第十一話 入学三日目:モーニングティーとカップケーキ
「昨日は大変なご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした‼」
今朝、リーリエ様と私は、クラスの誰よりも早く登校した。教室に着いたクラスメイト一人ひとりに昨日の失態を謝罪して回ったのだが、皆やはり温かく迎えてくれた。
「お気になさらないでくださいな、リーリエさん。クラスメイトなのですもの、助け合うのは当然のことでしてよ。それより、体調は大丈夫ですの?ご無理なさらないでくださいね」
ピヴォワンヌ様はそう言ってリーリエ様に優しく微笑んだ。
アルベール様とヘクターからは、逆に謝罪を受けた。
「リーリエさん、こちらこそすまなかった。入学式からの緊張と疲れもある状態で、慣れない酒が効きすぎてしまったのだろう。私の配慮が足りなかった」
「リーリエ様、昨日はお辛い思いをさせてしまい、大変申し訳ございませんでした。安易にお酒を用意した私の責任でございます。どうぞ責めるなら私を」
ふたりはリーリエ様に真摯に謝罪の言葉を述べる。
「と、とんでもないことでございます!アルベール様、ヘクターさん、自分の体に合わせた加減も知らずに飲んでしまった私がすべて悪いのです。そんな風におっしゃらないでください。むしろお恥ずかしい姿をお見せしてしまって申し訳ない思いでいっぱいです。それに、せっかくのクラスの親睦の場を台無しにしてしまいました…」
「主人であるリーリエ様の体質を見誤り、先にお止めしなかった私に責がございます。アルベール様、ヘクター、誠に申し訳ございませんでした」
アルベール様、ヘクター、リーリエ様の三名で謝罪合戦が始まってしまったので、私も参戦した。昨日の失態を恥ずかしがるリーリエ様に、アルベール様が「…可愛いだけだったがな」とぼそりと呟いているが、第一王子と従者に謝罪させてしまったという焦りでリーリエ様には聞こえていない。
「はいはい、誰も悪くないからそこまでにしましょう。まだ若い僕らには失敗くらいあるさ。気にしない気にしない!」
パンパンと手を叩き、割って入って来たのはイーサン様だった。
「お兄様のおっしゃるとおりですよー。かえってクラスの結束が強まったくらいですから、皆様お気になさらずー。酔ったリーリエさんはとても可愛らしかったですが、ご本人はお恥ずかしいでしょうから、全員忘れましょうねー」
のんびりとした口調で、エヴリン様もイーサン様に同調し、昨日のリーリエ様泥酔事件はクラスメイトの間だけの秘密となったのだった。
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昨日、酔っぱらったまま眠ってしまったリーリエ様は、夕食の時間を過ぎた頃に目を覚ました。私としては記憶が抜け落ちていることを願っていたのだが、リーリエ様はしっかりと記憶が残るタイプで、自分のベッドで目を覚まし、状況を理解した途端に青ざめた。
「タタタタ、ターニャ、ど、どうしましょう。私ったら、皆さんの前でとんでもない醜態をさらしてしまったわ…。それに、どうやってこの部屋に戻って来たのかしら…?入学後最初の授業だったのに、午後の授業もすっぽかしてしまったのね…」
混乱し動揺するリーリエ様に、私は状況を説明し、授業のことはヘクターや他のクラスメイトがうまく先生に説明してくれたので安心するよう話した。
リーリエ様はそれはもう分かりやすく落ち込み、しばらく一人にしてほしいと言った。一時間ほど自室にこもってしまったが、その後ドアを開けてリビングへ出てきたリーリエ様は平静を取り戻していた。気持ちを切り替えたリーリエ様と、明日の朝いちばんでクラス全員に謝罪をしようと決めた。
午後の間ずっと眠っていたリーリエ様がすぐには寝付けないだろうと思い、私はリーリエ様にお菓子作りをしないかと提案した。ゲームの知識で、ヒロインがお菓子作りが趣味であることは知っていたのだ。
リーリエ様は、自分は貴族になってしまったのでもうお菓子作りはできないと思っていたそうで、私の提案に驚いた。確かに貴族が厨房に入ることは好ましくはないのだが、この王国の貴族の奥様方は比較的自由な趣味を持つことが許されており、あまり大っぴらにはされていないが、家の中だけなら料理やお菓子作りをされる方も多いのだ。能力主義の国なので、平民や末端貴族家の娘が身分の高い貴族に嫁ぐ例も多いため、こうした趣味も受け入れられている。
