第二章 襲いくる闇夜 2

 資料室兼図書室に垂れ込めた沈黙を、基地移動のいつもの振動が優しく支えている。エドウィン・ローランド一等兵とかいう、まだ十八歳の経験の浅い奴と同じシフトになったと、ヴァシリは嘆いていたが、それなりに上手く操縦しているようだ。十八歳でもう一等兵なのだから、精神感応科のカヅラキ・ユウのような特殊な例を除けば、早い出世であり、優秀なのだろう。

(こっちは地獄だがな……)

 たった二人っきりでここにいる特務班の上官、カヅラキ・ユウ上等兵曹は、先ほどからただの一言も口を利かない。尤も、そのテレパシー能力でイルシンの思っていることなどは全てお見通しなのかもしれないが、どちらにせよ、居心地が悪過ぎる。

(確かに、おれが余計なこと言ったのが悪かったのかもしれねえが……)

 普段のカヅラキ・ユウがあまりにも淡々としているので、その記憶の一部を見せられて尚、その情念の部分を分かりきっていなかったのだ。

(軍を恨んで、いろいろ疑惑持ってて当たり前だってのに、おれは……)

 自己嫌悪に陥ると同時に、迷いもする。

(おれは、これを、司令官に報告するべきなのか……?)

 例え上官であっても、軍の方針に反した行動を取った場合は、告発をしなければならない。服務規定には確かそのような内容のものがあったはずだ。

(けど、これはまだ、軍の方針に反した行動とまでは、言えねえはず……)

 現時点でのユウは、ただ、任務に必要な情報を収集しようとしているに過ぎない。じっと資料端末の画面を見つめるという任務に従事しているイルシンの目を通して、当時の記録映像や報道資料、公開データを精査しているに過ぎないのだ。

「おかしい……」

 唐突に、ユウが呟いた。資料端末を操作して、とある映像の同じ部分を、繰り返し画面に流している。何となくその映像を見ていたイルシンは、初めて意識して、そこに映る少女を見つめた。

 カプセル型ストレッチャーに入れられて運ばれる少女。サン・マルティン封鎖が解かれてすぐの、生存者救出作業を記録した映像だ。その少女が映っているのはほんの数秒で、しかも手前に映っている別の子供達のほうがメインで撮影されているため、遠目で分かりにくいが、ユウに似ているように見えた。

「これ、おまえか……?」

 そっと訊いたイルシンに、ユウはやや上擦った声で言った。

「そのはずですが……、じぶんは、左利きなんです。でも、ここです。ストレッチャーに乗せられる時、咄嗟に医療科外科部隊の兵士に掴まってる手が、右手なんです」

「たまたま、じゃねえのか?」

「特に左手を怪我してるようには見えませんし、そんな記憶もありません。だったら、咄嗟に出るのは、じぶんの場合、利き手の左手のほうだと思います。それに、左手を怪我した記憶どころか、じぶんには、救助された時の記憶は一切ないんです。気を失ってる間に、救助されたはずなので。でも、この映像では、明らかに自分で動いてて、意識がある。まあ、そうは言っても七歳になったばかりでしたから、単に、抜け落ちて覚えてないだけかもしれませんが……」

 言われてみれば、そうだった。それに、イルシンの利き手は右手だが、自分がこけそうになった時などを想像してみると、確かに、両手とも使うにしても、より体から遠くへ咄嗟に伸びるのは、利き手の右手である気がする。だが、映像の中の少女は、よろめいた際、右手を伸ばして、白い防護服を着た兵士に掴まっている。

「ってことは、こいつはおまえじゃなく……」

「アサである可能性が高いです。アサは、右利きなので」

「一卵性の双子でも、利き手は違うのか?」

「はい。受精卵が二つの個体に分離するのが受精後九日目から十二日目ぐらいまでの間だった場合、左右対称双生児ミラー・ツインといって、利き手やつむじの位置などが逆になるんです」

 イルシンには初耳のことだったが、重要なのはそこではない。

「なら、おまえの姉さんは生きてるってことだな」

「少なくとも、軍に救助され、どこかへ収容されたと、考えられます。この惑星上に、そういう施設がないか、それも調べて下さい」

「おまえは、救助された後、どこに収容されたんだ?」

「じぶんは、気がついた時には、惑星メインランドにある人類宇宙軍総本部敷地内の軍病院に収容されてました」

 双子が二人とも軍の施設に収容されたなら、その片方の生存が公になっていないのは、故意に隠された可能性が高い。軍が故意に、カヅラキ・アサの生存を隠した可能性が高いのだ。そのことを考えてだろう、ユウの表情は暗く、硬い。イルシンは、溜め息をついて言った。

「まあ、明るく考えろよ。『姉さんは生きてたんだ、よかった』ってな……?」

 ユウは驚いたように顔を上げ、またイルシンの顔を見つめる振りをして言った。

「あなたは、日常生活ではネガティヴな発言が多いのに、重大局面になると、びっくりするほど前向きポジティヴですね。羨ましいです」

 少しばかり馬鹿にされたような気もしたが、イルシンはユウの表情がましになったことでよしとした。

 衝撃は、その直後に来た。

 急に基地全体に制動がかかり、立っていたイルシンはよろめいて壁に肩をぶつけ、資料端末前の椅子に座っていたユウは、椅子ごと倒れて床に投げ出された。

「おい、大丈夫か?」

 とりあえずユウの怪我を確かめ、大したことがないと確認すると、イルシンはすぐに腕端末で状況を確認し始めた。しかし、それより早く、ユウが言った。

「『敵』が、来ました」

 その言葉を追うように、基地全体に警報が鳴り響き、続いてタイラ・ハルの緊迫した声が非常事態宣言レベルBの発令を告げた。


          ○


(何なんだ、一体……!)

