第六十六髪 立ち上がれ 無残に散った 英霊よ

「ああ、もちろん。のどでもかわいたのかね」

「それは祝宴の時終わった後にでも頂くとして。――カプラは我と同じ、カピツル神の眷属けんぞくであり、たてなのです」


 そういえば、カプラ牧場でその話を聞いていた。

 いわゆる言い伝えのたぐいかと思っていたが、まさか。


主殿あるじどのも、ごぞんじでしょう」

「ああ、毛に水を含むと、金属きんぞくのように硬質化こうしつかするのだったな」

「その通り。彼女らはとなる。それは言いえれば、にもなりうるのですな」


 ルピカは大巫女だいみこに目で合図あいずすると、ふくろを背負ったカプラのクリームと共にやってくる。


「主殿がいない間、われ方々ほうぼうけずり回り、準備を整えてまいりました。そして、万が一のための切り札を用意していたのです」


 大巫女はリュックから大小二つのびんを取り出す。

 一つは大きなペットボトルほどのサイズがあり、そしてもう一つは、まるで栄養ドリンク程度の小瓶こびんだ。


「大きな方は森の神ロフアから預かった、超硬質化ちょうこうしつかする神水しんすいでしてな。これを振りかけると」


 大巫女が大瓶おおびんを傾けると、霧状きりじょうになりクリームの全身にかかる。

 クリームは気持ちが良いのか、「フモ、フモモー」とうれしそうな鳴き声を上げる。


「触ってみて下され」

「どれどれ」


 試しに背中に触れてみると、ダイヤモンドでもあっさり打ち砕けるのでは、と思われるほどの硬さを指先に感じる。


「凄まじいな……」

「ええ、まず予定地点へは、我とカプラでやり遂げます。そしてこちらの小瓶こそが主殿に最後の力を与えるものです」

「これは……」


 一見して、大層なものには見えない。


「それは、ミニエリフサーでございます」

「なっ! これがあのエリフサーなのか!」


 以前の大巫女との話が思い起こされる。

 曰く、『望む最も良い姿を手にすることが出来る』霊薬れいやく

 つまり。


「どうか、お飲みになってください」


 慎太郎はゴクリ、と生唾なまつばを飲み込んだ。

 右手でふたを開けると、左手を腰に当て、中のドロッとした液体を一気に飲み干す。

 まさに栄養ドリンクのようで、実に滋養強壮効果じようきょうそうこうかがありそうな味だ。

 だが、それが喉を通り身体に入ると、突然、慎太郎の心臓が大きく高鳴る。


 ドクン。


 激しく鳴動する心クン。


 身体が熱い。ヤナギノクを使った時とはまた違う、不思議な熱が体中をめぐるのが分かる。不快感はない。むしろ爽快感そうかいかんと、強烈な掻痒感そうようかんが全身を駆け抜け、それは頭部へ集中する。


 ドクン、ドクン、ドクン。


 慎太郎は願う。

 私の願いは、望みは、この状況を切り抜けるために。


 髪が、欲しい。


 それに応じるように慎太郎の身体は輝き始め、やがて虹色の光が全身をくまなく包み込む。

 そして。


「慎太郎様……!」

「フモー? モーッ!」

「大神官様……、ぷっ」

「おお、主殿。なんとも勇ましい姿ではないですか」


 大巫女が、クリームが、クオーレが、ルピカが声を上げる。

 おそるおそるその部分を触ると、つるんとした感覚が一切無くなっており、その代わりに夢にまで見た、あの懐かしい感覚が帰ってきていた。

 そっと、大巫女がいつもの手鏡を渡してくれる。

 おそるおそる、だが、確信をもって、自分の顔をうつす。

 四十六歳男の顔はいつも通りのあぶらの少なく、しわのあるものだ。

 ただよ年季ねんきは味となっている。

 だが、その眉から上。

 本来そこには、申し訳程度に残された老いた戦友とも達が、最後の奉公ほうこうとばかり気勢を張っていたはずだった。

 だが、今は違う。

 失ったはずの数多くの戦友ともが、再び若さを取り戻し、彼を出迎えている。

 慎太郎は太くたくましい、若かりし頃の豊かな黒髪を取り戻していた。


「みんな……ありがとう」


 慎太郎は背を向けたまま、一行に声をかける。

 少しだけふるえる語尾を懸命けんめいに抑え込み、顔を上げると、目の前のくろかみ見据みすえる。


「ゲハハ……、整ったようじゃな。さて、大神官クン。年甲斐としがいもなく泣いているところすまんが、アレを片付けねばならん」

「な、泣いてなんかいないぞ! さあ、皆、やろう!」


 往年の頭部を取り戻し、すっかり自信がみなぎった慎太郎は、エルの言葉を受けて、皆に発破はっぱをかける。

 エルはニヤリと笑うと、ルピカへ軽く目で合図をした。


「さて、久しぶりに共闘じゃな。――行くぞ、ルピカよ」


 そう言うやいなや。

 エルは数百メートル先にいる黒き神の足元へ神速しんそくの踏み込みで瞬時に辿たどり着くと、そのまたのちょうど真下で止まり、居合の構えを取る。

 すると、音もなく数メートルはあろうかという長大な剣が出現し、エルはにやり、と笑みを浮かべると。


 目にも止まらぬ速度で身体を一回転させる。


 刹那せつな、慎太郎は全身を貫くような凄まじい衝撃波を感じた。

 と、同時に黒き神の両脚は再び完全に分かたれ、先程と同じようにバランスをくずし、前方に倒れてくる。

 そのタイミングを見計らい、クリームを首に乗せたルピカが全速力で地を駆け、角度をつけ宙へ飛ぶ。


「フモォォォォォォォゥ!」


 これまで聞いた中で、最も力強いカプラの勇壮ゆうそうな鳴き声が場に響く。

 そして、その背の部分は黒き神のみぞおちに直撃し、そのままの勢いで吹き飛ばす。大きくえがいたその巨体は今度こそ、目的地である封印の場所へと落下していく。

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