第九話 入学二日目:熱戦後、親睦会は大いに盛り上がる

 レクリエーションを終え、教室の前列に座るアルベールチームの貴族子女五名は、揃ってつまらなさそうな顔、もしくは申し訳なさそうな顔をしている。


「ダメじゃないか、アルベール様が掴まっちゃ」


 拗ねたような声で言うのはイーサン様だ。


「せっかく私たちは逃げ切りましたのにー」


 双子の妹、エヴリン様も同調する。彼女の場合は悔しがっているというより、珍しく凹んでいるアルベール様が面白いのでからかっているだけのようだ。


「いいえ、アルベール様だけの責任ではございませんことよ。最初にあっさりと見つかってしまったわたくしが悪いのですわ。もしわたくしが逃げ切っていて、あと二ポイントあれば勝てましたのに…」


「そんなことおっしゃらないでください、ピヴォワンヌ様。いちばん非があるのは私です。捕まったときにアルベール様の近くにおりましたのに、私は殿下をお守りすることができませんでした…」


 ピヴォワンヌ様とリーリエ様は、それぞれに自分を責めて反省する。


「…いや、すべての原因は私が逃げ切れなかったことにある。作戦を主導したのも私だ。…面目ない」


 アルベール様はチームメンバー四人に対し素直に頭を下げた。その後でリーリエ様に「殿下ではなく名前で呼ぶように」と付け加えることも忘れなかった。




 レクリエーションの結果は、ヘクター率いる従者・侍女チームの勝利であった。


 アルベールチームのポイント配分は、リーリエ様 一ポイント、ピヴォワンヌ様 二ポイント、エヴリン様 三ポイント、イーサン様 四ポイント、アルベール様 五ポイント。

 蓋を開けてみれば、ポイントに関して互いに裏の読み合いになることを見越した上で、ヘクターチームの追手から逃げ切ることのできる可能性の高さに応じた配点となっていた。実際には侯爵令嬢であるピヴォワンヌ様よりも、平民出身のリーリエ様の方が運動は得意であるが、リーリエ様が遠慮した結果としてこの配分で落ち着いたのであった。


 ヘクターと私が挟み撃ちの形でアルベール様とリーリエ様に近づいたとき、もちろんリーリエ様は自分が囮になってアルベール様を逃がそうと動いた。私たちはリーリエ様のその行動によって、予想通りアルベール様が五ポイントであることを確信した。

 そこで普通ならば、ポイントの低いであろうリーリエ様を見逃してふたりがかりでアルベール様に向かうべきところ、敢えて私たちはリーリエ様をのだ。アルベール様は、咄嗟にリーリエ様をかばおうと動いてしまった。そこをあっさりとヘクターに捕まったのであった。


 アールさんとエマさんの従者兄妹は、イーサン様とエヴリン様の双子を探し、追いかけたが、エヴリン様は完璧に姿を隠して最後まで見つからず、イーサン様は敢えてふたりの前に姿を現すのに、絶対に捕まらずに逃げ切るという、囮を兼ねた嫌がらせをやり切ったそうだ。オリアンダー伯爵家でのアールさんとエマさんの日頃の苦労が垣間見える。

 

 結果として、最終的なポイントはアルベールチームが七ポイント、ヘクターチームが八ポイントで、僅差ながらヘクターチームの勝利となったのであった。

  

 勝敗を分けたのは、リーリエ様を咄嗟にかばおうとしてしまったアルベール様の行動であった。彼としても完全に無意識で、目の前で襲われそうなか弱い令嬢がいるのに見捨てることができなかったのだろう。その行動は紳士としては称えられるべきことだが、王族として、また、チームを率いるリーダーとしては大失態である。頭を失えば、そこにもう勝利はないのだから。今のアルベール様はもちろんそこまで理解しているからこそ、全力で凹んでいるのだった。


 そしてこれは、アルベール様の性格と言動を熟知しており、敢えてリーリエ様を標的にすれば、彼がこのように動くことを読み切っていた、ヘクターの作戦勝ちと言えた。私は事前にヘクターと打ち合わせたとおりに動いただけだ。アルベール様も、ただ勝負に負けたというだけでなく、従者であるヘクターに嵌められたことが相当悔しい様子だ。


