第10話 浮いた存在


 次の日学校に来て席に着くと、小林が「おはようっ」と陽気な声で挨拶しながらこちらへ来た。

 彼の後ろには眼鏡をかけたやんわりとした雰囲気の男子とスカートを穿いていなければ男女の区別がつかないほど短髪の女子がいた。


「おはよう」と返すと後ろの二人も笑って挨拶を返してくれた。


「涼川、紹介するぜ。この二人は学級委員の高坂と池田。眼鏡をかけた男が高坂で、短髪で目つきの悪い女が池田だ」

 短髪で目つきの悪いという紹介が不服だったのか、池田さんは小林を鋭く睨みつける。


「ちょっと?それどういう意味?」


「はは、こんな感じで気が強い女なんだ」


「普通そこは謝るでしょ」と彼女は平手で彼の背中をシバいた。

 バチンッという容赦のない音に僕は失笑してしまう。


「ごめんね、涼川君。私は池田加奈。もう怪我は大丈夫なの?」

 その質問を聞いて、僕はうんざりとした気持ちになる。

 毎回違う人と会う度に同じことを聞かれ、同じように返答する。

 一定の期間それは社交辞令のようなものだから仕方ないだろうが、される側としたら余計な気遣いはしないでほしいと思わずにはいられなかった。

 そんな僕の心境を察したのか、もう一人の学級委員の高坂は口を挟む。


「昨日見た感じ普通に歩いていたし、きっと大丈夫だよ。でも足が少しでも傷みだしたら、すぐに教えてね」

 彼は笑いかけ、「高坂です。まだ慣れないだろうけど、困ったことがあれば遠慮なく相談してね。これでも一応、学級委員だから」と言い握手を求めてきた。それに応じ、僕は彼の手を握り返した。


「ありがとう。正直まだ分からないことだらけで」


「仕方ないよ。ちょっとずつでいいから、一緒に頑張ろう」

 愛想笑いを返すと、互いの手は離れた。

 親切な人に思えたが、学級委員というクラスをまとめる役割からして新参者の僕に対し先手を打ってきたようにも見えた。


「あ、そうだ涼川!俺達まだ連絡先交換してなかったよな?今携帯あるか!?」

 小林が張り切って言うと池田さんがまた睨みを効かせてきた。


「こらっ!学校内では使用禁止、もし鞄から取り出したらその場で没収するから」


「えー。ケチんぼ」


「うるさい。放課後、学校外でやって。あ、涼川君。その時私とも交換しよぉ」


「うわっ、露骨に態度ちげぇし」

 再び池田さんは小林を叩き、その様子を見て僕と高坂は声を上げて笑った。

 

 その時、教室に入ってきた一人の女子が目に入った。

 当然生徒の出入りは頻繁にあるのでそれ自体は珍しくもなんともないのだが、惹かれてしまった理由はその女子が詩織だったからだ。

 

 彼女は誰とも目を合わせず、淡々と床板を蹴り進んでいく。その時椅子を寄せ話していた女子の三人グループが彼女を見て、なにやらひそひそ話を始めていた。

 他の人達も彼女を怪訝そうに見て、なんとなく教室内に不穏な空気が流れたような気がした。


 途中僕に気付いたのか、こちらを見て互いの視線が交差する。

 しかし挨拶どころか会釈をすることもなく彼女は斜向かいの席に座ってしまった


〈学校にいる時、あまり私に話しかけない方がいいと思いますよ〉と彼女が言っていた言葉を思い出す。

 

 あれがどういう意味だったのかは未だに分からないが、今彼女が纏う人を寄せ付けない雰囲気が、緊張したように体全体を硬直させている様子から教室内での立ち位置が異質なものであると一目で察しがついた。


「涼川君、どうかしたの?難しい顔してるけど」

 池田さんは首を傾げ不思議そうに聞いてくる。

 僕の視線の先を追って、「あぁ、綾瀬さんね」と合点したように言う。


「昨日いなかったから、初めてだよね」


「綾瀬は可愛いからな、無意識に目で追うのも分かるぜ」と小林がニヤついて言う。

 

