妲己の巻・1

「そのまま、私はしばらくあちこちを放浪しながら、人々の願いをかなえ続けてきました。時には一つの場所にとどまり、その土地に住んでいた一族から信仰されることになりましたが……それも含めて話すと長くなりそうなので割愛させていただきます。それからしばらくした後に、女神と出会いました」

「……へ?女神?」


 清水が流れるがごとく、涼やかな声でなめらかに語られる言葉の一部を、ひょうすべが鸚鵡返しに繰り返す。

「はい、彼女の名は女媧。古代中国において人類を創造したとされる女神です」

「ぶっ!げふげふげほっ!」


 玉藻前の説明に、ひょうすべは飲んでいたお茶を吹き出しかけ、かろうじて飲み込むも今度は激しくせき込むことになった。


「大丈夫かい?」

「何をしておるのだ、汝は……」

 酒吞童子が気づかわしそうに顔を覗き込みながら背中を軽くたたき、大嶽丸は呆れたように細い眉をひそめながら、手ぬぐいを差し出してくれた。


「……あ、すみません。ありがとうございます。……なんか、すごいビッグネームが出てきてびっくりしちゃって……」

 どうにか声が出せるようになったひょうすべは二人に礼を述べつつ

(ああ、そう言えば『封神演義』では、九尾の狐は女媧の配下だとか書かれてたっけ)

 などとうろ覚えの知識を掘り起こしながら、玉藻前を見る。

 話を続けていいと判断したのか、玉藻前は再び薄紅色の花弁のような口を開く。


「彼女は私に、もうすぐ一つの国が滅ぶからその様子を見てきてほしいと頼んできました。特に断る理由もなかったため、私はそれを引き受けました」


 そう告げて玉藻前はふうと吐息をついてから、お茶を口に含んで飲み下した後に話を再開する。


「その国に向かって進んでいた所、一人の少女に出合いました」

「少女?」

 ひょうすべが眉をひそめて鸚鵡返しに問う。


「はい。有蘇氏の娘。妲己……その時は寿羊という名でしたが。容姿に優れるだけでなく、裁縫や管弦、文学、筆墨に優れた才女でもありました。その評判を耳にした紂王によって後宮に連れてこられる最中でした」


(紂王……ああ、妲己を娶った殷の王か)

 とひょうすべがなおも記憶を掘り起こしつつ聞いている間にも、玉藻前の話は続く。


「彼女は半ば強制的に、家族から引き離されて後宮に入ることに絶望し自ら死を選ぼうとしていました。私はそれを引き止め自分が変化して身代わりになると告げました。彼女は家族の元に帰りたいと願っていたので、私の術で容姿を変えてこっそり家に帰させました」

「そ……そうだったんですか。でも家に帰ったその後は……」

「後で様子を見に行きましたが、表向きは新しく雇った使用人と言う形で家族一緒に暮らしていました」

「そうですか……」


 聞いていたひょうすべはほっと安堵の吐息を漏らす。

 うろおぼえだが伝承の方では、九尾の狐が娘の血を吸いつくして殺してしまい、身体ごと入れ替わっていると聞いていたが、真相がこうだったとは思いもしなかった。


(……いや、彼女の話だけじゃなくて、彼らについてもそうか)

 とひょうすべは視線を酒吞童子や大嶽丸にもすべらせる。

 彼らと出会うまで、人間たちの話を鵜呑みにして『凶悪な大妖怪』だと疑うことすらしなかった。

(会ったことも無い誰かを、悪と決めつけることはとても簡単なんだな)

 とひょうすべは思う。

 最初に自分を殺そうとした人間たちが、そうであったように。

 などと、思考に耽っている間にも玉藻前の話は続く。


「そうして私は妲己として、紂王にお会いしました。そしてしばらく一緒にお過ごしした後に、ふとしたことで正体がばれてしまいました」

「……へ?」

 とひょうすべは間の抜けた声を上げる。


「紂王は、私が人間ではないことを知ってさすがに驚かれた様子でした。だからと言って問答無用で切り捨てようともせず、冷静に質問なさるので、私も包み隠さずお答えしました。私はその時に自分の目的――女神によって、この国が滅ぶさまを見届けるように命じられたことをお話ししました。紂王は疑う様子は見せませんでしたが、同時に自分の国が滅ぶことを受け入れた様子もありませんでした。そして天が決めたさだめだろうと最後まで精いっぱいあらがう、その日まで自分と一緒にいてほしいと言ってきました」


 そう告げてから玉藻前はその時の記憶を掘り起こすように一瞬沈黙した。



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