第十話 入学二日目午後:ばあや志望の侍女は悪役令嬢(仮)に優しい嘘をつく
酔っぱらって眠ったままのリーリエ様を自室のベッドへそっと寝かせ、ピヴォワンヌ様、サラさん、私の三人はほっと一息付いた。
私は今日はこのまま早退し、リーリエ様に付き添うが、時刻は午後最初の授業の半ばで、ピヴォワンヌ様とサラさんが今から教室に戻っても中途半端なタイミングだろう。
昨日のホームルームの後、突如悪役令嬢のような暗いオーラを放ったピヴォワンヌ様のことが気になっていたこともあり、今は話をするチャンスでもあった。クラスメイトとは言え、リーリエ様付きの侍女である私が、主人を差し置いてピヴォワンヌ様とふたりだけで気軽に話をするのは、普段はなかなか難しいからだ。
「ピヴォワンヌ様、サラさん、ご協力いただきありがとうございました。本当に助かりました。授業の途中ですが、すぐに教室へ戻られますか?お疲れのことと存じますので、よろしければお茶をお淹れしますが」
「気にしないでくださいな。大切なクラスメイトですもの。困ったときはお互い様でしてよ。でも、そうですわね、今から戻っても間が悪いですし、次の休憩時間に戻った方が良さそうですわね。ターニャのお言葉に甘えますわ」
ピヴォワンヌ様が誘いを受けてくれたので、私はふたりをリビングルームへ通し、お茶の用意をした。リーリエ様は吐き戻すような様子もなく、規則的な寝息を立てながら眠っているので、しばらくそばを離れても問題はないだろう。
「あらためまして、ピヴォワンヌ様、サラさん、先ほどは本当にありがとうございました。私ひとりでリーリエ様をお運びすることは難しかったので、大変助かりました。それに、昨日のホームルーム後も、リーリエ様と私に真っ先に声をかけてくださったこと、感謝しております。ピヴォワンヌ様が親しく話しかけてくださったからこそ、クラスの皆さんも私たちを受け入れてくださったのだと思います。正直に申し上げて、平民出身の私たちに対しては皆さんもっと距離を置かれるかと思っておりましたので、昨日と今日でこれほど温かく接してくださっていることが、とてもありがたく存じます」
「お気になさらないで。わたくしは大したことはしておりませんわ。ターニャはわたくしのお友達なのですから当然のことをしたまでですし、リーリエさんも、これから三年間共に過ごす大事なクラスメイトなのですから」
ピヴォワンヌ様は優しく微笑んだ。
「それに、リーリエさんにはとても可哀相でしたけれど、ターニャとお話がしたかったので、わたくしとしてはかえってラッキーだったかもと思ってますのよ。本当は今日のレクリエーションであなたたちに見つかってしまったときに、ターニャに着いてきてもらおうと思いましたのに、ヘクターったら!」
レクリエーションの鬼ごっこで最初に捕まってしまったピヴォワンヌ様は、そのときを思い出してプンプンと怒る。悪役令嬢のような意地の悪い怒り方ではなく、頬を膨らませて「わたくし怒ってます!」というポーズを取るピヴォワンヌ様は、普段の美しく淑やかな雰囲気とのギャップがあって、とても可愛らしい。
私が微笑ましく見ていると、ピヴォワンヌ様の隣に腰掛けたサラさんが疲れた声で言った。
「あの後は大変だったんですよ、ターニャ。ピヴォワンヌ様ったら、ターニャとお話がしたかったとずーっとグチグチこぼされて。先ほどの場の収拾をヘクターに丸投げしたのは、あのときターニャを取られた仕返しですね」
「当然ですわ!わたくしがターニャとふたりでお話したかったのに、ヘクターがターニャとふたりきりだなんて!まあ、ヘクターなら妙な間違いを犯すことはないでしょうけれど、可愛いターニャを連れ去ったんですもの。少しくらい意地悪したって良いと思いましたのよ」
ふたりの言葉に、あの後ヘクターとふたりでアルベール様を発見した際に、どさくさ紛れになぜかヘクターに壁ドンされたまま、息をひそめて会話していたことを思い出してしまった。顔に出したつもりはなかったのだが、ピヴォワンヌ様は見逃してくれなかった。
「…!ターニャ、お顔が少し赤くってよ!まさかヘクターに何か言われましたの!?それともまさかまさか何かされたりしたんですの!?…ヘクターめ…わたくしのターニャになんてことを……指一本でも触れようものなら我が家の権力を使ってけちょんけちょんにしてやりますわ…。…いいえ、いっそ他国に追いやって…」
前半は驚いたように私を問い詰める口調だったが、後半になるにつれてドス黒いオーラを出しながら低音の小声で呟きだした。私は都合よくなぜか聞こえなくなる主人公スキルは持ち合わせておらず、むしろ忍術の修行を通して小さな音でも拾えるよう鍛えているので、その声はばっちり聞こえてしまった。そして王子の婚約者が、王子の幼馴染兼従者を国外追放にしたらまずいので慌てて止める。
「い、いえいえ!とんでもない!
