大嶽丸の巻・2
話がいったん終わって、各々自分の部屋に戻っている中。
「……」
ひょうすべが胸中に浮かんだ疑問を持てあましながら、自分にあてがわれた部屋の窓から見える空をぼんやりと眺めていた。
日が暮れた空は墨を流し込んだように黒々と染まり、硝子の粒をちりばめたような星と、真珠を磨いたような月の光の白さが冴え冴えと引き立っていた。
「……酒吞童子の過去を聞いたように、我のことも聞きたいようだな」
「あ、大嶽丸さん……」
振り返ると、開いたままの襖の向こうから、廊下に佇んでいた大嶽丸の姿が目に入る。涼し気な浅葱色の着物と黒い袴に身を包み、緩やかな足取りで部屋に入ってくる。
慌てて座布団を用意しながら、ひょうすべは尋ねてみる。
「……どうして分かったんですか?」
「考えていることがそのまま顔に出ておる」
抑揚のない静かな声に、かすかに呆れと苦笑がにじみ出る。
敷かれた座布団にゆったりと座りこんだまま、大嶽丸はしばし沈思黙考していたが、やがて口を開く。
「……我が伊勢の国の鈴鹿山に住まう鬼神であったことは知っておるな」
「あ、はい」
静かな声で投げかけられた質問に、ひょうすべが頷く。
「その……どうしてそこに住んでいたんですか?」
「どうしても何も、我はその山で祀られていた」
「祀られて……?」
「ああ、元々ははっきりと定まった形を持っていなかったがな」
「形を持っていなかった……?」
ひょうすべが眉を顰めると、そこに軽やかな声が割り込んだ。
「ああ、元々『鬼』という文字は、中国では死者の魂や、姿形のないものを表すものだったからね」
「あ、酒吞童子さん……」
声が聞こえてきた方へ視線を転ずると、そこには見慣れた紅毛の美丈夫の姿があった。こちらは、シャツとスラックスという現代的な装いだ。
燃え盛る炎のように癖のある紅毛を僅かにたなびかせながら、ゆるりとした足取りでこちらに歩み寄ってくる。
「で……日本独自での『鬼』のイメージが形成されるにつれて、祀る人たちが思い描くイメージをくみ取って、旦那も独自の姿形をとるようになったんだよね」
「ああ」
酒吞童子の問いかけに、大嶽丸は静かに頷いた。
「だが時代の流れと共に、人々の信仰は移ろい我は祀られなくなった。それで裏切られたように感じて怒り狂って、人々に害をなすようになった。無論、そんなことはすべきではなかったと今ではわかるが」
大嶽丸の淡々と語る声は相変わらず静かで、抑揚が無い。かつて抱いていたのであろう、怒りや憎しみも感じさせないほどに。
切れ長の眼に宿る淡い琥珀色の瞳も、相変わらずの無表情をたたえている。
「やがて行き過ぎた我の行いによって、討伐されることになった。それだけの話よ」
「へえ……あ、そういえば討伐に協力した、鈴鹿御前という女性がいたんですよね?鬼女とか天女だとか、女盗賊だの第六天魔王の娘だとか色々言われてますけど……」
そう言ってひょうすべは首をかしげる。
鈴鹿御前。その正体については諸説あるが、確か大嶽丸が彼女にほれ込み、坂上田村麻呂の討伐に協力した女性という点では共通している。
「ああ……」
大嶽丸はゆっくりと頷く。公家貴族を彷彿とさせるような線の細い美貌に、かすかに過去を懐かしむような苦笑がにじみ出る。
「まあ、我と変わらぬ存在だ」
「え?」
ひょうすべが首をかしげると、静かな声に、かすかに柔らかな響きを含んで説明は続く。
「人から畏れられる鬼でもあり、人から祀られる神でもあった。人でない存在であることは確かだ。我と違うのは、人間に怒りや憎しみを抱いておらず、最後まで人の味方として在り続けたという点だな」
「……どうして、なんでしょう?」
「さてな。我が以前汝と同じ問いを投げかけたことがある。すると『人は弱く、信じるものさえ貫けない。だからこそ、いとおしく思える』と。我には結局理解できなんだがな」
そう言う声と同じく、顔には柔らかな苦笑が混じっていた。
うりざね顔という表現が相応しい、鼻梁の通った面長の白い顔はあまりに整った顔立ちと相まって、無表情をたたえている時は冷ややかなほど隙が無いように見えた。
だが、こうして柔らかい表情をたたえている今は、慈父のような、と表現したくなるほど、ひどく優し気な印象を受ける。
「あの……彼女のこと、恨んではいないんですか?」
「何故だ?」
「え、何故って……」
「確かに我はあの女への思いを利用される形で、倒された。だが、それはあの女が自分で決めたあり方を最後まで貫いたという証だ。人に一度忘れられてなお、人を愛し、人の味方でい続けた。我には決して出来なかった、眩しいほどまっすぐなあり方だ」
そういう声には、噓偽りない敬意と賛辞がにじんでいた。
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