 ヴァシリは歯を食い縛って、同じシフトの同じ陸戦部隊所属エドウィン・ローランドや通信部隊所属タイラ・ハルとともに、状況確認を進めていた。把握できたのは、百基あるキャタピラの内、四十基がほぼ同時に動かなくなったことと、全てのキャタピラ整備班と連絡が取れなくなっていること。司令官チャン・レイが非常事態宣言レベルBを即座に発令したのも頷ける。

(「敵」が来たのは間違いない。後は、イルシン、おまえとおまえの上官に頼るしかないみたいだよ……?)

 ヴァシリは、粗暴だが信頼の置ける親友に、胸中で声援エールを送った。


          ○


「〈感染〉された人数が多い……!」

 眉間に皺を寄せ、苦々しく言ったユウは、これまでになく平静さを失っているように見えた。

「〈感染〉……?」

 イルシンは、精神感応科診療部隊特有の用語らしい言葉を聞き返した。UPOに関することかもしれないと思ったのだ。

「あなたには、精神感応科の用語についても、勉強して貰わないといけないですね……。でも、それは後です。今は、ただ、『敵』に操られてる状態と理解しておいて下さい」

 ユウは資料室兼図書室から出て行きながら告げると、命じた。

「とりあえず、一番近くの整備班待機所へ連れてって下さい」

「了解」

 言葉遣いを改めて、イルシンは先に立って走り始めた。

 資料室兼図書室から一番近いのは第三整備班の待機所である。最短経路ルートで下へ降りて、イルシンは第三整備班の待機所をユウに示した。が、ユウはやはり待機所には寄らず、そのまま近くの三十番キャタピラの乗降口を開けて階段を下り、キャタピラ内に入った。

 予想通り、照明の落ちた内部には第三整備班の兵士がいて、イルシンが小型懐中電灯で照らした先で、虚ろな目をして破壊活動をしていた。但し一人だ。

「成るほど、十基に四人ずつの整備班員が一人一基ずつで四十基か……」

 ユウは、イルシンには分からないことを呟いて、小型懐中電灯の光の中、整備班の兵士に歩み寄る。イルシンにしたのと同じように無造作にその軍服の襟を掴み、兵士の額に自分の額を押し当てた。

「〈接触〉開始」

 ユウが呟いた瞬間、その小柄な体から青白い静電気のような光が迸った。そして――。

 イルシンは見た。ユウが背伸びして額を当てた兵士の背後に、ぼうっと浮かび上がるようにして現れた、幼い少女の姿を。それは、ユウの記憶の中にいた姿そのまま――薄汚れた白いワンピースを着た六、七歳の少女だった。きっと、前回は、イルシンの背後に現れていたのだろう。

 記憶の中から現れたかのような少女は、兵士の背後からユウを睨み付け、口を動かして何かを言っている。と、それに答えるように、ユウの声が響いた。

「違う! 逃げたんじゃない……! わたしは、助けたかった……! ニコライだって……! そんなこと……!」

 けれど、幼い少女は、更に何かを言い、それから不意に、イルシンのほうを見た。憎悪に煮え滾るような、恐ろしい眼差しだった。イルシンは心臓を掴まれたような感覚がして、膝をつく。直後、ユウが叫んだ。

「ここの皆 《みんな》を、巻き込むな……! 〈対象〉、当基地内の〈感染〉者全て。〈一時的意識不明ブラックアウト〉!」

 同時に、また青白い光がユウの体から、今度は辺りを圧するように一瞬閃き、直後、兵士もろとも、ユウはその場に崩れるように倒れた。

「おい!」

 イルシンは叫んで、何とか立ち上がり、駆け寄って、ユウを助け起こす。瞬間、びりりと感電したような衝撃があり、頭の中に、空気振動を介さない「声」が響いた。

【おまえ、〈精神攻撃抗体〉を持ってるのか……。まあ、いい。おまえ達は、このまま、夜に呑み込まれる。仲良く、おやすみ……!】

 嘲笑するような「声」はそれきり聞こえず、後には、静寂が訪れた。幼い少女の姿も、いつの間にか消えている。

「おい、ユウ!」

 イルシンは小柄な上官の顔を小型懐中電灯で照らした。見えない両眼を虚ろに開き、何か言いたげに口も半開きにしたまま、ユウは意識を失っていた。

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