第一章 帰ってきた子供 2
(詐欺だろ……!)
イルシンは納得がいかなかった。軍には、髪の短い女などたくさんいる。化粧をしていない女もだ。服装にしても、男女ほぼ同じデザインの軍服である。だが、ここまで完全に間違えたことなど、一度もない。
(色気とか仕草とか声とか……、普通、何かあるだろ……!)
地表制圧科空戦部隊のスカイブルー、陸戦部隊のモスグリーン、潜水部隊のマリンブルー、建設部隊のレモンイエロー、通信科通信部隊のエメラルドグリーン、医療科外科部隊のオフホワイト、内科部隊のローズピンク、心理部隊のライトブルー。全体礼のため、講堂一杯に並んだ各色の軍服の列の中から、イルシンは、壇上に出てきたカヅラキ・ユウを睨んだ。コバルトブルーの軍服を着た子供は、涼しい顔で、基地司令官に紹介されている。やがて、カヅラキ・ユウ自身の挨拶になった。
〈皆さん、こんにちは〉
マイクロフォンを通して、緊張感の欠片もない声が響く。
〈ただ今、御紹介頂いた、精神感応科診療部隊所属カヅラキ・ユウ上等兵曹です。じぶんは、この惑星で暮らしていたことがあるので、今は、懐かしい気持ちで一杯です。高等学校を卒業したばかりで、右も左も分かりませんが、御指導御鞭撻のほど、宜しくお願いします〉
敬礼して下がるカヅラキ・ユウを、イルシンは凝視していた。その袖を、隣に並んだヴァシリがつんと引っ張る。
「あの子……」
囁かれて、イルシンはゆっくり頷いた。「この惑星で暮らしていたことがある」というカヅラキ・ユウの言葉は、重い。
(成るほど、あいつがここへ来たのには、そういう事情がある訳か……)
基準時間で九年前のサン・マルティンの悲劇当時、カヅラキ・ユウはまだ一桁の歳だったはずだ。
(UPOに感染した人間は全員、片っ端から隔離病棟に放り込まれ、サン・マルティンは惑星丸ごと封鎖された。地表の人間は全て、見殺し状態だった――)
軍学園中等学校でも学んだ、残酷な史実。
(サン・マルティンの悲劇の生き残り組か、サン・マルティンを偶然出ていて生き延びた組か……、どっちにしても、しんどいな……)
背負った十字架が、さぞ重いことだろう。しかし、この惑星サン・マルティン出身だとしても、精神感応科兵が、たった一人ここで、一体どんな任務を担うのだろう。人類宇宙軍総本部は、一体どういう思惑で、サン・マルティン出身の精神感応科兵を里帰りさせたのか。まさか、本当に「幽霊」対策だとでもいうのだろうか。全体礼が終わり、ヴァシリとともに基地
「おい、イル、ぼうっとするな、毎日やってることでも、気を抜くと、しくじるぞ!」
司令官補佐であり、直属の上官である陸戦部隊一等兵曹のダグラス・マクレガーに野太い声で怒鳴られて、操縦席に座ったイルシンははっと目を瞠り、改めて操縦桿を握り直した。
サン・マルティンは、公転面に対し地軸がほぼ垂直で、自転周期が公転周期の約二分の一、即ち、恒星
「各員、配置につきました! 移動準備完了!」
基地の各部からの連絡を受け、通信席に座った通信科通信部隊所属タイラ・ハル一等兵が報告した。理知的な黒髪美人は、今日も溌剌とした声だ。
「よし」
司令官補佐席に着かず、太い両腕を組んで仁王立ちしたダグラスが頷き、司令官席を振り返る。その席に座る厳しい面持ちの壮年の男――惑星サン・マルティン地表基地司令官チャン・レイ少佐も頷き、そして命じた。
「零時の方向へ、微速前進」
「零時の方向へ、微速前進」
復唱して、イルシンは操縦桿を押す。
「