 各自がそれぞれに反省したり、喜びに浸ったりしているところ、空気を切り替えるようにパンッパンッと手を叩く音が響く。


「みなさん反省点は大いにあることでしょう。それは個人としても、チームとしても、です。今回の失敗も成功も、これからの三年間の糧となるでしょう。それにしても、レクリエーションを通してだいぶみなさんが仲良くなってくれたようで、担任としては喜ばしいですね」


 早くも大いに打ち解けた様子の生徒たちを見て、ロータス先生は嬉しそうに笑うのであった。



 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴


 レクリエーションが終わり、ランチタイムとなった。

 使用人科の学生は寮のキッチンでお弁当を作り、持参する者も多いと聞くが、貴族科の学生は学院内のカフェテリアを利用することが一般的である。


 レクリエーションでひとしきり盛り上がった後なので、アルベールチームとヘクターチームでそれぞれ反省会と打ち上げを兼ねたランチをしようという話が出たが、各チーム戦略的に良かった点と悪かった点があるので、どうせなら両チーム一緒に振り返りをした方が面白そうだとイーサン様が言い出し、今日の昼食は第一学年Sクラス全員での食事会となった。


 ヘクターが素早くカフェテリアにある個室スペースを押さえ、ランチの手配を済ませた。王子の従者歴が長い彼のこのあたりのスマートな振る舞いは、素直に尊敬してしまう。次の機会があるなら今度は私が手配しようと、こっそり心に決めた。学院にいる間に、少しでも侍女スキルを磨きたいのだ。


 カフェテリアの個室には六人掛けのテーブルが二組あり、私は当然ながら貴族のテーブルと従者のテーブルで分けるものと思っていた。これから同じクラスで学ぶことにはなるが、あくまでも侍女としてここにいる私としては、王子殿下や有力貴族子女と同じテーブルに着くなど畏れ多く、遠慮したい気持ちが強い。そもそも主人と従者が同じ部屋で食事をとるだけでも、学院でなければあり得ないことなのだ。


 しかしそんな空気を察したアルベール様が、「確かにキミたちは従者・侍女だが、学院にいる間はクラスメイトとして対等なのだから、遠慮するな」と発言し、ヘクターがすかさず二組のテーブルを繋げた上で、遠慮なく殿下の隣の席に腰掛けた。


 リーリエ様も「私をこの場にひとりにしないで…」と言わんばかりのうるうるした瞳を私に向けたため、私も大人しくリーリエ様の隣に座る。すかさずもう一方の私の隣の席には、ピヴォワンヌ様が着いた。


 全員が席に着いたところで、カフェテリアのスタッフがグラスを用意する。

 良く冷えた細長いグラスの中の液体はシュワシュワと泡立っている。


「…おい、酒じゃないか」


 アルベール様が隣にいるヘクターをジト目で見る。ランチの手配をした彼以外に、こんなことはできない。


「まあまあ、固いことを言わずに。ヘクターチームの勝利を祝う酒だから遠慮なく飲んでくれ。ちゃんとロータス先生の許可は取っているから心配するなって。乾杯の一杯だけだし、どうせ誰も酔わないだろ」


「…先生の許可があるなら見逃すか。ただし、これはだ」


「仕方ないな、じゃあそういうことで良いよ。アル、乾杯の音頭は任せた」


「ああ。では私から一言だけ。今日のレクリエーションではしてやられたが、次は負けない。これほど優秀なクラスメイトが揃ったことに、正直言ってとてもワクワクしている。これから三年間、よろしく頼む。乾杯!」


「「「乾杯!!」」」


 アルベール様の乾杯の挨拶には、クラスメイト全員が心から賛同していた。このメンバーなら、間違いなく飽きることのない三年間が過ごせるだろう。グラスを軽くぶつけ合ったクラスメイトたちは、皆笑顔で、声を弾ませながら今日のレクリエーションについて語り合うのであった。



 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴


 この王国では十五歳から飲酒が可能なので、お酒を飲むこと自体は問題はないが、勉強を目的に来ている学院で酔っぱらうのは問題に決まっている。しかし、社交の場ですでに飲みなれている貴族子女たちや、彼らよりも少し年上である従者・侍女たちが酔っぱらうことはない。