それを聞いたリーリエ様のエメラルドグリーンの瞳は、見る見るうちに光を取り戻していった。答えを聞くまでもなく、お菓子を作りたいのだと分かる。気が滅入っているときには趣味に没頭するのが一番なのだ。すでに学院寮の厨房の使用許可も得ている。
私たちはクラスメイトへのお詫びの印に、お菓子を用意することを決めた。リーリエ様は高位貴族の子女が手作りお菓子など食べてくれるだろうかとまた悩み始めたが、私はゲーム知識でヒロインの手作りお菓子がクラスメイトに大好評になることを知っているので、彼女を明るく励ました。
こうして、昨夜はリーリエ様とふたりで遅くまでカップケーキ作りに熱中したのであった。
貴族科には午前最初の授業の後に、モーニングティーの時間がある。貴族の習慣として王国に根付いているので、学院の時間割にも当然この時間が設けられているのだ。ちなみに、使用人科の授業でお茶の淹れ方は必修項目であるので、貴族科普通クラスのお茶は使用人科の上級生が当番で用意している。使用人科の生徒からすれば、貴族の子女と顔を繋ぐきっかけとなるこの時間は貴重な就職活動のチャンスでもあった。
貴族科特別クラスにおいては、専属従者・侍女が同じクラスにいるため、お茶の用意は従者たちの役目である。今日は私が全員分のお茶の準備を申し出た。
教室と続き間になっているSクラス専用の談話室に、紅茶と共にカップケーキを用意した。さすが特別クラスの生徒と言うべきか、一様に美しい所作で手を付ける。リーリエ様だけは、不安そうにクラスメイトの表情を窺っている。
カップケーキを一口食べたピヴォワンヌ様が、驚いた様子で声を発した。
「まあ!驚きましたわ!このカップケーキ、とってもおいしいですわ」
「これは確かにうまいな。表面の砂糖を使ったコーティングが甘すぎず絶妙だ」
意外にも甘党のアルベール様もそれに続いた。
「うん、おいしいね。ふわふわで軽くて食べやすい」
「どこのお店で買ったものか知りたいわー。エマ、後で聞いておいてもらえるー?」
イーサン様とエヴリン様にも気に入ってもらえたようだ。
クラスメイトの様子に、リーリエ様はほっとした様子だ。私はエヴリン様とエマさんの会話をきっかけに説明をする。
「エヴリン様、皆さま。実は本日のケーキはリーリエ様が昨夜お作りになったものでございます」
私の言葉に驚いた表情で、クラスメイトの視線がリーリエ様に向いた。
「…はい。先にお伝えせず申し訳ございません。昨日ご迷惑をおかけしたお詫びも兼ねて、ターニャに手伝ってもらって焼いたものなのです。お口に合えばよろしいのですが…」
「まー!リーリエさんたらこんなにおいしいケーキを焼けるんですねー!すごいですー!」
エヴリン様のライトブラウンの瞳がさらに明るく輝いている。
「ありがとうございます。私は元々お菓子作りをするのが趣味なんです。でも、このケーキはターニャに教えてもらいながら作りました」
すべて自分の手柄にすれば良いものを、リーリエ様はどこまでも正直な方だ。
「リーリエ様のお菓子作りの腕が確かだからこそです。私は少しだけアドバイスをさせていただいただけです。以前街のケーキ屋の厨房で下働きした経験がございますので」
私がばあや修行の一環としてケーキ屋で働いた経験があるのは事実だが、このケーキのアイディアは前の「私」の世界の記憶から出てきたものだ。最初リーリエ様はカップケーキにアイシングでデコレーションしたものを作ろうと考えていたが、せっかくなのでクラスメイトを驚かせてみようと私が提案した。
見た目はデコレーションされた普通のカップケーキそのものだが、生地をシフォンケーキのようなふわふわ食感のものにしたのだ。この世界のケーキはパウンドケーキのようにしっとりどっしりとした素朴なものが主流で、スポンジケーキは王都の菓子店でしかお目にかかることがない。シフォンケーキは私の知る限り存在していなかったので、この機会に試してみたのだった。
「これはすごい発明ですわ!リーリエさん、ターニャ、お店が開けましてよ!」
「うん、これは毎日でも食べたいな。とてもうまい」
ピヴォワンヌ様とアルベール様も手放しで褒めてくれる。リーリエ様は照れながらも嬉しそうに微笑んでいる。
「ありがとうございます。よろしければ、喜んでまた作らせていただきます」
モーニングティーは終始和やかな雰囲気で、昨日の失態を悔やんでいたリーリエ様にも笑顔が戻り、私はほっとしたのであった。
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昼休み、リーリエ様と私はピヴォワンヌ様と侍女のサラさんと共にランチをとった。食器を片付けるため、その場の世話役はサラさんに任せ、私は先に席を立った。