 でもね、と池田さんは何かを言いたげに呟き、「ううん、なんでもない」とすぐに取りやめる。

 気になる言い方だ、ついでに最後まで言ってくれればいいのに。

 答えを求めるように高坂の方を見ると、彼は困ったような笑みを浮かべた。


「ちょっと、浮いてる人でね」




 昼休みを告げるチャイムが鳴ると、皆はたかが外れたように声を上げ、授業中抑制された思いを発散するように騒がしくなった。廊下をドタドタと駆ける人達が何人もいて、恐らくあれは売店組だろう。

 渡り廊下に形成されていく長蛇の列を横目に見ながら、僕は鞄からコンビニの袋を取り出す。


 昨日の争奪戦を目の当たりにして、あの中に参加するのは骨が折れるなと思い事前にコンビニでパンを買っていたのだ。

 あれも青春の醍醐味なのだろうが、僕には幾分ハードルが高かった。

 

 小林は委員会の集まりがあるからと言い、昼ご飯はその教室内で済ますということだった。高坂や池田さんは基本どこに行くにも二、三人の取り巻きが付いており、僕が付け入る隙間は残されていなかった。

 他に知り合いのいない僕は必然的に孤立し、自分の席で黙々とサンドイッチを齧っていた。

 楽しげな笑いが周囲から聞こえてくる度、ここにいることに対して場違い感を覚えずにはいられなかった。

 

 そう言う人達の為に用意された受け皿が図書室だった。

 読書が好き嫌いに関わらず、来るもの拒まず去るもの追わずの開かれたこの場所は居場所のない人間にとって都合のいい逃避行になった。

 室内では静寂を保つことが絶対条件となり、集団での会話を排除し個人の世界に入り浸ることができるのが大きな利点だ。

 

 小学生の頃内気を拗らせ人付き合いを避けていた僕は、休み時間になるとよくこんな風に図書室を利用していた。

 建付けの悪い木製の引き戸を開けると、書物特有の少しカビ臭い匂いが漂ってきた。

 この香りは不思議と気持ちが落ち着かせる作用があり、嫌いではなかった。

 

 入るとすぐ横には図書委員が対応する本貸し出しのカウンターがあり、奥の方へ進むと木目調のシートが貼られた四角いテーブルと青いクッションの敷かれた椅子が幾つも置かれていた。二メートルはありそうな本棚が部屋中に詰めるように置かれ、それぞれの分野別に多くの書物が並べられている。

 

 僕は漫画の並べられた棚の方に行き、某火を纏った鳥の作品を手に取る。適当な席に着き読み始めようとした時だった。


「あっ」と思わず漏れたような声が近くから聞こえ僕はそちらを見る。

 向かい側に座っていた人物を見て、僕も「あっ」と口に出していた。そこには分厚い本を机に置いて開き、きょとんとした様子の詩織がいた。


「綾瀬さん、奇遇だね」


 周りの人を妨害しないよう小声でそう言うと詩織は戸惑いながらもコクリと頷いた。

 案外彼女も僕と同じ、居場所がないからここにいるのかもしれないな。


「何読んでるの?」と尋ねると、彼女は気まずそうに下に俯いた。

 あなたとは話したくないという拒絶の反応だろうか、それとも学校内で私と関わらない方がいいと言っていたことに対してはっきりさせようとしているのだろうか?

 遅れて彼女は僕の目を見て囁くように言った。


「某選ばれし魔法使いが闇の魔法使いを倒す話です」

 彼女は小さく笑い「あなたは?」と聞き返す。


「某火を纏った鳥が古代から未来までを舞台に、人間達を翻弄する話」


「なるほど、あれですか」


「そう、あれだ」

 僕達は秘密を共有するようにくすくすと笑い合うと、後ろの人が咳払いをして間接的に注意を受けた。詩織に肩をすぼめてみせると、彼女は口に手を当て申し訳なさそうに頭を下げた。

 

 視線を本に戻し、時間ギリギリまで僕達は静寂に満ちた読書の時間を共有した。

 そこで会話をすることは許されなかったが、目の前にいる彼女の存在を感じられるだけで僕にとっては幸せに満ちた時間だった。

 

 数十分後、僕達は合図もなしに席を立ち、本を棚に戻した。

 その時にはもう彼女の姿は見当たらなかった。

 先程彼女の座っていた席に、何かが残されていた。手に取ってみるとそれは押し花のシオリだった。

 忘れ物だろうと思い僕はそれを持ち帰り、教室内で返そうかと考えていたが、午後になると既に彼女は早退していた。


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