 私はここにいる従者・侍女の中で唯一、主人たちと同い年だが、前の「私」がアルコールに弱かったため、侍女として失態をさらすことのないよう、十五歳になった日から少しずつ飲酒して体を慣らしている。幸いなことにターニャとして生まれた今の私は特別お酒に強くはないが、弱いわけでもなく、今ではワイン五杯くらいまでなら思考や動きに影響のない範囲で楽しむことができる。


 ところがこのクラスには、貴族子女として育っておらず、私のように敢えてアルコール摂取の訓練をしたわけではない少女がひとりだけいた。そう、私の主であるリーリエ様だ。


 私としても、リーリエ様がお酒を飲み慣れていないであろうことは予測できていたので、注意してはいたのだ。イーサン様やヘクター、クラス最年長のアールさんがどさくさ紛れに二杯目三杯目のワインに手を出しても、リーリエ様にはそっと水を用意した。言動や顔色には何も変化がないようなので安心していたのだが…


 メインのお肉の乗ったプレートを食べ終わり、これからデザートが出てくるというタイミングで、それは起きた。

 レクリエーションでアルベール様が見事にしてやられて捕まったことを、イーサン様とヘクターがからかっていたときだった。


 それまで楽しく談笑していたリーリエ様が、テーブルに手を突き、突然立ち上がった。皆驚いてリーリエ様を見上げる。


「イーサンしゃまも、ヘクターも、そんなにアルベールしゃまを悪くおっしゃらないでくだひゃい!アルベールしゃまは正義感あふれるしゅてきな方でしゅにょに!今回はわらひが役立たじゅだったのでひゅ!…ヒック!アルベールしゃまはちゅぎに同じ失敗はしゃれましぇん!!」


 …めちゃくちゃ酔っぱらっていた。


 顔色はまったく変化ないのに、いつの間にか目が据わっている。リーリエ様は酔っぱらっても見た目に変化がないタイプだったようだ。そしてたった一杯でここまで出来上がってしまうほど、お酒には弱かったようだ。先ほどまで楽しそうに笑っていたのは、クラスメイトと打ち解けられてよほど嬉しいのだろうと思っていたが、笑い上戸の症状だったのかもしれない。


 そんなリーリエ様の姿に焦る私やアルベール様をよそに、面白いことが大好きなオリアンダー兄妹は大ウケしている。


「あっはっはっは!リーリエさんって酔うとこんな感じになるんだね。面白すぎるよ!全然言えてないし!ははは!」


「まー!リーリエさんは顔に出ないタイプだったのですねー。酔っぱらい方も可愛らしいですわー!ふふふ、もっと飲ませたらどうなるのかしらー」


「ちょっとあなたたち!笑いごとじゃございませんわ!早くリーリエさんを休ませてあげた方が良くってよ!」


 のんきに笑うイーサン様とエヴリン様に、ピヴォワンヌ様が抗議する。リーリエ様のことを本当に心配している表情だ。


 侍女である私は、もちろんすぐにリーリエ様を退席させて部屋でお休みいただこうと立ち上がったのだが、その瞬間に…


「…!リーリエ様!?」


 リーリエ様が横にいる私の方向に突然倒れて来た。私は慌ててリーリエ様を抱き留める。前の世界の知識がある私は、急性アルコール中毒かもしれないと焦り、リーリエ様の体を支えながら顔を覗き込んだ。すぐさまアルベール様やピヴォワンヌ様、サラさんも私に手を貸そうと集まってくれた。しかし…


「…寝てます」

「…寝てますわね」

「…寝てるな」


 すぅ…すぅ…という規則正しい寝息が聞こえる。目は閉じているが、苦しそうな様子はなく、表情はどこか楽しそうだ。リーリエ様は酔った後は突然眠ってしまうタイプだったのか…今後は絶対に気を付けようと心の中で固く誓う。