なぜか壁ドンはされたので「何もされていない」とは言わなかったが、嘘はついていない。実際に顔の距離は近くて驚いたけれど、触れられてはいないのだから。
私の必死の弁解に黒いオーラが少し和らぐのを感じる。そして私は悟った。今のピヴォワンヌ様の黒いオーラは、
ピヴォワンヌ様が友人として私のことを気に入ってくれていることは自覚していたが、おそらく私が思う以上に、私のことを大切に思ってくださっているのだろう。思い起こせば、最初に出会った十二歳の夏の終わりと、翌年の十三歳の夏の終わりには、ピヴォワンヌ様からも、ピアニー侯爵家の執事からも、侍女として侯爵家の領地のお屋敷で働かないかと誘いを受けていた。
あの頃の私は、侯爵家でのお誘いをとても有難く思いつつも、流れを変えずにゲーム本編を始めるため、学院使用人科の入学試験で一位を取らなければいけない状況であったので、「どうしても他に勉強したいことがあるから」という理由で断っていたのだった。実際、勉強の他にもばあやを目指すための各種修行に勤しんでいたので、王都から距離のあるピアニー侯爵領へ行くわけにはいかなかったのだ。
最後にピヴォワンヌ様と過ごした昨年の夏にはとくに侍女の話は出なかったので、友人のような関係になったことで、私を雇いたいという気持ちはなくなったのだと思っていたが、もしかしたら本心は違ったのかもしれない。彼女は、使用人科特別クラスを目指す私の夢を尊重してくれていたのだ。実際に私が目指していたのは「使用人科Sクラスに一位で合格し、リーリエ様の侍女に選ばれて貴族科Sクラスに入学する流れを作ること」だったのだが、当時そんなことを言えるはずもなかった。
ここまで考えて、ようやく私はピヴォワンヌ様のヤキモチの理由が理解できた気がする。前々から自分の侍女にと誘っていた私が、「一目見た瞬間にリーリエ様にお仕えしたいと思った」なんて言えば、それは面白いはずがなかった。そして、私のことを大切な人間として認めてくださっているピヴォワンヌ様に対して、きちんと説明しないのは不誠実である気がした。
私は背筋を正して、ピヴォワンヌ様に向かい合った。
「ピヴォワンヌ様、私のことを心配してくださってありがとうございます。実は、リーリエ様にお仕えすることになった経緯で、クラスの皆さんにも、リーリエ様ご自身にも、お話していないことがあるのです」
私の真剣な様子を察してか、ピヴォワンヌ様とサラさんも表情を引き締めた。
「昨日私は、『リーリエ様にお会いした瞬間にこの方が私のお仕えすべき方だと感じた』と説明したのですが、実際は違うのです。私は幼い頃に、まだ平民でいらしたリーリエ様と、偶然お会いしたことがありました。その頃のリーリエ様は裕福な平民のお嬢様でしたが、誰にでも優しく、分け隔てなく皆を大切にするそのお姿に、私は将来この方にお仕えしたいと思ったのです。お会いしたのはたった一度きりでしたが、いつかまたお会いすることができたなら、自分を生涯おそばに置いていただけるよう、何でもできるようになろうと努力をしてまいりました」
私の言葉に、ピヴォワンヌ様とサラさんは驚いた顔を見せた。この話は半分は嘘だが、半分は真実だ。ゲームの知識だが、ヒロインが幼い頃から孤児院や貧民街に住む者たちのために奉仕活動をしていた描写があり、そんなヒロインの姿に前の「私」が好感を持っていたことは事実であった。
そして、学院に入学し、サポートキャラとして現実でもリーリエ様の力になりたいと願い、長年努力していたことも事実なのだ。ついでに子どもの頃からの夢である「ばあやになること」は外せないので、リーリエ様の侍女の役目を経由し、リーリエ様のお子様のお世話も務め、将来的にはばあやになりたいのだ。嘘をついたのは「偶然お会いしたことがある」という部分だけである。
「私は、昨日リーリエ様のお顔を拝見した瞬間に、この方があのときお会いした方だと分かりました。だからこそ、侍女としてお仕えすることに迷いはありませんでした。ですが、とても幼い頃に一度お会いしただけですので、リーリエ様は私を覚えていらっしゃらないと思います。私が侍女として選ばれたのは、たまたま使用人科の入学試験で首席を取ることができたからです。このお話は、今はまだリーリエ様にお伝えするつもりはございません。いつか今の私自身をリーリエ様が認めてくださったときに、侍女となったのが、他の誰かではなく、
静かに聞いていたピヴォワンヌ様とサラさんは、納得したとばかりに深く頷いてくれた。
「恐れながら、私はピヴォワンヌ様を
「…そうでしたのね。ええ、ターニャ。もちろんでございますわ!
「はい、私もピヴォワンヌ様の大切なご友人の秘密は守ります。そうじゃなくても、もうターニャは私にとっても大事なクラスメイトなのですから」
優しいふたりは、私の言葉を疑うことなく、口外しないことをしっかりと約束してくれた。ただの友人ではなく「いちばん大切な」という言葉を付け足したことが大正解だったことは、先ほどと一転して背景に赤百合の花が満開のスチルが見えるような、明るいピヴォワンヌ様の表情でよく分かった。
実際、ばあや修行に明け暮れていた私には、知人・先輩・師匠はやたらと多いが、同年代で友人と呼べる存在はあまりおらず、ピヴォワンヌ様のことは本当に大事な友人だと思っているので、その気持ちに偽りはない。
そのあとピヴォワンヌ様は、実は私がリーリエ様を選んだことが悔しかったのだと、正直に話してくれた。その上で、幼い頃からの
そんなふたりに対して嘘を交えた説明をした自分に、我ながら卑怯だなと思う。しかし、私の告白を聞いたピヴォワンヌ様の表情は晴々としていて、悪役令嬢のような陰りは一切なくなり、紅玉の瞳を輝かせて楽しそうに笑っている姿に安堵する。
私の目指す大団円エンドには、彼女が悪役令嬢にならず、幸せに学院を卒業することも含まれているのだ。大切な友人を騙したことに心はチクリと痛むが、それでピヴォワンヌ様の心が軽くなるのなら構わない。その分、彼女たちの友情と信頼は絶対に裏切らず、ストーリーがどう展開したとしても必ず守るのだと、私は誓いを新たにするのであった。
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