第4話 雪の降る卒業式


 卒業式を終えた日の深夜、僕は秘密基地に来ていた。この年になって秘密基地という表現はいささか稚拙だが、既にイメージが定着してしまったので仕方がない。

 

 眠れない夜、感傷に浸りたい時、幸福を覚えた日、僕は何かと理由をつけてはこの場所を訪れていた。

 特に今日は中学生活を無事に終えられた日。節目という意味でも理由としては十分だった。

 理由がなくては来られない場所というわけではないが、意味を持たせることで見える景色の価値が変わってくるような気がするのだ。真っ黒な海に点々とした星空が広がっているだけの景色は、自分の抱える心情によって映し出される色が違う。

 

 静寂に満ちた夜、近づいては引いていく波の音と肌を撫でる冷たい風がやけに大きく感じられた。

 昼前から降り始めた雪は勢いを増し、今もまだ降り続けていた。真っ黒な海に落ちていく様子はおそろしく静かな雪だった。

 灯台の上に立ち、そこから地平線の先を無心で眺める。そのままの体勢で、何時間そうしていたのか分からない。


「今日も、やっぱりダメだったか」

 手摺に乗せた肘を外し、僕は海から背を向ける。

 僕は無意識に、あの光景をもう一度見たいと思っていたのだろう。

 終末の瞬間を錯覚させた、あの光景を。

 

 あれから何度もこの場所に足を運んでいるが、例の現象は一度も起きたことがない。

 黒雲が広がる空が裂け、その切れ目から光線の柱が放射状に降り注ぎ、異彩の美しさを纏った紅い鳥。

 数年経った今でもその正体は突き止められず、夢や勘違いでは完結させることのできない何かが僕の心を強く惹いていた。

 

 ポケットから携帯を取り出し画面を光らせると、既に日付は変わり零時十二分と表示されていた。

 人生の節目ともいえる日なら何かが起こってくるものかと期待したが、どうやら関係なく数ある一日に過ぎなかったらしい。

 僕がこの場所に意味を持たせたかったのは、例の出来事が起きるきっかけが欲しかっただけなのかもしれない。




 家路につき、外灯に照らされた海岸沿いを歩いていく。

 煙のような粉雪が一帯に降り注ぎ、防寒着で防ぎきれない顔、特に耳辺りがヒリヒリと痛んだ。地面には粉末のように細かい雪が身を寄せ合うように集まって広がり、踏むとミシッと小気味よい音が鳴った。

 

 最近の異常気象には驚かされることばかりだが、まさかこの時期に雪が降るとは夢にも思わなかった。冬には降らず春には降るとは、なんともあべこべな話だ。

 決まった期間に決まったことが起きるというサイクルは当に破綻しているのかもしれない。それは決して僕の人生においても例外ではないのだろう。


 僕は歩む足を止め、その先にある光景に目を奪われる。

 ハエが群がり対抗するようにバチバチと音を立てた街灯の下、チラつく蛍光灯に照らされた地面に誰かが横たわっていた。

 数秒間その様子を凝視し状況を理解した後、僕は一目散に駆けた。


「大丈夫ですか!?」


 雪を蹴り飛ばしながら倒れた人の元へ近づくと、その人の姿をはっきりと捉えることができた。

 女性だった。幼さを残した、大人と子供の狭間にいるような容姿を見る限り、年齢は僕と同じか少し下位だと思った。きめ細かな黒髪が地面に散りばめられ、大きめのモッズコートとクロップドパンツから覗く白い手足は細さが際立って見えた。

 長い睫に小さな鼻、ピンク色の唇。まるで眠りについた白雪姫のように幻想的で美しい雰囲気を纏っていた。

 

 僕はその光景に見惚れてしまう。

 ドラマのワンシーンである効果的な演出のように、まるで彼女がそこにあるべきもののように思えてしまった。

 しかしそんな考えはすぐに思考から払い、僕は彼女の元へ接近する。


「聞こえますか?こんな場所で寝ていたら危ない・・・」


 そこである違和感を覚える。

 この一帯にあるべきものが、彼女の周囲から消え去っていたのだ。


「雪が・・・ない?」

 周りがまだ足跡一つ刻まれていない無傷の白さが広がっているのに対し、彼女の体は濡れたアスファルトの上に倒れ、その周りを雪が囲っていた。まるで彼女の触れた部分だけ雪が溶けてしまったようで歪な光景だった。

 彼女のいた場所だけ雪が降らなかった、というわけはないだろう。誤差はあれ大体等間隔で雪は降っていたはずだ。しかしそう考えてしまったほうがしっくり来てしまう程今の状況は不自然だった。

 

 声を掛け続け肩を揺するも何の反応も返ってこなかった。

 手首を取り、指を当てると脈があることは確認できた。ひとまず安心し、僕は彼女を両手で抱えて上げる。

 細い体躯は驚くほど軽く、雪の降る夜に倒れていた割には温かすぎる気がしたが、きっと生きている証拠だろうとこの時は気にしなかった。

 

 しかし危険な状態には変わりない。早く暖かい場所に運んであげないと手遅れになってしまうだろう。

 そう思い、ひとまず自室で彼女の身を保護することにした。

 幸い僕の住んでいるアパートはここから歩いて五分のところにあり、同居している母も仕事に出ているため咎める人は誰もいない。

 歩く途中雪の勢いは段々と失われていき、朝になる頃には当に降り止んでいた。

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