 心配そうにリーリエ様の周りに集まった他のクラスメイトたちにも、眠っているだけなので大丈夫そうだと伝えた。


 少女漫画だとこういう場面ではすっとヒーローがヒロインをお姫様抱っこで運んでいくのが定番だが、実際の貴族社会ではそうはいかない。未婚の令嬢を抱きかかえるなど、余程の非常時ではない限りはマナー違反だし、令嬢側の評判にも関わってしまう。


 アルベール様の視線から、心底リーリエ様の身を案じており、自分が支えて連れていきたそうなことは読み取れたが、彼自身も第一王子である自分がそんなことをしたら大変なことになることは理解している。


「ターニャ、私が一緒に支えるから、お部屋までリーリエ様をお連れしましょう」


 状況を即座に読み取り、声を掛けてくれたのは、ピヴォワンヌ様の侍女であるサラさんだった。私は体を鍛えているので、リーリエ様をおんぶして運ぶことは可能だと思うが、背丈がほとんど一緒のリーリエさまを背負うのはかなりの重労働だし、何より寮の部屋に辿り着くまでには階段も多く、リーリエ様に万が一怪我でもさせたら大事だ。私としてもこの状況で頼るとしたら彼女だろうと考えていたため、素直に好意に甘えることにした。


「ありがとうございます、サラさん。とても助かります。ピヴォワンヌ様、大変申し訳ないのですがサラさんをしばらくお借りしてもよろしいでしょうか」


 私はピヴォワンヌ様に許可をお願いした。


「もちろん良くってよ!と言いますより、わたくしもサラと一緒に行きますわ。ふたりがリーリエさんを支えていくなら、荷物を持つ人が必要ではなくて?」


 第三侯爵家のご令嬢に荷物持ちをさせるなんてとんでもないと、エヴリン様の侍女エマさんが手伝いを申し出てくれたが、ピヴォワンヌ様自身がそれを断った。


「いいえ、もうすぐ午後の授業が始まりますわ。適当に理由を付けて抜けるなら、リーリエさんとわたくしが気分が悪くなったことにでもして、それぞれの侍女が着いていく方が自然ですもの。エマが抜けたら余計に目立ってしまいますわ。ヘクター、あなたはこういうときに頼りになりますわね。よろしく頼みましてよ」


 ピヴォワンヌ様が状況を整理し、ヘクターに声を掛けた。


「もちろんでございます、ピヴォワンヌ様。アルベール殿下は実直すぎて嘘をつくのは苦手ですからね。こういうときに誤魔化すのは昔から私の仕事です。何より、リーリエ様にお酒を飲ませてしまった責任も感じておりますので、どうぞお任せください」


 ヘクターはピヴォワンヌ様に丁寧なお辞儀と共に、慇懃な返事をした。彼はアルベール様やクラスの従者・侍女に対しては気安く話すが、他の貴族の子女に対しては礼節を崩すことがない。


 何の力にもなれないと従者に言い切られたアルベール様は苦い表情だが、自覚があるようで言い返しはしなかった。


「皆様、せっかくの楽しいランチタイムの終わりにお騒がせしてしまい申し訳ございません。すべては主人のお酒の弱さを見極めることのできなかった私の不手際です。明日登校する際には、リーリエ様は相当気に病んでしまうことと思います。厚かましい願いとは存じますが、どうか主人を温かく迎えていただけますと幸いです」


 リーリエ様を両腕で支えているのでお辞儀はできなかったが、私はできる限り深く頭を下げた。


「心配しなくていい。こんなことくらいでリーリエさんに対して我々の態度が変わるようなことはありえん。それに悪いのはヘクターであってターニャではないから気にするな」


 アルベール様がきっぱりと告げる。


「そうそう、元々面白いなと思っていたご令嬢がさらに面白いことが分かったんだから、何も気にすることなんてないよ」


 イーサン様も本当に愉快だという表情で同意する。


「お酒で記憶が飛ぶタイプだといいですねー。もしも明日リーリエさんが今日のことを忘れているようなら、みんなでそういうことにしましょうー」


 エヴリン様も笑ってそう言ってくれた。


 私たち新米主従を温かく受け入れてくれているクラスメイトに心からの感謝を告げ、サラさんとピヴォワンヌ様と共に、リーリエ様を自室まで連れて帰るのであった。


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