第9話 また、会えましたね
小林と談笑しているとき、途中僕は窓の外をちらりと見る。
その行動に特別な意味はなかった。視界に別の情報を入れ、会話ですり減らした神経を休めようとしたのかもしれない。
しかしそこで捉えたものを見て、僕の頭の中は真っ白になる。
彼と話していた会話の内容が吹き飛び、優先順位が一瞬で切り替わる。
「ごめん、急用を思い出した!」
会話を強引に断ち切り僕は席から立ち走り出した。
「お、おい!」という小林の呼びかけを吹っ切り、僕は廊下を駆け抜けていった。
ローファーを突っ掛け、生徒玄関から飛び出す。アスファルトで舗装された駐車場で立ち止まり、辺り一帯を見渡した。
確かに、彼女はここを歩いていた。
しかもこの学校の制服を着て、見間違いではないはずだ。
僕の慌てた様子に、渡り廊下を歩く生徒達が何事かと不思議そうにこちらを見ていた。
その視線が気になって、僕は大胆に動き回るのをやめる。わき目もふらず一心で駆けてきた事実に、傍目にどう映ったのかを考えると段々恥ずかしさが込み上げてきた。
「詩織・・・」
思わず漏れた彼女の名前が効いたのかは分からない。
ただその瞬間、目前の教員玄関の方から一人の少女が出てきたのだ。
長くきめ細かな黒髪を靡かせながら、ゆっくりとした足取りで校門の方へと向かっている。
僕はしばらく呆気に取られた後、すぐに彼女の背中を追いかけ始めた。後姿しか捉えられなかったが、判別するにはそれだけで充分だった。
すぐ傍まで追いつくも、駆け寄る僕に気付く様子もなく彼女は歩き続ける。
「あのっ」と上擦った声で話しかけると、彼女は背中をビクつかせ立ち止まった。
彼女は恐る恐ると言わんばかりにゆっくりと振り向き、訝しげにこちらを見てくる。
視線が合った時、互いに目を見開きあの日交わしたわずかな記憶が蘇っていった。黒い髪とは対照的に光の籠ったような白い肌、長い睫にぱっちりとした目、ピンク色の唇。
あの日共有した時間はほんのわずか、それも三か月の月日が流れた後の再会だというのに、綾瀬詩織の洗練された美しさはあの時のままだと疑いようもなくそう思えた。
「あなたは・・・あの時の?」
彼女の反応を見て、僕は一安心する。
誰?と言われればショックのあまり会話どころではなくなっていた。僕が頷くと、彼女は嬉しそうに笑った。
「・・・また、会えましたね」
アパートでの別れ際、「また会えるかもしれませんね」と言った彼女の一言が思い返される。
「あれは、そういう意味だったんだな」
「あれ、ですか?もしかしてまた会えるかもって言ったあれですか」
「うん。でもなんであの時、僕がこの学校に入るって分かったの?」
彼女は背を向け、ゆっくりとまた歩き始める。僕も追いかけるように彼女の横に着いた。
「大したことじゃないんですけど、あなたの部屋で起きた時、机の上に合格通知の紙が置いてあったので。もしかしたらと思って」
「・・・そういうことか」
部屋中あらゆるもので散らかり倒している中、合格通知だけは失くしようのない場所に置いていた。
唯一整頓された机上は散らかった部屋の中際立って目立ったのだろう。
並んで歩く内、彼女は校門の前で立ち止まった。
見覚えのある黒のセダン車がハザードランプを焚いて停まっている。あの時迎えに来たおじさんが、中で待っているのかもしれない。
「そういえば、怪我でお休みしていたと聞いていましたけど・・・もう大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ。この通り、ピンピンしてる」
片足を上げたり下げたりして平気な事を証明する。
彼女は「よかったです」と安心したように言った。彼女にまで入院していたことを知られていたなんて、僕の怪我はそこまでニュースになっていたのだろうか?
「じゃあ、私はこれで」
彼女は手提げ鞄を両手で握り、小さく会釈をした。頭を上げ、微笑みを浮かべられた瞬間、僕の胸はざわめきを覚えた。
「・・・もう、帰るのか?」
「はい、今日は私情があるので」
そう言って彼女は踵を返し、校門の外に出た。こっちとあっちとで線引きがされたように、門扉のレールが僕達の間を走っている。
「それじゃあ、涼川さん。また明日」
垂れた横上を片耳に掛け、彼女はクスリと笑う。
「うん、また明日。綾瀬さん」
「・・・私の名前、覚えていてくれたんですね」
僕のきょとんとした様子が可笑しかったのか、彼女はクスクスと笑っていた。
むしろそれは僕のセリフだった。
僕は君の名前をあの日から一度も忘れたことがない。
僕が抱いている気持ちから覚えているのは当然のことだが、詩織が僕の名前を口にしてくれた事実に、思わずニヤけてしまわないよう疼く気持ちを必死で抑えた。
「あ、あと。涼川さん。一応お伝えしておきますけど」
下に俯き、細々とした声で彼女は言う。
「学校にいる時、あまり私に話しかけない方がいいと思いますよ」
「・・・え?」
言われた意味が分からなかった。彼女と接することで何か不利益が生じるのか、それとも単純に僕と一緒にいたくないという拒絶の意味合いなのか。
「それは、一体どういう・・・」
「すぐに、分かると思います・・・それじゃあ」
彼女は小さく手を振りながら車の方へ向かい、その間僕は呆気に取られたように力の入らない手で振り返していた。
彼女が車に乗り込むと、ハザードランプが止み車はあっという間にいなくなってしまった。
これは帰宅して今更ながらクラス名簿に目を通した時に知ったことだが、綾瀬詩織は僕と同じ一年二組に在籍していた。
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