第8話 青海高校での新生活
青海高校は、名前の通り青い海の傍にある学校だ。
自宅最寄りの駅舎から三駅先進み、電車を降りて十分程歩いた先にある。青い海を一望できる丘の上に建物は建っており、最近塗装をしたのか外壁は汚れの目立たない真っ白な状態だった。
海の方から風が吹き、微かに潮の匂いを含ませていた。皆放課後になれば海へ直行し遊んだりしているのかもしれない。想像するだけで羨ましい青春の一幕だった。
長閑な山々、青く澄んだ海、騒音の少ない自然に囲まれた環境。
それらの効果的な演出がのんびりとした特有の雰囲気を作り出し、穏やかな日々を送ろうと思うには最適な場所だった。
白いカッターシャツに袖を通し下ろし立てのローファーを突っかけて歩く。同じ制服を着た人達に混ざって、僕は門を抜け学校内へと足を踏み入れた。
事務室へ向かい、受付の人に挨拶をする。対応してくれた女性は固定電話を取ってどこかへ連絡し、少しすると階段の方からがっしりとした体格の男が駆けつけてくれた。
担任の楠村という男は職員室の方へ僕を通し、入るとインスタントコーヒーの充満した匂いが漂ってきた。朝の時間帯は宿題の提出や呼び出し等があるのか生徒の出入りが激しく、チラチラと背中越しに視線を感じた。
ガタイのいい楠村と僕が対峙している様子はガラの悪い生徒を指導しているように映っていたのかもしれない。
楠村は笑顔の少ない、威圧感が滲み出たダルマのような先生だった。ドスの効いた声とこちらを探ってくるような目は隙あれば怒鳴る瞬間を狙っているように見えた。
恐怖で学園の秩序を守る、誰かがやらなくてはならない立場を引き受けているのだろう。
彼は登校初日の生徒に対し熱心に助言をしてくれたが、そのどれもが鬱陶しく感じた。
この時期からクラスに入るのは大変だろうが、皆優しい子達だからきっと大丈夫だ。今回人間関係の構築に失敗してしまえば後の高校生活に悪影響をもたらす。自分の為に頑張れ。そう言って背中をポンポンと叩いてきた。
そんなことくらい分かってるよ。いちいち言葉にしないでほしい。
この手の先生は自分の言うことが全て正しいと信じて疑わない傾向にあるので対応に困る。
ぎこちない笑顔を返し、僕は楠村に連れられ教室の方へと向かった。
黒板に自分の名前を書き、当たり障りのない自己紹介を淡々と述べると儀礼的でバラバラな拍手が返ってきた。約三十名の生徒達は急に入ってきた新しい生徒を物珍しそうに見つめていた。
見定められているような、値踏みされているような、複数の観察眼が逃げ場なく注がれる。
「涼川の席は、一番後ろのあそこだ」と楠村が最後部の列にある空席を指さす。
その席から見て斜向かいにも空席はあった。僕は頷き、机と机の狭い隙間を歩いていく。その間も皆の視線は感じたが、足を出して躓かせようとしてきたり、露骨な文句や下品な笑い声がどこからも聞こえてこない辺り僕は感動を覚えた。
さすがは進学校、以前の中学と比べ生徒達の質が違うのだろう。
僕が席に着くのを確認すると、楠村はホームルームを始める。
担任の話を聞く姿勢は皆板に付いており、緊張感の解けない僕は場違い感を覚えずにはいられなかった。
昼休みになると一階渡り廊下にパン屋さんが来て、籠にいろんな種類のパンを並べ販売していた。
お目当ての品を求めて生徒達は長蛇の列を作り、祭りの最中のようにガヤガヤとごった返していた。
長財布を後ろポケットに突っ込み僕も現地を訪れたが、完全に出遅れた。人気のパン、割引対象の食品は飛ぶように売れ、籠には味気のないパンばかりが残されていた。
わざわざこの荒れた人並みに一人で飛び込むよりは、学校を抜け出し近くのコンビニに行った方が楽に思えた。
「なんだ、買い損ねたのか?」と後ろから陽気な声が聞こえる。
まだ話し相手の一人も作れていない僕は、それが自分に向けられた言葉だと気付かなかった。
「おい、転校生?」
肩を掴まれ、僕はビクッとして後ろを振り向く。
僕の反応に彼も驚いたのか、目を点にしてこちらを見ていた。
「なんだ、ビックリしすぎだろ?ひょっとしてお前、挙動不審ってやつか?」
スポーツ刈りで焼けた肌、体育会系の条件を揃えたような男は白い歯を覗かせながらけらけらと笑っていた。
手に持った袋の中には赤い割引シールの貼られたパンが幾つも詰め込まれていた。
「売店、もうろくなパンがないぜ。口臭臭くなるガーリックパンとか、味気のない食パンとか、そんなんしか残ってない」
言われて売店の方を見ると、確かに目ぼしいものは一通り売れてしまっていた。それと同時に人通りも少なくなり、今から並ぼうとする人はいなさそうだった。
「早い者勝ちであっという間になくなる。チャイムのなった瞬間争奪戦だ。俺のパン、分けてやるからよ。そう凹むなって」
肩をポンポンと叩き、彼は大袈裟に笑った。教室へ戻ると、彼は僕の席の前に座った。
椅子を反転させ、カレーパンとソーセージの挟まったパンをくれる。
「ありがとう、助かった」
「いいって。次は乗り遅れないよう頑張らないとな。まあ登校初日なら仕方ないか」
彼は包装を破り、大きく口を開け焼きそばパンを美味しそうに頬張った。
「名前、何ていうの?僕の事知っているってことは同じクラスだよな?」
「おう、俺は小林。お前、怪我で学校ずっと休んでたんだよな?もう大丈夫なのか?」
「一応な。まだ本調子とはいかないけど」
「そうだよなぁ。足の骨折とは聞いてたけど、なんでまた怪我したんだよ?」
「・・・まぁ、いざこざに巻き込まれたというか」
「喧嘩か?」
「簡単に言えば、そうだ」
「結構やんちゃなんだな」
小林は話している間にも焼きそばパンをあっという間に平らげ、ソースが口周りに付いていたが、全体的に黒色の顔にはいい感じに馴染んでいた。
幸いにも初めてクラスメイトと話すことができた。
まだ学校の枠内に入り切れていない、ふわふわした存在の僕にとってそれは大きな心の支えになった。
小林はあまり面白くないことでも大袈裟なリアクションを取りその場を盛り上げてくれるような奴で、きっとクラスのムードメーカーを担う人気者なのだろう。
そんな影響力の高そうな彼だからこそ、僕は一つ一つの発言に気を配った。
もし僕が元々不良上がりの男だと知られてしまえば、自然と距離を取られ今みたいに会話をすることすら敬遠されるだろう。その事実がクラス全体に広まっていき、孤立することは免れない。
今は当たり障りのない会話を積み上げていき、徐々にクラスの輪の中に入り込んでいきたい。
自分の本当の姿を隠し、別の人物像を相手に植え付けるというのは中々地道で時間のかかる作業だと思った。
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