第19話

 切り落とされた部分から、紅い滝の如く勢いよく血がほとばしる。

 重く鈍い音を立てて、丸太のような太さの胴体が緩やかに崩れ落ちる。


『無事かい?』

 それを見届けた後に、酒吞童子は振り返って尋ねる。


「あ……はい」

 呆けたような表情で頷いてから、ひょうすべは


「……というか、そちらこそ大丈夫なんですか?さっき、わざわざ腕なんて食わせて……」

「ああ、あれ?動きを鈍らせようとしたんだ。実際、食わせたらちょっと遅くなったでしょう?」

「そ……そうなんですか?」

 自分の動体視力では、食う前も食った後も速かったように感じられたのだか。

 そう思いながら、ひょうすべはうっすらと実感する。


(ああ、やっぱり『鬼』なんだ……)

 戦闘に有利になるとはいえ、自分の腕を躊躇なく切り落とすなど尋常とは思えない。先ほど人間たちを冷淡にあしらった時と言い、どれほど気さくに見えても戦いになると、自分に対しても他者に対しても、酷薄な判断な行動をためらいなくできるのだ。


などど考えていると、大気を揺るがすような轟音が耳に届いて、思わずそちらに視線を向ける。

 大嶽丸とドラゴンの戦闘も、終盤に近付きつつあるらしい。

 ドラゴンの鱗に覆われた巨躯のあちこちに深手を負っている。大嶽丸の方も無傷とはいかず、体のあちこちに裂傷が刻まれているが、傷自体は浅いようだ。


ごおおおおおおっ!


ドラゴンが吠えた。傷だらけの体躯をよろめかせつつも、金色の両眼をぎらつかせて突進する。先ほどのように衝撃波や毒の吐息を出す様子はない。あるいは消耗して出せないのかもしれない。

 大嶽丸は無言で迎え撃つ。先ほどのように刀や矛、炎の矢で雷で迎え撃つことはしない。あるいは、使い果たし切っていて出せないのかもしれないが。

 代わりに、無造作に腕を振るう。

――どずっ。

 鈍い音を立てて、鎧のように固い鱗に覆われた体が貫かれる。先ほど剣や矛が突き刺さり、傷を負っている部位だ。

 貫かれて、断末魔に震えるように鱗に包まれた体躯が痙攣する。

 ゆっくりと大嶽丸が、貫いていた腕を引き抜く。

 ずるり、と濡れたような音の後に、重いものが倒れる鈍い轟音。

 弱弱しく震えた後に、ドラゴンの動きが完全に止まる。

 その頭に、大嶽丸がゆっくりと手を触れる。勝者としておごり高ぶる様子はないが、かといって敗者に対する鼻につく様な哀れみもない。

 ただ静かで、どこか優し気な手つきだった。


――次の瞬間。周囲の情景が緩やかに変化する。黄昏時の荒野を描いた精密な水彩画に、水をかけたように、輪郭や色彩があやふやになっていく。

 そのまま溶け落ちるようにすべてが崩れ落ちて消え去って。その先には――

 青い空から降り注ぐ陽光と、それを受けて艶めく木の葉の群れ。地を覆うのは柔らかそうな草花。

 のどかな山の風景が戻っていた。


「えーと……戻ってくれた?」

「みたいだね」

 ひょうすべが戸惑いながらつぶやくと、答えが返ってくる。

 視線を向けると、酒吞童子と大嶽丸の姿が目に入る。

 二人とも、いつの間にか化生の姿から人間の姿へ戻っている。

 思わずほっと安堵の吐息をつきかけて――


「……あらら、思っていたよりあっさり終わっちゃった?」

 聞き覚えがある、艶っぽくも毒気のある女の声に、再び身を強張らせる。





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