第一章 帰ってきた子供 3

 のろのろと動き続ける惑星サン・マルティン地表基地内のあちこちを一人で巡りながら、ユウは、脳裏に刻み込まれた光景を思い出していた。

 不気味なほど美しかった夕焼け空の下、道路にも、建物の中にも、累々と大人達の屍が横たわっていた夕季。

 やがて、全てが夜季の闇に飲まれていった。

 幼い子供達の足では、この基地のように定期的に移動し続けて、恒星――日の光が届くところへ留まり続けることなどできなかったし、もしできたとしても、開拓のされていない荒野を延々と、食糧を確保しながら移動し続けることなど不可能だった。

 闇の中に何の保護もなく放り出された子供達は、或いは寒さに身を寄せ合い、或いは食べ物を巡って争って、獣のように生きていた。

 あれは、正しく終末の光景だった――。

 不意に、寒気を感じて、ユウは通路を歩く足を止めた。凍りつくような記憶からくる寒気ではない。今現在、何かが起ころうとしているのだ。

(迫ってくる。「おまえ」か――?)

 ユウは、先ほどまでいた基地中央部の制御室へと、駆け出した。


          ○


 最初に異変に気付いたのは、イルシンだった。操縦盤に、速度の不具合を示す点滅ランプが点ったのだ。

「七十七番と七十八番のキャタピラの動きが悪い。まだ全体の速度が落ちるほどじゃねえが……、タイラ一等兵、担当整備班に連絡して調べさせてくれ」

「了解」

 タイラ・ハルが通信機に向かって呼びかけるのを聞きながら、イルシンはヴァシリに問うた。

「原因は、何が考えられる?」

「地面は、今のところ比較的平らだしね。地面への圧力を調整する油圧とかに問題が発生したのかな? でも、だったらそう表示されるはずだし……。それとも、表示ランプに繋がるケーブル系統のほうが故障したのかな……?」

 ヴァシリの推測に、イルシンが考証を加えようとした時、タイラ・ハルが緊張した声で報告した。

「おかしいです。七十一番から八十番担当の第八整備班と、連絡が取れません!」

「タイラ一等兵、すぐに、司令官にその旨報告せよ!」

 ダグラスが怒鳴るように命じるのとほぼ同時に、制御室の自動扉が開いた。佐官であることを示すアイボリーブラックの軍服の裾を翻して入ってきたのは、司令官チャン・レイ少佐である。まるで、この事態を知って現れたかのようだ。

「非常事態宣言レベルCを発令する。タイラ一等兵、全基地に通信!」

 チャン・レイは、司令官席へ向かいながら、厳しい口調で命じた。

「了解。非常事態宣言レベルC発令を全基地に通信します!」

 タイラ・ハルが復唱し、警報ボタンを押して短く警報を鳴らした後、一斉通信ボタンを押して、マイクロフォンに向かう。

「総員に告ぐ。非常事態宣言レベルC発令! 総員に告ぐ。非常事態宣言レベルC発令! 各員持ち場で、非常事態に備えよ!」

 タイラ・ハルの声が基地中に響き、惑星サン・マルティン地表基地は、一瞬で緊迫に包まれた。最早、居ても立ってもいられない。

「ヴァシリ、ここを頼む」

 イルシンは操縦席から立ち上がり、ダグラスのほうを向いた。

「マクレガー一等兵曹殿、七十七番、七十八番キャタピラへ行かせて下さい!」

 普段なら肝の座ったダグラス・マクレガーが、躊躇して、チャン・レイを振り向いた。何故、突然、非常事態宣言の、それもレベルCの発令なのか、ダグラスにも分からないのだろう。しかし、七十七番、七十八番キャタピラと、第八整備班に何かが起こっていることは確かで、それを、チャン・レイは非常事態宣言レベルCの状況だと判断したのだ。朴延徳パク・ヨンドク、ヘレン・ブルック、マティアス・ハイネケン、アンドレ・トラヴァース。第八整備班の面々の顔が脳裏を過ぎる。