私がリーリエ様のおそばを離れる機会は少ないので、ついでに話したい相手を探していた。生徒会室近くの廊下に、その人はいた。相手もちょうど一人だった。
「ターニャ」
先に向こうから声を掛けられた。
「ヘクター、今少しお時間よろしいでしょうか」
「うん、アルは生徒会長と話しているところだから大丈夫だよ。どうかした?」
「…昨日は、いろいろとありがとうございました。先生をうまく誤魔化してくれたと聞いていますが、嘘でしょう?」
時間もないので、私は単刀直入に告げた。ヘクターは表情を変えずに答えた。
「なぜ?ロータス先生は“リーリエ様が具合が悪くなったため、ターニャと共に寮に戻った”ことも、“偏頭痛が出てしまったピヴォワンヌ様の様子を見るために午後は遅刻する”ことも、あっさり信じてくれたんだよ?」
それは、今朝他のクラスメイトに昨日の午後の顛末を尋ねたときに聞いたことだった。午後の授業の最初にヘクターが先生に報告し、問題なく受け入れられたのだという。それを聞いたリーリエ様は、自分はともかく、付き添ってくれたピヴォワンヌ様とサラさんに悪影響がなかったことを知りほっとした様子だった。だから私もその場では流したのだ。
「だから、それは嘘でしょう?昨日のランチタイムに乾杯のお酒を用意したことは、許可をくださったロータス先生だってご存知のことだし、レクリエーション後に負けて落ち込んではいたけれど、ピヴォワンヌ様もリーリエ様も体調面では問題なかった。それがランチ後に急に揃っていなくなれば、何かあったと考えるのが当然だし、ロータス先生がそこまで鈍い方だとは思えない。あなたが裏で何か手を回したのでは?」
私はヘクターのダークブルーの瞳を真っ直ぐに見つめた。余談だが、彼は私よりも頭一つ分ほど背が高いので、見上げるような形になってしまい、なんとなく悔しい。私もあと十センチくらい身長がほしい。
ヘクターは一瞬だけ逡巡の表情を見せたが、観念した様子でため息をついてから答えた。
「…お察しのとおりだよ。先生には授業が始まる前、昨日の昼休み中に先に正直に話をしただけだ。飲酒許可を出してくれた先生に迷惑をかけるわけにはいかないし、リーリエ様が医務室へいかなければいけない可能性だってあったから、きちんと説明して謝ったよ。先生に頼んで、アルや他のクラスメイトが気にしないように、教室ではうまく話に乗ってもらった。オレとしてはリーリエ様にも気にしてほしくないし、それはターニャも同じだろう。これは黙っておいてくれ」
観念したヘクターは正直に話をしてくれた。その言葉には今度は真実味があり、私はそれだけ聞ければ満足だった。
「うん、分かりました。正直に言ってくれてありがとうございます。それに、リーリエ様のことを守ってくれてありがとうございました」
「礼はいいんだよ。酒を用意したオレが悪かったのは事実なんだから」
素直にお礼を言うと、ヘクターはバツの悪そうな表情をした。
「それでも、主人のピンチを助けてくださったのも事実です。話してくれないと、お礼も言えないでしょう?だから、ありがとうございます。良かったらこれ食べてください」
そう言って私は、ラッピング済みのカップケーキをヘクターに渡した。彼もこのケーキを気に入っていたことはモーニングティーのときの反応で分かっている。
「…ありがたくいただくよ。でもこれ、モーニングティーで食べたやつと色が違うね」
ヘクターは素直にカップケーキを受け取ったが、一目見て違いに気付く。リーリエ様が焼いたものはアイシングで白くコーティングされていたが、こちらにはチョコレートがかかっている。
「これは昨夜リーリエ様にケーキの作り方をお教えした際に、私が試作で焼いたものなんです。もし嫌でなければどうぞ」
ゲーム知識で、アルベール様が甘党であることは知っていたが、同じスチルでヘクターも激甘チョコレートケーキをぱくぱくと食べていたので、おそらく彼も甘党なのだと予想した。
「ターニャが作ったのか。…ありがとう。大事に味わっていただくよ」
そう言ったヘクターは本当に嬉しそうで、なぜか少し顔を赤らめた。彼とは出会ってからまだ三日だが、クラスの貴族子女に対しては隙を見せず常に丁重な様子で、アルベール様や従者・侍女に対してはくだけた態度ながらも、これほど感情を素直に顔に出したところは見たことがない。私、何か変なフラグ立てたっけ…?
なんとなく気まずい思いがしたので、私はそそくさとその場を後にしたのであった。
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