第18話 信じたくなかった


 頬杖をついて窓の景色をぼんやり眺める。

 吹く風は爽やかな潮の匂いを運んできて、アブラゼミのやかましい鳴き声と溶けるような蒸し暑い空気が初夏を感じさせてくれた。

 

 夏休みが近づくにつれて教室内の雰囲気も晴れやかなものになっていき、海や花火、旅行といった遊びの予定を各々楽し気に立てていた。

 

 僕も小林に皆で海に行くんだけど涼川も行こうぜと誘われ、せっかくの機会なので参加することにしていた。

 皆というのは当然僕の知らない初対面の人達ばかりだろうが、そこを気にし始めたら誰とも遊べなくなる。


 青い薄衣を纏ったような空を見上げている内、後ろから近づいてくる足音が聞こえてきて、そいつは僕の背中に乗っかってきた。


「何ボーとしてんだよ?空に何か書いてんのか?」

 小林のけらけらとした笑い声が聞こえ、「恋煩いかー」とまだ詩織に惹かれていることに関して茶化してきた。

 僕はボーとしたまま口を小さく開ける。


「いや、不死鳥ってなんなのかなって」


「・・・どうしたんだよ、急に」

 

 この時考え事をしていた僕は意識が思考の中に置かれており、意味の分からない返答をしてしまう。

 彼は苦笑いして僕から離れ、自分の席に着く。


「不死鳥って、あれだろ。名前の通り死なない鳥の事だろ?詳しくはよく分からないけど。気になるならネットで調べて見りゃいいじゃねえか」

 彼はこんな寝ぼけたような一言に対して真面目に返してくれる。


 当然ネットで調べてはみた。

 しかし不死鳥自体にいろんな説があり情報量が多く、疑問を解消するどころかかえって分からない点を深めるだけに終わっていた。


「ほんと、なんだったんだろうな。あれは」


「涼川?暑さにやられたのかー?」




 僕が急に不死鳥に関して気になってしまったのは、施設長室に落ちていたノートを見てしまったことがきっかけだった。

 あのノートには不死鳥の様々な説や目撃談や参考資料などがまとめられていた。

 

 内容は正直その時は全く興味を惹かれなかったので所々しか覚えていないが、新聞や雑誌の切れ端や不死鳥に関する書物の一部を抜粋されており、あの堅そうな綾瀬が不死鳥の伝説をここまで熱心にまとめ上げるなんておかしな話だとは思う。

 

 しかし詩織の驚異的な治癒能力を目の当たりにして、あの日を思い返す度僕の中で一つの仮説が浮かび上がってきた。

 

 綾瀬は、詩織の正体が不死鳥ではないかと疑っているのではないか?


 もちろん何の裏付けもない、突拍子に思いついた勝手な想像に過ぎない。

 だが詩織の人並み外れた治癒能力と、綾瀬がなぜあんな架空の伝説を調べたのかと思うと、その二つを結びつけることで繋がる点があるということも否定できない。

 

 どちらにしても、綾瀬が不死鳥について調べはじめることになったきっかけが必ずあるはずなんだ。

 それが詩織に関連する事なのだとしたら、気にならないと言えば嘘になる。

 

 そうして僕は、不死鳥について調べ始めるようになった。




 昼休みになり、僕は生徒玄関から外に出て校舎の裏側の方へ回る。

 パンとコーヒーの入ったコンビニ袋を指に掛け、人気のない砂利道を進んでいく。

 

 校舎裏には演劇部が部活で使用する、校舎から離れた場所に建てられた木造の建物があった。経年劣化が目立つボロボロの建物で、噂では隙間風や雨漏れが酷いという話だ。


 その部室へ通じる渡り廊下の、コンクリートの階段に詩織は座っていた。

 タータンチェック柄の弁当包みが膝の上に置かれ、こちらを見て微笑みかけてきた。


「涼川君、お疲れだね」

 僕は手を上げて応え、「お待たせ」と言った。

 

 休み時間に人が密集する場所を避け、僕達は二人っきりで会える校舎裏で落ち合っていた。

 けっして教室内で詩織に話しかけづらいからコソコソと会っているというわけではないが、男女二人で机を寄せて過ごす様子を周りから見られるのはやはり気まずいものがあった。

 

 少し前まで図書室で待ち合わせをしていたが、あの場は会話厳禁の為黙々と読書をして隣にいる彼女の存在を感じるだけで終わってしまう。

 あれはあれで悪くなかったが、どうせ傍にいるなら時間いっぱいまで話したかった。


 人の寄り付かない静かな場所をリサーチし、僕達は校舎裏の渡り廊下で会うことになった。

 校内の喧騒から遠のいたゆっくりとした時間が流れるような、落ち着いたこの場所を互いに気に入っていた。


 折板屋根の下で直射日光を避け、雑木林の隙間から吹く横風に彼女の髪が揺れ、くすぐったそうに頬を緩めていた。


「暑いなー。もうすっかり夏だね」


「これからが本番だよ。どんどん暑くなるよ」


「えぇー、やだなー。もう十分だよぉ・・・」

 彼女は卵焼きを口に入れたまま唸る。僕は焼きそばパンを頬張り、項垂れる彼女を見て笑う。


「でも、もうすぐ夏休みか」


「あ、そうだね!それは楽しみ!」


「綾瀬さんは、何か予定でもあるの?」


「うーん。私は施設の子供達と遊ぶくらいかな?特別な予定はないと思う」

 首を傾げて「涼川君はどうなの?」と楽し気に聞いてくる。


「僕は、ほんとに何もないね。小林に海行こうって誘われたくらいかな?」


「じゃあ、ほとんどお家で過ごす感じなの?」


「そうなるね」


「ふーん」

 彼女は指先で顎を擦り、空を仰ぐ。「じゃあ、また施設に遊びに来てよっ」と閃いたように声を上げる。


「え、そうだな・・・」


「いいじゃない?暇なんでしょう?」

 肩で小突いてきて、悪戯っぽく笑いかけてくる。


「綾瀬さん、結構グイグイ来るんだね」

 彼女は何も言わず、ニヤニヤして僕の答えを待っている。


「迷惑じゃないなら、遊びに行こうかな」


「やったー!そうこなくっちゃね!」

 大袈裟に喜んで、毎日来てもいいんだよ?と言いくすくす笑う。

 途中彼女は何かに気付いたようにあっと声を上げ、僕の口元に手を伸ばす。


「ソース、ついてるよ?」

 断る前に彼女はポケットからティッシュを取り出し、口周りを優しく拭いてくれた。


「ありがとう」と言うと、「どういいたしまして」と彼女はクスリと笑った。




 そんな詩織と過ごす日々は、僕の人生で今までにないほど幸せに満ちた時間だった。

 こんな毎日が続いていくんだって、この時僕は無意識にそう思っていた。

 いや、そう思いたかったんだろう。

 

 これから先も彼女の隣にいれて、叶うならばその先の関係にも進展させたい。

 身の程知らずもいい所で、完全に浮かれてしまっていた。

 

 でもそれ以前に、僕と彼女は根本的な立ち位置が、存在している世界が、次元の遠いものだった。

 例の件について調べ始めた時から、いや、彼女と出会ったあの日から。

 僕は心のどこかでそれに気づいていたのだと思う。

 ただそのことを、信じたくなかったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る