き上げるように、チャン・レイが事務的な口調で指示を下した。

「報告は電子文書の形で再度行なうように。宛て先は司令官専用端末だ。本惑星におけるUPOの調査は続行。能力の使用も引き続き許可する。何かあれば、これまで同様すぐに能力を用いて報告せよ」

「了解しました」

 敬礼して、通過者を識別する自動扉を通り、退室すると、ユウは踵を返し、自室へ見舞い道具を取りに行った。第八整備班の四人と、それにソク・イルシンも、既に医務室で診察を受けている頃合いだ。チャン・レイ司令官から命令が下るにしろ、まずは自分から、改めての謝罪と協力の要請をしておきたいと思うのだった。


          ○


 何やら小さな籠を持って医務室に入ってきたカヅラキ・ユウは、相変わらずの表情に乏しい顔で、寝台ベッド脇へ近づいてきた。大きな両眼の、灰色がかった水色の双眸が、じっとイルシンを見つめてくる。

(いつもいつも、何でこんなにじっと見てくるんだ、こいつは)

 思いながら、イルシンは敢えて口を開かなかった。思っていることが全て読まれていたのだ。向こうが何か言わない限り、わざわざ口を利いてやる気が起きなかった。そんなイルシンの思いも読み取ったのかもしれない。カヅラキ・ユウは唐突に言った。

「不快でしょうが、この林檎を剥く間だけ、許して下さい」

 そして、寝台脇の椅子へ腰掛けると、持って来た籠を寝台脇の小卓に置き、中から小刀ナイフと金色に輝く林檎を取り出す。この基地内でも生産されている黄金林檎ゴールデン・アップルという品種だ。その金色の皮を、カヅラキ・ユウが、やや不器用な手つきで剥き始めると同時に、空気振動を介さない「声」が、イルシンの頭の中に響いた。

【能力使用について、隠してたことは謝ります。ただ、後でチャン司令官から説明がありますが、じぶんに、これからも協力してほしいんです】

(はあ? 誰が!)

 イルシンは、頭の中で毒づいた。周囲には聞こえていないのだから、敬語もくそもない。が、黄金林檎に目を落とすカヅラキ・ユウの横顔は、どきりとするほど悲しげになった。

【すみません。でも、お願いします。能力使用について、既に知ってしまったあなたなら、説明の手間が省けますし、協力者は、やはり必要だと、先刻実感したので】

(何で必要なんだ? おまえ、何でも自分でしちまえるだろが!)

 イルシンが噛みつくように思うと、カヅラキ・ユウは、淡い色の髪を揺らして微かに首を横に振った。

【いえ、じぶん一人だけでは、何一つ満足にはできません。あなたを連れて行ったのは、信頼できる視覚情報が欲しかったからです。今も、あなたがそこにいないと、この林檎を剥くことすら満足にはできません。じぶんは、目が見えないので。栄養失調で、失明したんです】

 唐突に告げられた新たな真実に、イルシンは反論できなくなった。改めて、カヅラキ・ユウの灰色がかった水色――濁った水色という不思議な色の双眸に、視線が吸い寄せられる。不思議な色をしているのは、眼球がその機能を果たしていないからなのだ――。

(栄養失調……は、やっぱり、封鎖中のことだよな……)

 基準時間で一年間、惑星サン・マルティンは封鎖されていた。その間、地表の人々は、ただ放っておかれた。まだ惑星は開拓途上で、地表に最初に作られた開拓場の街に住んでいただけだった人々。当然、あらゆる物資は不足し、食料も尽きていったのだ。

【だから、お願いします。ソク・イルシン。どうか、じぶんの目になって下さい。じぶんは、この惑星で、しなければならないことがある。そのために、あなたの力を貸してほしいんです】

 ――断れなかった。言葉ではなく、感情が、直接流れ込んできて、イルシンの思考を麻痺させた。煮え滾るようでいて、どこか冷やりとした鋭い感情が、イルシンの感情を圧倒した。

(……分かった。協力する)

 イルシンが、辛うじて胸中で、そう答えると、カヅラキ・ユウは、詰めていた息をそっと吐き出して、伝えてきた。

【ありがとうございます。それじゃ、これから作戦をともにこなしていく上で必要な、じぶんの能力について、説明しておきます。じぶんの精神感応科兵としての暗号名コード・ネームは、《潜る鯆ダイヴィング・ドルフィン》といいますが、これは、同時に能力名でもあります。精神感応科には、攻略部隊、診療部隊、諜報部隊があり、じぶんはその中の診療部隊に所属してます。診療部隊というのは、テレパシー能力を用いて、〈対象〉となる人を、その精神、即ち神経系統を通じて診察し、治療することを主な任務とします。じぶんは、先ほど使用したような診療部隊の基本的な技や、あなた方に今使用しているような、大勢の表層意識サーフェス・コンシャスネスを〈走査スキャニング〉し続ける〈乗波サーフィング〉といった技に加えて、〈対象〉の深層意識ディープ・コンシャスネス潜在意識サブコンシャスネスにまで影響を及ぼす技も得意なので、能力名を《潜る鯆》と付けられました。じぶんの、この能力が不快だというあなたの気持ちは、直に感じるので、よく分かります。でも、どうか、受け入れて下さい】

(なら、隠し事は、もうなしにしろ)

 イルシンは、強気で要求してみる。

(おまえが「この惑星で、しなければならないこと」ってのは何だ? あの時聞こえた、おまえのとは別の「声」は何なんだ? おまえが知ってること、全部教えろ!)

 カヅラキ・ユウは、手の中の黄金林檎を見つめるをしたまま、眉間に皺を寄せて、ひどくつらそうな顔になり、搾り出すように答えた。

【どうか、必要ないことは知らないまま、じぶんを受け入れて下さい。お願いします。あなたの負担を、増やしたくないんです】

(ここまで巻き込んどいて、まだそんなこと言うのか?)

【あなたは、踏み込むべきじゃない。じぶんへの協力も、最低限でいいんです】

(勝手だな)

【それは、重々承知してます。でも、今のじぶんには、あなたしかいないんです。これ以上、じぶんの能力使用について知ってる人間を増やす訳にはいかないので……】

(おれしかいないってんなら、尚更教えろ! 負担とか何とかより、気持ち悪い薄皮一枚隔てたような状態で協力して命懸けろって言われるほうが、おれは嫌なんだよ!)

【命を懸けろとまでは……】

(ここは軍隊だぞ! 何甘えたこと言ってんだ! 全て命懸けに決まってんだろが!)

【それはそうですが……】

(いいから早く教えろ! うじうじされっと鬱陶しいんだよ!)

【――理屈が通ってるのは分かりますが……、口が悪いだけでなく、何というか、我が儘な感じがひしひしと伝わってくるんですが……】

(自分の理由だけで動こうとしてるおまえに言われたくねえよ!)

「確かに……」

 溜め息とともに、カヅラキ・ユウは呟いた。そうして、黄金林檎からイルシンへと視線を転じる――振りをする。

【分かりました。お伝えします。じぶんがしなければならないこと、そして、あの「声」が誰のものなのか。全ては、繋がってる話です】

 ユウはおもむろに、剥きかけの黄金林檎と小刀を籠に戻すと、毛布の上に出ていたイルシンの手を両手で握り、呟いた。

「〈入力インプット〉サン・マルティンの悲劇の記憶」

「何だ――?」

 イルシンが嫌な予感を覚えて手を引こうとした直後、どっと映像が――否、感情も臭いも音も感触も、何もかもを伴った情景が、握られた手から脳内に流れ込んできた――。

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