左隣の副操縦席に座ったヴァシリが現在位置を報告した。いつも通りである。直径一キロメートルの平たい円形をした惑星サン・マルティン地表基地は、最下部に取り付けられた百基の巨大キャタピラを稼動させて、基準時間で毎日、赤道付近を夜から昼へと、十二時間弱かけて、昼夜境界線の夜前線を追い越して移動し、昼を迎えて停止する。但し昼と言っても、夜前線からそう離れていないので、一日の区分で言えば夕方だ。そしてまた惑星の自転により、夜前線に追い越され、夜を迎えるのだ。惑星サン・マルティンの自転速度が極端に遅く、昼夜境界線の赤道における速度が基準時間の時速で約二・三キロメートルであり、また、海が南半球に集中していて、赤道付近から広く北半球の大部分に至るまでが陸続きになっているために、可能となる生活である。
「方向固定、時速五キロメートルで前進」
「方向固定、時速五キロメートルで前進」
イルシンは司令官の指示に復唱で応じ、基地の移動速度を時速五キロメートルまで上げる。これも、いつものことである。
「では、後は任せる。何かあれば、わたしの腕端末へ通信せよ」
チャン・レイが席を立ち、制御室から出て行ったのも、いつも通りだった。基地司令官には、司令官室でこなさなければならない膨大な事務仕事があるのだ。それから暫くは、静かな時間が過ぎる。方向も速度も固定しているので、自動操縦状態だが、惑星の地表は決して平らではなく、様々な不測の事態も発生するので、操縦席を離れる訳にはいかないのだ。
「――発進の時以外は、結構振動も少なくて、静かなんですね」
不意に背後から言われて、イルシンはびくりと振り向いた。操縦席のすぐ後ろに、いつの間にか、カヅラキ・ユウが立っている。
「おま……」
おまえ、何でこんなところに、と言いかけて、イルシンは言葉を飲み込んだ。今、カヅラキ・ユウが任務中だとしたら、友人口調はまずい。それに、事情を知らない人間が周りに大勢いる。
「今日一日は自主研修で、基地内のあちこちを見聞して来いとの、基地司令官の御命令なんです」
またも、心を読んだように、カヅラキ・ユウが答えた。
(こいつ……、本当に心読んでないんだろな……?)
疑問がふつふつと、心の中に湧いてくる。だが、カヅラキ・ユウはイルシンの胸中など全く知らない様子で、制御室の前面の大画面へ顔を向けた。夜前線からそう遠くはないので、明るい星が瞬く空はまだほんのりと群青色だが、地上は既に闇に没している。暗視カメラからの映像は、そんな夜の地表を、鮮明に浮かび上がらせている。砂と岩ばかりの、荒れ果てた大地だ。
「相変わらず、星しかない
カヅラキ・ユウが、ぽつっと呟いた。一年が一日である惑星サン・マルティンの季節は、それぞれ、朝季 《ちょうき》、
「――上等兵曹殿は、封鎖の時、ここにおられたのですか」
問いは、半ば無意識に、イルシンの口から飛び出した。左隣のヴァシリ、右隣のタイラ・ハル、後ろの席に座ったダグラスが、一斉に、ぎょっとした様子で、イルシンを凝視するのが分かった。
「はい、いました。もう少しで、死ぬところでした」
答えは、さらりと返ってきた。カヅラキ・ユウは、大画面を見つめたまま、無表情である。下手な労いや慰めの言葉などかけられない顔だった。誰も口を利けず、制御室が沈黙に支配されて暫く。カヅラキ・ユウ自身が、はっと気付いたように、口を開いた。
「あ、気を遣わないで下さい。すみません。ちょっと、他のところも見てきます。お邪魔しました」
そそくさと、カヅラキ・ユウは制御室から出て行った。出入り口の自動
「おまえ、もう少し頭使ってしゃべれ。餓鬼とはいえ、上等兵曹殿に向かっていきなり。こっちの寿命が縮むかと思ったわ!」
「すいません」
イルシンは素直に謝った。自分でも、何故いきなりあんな立ち入ったことを訊いてしまったのか、分からなかった。
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