「司令官、行かせて下さい! ここでは状況が分からず、対応が遅れてしまいます! 第八整備班を助けに行かせて下さい!」

 今度は直接、チャン・レイに向かってイルシンが叫んだ時、また自動扉が開いて、カヅラキ・ユウが姿を現した。走ってきたのか、肩で息をしている。

「司令官、補佐が要ります。ソク上等兵をじぶんに同行させて下さい」

 早口で求めたカヅラキ・ユウに対し、チャン・レイは即座に答えた。

「許可する。第八整備班と合流し、速やかに事態に対処せよ」

「了解」

 素早く敬礼したカヅラキ・ユウは、イルシンに視線を転じ、命じた。

「ソク上等兵、ついて来い。今から、わたしの指揮下に入れ」

「了解!」

 イルシンは敬礼し、再び制御室から出て行くカヅラキ・ユウを追う。コバルトブルーの軍服の裾を翻して通路を走りながら、カヅラキ・ユウは言った。

「問題の場所へ、じぶんが最短の時間で着けるよう、案内して下さい。じぶんはまだ、この基地には不案内なので」

 周りに誰もいないせいか、カヅラキ・ユウの言葉遣いは敬語に戻っているが、今はそんなことに突っ込んでいる暇はない。

「了解」

 イルシンは応じて、カヅラキ・ユウの先に立ち、通路を走り始めた。自動歩道、自動階段エスカレーター昇降機エレベーター、緊急避難用通路や脱出口、果ては荷物運搬用台車まで、あらゆる物を利用して進む。この基地は、イルシンにとって、直径一キロメートルの円形に広がった巨大な家だ。どんな細かい通路も知り尽くしている。

「ここです」

 制御室を出てから二分と経たない内に、イルシンはカヅラキ・ユウを第八整備班待機所へ連れて行くことに成功した。だが、待機所内には誰もいない。修理に出払っているのだろうか。そうだとしても、腕端末は各員が携帯しているはずで、連絡が取れないというのはおかしいのだ。

「あっちは何番ですか?」

 カヅラキ・ユウが、待機所周辺の床に等間隔で並んだ乗降口ハッチの一つを指差し、硬い声で問うた。

「七十九番です」

 イルシンはカヅラキ・ユウの顔を見ながら答えた。異変があるのは七十七番と七十八番である。しかし、カヅラキ・ユウの顔に迷いはない。

「開けて下さい」

 イルシンは、素早く七十九番キャタピラへ降りる階段の入り口を開けた。そこへ、すっとカヅラキ・ユウが足を入れる。

「ここからは、後ろからついて来て下さい」

 短く命じて、カヅラキ・ユウは先に階段を下り始めた。

 感知式照明センサー・ライトが点くはずが、階段は二人が入っても真っ暗だった。

「手動で灯り、点けられませんか? できれば、視覚情報が欲しいんですが」

 手探りでそろそろと進みながら、カヅラキ・ユウが言った。イルシンは入り口脇の接続機構スイッチを触ってみたが、反応はない。照明ライト自体が壊されているのかもしれない。

「小さな灯りになりますが」

 断って、イルシンは軍服の隠しポケットから小型懐中電灯を取り出し、階段の先を照らした。小型とはいえ、光量は充分だが、何しろ、照らせる範囲が限られる。

「充分です。じぶんが指示するほうを照らして下さい。とりあえず、今は進行方向を」

 カヅラキ・ユウは指示して、小型懐中電灯が照らす先へと、更に階段を下りていった。

 惑星サン・マルティン地表基地を支える百基のキャタピラは、全て同じ構造になっている。油圧で伸び縮みする太い円形の支柱の先に左右で対になったキャタピラがあり、地面に対する支柱の伸縮と三六〇度の回転、キャタピラの回転速度を操作して、地面を進む構造だ。階段は、その支柱の中を通って、キャタピラ本体の内部へと通じている。懐中電灯が照らす光の円が、階段の終わり、キャタピラ内部の床を照らした時、カヅラキ・ユウが今までになく真剣な口調で言った。

「一つ、約束して下さい。声が、空気振動を介さず、直接頭の中で響いても、決して驚かず無視すると。じぶんからの指示は、声に出すか、身振りでしますから」

「それは一体、どういうことですか」

「そういう相手だということです」

 硬い声で答えると、カヅラキ・ユウは、キャタピラの奥へ進んだ。

 ガチャン、カチャンと音がした。金属がぶつかる音だ。人の息遣い、足音もする。複数の人間が、前方にいる。

「第八整備班の方々ですね?」

 カヅラキ・ユウが問うたが、返事はない。カヅラキ・ユウはすぐイルシンに求めた。

「彼らを照らして下さい」

「了解」

 イルシンが向けた小型懐中電灯の光の円の中に浮かび上がったのは、正しく、パク・ヨンドク、ヘレン・ブルック、マティアス・ハイネケン、アンドレ・トラヴァース。第八整備班の四人だ。そして四人は、キャタピラ内の機器を、破壊している。

「おまえら、何やってんだ!」

 思わず叫んだイルシンの目の前に、さっとカヅラキ・ユウの手が伸びた。黙れという合図だ。イルシンは目の前の小柄な後ろ姿を見つめ、歯軋りしながら口を閉ざした。今は、精神感応科兵の、この子供に頼るしかないのだ。

 カヅラキ・ユウは、口の中で、呪文のように、暗号のような言葉を唱え始めていた。

「〈標本抽出サンプリング〉。〈ライブラリ照合〉。〈一致〉、サン・マルティンA型。〈解毒剤アンティドート検索〉」

 一体、何を言っているのか、イルシンには分からない。だが、精神感応科診療部隊特有の用語だろうことは、すぐに察しがついた。

「〈検索〉終了。〈ヒット〉、対サン・マルティンA型〈解毒剤〉友情フレンドシップ。〈対象ターゲット〉、第一ナンバー・ワンから第四ナンバー・フォー。〈投与アドミニストレーション〉!」

