白面金毛九尾の狐の巻・1

「……まあ、それで、だ。我は坂上田村麻呂に討たれたというわけだ。その後、所持していた『三明の剣』と呼ばれる三振りの剣のうちの、顕明連の力で復活して再び坂上田村麻呂と戦うも、再び討伐されたがな」

 静かな口調で他人事のように話し終えると、大嶽丸は口をつぐむ。


「……そう……ですか」

 ひょうすべはそう言葉を返しつつも、

(そういえば最初、坂上田村麻呂が大嶽丸さんを討伐するために三万の軍を率いたけど失敗したんだっけ)

 とどこかで読んだ知識を思い出す。

 さすがに多種多様な神通力を持つ鬼神――容易に討伐できないどころか、討伐されてもなお復活するとは、もはや『強い』の範疇を超えている気がする。


(あれ、そう言えば玉藻さんの場合は、八万余りの討伐軍を一度は撤退させるほど圧倒したんだっけ?)

 とこの場にいない麗人の姿を思い浮かべる。


「……そして、三度復活した時はもう、坂上田村麻呂はおらなんだ。倒したいと思う強敵もおらず、何もせぬままただ無為に日々を過ごして居る時に、酒吞童子と会った」

 そう言って大嶽丸はふうと息をついた。

「……あの」

 ひょうすべが大嶽丸と酒吞童子に話しかけようとすると、襖を軽くたたく音が聞こえた。


「失礼します」

 涼やかな声と共に襖が引かれ、ほっそりとした麗人の姿が室内に入ってくる。

「あ……玉藻さん」


 先ほど思い浮かべた麗人の姿を見て、ひょうすべはその名前を呼んだ。

 寝巻替わりの藍色の浴衣が、結い上げずに下ろした月明かりのような色合いの髪と白磁のような色合いの肌に、鮮やかなほどよく映えていた。

 鼻梁の通った細面の中で、切れ長の眼がひょうすべたちを見つめる。

 明かりをともした部屋の中でよく見ると、その目の中の瞳は狐の姿の時と同じく、瞳孔がすらりと細い。


 (そういえば、狐の眼は猫と同じで、明るい時と暗い時では瞳孔の大きさが違うんだっけ……)

 そんなことをひょうすべは思い出しながら、束の間見惚れた。

 夜空にかかる月のように冴え冴えとした真珠色の髪もさることながら、切れ長の眼の中の瞳もまた、透明度の高い勿忘草色の硝子玉をはめ込んだように、冴え冴えと澄んでいいる。


