第16話

「えーと……」

 ひょうすべは呆然と黒い穴を見つめ、


「て、突っ立っている場合じゃなかった……」

 慌てて先ほど、大嶽丸が助けた――いかにも気乗りしなさそうではあったが――男に、駆け寄る。

「大丈夫ですか?」

「……っ」

 痛みにうめきつつも、男はこちらを見つめ軽く目を見張る。

「あ、えーと、確か屋敷の中に救急箱が……」

 

「大丈夫だよ。致命傷じゃない」

 困惑してあたふたとするヒョウすべの後ろから、いつもの飄然と涼し気な声がかかる。

 振り返ると、黒い穴から出てきた酒吞童子と大嶽丸がなおも数人負傷した退治屋らしき男たちを抱えている。

 ゆっくりと地面に下ろして


「さて、君たちの上司か仲間に助けは呼べるかい?ああ、増援とかじゃなくて、君たちみたいに負傷して戦えなくなった人たちを、応急処置してここから運んでくれる人たちをね」

「……え?」

 かすれた声を出す男に、酒吞童子は語る。


「あのお嬢さんは、やはり君たちの手に負えない。現に君たちもそのザマだろう?」

「……だ……だが、まだ、お前たちが協力してくれるというなら・・・」

 かすれた声で助力を請う男に対して


「無理だよ。俺が一度協力を提案した時、君たちは断ったじゃないか。それをそんな有様になって『やっぱり協力してくれ』だって?さすがに虫が良すぎるんじゃないかい?」


 静かに告げる酒吞童子の声はいつもの飄々とした様子とは異なり、冷ややかなほど淡々としていた。

「……それは」

「とにかくこの場から退け」


 短くも切り捨てるような物言い。

 傍から聞いているだけのひょうすべも思わず呆然とする。

 いつもの、やや軽薄だが飄々としていて気さくな好青年にしか見えぬ酒吞童子とは明らかに違う。


――その時。

『黒い穴』が、動き出した。否、『黒い穴」というより、黒い線だ。

 まるで口も目も持たぬ黒蛇のように、ぬるりと伸びながら向かっていく。

――ひょうすべに向かって。


「て、えええええっ!」

とっさのことに体が動かぬひょうすべに対して、酒吞童子と大嶽丸が手を伸ばそうとするが、わずかに間に合わぬ。

 墨を塗り込めたような暗闇が音もなくひょうすべをのみ込んだ。


  思わず目をつぶっていたが、何も起こらない。

「え……」

 ゆっくり目を開くと、黄昏時のような紫がかった薄闇がその場を満たしていた。

 先ほどとは全く異なる場所だった。どこなのかはわからない。

 ごろりと大きな岩が転がる荒れた大地。

 だが少し離れた場所に、陰鬱で荒涼とした場にそぐわぬものがあった――光り輝く宝物だ。

 細やかな装飾が施された金銀や、色とりどりの宝玉。中には値の張りそうな刀剣もあった。

 だが、その前に立ちふさがる大きな『なにか』がある。

「……え?」

  人を数人ほどたやすく八つ裂きにして、腹の中に収めることができそうな体躯と、鋭利や牙と爪。体は固く艶のある鱗で隙なく覆われている。

 ――ぎょろりと動く両眼と、その背に生えた蝙蝠のような形の翼を除けばだが。


「あ、あ、あれって……」

「ドラゴンだね。西洋じゃあおなじみだ」


 さらりと告げた声の方向に、反射的に視線を転ずる。

「あ……酒吞童子さん。大嶽丸さん。ここって……」

「あやつの結界の中だ」

 いつもの仏頂面で答えたのは大嶽丸だ。

「あーえっと、結界……って」

「ああ、元々は仏教用語なんだけどね……。まあざっくりいうと、何かの目的の為に作られた特別な空間ていうか、領域だと考えていいよ。守るための領域、隠すための領域、そして・・・獲物を閉じ込めるための領域」


「……え、あの、それって……俺が獲物ってことですか」

「みたいだね。まあ君が目的というより、俺と旦那をこの場へ呼び寄せなかったのかな」

 困惑気味にひょうすべが問うと、酒吞童子はあっさり答える。

「ってあの……なんかあのドラゴン、心なしかこっち見てるような……」


 ――次の瞬間。眼前に爛爛と輝く巨大なまなこがあった。


 縦に引き裂いたような細長い瞳孔。それを収めた瞳は薄い金色。

 体を覆う黒い鱗に良く映える色だな、と恐怖で停止した頭の片隅でぼんやりと思う。裂けたように開く口からは生臭い異臭がむわっと押し寄せ――


 どがっ!

 重く鈍い音を立ててドラゴンの巨躯が勢いよく吹っ飛ぶ。

 軽々と宙を舞い、鈍い音を立てて荒れた大地に叩きつけられる。


「はい、そこまで。いきなりがっつくのはよくないよ」

 ドラゴンをとっさに蹴り飛ばした酒吞童子は告げる。

 ゆらり、と身を起こしたドラゴンは再びこちらに狙いを定め――

 どずっ!

 鋭利な音を立てて、鱗に覆われた巨躯に何かが突き刺さる。

「え……」

  よくみると、それは刀剣だ。薄闇の中で、刀身が氷を研いだような冴えた光を発している。

「あれって……」

「――下がれ。汝ら。こやつの相手は我がしよう」

 薄闇の中で切れ長の眼をさらに細め、大嶽丸は告げる。

 切れ長の目の中の淡い金色の瞳を、静かな戦意に煌めかせながら。








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