第23話

 ずるり、と音を立てて、皮がむけるようにひょうすべが纏っていた人間の姿が消える。

 代わりに現れたのは、絵巻物等で描かれているあの姿。

 全身ずんぐりとして毛深いが頭部のみがつるりとして、目はぎょろりと大きい。


 どこか奇妙な愛嬌を醸し出ているが、ぎょっとするような――ひょうすべ本来の姿。


「・・・っ!」

 さすがに驚いたように顔をこわばらせ、慌てて目を覆う女魔術師のなめらかな浅黒い肌が――

「な・・・に・・・」

 薄っすらと、痣のように不吉で毒々しい紫色に染まっていく。

 

 視線にある種の毒を有する妖や魔はいる。さきほどのバジリスクやメドゥーサのように、『目を見たら石になる』というのは有名どころだが、これは視線を視線で受けることで、毒が入りこむ。

 だがらこそ女魔術師はとっさに目を覆ったのだろうが、ひょうすべの毒は、それらの毒とは少々違う。ただ、ひょうすべの姿を目撃しただけでも、その視線をつたって、目撃者の身体に侵入する。

――病を引き起こす猛毒が。


「が・・・が・・・あ」

 苦痛にたまらず声を上げる女魔術師の肌に、痣のような紫色は緩やかに広がっていく。

毒に侵された身を何度か震わせ、たまらずがっくりと膝をついてうずくまる。


「・・・あー・・・ドジったわ・・・私、うまくいったと思い込んで最後で失敗とは・・・」

 やがて、降参を示すように震える両手を挙げて見せながら、彼女は言う。

「・・・そう・・・ですか」

 ほっとしたように、ひょうすべは息を吐く。

 安堵してから、慌てて懐にある薬を出して飲み込む。何の変哲もない少年の姿を取り戻すひょうすべの姿を眺めながら、女魔術師は


「・・・殺さないの?」

「・・・え・・・」

 苦痛と発熱でかすれた声で紡がれた問いかけに、ひょうすべは首をかしげる。


「自分で・・・いうのもなんだけど、私、このまま・・・あなたにぶち殺されても文句言えないこと、やらかしてるのよ・・・」

「え・・・ええ、まあ、ひどい目にあったのは事実ですけど・・・俺、別にあなたを殺すために毒を使ったわけじゃなくて、恩人たちを助けたいと思ってやっただけで・・・」

 そういいながら、酒吞童子と大嶽丸に目をやる。本来の姿に戻る時は、二人の視界に入らぬよう気を付けていたが、とりあえずひょうすべの毒の影響はないようだ。

(色々と格が違い過ぎるので、そもそも自分ごときの毒で効かないのかもしれないが)


「・・・あの、それよりあの二人に解毒剤とか持っていません?」

 毒を扱う者は、万が一の場合に備えて解毒剤も常備している。

 それを思い出して、問いかけるが


「あー・・・ごめん、持ってない・・・あれ、鬼以外には・・・効かないらしいから」

「そう・・・ですか」

 ならどうしようと頭を抱えるひょうすべだが

「大丈夫じゃない・・・もうすぐ助けがくる・・・だろうし」

「・・・え・・・」

 視線を上げると、どこに隠し持っていたのか、女魔術師は小さなナイフを手にして悪戯っぽく笑っていた。

「言ったでしょ・・・私、ろくでなしの・・・享楽主義者だから・・・命の扱いが軽いのよ・・・だから」

 刃を自分の首に添えて

「・・・ばいばい。やー・・・最後に負けたけど・・・色々楽しかったから・・・いいか」

――一息に掻き切った。


「あ・・・」

 赤い飛沫をこぼしながら崩れ落ちるその姿を見て、ひょうすべは凍り付いた。

 分厚い氷で覆われたように、思考が冷え切った空白に染まり何も考えられない。

 ぼんやりと視線をさまよわせ――何かが近づいてくるのを見つけた。

 

 淡い金色の光。それは近づくにつれて、その姿形が見て取れた。

 (犬・・・?)


 最初はそう思った。朝日のような光を纏う、優美な白い犬。

 だが犬にしては、顔や体つきを含めて、全体的にややほっそりしているように見える。そしてそれに反して、尻尾はふわりと柔らかそうな丸みを帯びている。形だけではなく、色合いも柔らかそうだ。顔のあたりの毛並みは雪のように白いのに、尻尾は稲穂を溶かしたようにほんのりと淡い黄金色。だが先端だけは赤みを帯びて見えるほど、色が濃い。

そしてその尻尾は一本だけではない。

(ええと、一、二、三・・・九本もある・・・)

ふわりとした尾の群れがなびく。金色の大きな花弁―あるいは、火炎が揺らめいているような情景。

 半ば陶然と眺めていると、その獣と目が合った。

 目は犬というより、猫に近い。すらりと細い瞳孔を宿す硝子玉のような瞳を眺めて、ようやく狐だと気づいた。

(九尾の・・・狐)


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