 カヅラキ・ユウが何かを宣言した直後、四人の体が震え、動きがぎこちなくなった。破壊活動をやめ、手を止めて立ち尽くし、ぼうっとした眼差しで、イルシン達のほうを見る。

「効果あり。〈診療〉完了。第一から第四〈夢遊病スリープウォーキング〉」

 更に唱えたカヅラキ・ユウに応じるように、四人は虚ろな表情のまま、ゆっくりと歩き出した。カヅラキ・ユウとイルシンの横を通り抜け、階段を上がっていく。

「おい!」

 呼び止めようとしたイルシンの袖を、カヅラキ・ユウが引いた。

「彼らには、医務室へ行くよう指示しました。大丈夫です」

 いつそんな指示を出したのか。そもそも、一体何が起こったのか。イルシンがまじまじとカヅラキ・ユウの顔を見つめた時、不意に、頭の中で「声」がした。

【そんな子供を信じていいの?】

 思わず辺りを見回したが、誰もいない。

「どうかしましたか?」

 カヅラキ・ユウが眉をひそめて問うてきた。その問いに被せるように、また頭の中で「声」が響いた。

【その子供は、嘘を吐いてるわ。その子供は、ずっと能力を使ってる。ずっとおまえ達の心を読んでるわよ】

「何……を……」

 初めての事態と告げられた内容に、イルシンは喘ぐ。カヅラキ・ユウが鋭い目をして言った。

「『声』が、聞こえるんですね?」

 それで分かった。これが、聞こえても、驚かず無視しろと予め言われていた、空気振動を介さない「声」なのだ。

「一体、何なんだ、これは……?」

「ちょっとの間、我慢して下さい。これが一番手っ取り早くて強力で確実な方法なので」

 カヅラキ・ユウはイルシンの問いに答える代わりに、いきなり両手を伸ばしてイルシンの軍服の襟を掴み、ぐいと引き下ろした。

「うおっ」

 引っ張られて上体を折り曲げたイルシンの目の前に、カヅラキ・ユウの顔がある。小柄な精神感応科兵は、少し背伸びをするようにして、驚くイルシンの額に自分の額を押し当て、呟いた。

「〈接触コンタクト〉開始」

 瞬間、瞼の裏で青白い火花が散るような感じがして、イルシンはぎゅっと目を閉じる。頭の中の暗闇で、何かが起こった。

【おまえは今、どこにいる? おまえは誰だ? まだ見つかってない生存者なのか? おまえはわたしを知ってるのか?】

【あたしはあんたをよく知ってる。あんたもあたしをよく知ってる。あたしはずっとここにいる。あんたはあたし達を捨てて逃げた。あたし達を見捨てた。あたしはずっとあんたを待ってたのに。許さない】

【やっぱり、アサ……! わたしはおまえに会うために帰ってきたんだ】

【なら、一人で、あたしに会いに来い。そいつらは信用できない。そいつらは敵だ。軍は、敵だ――】

 「声」が響き合い、同時に、ちらちらと何かが見える。すさんだ顔をした幼い子供達。荒れ果てた街。倒れた大人達。真っ赤な夕焼け。闇の中、炎に照らし出された顔、顔、顔――。

(カヅラキ・ユウ?)

 カヅラキ・ユウだと思われる、そっくりな顔立ちの幼い子供が何度も見えた。そして、カヅラキ・ユウの、静かな声が、今度は確かに耳から聞こえた。

「〈接触〉終了」

 次いで、カヅラキ・ユウの額が離れ、掴まれていた襟も離された。

「何なんだ、今のは……」

 頭の中がぐるぐるとして、酔ったように気持ちが悪い。額を押さえて座り込んだイルシンに、カヅラキ・ユウは硬い口調で言った。

「上官として命じます。じぶんの指揮下に入って以降、今までの一切のことを、口外することを禁じます。……すぐに医療科内科部隊から人を寄越して貰いますから、ここでじっとしてて下さい」

 そうして、カヅラキ・ユウはかつかつと軍靴を鳴らし、イルシンの横を通り過ぎて、階段へ足を向けた。

「待てよ……!」

 イルシンは、目を押さえ、しつこく残る眩暈に耐えながら、声を上げる。

「一つだけ、教えろ」

 軍靴の音が止んだ。

「おまえ、非常事態宣言が出される前から――ここに来た時から、ずっとテレパシー能力を使ってたのか? いきなり心を読んだりはしないとか、軍規で禁じられてるとか言っときながら、使ってたのか? おれ達の心を読んでたのか?」

「……機密事項です。答えられません」

 それが、答えだった。再び軍靴の音を響かせ、階段を上がっていくカヅラキ・ユウを、イルシンは渾身の眼差しで睨み付けたが、すぐに吐き気に襲われ、下を向いて口を押さえた。

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