「……どうぞ」

 玉藻前の白い繊手が、ティーカップを差し出した。

 中身を見ると、紅茶のようだ。透明感のある赤褐色の液体からは、ほのかに酒の香りが漂った。

「ありがたい。ちょうど喉が渇いていたところだ」


 礼を述べてから大嶽丸がティーカップを手に取り、長いまつ毛の下の切れ長の双眼を細めながら、紅茶でのどを潤した。


「あ……すみません。俺が色々聞き過ぎたせいで」

「かまわぬよ。我も少し話したい気分だった」


「俺も飲んでいいかな?」

「勿論です。君もどうぞ」

 酒吞童子の問いかけに頷いた玉藻前がひょうすべにもティーカップを勧めるが、ひょうすべは首を振る。

「あ、ありがとうございます、でも俺、お酒はちょっと……」

「こちらは入っておりません」

「あ、ありがとうございます」


 ほっとするとともに礼を述べるとひょうすべも、ティーカップを手に取って紅茶を喉の奥へ流し込む。


「ああ、ブランデー入りだね。ありがとう。おいしいよ」

 芳醇な香りと味を楽しむように、大きな碧眼を伏せてゆっくりと紅茶を味わっていた酒吞童子が玉藻前に礼を述べる。


「あ、甘くておいしい……こっちは、お酒じゃなくて、フルーツジャムが入ってるんだ……」

 紅茶を飲み干した思わずひょうすべは呟く。

「ありがとうございます。あの……」

「なんでしょう?」

「さっき大嶽丸に聞こうとしたんですけど……大嶽丸さんと、酒吞童子さんとの戦いに玉藻さんが加わった時ってどんな風だったんですか?」

 ひょうすべの問いかけに、玉藻前は首をかしげる。

「……どうとは?」

「あの、具体的にどんな感じだったのかな……と」

 玉藻前はしばし沈思黙考していたが、懐から何かを取り出した。

 よく見ると、それは手のひらに載るほどの大きさの、水晶のような玉だった。


「ええと、これは……」

 とひょうすべが首をかしげながら問うと、酒吞童子が解説してくれる。

「ああ、狐は珠を持つと言われていてね。媚珠だの、狐珠だの呼び方は色々あるって、惚れ薬のような効果があるだのこの世の理致に到達できるだの、効果も色々言われている」

「そ……そうなんですか?」

「そうだよ、稲荷神社によく玉をくわえた狐の像があるだろう?」

「ああ、そういえば確かに……それでこれは?」

「あなたが言っていた戦いの映像をお見せします」

「え……」

 水晶のような玉に目を凝らすと、うっすらと何かの光景が見え始めた。

「あ、大嶽丸さんと酒吞童子さんと……それに」


 水晶に映っているのは、鬼としての姿をさらけ出した大嶽丸と酒吞童子だ。

 小山のような巨躯を持つ大嶽丸と比較するとやや小さいが、酒吞童子も充分な巨体だ。

 そしてその傍らに寄り添うように佇むのは、九尾の狐。

 全身が雪のように白い毛並みに覆われた優美な狐は九尾を白い火炎のごとく揺らめかせながら、大嶽丸を臆することなく静かに見つめる。

 大嶽丸が猛々しい咆哮をあげる。

 轟!

 と同時に、大気を裂いて飛翔する刀剣や矛が酒吞童子や玉藻前に向かう。

 酒吞童子も同じく咆哮をあげる。

轟!

 氷のように煌めく刃の群れが、咆哮に伴う衝撃波を受けて軌道をそらされて散る。

だがなおも逸らしきれなかった刃が、群れを成してまっすぐに襲い掛かる。

 玉藻前はしなやかな動きで跳躍。回避しきれなかった刃の群れは、九尾を鞭のようにしならせながら、柔らかく受け止める。柔らかそうな見た目に反して強靭なのか、尾の群れは傷一つない。

 一方酒吞童子の方は――

 がきん!

 固く鋭い音を立てて、刃が叩き落される。

 酒吞童子が手にした刀剣によって。

 どうやら、軌道をそらされて散った武器を拾い上げていたようだ。

「貴様!」

 自分の武器を勝手に使われたことを怒ったのか、大嶽丸が憤怒に目をぎらつかせて怒号を放つ。

轟!

 次の瞬間、派手な音を立てて茜色の光の群れ――大量の火の矢が降り注ぐ。

 ふわりと玉藻前が尾をなびかせ、打ち合わせる。

 雪のように白い尾が、次第に淡く色づき、稲穂を束ねたような黄金色に変わるや否や。

 音もなく、青みがかった月のような銀の火炎――狐火が生まれる。

 青白い火炎と、赤黒い火炎が互いに激突し――赤黒い火炎が青白い火炎に飲み込まれた。

「何!」

 大嶽丸が愕然と呻くが、その隙に青白い火炎が迫りくる。

「ちいっ!」

 鋭く舌打ちすると同時に大嶽丸は後方へ跳躍。

 轟きと共に閃光――雷が落ちて狐火と激突し、雷撃と火炎は、互いの威力を相殺して同時に消滅した。

「おおおおおっ!」

 その隙をついて、酒吞童子が雄叫びと共に大嶽丸に切りかかる。

 大嶽丸も刀剣や矛を携えて応戦する。

 しばしの攻防が続くが、どうやら大嶽丸の方が身体能力やガタイでは勝っていても、酒吞童子の方が戦闘技術では勝っているようだ。

 玉藻前が割って入ろうとするのを、酒吞童子が手で制止しつつ、なおも攻防は続く。

 互いに鬼の姿を維持できなくなるほど消耗し、人の姿になってなお切り結び続けていたが、人の姿では酒吞童子の方が大柄である。

 徐々に大嶽丸は劣勢に回りつつも、戦い続けていたが

「……認めよう、我の負けだ」

 がくりと膝をついて、大嶽丸は言う。

「汝らの……勝利だ」

 敗者の口惜しさと勝者への賛辞を込めて、酒吞童子と玉藻前に告げた。

 

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